会社、仕事

2024年7月13日 (土)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑨

1992年から3年間の福岡転勤では散々遊んだが夏は仕事が大変だった。まあ年間を通じてプロ野球やらサッカーなども多かったが、何より福岡は九州全域と沖縄までをカバーする職場。管内の支局にはカメラマンはいないから大きな事件や事故があれば夜中でも連絡が来て現地へ駆けつけるのは日常茶飯事だった。
特に夏が大変だったのは梅雨明けの時期になると毎年大雨による水害が発生し、そのほとんどが南九州だったからヘリが使えない夜間は車で出かけなければならない。夜が明けて到着し暑い中、泥だらけになって捜索活動を撮影し、さらには行方不明者の顔写真などを集め電送する作業は、まだ携帯電話など普及する前だったから近隣の民家の電話を借りるなどしなければならなかった。朝夕刊の締め切りに間に合うよう撮影後の写真電送の時間を見越して現場を離脱するタイミングも難しく、その間に救助される人がいる場合を考えると気が気ではなかった。

足元は泥、ぬかるみから出ても照り付ける太陽は容赦なく、汗だくになりながらの取材は記者の連中がするはずもなく、現場から離れた場所で人づてに聞いた話を記事にするわけだが、記事に合わせる写真を撮って欲しいなどと勝手なことを言われてしばしば大喧嘩になった。例えば現場での行方不明者の捜索も実際はある程度あきらめムードになっているのに、記事では「現場では必死の捜索活動が続けられている」などとするものだから、そんな様子を見つけるために右往左往したものだ。
今も昔も記者の連中は「こたつ記事」ばかり。自分もカメラを持っているくせに撮影するつもりもないし、ましてやフィルム現像が面倒くさいものだから写真を撮ろうとしない。仮に撮っていても現像をカメラマンに依頼して後は知らん顔。だから地方支局の記者が重要なカットのネガすら保管していないことなどザラ。

鹿児島の現場が落ち着いたと思うと続いて宮崎や熊本でも発生し、その移動のために疲れた運転手に代わってタクシーを運転したことも思い出す。ユニクロなんて九州にはまだまだなかったし、着替えを買うのも苦労した時代だ。

松山で土砂崩れが発生して現在3人が行方不明という。松山には何度も行ったから少しは街の様子も知っているが松山城のすぐ下にマンションが林立し、その隙間に民家があるのは知っていたから、「土砂崩れが起きたら泥濘はマンションに遮られて民家に押し寄せるんではないか」と考えたのはもう15年ほど前だっただろうか。

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過去の写真を見直すと気づくことがある。もちろん見ていたくせにそのときは目につかなかったことだから、往々にして些末なことばかりだが、この長岡のEF58110についても同様。そもそも大窓以外のEF58には関心がなかったのだから当たり前でもあるが、耐寒型の長岡機なのになぜかこの日はスノープローが装備されていない。だから後にも先にも耐寒装備のEF58のスノープローの取り付け台座を見たのはこれっきりで、そういう観点からすればネガをじっくり見直すのも案外楽しいものだ。まあ何らかの都合でこの日は外されていたのだろうし、その「何らかの都合」についてあれこれ想像をたくましくするほど偏執狂でもないから理由についてはどうでも良いが(だけど、こういうことをああだこうだと指摘してくる奴も多いんだよな)、スノープローがないとこんな姿なのだということが分かったのは「百聞は一見に如かず」といったところか。

1978年10月21日の上野駅。この日は乗り気じゃなかった客車列車の編成調査に駆り出され上野駅のホームを駆けずり回った。その合間に撮ったショットだが、長岡のEF58など滅多に撮ることはなかったから同区所属のEF58については写真を撮っておくことにした。その中の一枚。

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2024年3月30日 (土)

お召し列車牽引を終え、6×6で撮ったEF5861

今日は小学校時代のクラス会。大学だとか高校時代のクラス会というのは比較的よく聞くが、小学校時代の連中と顔を合わせる機会がずっと続いている例は少ないのではないかと思う。なにしろ担任だった先生も90歳を超えてまだご健在というのも稀有の例。さすがに今回の4年ぶりとなる会には車いす生活となって欠席されるようだが、コロナ禍以前までは毎回顔を見せてくれていた。

