貨物列車

2024年11月21日 (木)

函館本線・大沼駅付近の貨物列車

もう本気で鉄道を撮ることはあるまいと思っていたら、ちょっと気になる車両を見つけた。「見つけた」と言っても新たに造られたものではなく、何年も前から現役で使われていたもので、ファンの間でもほとんど注目されなかった存在。その厳つい外観はよく見ると自分の好みにマッチしそうな予感もあり、いずれ撮影に行くつもりで今は下調べに勤しんでいる。超望遠レンズで圧縮したら、案外いけるのではないかと思う。

今年はもう11月も下旬になってしまい、動物撮影とのかねあいから時間を割けそうになく訪問は来年になるだろうが、撮影地が混み合うようなネタでもないからガツガツせず2025年以降の課題として楽しみを温存しようと思う。
ただ一つ問題なのは、自分が思い描いているよりも撮影地が少なく長いレンズを使える場所がかなり少ないこと。一昔前なら問題ないような場所ながら、最近はちょっと線路に接近するとすぐに問題となる時代だから、そんなことにも配慮しながらポイントを探さなければならない。まあ時間もあることだし、来年は観光も兼ねて旅先の一つに数えている。

******************************************************************************************

1988年5月、函館・大沼のカントリークラブで行われたプロゴルフの取材に行った際、早起きして撮ったDD51の貨物列車。もちろん本命は運転が始まったばかりの「北斗星」だったが、これはその前の列車で、日の出の早い5月だからこそ撮ることができた。

当時の北海道はまだ多くのDD51が使用されていたが、国鉄民営化を機に相当数が廃車になった。
記憶が定かではないが、まだDF200は見たことがなかったから製造されていなかったのか、両数が少なかったのか(調べりゃすぐに分かることながら面倒くさいし、どうでも良いことだから割愛する)、とにかくこの出張のときに撮った記録の中には一枚も残っていない。

スノープローが付いたDD51はそれ以前から好感を持っていたから山陰への出張などのときにも時間を作って記録したが、やはり北海道の方が密度も高く編成も長かったから撮影のし甲斐を感じたのは確かだ。

Img6460

Img6610

| | コメント (0)

2024年11月17日 (日)

今回の函館線事故現場での記録

首相が交代したものの衆院選で連立与党が過半数割れとなって騒がしい自民党。石破首相も総裁選での発言を撤回したりするなどして批判を浴びているが、それにしても身内の議員から首相の責任論が噴出しているザマは滑稽だ。なにしろ自民低迷の大きな理由が裏金問題だったことも顧みず、選挙結果について党幹部の責任を追及する姿はまるで自分たち自身の責任を棚に上げて全く反省していないかのようにしか映らない。もちろん選挙期間中に非公認候補者にまで2000万円を支給していたことは新執行部として責めを受けても当然ながら、そもそもは前任者の岸田がろくに後始末をしなかったことが国民の怒りを買ったのだから、責任を追及するなら矛先を彼らに向けるべきではないかと感じる次第で事の本質を見誤ってはいないか(それともわざと見ないようにしているのか)。

マスコミにしても自民大敗となった感想を岸田にこそ尋ねるべきで、そういった報道がないのだから怠慢としか言いようがない。もちろん岸田だけでなく麻生や二階、あるいは自民党に戻る萩生田や西村らの(選挙結果への)感想も伺いたいが週刊誌も含めて彼らに取材した記事を見かけないのはどうしたことだ。しょせん大手マスコミの政治部とは権力者に配慮するような奴らの職場なのか。
むしろ、そういうインタビューこそ選挙結果が出たら直ちにやらなければ意味がないと思うのだが、どうなっているのだろう???

************************************************************************************************

北海道の函館線でまた列車の脱線事故が起きた。レールが破断されていたことなどから線路の保守管理に問題があったように推測されるのだろうが、かつて夜行列車を撮影に通っていた際に海峡線の札苅駅で同じような事故が起きて肝心の夜行列車が運休になったときのことを思い出した。当時はもっと頻発していたから毎度けっこう大きなニュースにはなったものの、最近は耳にしなくなっていてJR北海道も線路の保守管理に本腰を入れたのだろうと思っていた矢先。運輸安全委員会の報告を待たなければ何とも言えないが、またしても線路のメンテナンスに原因が見つかれば新幹線札幌延伸後の函館~長万部の存続を話し合う場でも取り上げられるのではないか。

で、それはともかく、このニュースを見ていたら2017年2月に今回の脱線事故が起きた現場の踏切(ここでレールの破断が見つかったらしい)でDF200の下り貨物列車を撮ったことを思い出した。「カシオペア」がDD51からDF200の牽引となり、あまり撮る気力は起きなかったが、とりあえず最後の記録を残そうと訪れたときのもの。翌月に控えたダイヤ改正で函館線の駅がいくつも廃止されるため、この踏切のすぐそばにあった桂川という駅を撮りに寄った。ほかにもこの界隈では姫川、東山も廃止され、翌日の「カシオペア」撮影を前に下見を兼ねてこれらの駅に寄り道し暇つぶししたときの産物。

この踏切はタテに構えればバックに駒ヶ岳が入ったが、あいにく霞んでいたからDF200をアップで撮っている。最近は記事の更新も怠けているため桂川に停車するキハ40の画像とともに掲載する。

Df200

Photo_20241117140301

| | コメント (0)

2024年8月27日 (火)

尾鷲駅のDF50貨物列車

25日の趣味仲間との宴会は泥酔することもなく無事終了と思って帰宅したら「無事」では済まず、後になって酷い胃痛に見舞われた。ここしばらく外で酒を飲む機会が減って、久々の痛飲に胃が驚いたのかもしれない。二日酔いとは違うムカつきに襲われ昨日は丸一日家で横になっていた。不快感の原因はおそらく宴席で飲んだ紹興酒ではないかと推測する。

もともと酒に