きっと皆、それなりに年を取っているのだろうから、ちょっとした好奇心を伴って出席してくる。

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古くからの趣味仲間の会合がゴールデンウイークに開催される運びとなった。毎年、鉄道談議に花が咲く機会だが、そろそろ皆、現役を離れて時間もでき始めたようだから、夏が終わったころに数年ぶりに温泉旅行でも提案したいと思う。
ただ、もう揃って撮影したくなるような車両も思い浮かばず、そういう点では行く先の選定にも苦慮しそうだ。まあ無難なのは磐越西線や秩父鉄道、大井川など蒸気機関車が走っているところに落ち着くかもしれないが、いっそ写真撮影などやめて古い町並みを散策するような旅も良いかもしれない。

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1978年10月、長野国体に伴うお召し列車が運転され原宿~高崎を担当したEF5861。任務を終えた後、高崎第二機関区に入り東京へ戻る間に構内で撮影させていただいた。大方の人たちは高崎から先の区間でもお召し列車を撮ろうと移動していったのか、61号機を撮影する人は自分たち以外にほとんど見かけなかったように記憶している。
考えてみればこの後、お召し列車は碓氷峠を越えたわけだからEF62とEF63×2が担当する姿もこの時が最後だったと思われる(記憶違いだったら失礼)わけで、それはそれとして意味ある記録になっただろう。

約2か月前に購入したばかりのゼンザブロニカEC-TLで撮った6×6の写真。自分にとっては大窓が隠されてしまう邪魔でしかない日の丸が外されるまで待って形式写真を撮って機関区を後にした。

なお長野国体の帰りは中央線経由でEF64が担当したから61号機が受け持ったのは往路のみだった。


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2024年3月15日 (金)

白糸川橋梁「銀河」

もうすぐ年金を受給出来る年齢となり、あと5年ほどは働けるのだが、もう雇用を延長しないできっぱり辞めてしまおうと考えている。この先、安い賃金に固執して週に数日だけ仕事をしても、いつ何どき病気になったり足腰が衰えて好きな写真撮影ができなくなる可能性だってあるのだから、まだ元気で冬の北海道に行くメンタリティが残っているうちに仕事から離れるのはクレバーな判断だと感じるからだ。

この判断に間違いはあるまい。
56歳の現役で亡くなった父のことを思えば自分自身、定年まで働けたのだし残りの人生、食うことには困らずほどほどには好きなことがやれる余裕もあるのだから、それを謳歌できる時間をストレスを伴って稼ぐ安い賃金と引き換えにするのは愚かな決断だ。また、人生100年時代とは言え、このところ谷村新司や八代亜紀などをみると70歳台の前半で亡くなっている例も多く、いつ自分がそういう事態になるかと考えれば良いタイミングでもあるだろう。

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根府川というところは個人的にあまりお気に入りの撮影地ではなかった。ただ定番の場所でもあり、ここで諸々の列車を絵葉書的に撮っておくことは当時の鉄道ファンとしては義務的な意味を感じていたから何度か行っている。

最も気に入らなかったのは上り列車を撮る場合、編成に被る架線柱。定石どおりのアングルだと画面のほぼ中央に太い柱が位置して非常に目障り。これが嫌で嫌であまり訪れることはなかったが、それでも午前の早い時間帯に上ってくる列車に当たる朝日は非常に良かったのは間違いない。上り下りの列車とも海側から浴びる光は列車を引き立て、ろくでもない列車でも美しく撮れるという利点は確たるものだった。午後の山側から下り列車に当たる光が平々凡々で、バックに海が入ると言ってもほとんど行く気になれなかったことに対し、仲間のお誘いがあれば必ず同道させた頂いたのは朝の光線の美しさによるものだ。以前の記事にも書いたが、この橋の下を通った先日の湯河原旅行で懐かしさもこみ上げたのは、やはり自分と同じ世代のファンにとってここは忘れられない場所の一つであるだろう。

1980年2月25日の「銀河」


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2023年8月12日 (土)

北海道、青いDD51の夜行列車@豊浦3

台風7号が接近しているが、とりあえず本土上陸までにはまだ時間があるようで影響が出ていないから静岡に出かけることにした。

カメラのボディ1台に長短のズームレンズ1本ずつという軽装備。宿泊は焼津の温泉で動物撮影もないし、もちろんJRなんか撮ることもあり得ないだろうからいつもの旅よりかなり楽だ。新幹線「こだま」のグリーンも指定席が満席だから藤沢経由の在来線乗り継ぎで向かうつもり。途中、熱海か小田原で乗り換えて静岡に着いたらさっそく寿司で腹ごしらえして静鉄の車庫に向かおうと思う。車を運転することもないから軽く一杯ひっかけられるし、一泊二日のこういう気軽な旅も楽しそうだ。

たった今、昨晩、静岡市内で行われた祭りに車が突っ込んで3人がけがをしたというニュースを知った。あとで行こうと考えていた寿司屋のすぐそば。実は昨日のうちに行こうかとも考えていたが、もしそうしていたら取材しなければならなかったかもしれない。こういう突発の事件事故で休みを召し上げられたことは過去、何度か経験しているが、この年齢になってそんなことにならなくて助かった。

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職場の人間から「死にたい」というメールが頻繁に送られてきてウンザリ。仕事がはかどらなくて鬱状態らしい。今朝も起床してメールソフトを立ち上げたら3通も届いていた。バカでもできるマスコミの仕事、それすらできずに行き詰るくらいならサッサと会社を辞めりゃいいだろうと思うのだが。
もはや正社員でもない延長雇用の管理職にそんなことを言われても知ったことではない。本音を言えば「お好きに」というところで、50年以上生きてきたイイ年をした人間なのだから死にたきゃご自身で決めて欲しい。そもそも、そんな話をふってこられてもこちらこそハラスメントを受けているようで迷惑以外の何ものでもない。

だからそんなメールに迂闊に返信して文字に残したら本当に自殺した場合、後々の証拠になってしまうから絶対に返事などしないで無視しているがメールが普及してから、こういう甘えた文面が送られてくることがよくある。
大阪に単身赴任していた時代など、どこのどいつかも分からない「キクチ」と称するイカれた女から真夜中に自殺をほのめかすメールや電話、セルフヌード(素っ裸)の画像が届いたものだが特に写真は容姿も容姿で単身赴任中の身とてありがたくもなく、かなり辟易した。挙句、留守にしている横浜の自宅の表札の写真まで送られてくるに至っては警察にも相談したものだ。じゅうぶん、ストーカーの要件を満たす行動だが、後になって知人のセフレだということが分かったからとりあえず被害届の提出は取り下げたが、万が一に備えてメールは保存し電話も録音してある。果たして知人は彼女の異常な行動を知っていたのだろうか。今もって経緯の説明はないが、知っていたとしたら同罪だ。いずれ尋ねる機会があるかもしれない。
まあそれにしても、こういうことを文字にして相手に送る人間というのは浅はかなのか狂っているのかどちらかなのだろう。文字に残さないメリットということに気づかないバカが多い。

弱者の声にも真摯に耳を傾けようという時代だが、先のような経験をしたこともあってそんな偽善には同意できない。
まして職場の人間には普段から何かとアドバイスしているのに、それを聞こうともしないでミスを繰り返すような人物がどうなろうと、こちらが常に神経をピリピリさせる義理はない。根本的な原因が自分にあるのにそれを改善しようともしないで周囲にすがるような奴に割く時間は無駄。彼のメールは着信拒否にした。

動物を撮る機会が増え、そこでまざまざと目撃するのは、弱者は自ずと淘汰されていくということ。当たり前のことながら自然は厳しくもいろいろ示唆を与えてくれる。

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函館本線の函館~長万部間の存続が決まったと聞いた。「存続」と言っても詳細についてはこれから詰めていくようで、旅客輸送についてはまだまだ方針が定まらない部分が多い。
ただ、はっきりしているのは新幹線ができれば函館~札幌に直通の在来線特急が走らなくなるのは、これまでの例を見ればほぼはっきりしているから、現在の「北斗」という特急が消滅する可能性もあるわけだ。では長万部から室蘭や札幌まで、別の名称の特急が新設されるのか、あるいは「北斗」という名称のままの特急が存続するのか興味あるところだが、電化区間とそうでない区間が混在するわけで直通の特急が走ることはなさそうな気がする一方、特急用気動車が余るからそんな用途に使うかもしれないとも想像する。

2015年のちょうど今頃、豊浦の展望塔から撮った「北斗星」。このころは撮りたいところでの撮影を完了していたから正直なところ惰性で北海道通いをしていた感無きにしも非ずだった。そうでなければこんな俯瞰撮影など、この自分がやるわけはない。「北斗星」はすでに臨時列車になっていて、それもあと一週間ほどで終わるという時期。ファンも多くなっていたため、なるべく人の来ない場所で撮りたく、ここをチョイスした。ありがたかったのは涼しかったこと。窓が開くから風が入ってくる。おかげでガラス越しの撮影ではなくレンズを窓の外に出せることもありがたかった。

本当は9時からの営業で、10分ほど前に通過の「北斗星」には間に合わないのだが前日のうちに、ここの社長(?)であるTさんにお願いして開場1時間前にエレベーターで上げていただいた。理想的には下のアングルが良いのだが、残念ながら高い木が邪魔。仕方なくもう少し接近してからの絵で良しとしたが、自分の写風ではないこんな絵が一枚ぐらい残せたのは良かった。

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2022年4月 9日 (土)

ED75重連の「ゆうづる」

暇を見つけて撮ってきた田園都市線の8500系。もともと電車に関心の薄い自分としては気が向くと家の近場で記録してきたが、来年1月の運行終了を控えて今月20日からヘッドマークを取り付け、サヨナラ運転に入るとなれば少しは記録することになるだろう。
最終日にだけお別れ運転のマークを取り付けるとファンが殺到するから、一定期間マークを付けるというこのやり方は運行最終日に大勢の人が殺到することを少しは回避できるだろうからなかなか良いアイディアだ。かねてからこのブログでもこういった方法を述べてきたが、ようやく鉄道会社も気がついたか。

その一方、逆に長い間マークを付けて運転されるから「いつでも撮れる」と安心して、運行終了間際になって慌てて詰めかけるファンもいるかもしれない。
そういう方々とご一緒するのはまっぴらな自分としては、ゴールデンウイーク明けからでもコツコツと撮っておこうかと考えている。

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ニコンが発表したZシリーズの800ミリレンズ。開放値がF6・3ながら重量が2・3キロで実際に手にしてみたがなかなか軽い。PFレンズ採用で価格もプロ価格ならかなり格安。正直、魅力的ではあるが、ここで騙されるわけにはいかない。そもそも800ミリなど野鳥撮影や一部のスポーツなどを除けばそれほど使い道があるとは思えないからだ。

北海道で小動物を撮るようになって軽くて長いレンズ(FマウントのPF500ミリ)の機動力を思い知らされている身ながら、反対に長すぎるレンズの短所もあらためて身に染みた。
例えばキタキツネやエゾシカを撮る場合、800ミリクラスのレンズでは鼻先に合焦してしまうと目にはピントが来ない。長いレンズの被写界深度を考えれば当然のことでそれはワシなども同様。まして1000分の1秒以上の速いシャッターを切りたいのだから自ずと絞りを開けることになるわけで、(正面方向から撮影して)目と鼻、あるいはくちばしにまでピントが合うカットをモノにするのはよほど明るい場所でもなければ難しい。このレンズの発表を手放しで喜んで購入しようとしている方々はそのことをきちんと踏まえるべきだ。
報道の連中だって800ミリなど使うのは野球のセンターや、被写体がうんと遠いようなケース。少しでも暑いと陽炎で絵はメラメラになるから、ほとんど機材庫に眠ったまま。

今般、ニコンが用途の限られる800ミリから軽量レンズを発表したのは、こんなに小さくなりましたよというアピールをするなら、これまで大きく重かった800ミリが最もうってつけだったからだと考えて間違いあるまい。本来なら400、500とせいぜい600ミリ当たりが最も重宝する画角なのに、そのクラスでは劇的に小さくなったというサプライスに欠けるから800ミリに白羽の矢を立てたと見る。きっと長いレンズを使い慣れていないユーザーがいきなりこのレンズを買ったら、痛いしっぺ返しに遭うだろう。

お金がある人ならともかく、(開発発表はまだ先になるだろうが)ここはPFレンズ採用の500ミリあたりを待つのがクレバーというもの。念のため発売日に入手できるようカメラ店にお願いした。

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職場に質の悪い女性社員がいて、こいつを追い出す(異動させる)ためにこの一週間はエネルギーを費やした。

こちらはいったん定年した身だから直接人事を動かせず、あれこれとトロい管理職を動かさねばならないのは隔靴掻痒。何かにつけてセクハラだパワハラだと騒がれる世の中、出来の悪い部下を動かすのも大変なのは分かるが、傍で見ているとそういう「モンスター社員」に関わりたくない臆病な管理職が多いものだから、たかが次長の一人を動かすのに多大な労力がかかってしまう。
約1年かけて裏工作や陰謀をめぐらし、この度やっとほかのセクションに追いやって、ようやく一息つくことができた。

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1987年11月に撮影した「ゆうづる」。北高岩付近だったと思う。
2月2日の記事に書いた紅葉を見に行った旅の途中で撮影に手頃そうなポイントを見つけたので400ミリを構えたが、ご覧のようにギリギリのフレーミングになってしまった。

(写真、文:U)

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2020年10月16日 (金)

小学生時代に撮ったD51

予想通りニコンのZ6Ⅱ、Z7Ⅱは従来のZ6、7から大きく進化しなかった。関連記事やホームページを見るとセールスポイントはそれなりだと感じる人もいるだろうが、この時代の新製品として他社に追い付いた程度では物足りない。デジカメの市場はすでに飽和状態ともいえる現状、頭一つでもライバル製品にアドバンテージがなければ数十万円も出す気分になれないのは仕方がない。

古くからのディープなニコンユーザーとしては同社の慎重で堅実な社風もこの時代では「遅れている」とのイメージに誤解されることを危惧する。

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本日は在宅で人事考課をつけている。年に2回の作業だがホント面倒くさい。

なにしろ悪い評価を付けると人事セクションからあれこれ突っ込まれるし、良い評価を付けるとケチをつけられる。要するに「普通」とするのが無難なのだが、それならなんで人事考課など必要なのか毎度バカバカしくなる。

職場にいるお局さん。仕事はできるのに、それを誇りすぎて周囲の人間にも自分と同等の能力を要求するものだからほかのセクションとの軋轢が凄い。よその職場に引き取ってもらうべく、日々工作をしているものの引き取り手はなく頭が痛い。本人は全くそんなことに気づかず「裸の王様」(「裸の女王様」?)状態。上司としての評価も本人に通知しなければならないから当たり障りのないことを書いたが、なんでこんなことをやらなければならないのかむなしくなる。

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1972年2月に室蘭本線の鷲別~幌別で撮った2枚。43年後に、ここから100メートル程度離れた場所で夜行急行「はまなす」を撮ったのは全く偶然のこと(9月24日の記事参照)。

小学校から中学に上がるときで、大した準備もなく冬の北海道に一人で行ったのだから今思うと、かなり無謀だった。当時はもちろん幌別の駅から歩きやすい線路上を歩いたが、いくら雪の少ないこの地区でも、それなりに積雪があったから靴の中はびしょびしょになって、東室蘭の駅前にあった靴屋で長靴を買った思い出が残っている。考えていた以上に次から次へとD51やC57が行きかい、フィルムもすぐに尽きた。

標準レンズ1本で全ての撮影を賄ったが、それでも一眼レフだったのだからマシだった。しかしフィルムはトライXなどというものを知らず、ほとんどはネオパンSSかSSSでコントラストが低く画像調整には苦労を強いられる。
海側には全くといえるほど風を遮るような建物もなく夕暮れも近くなって猛烈に寒かったが、列車本数は非常に多く退屈しない場所だった。戦時型D51で角張った切り詰めデフが特徴の942号機。直線区間とあって、蒸気機関車はほとんど無煙だったが、この列車はそれでも煙が出ていた方だ。

(写真、文:U)

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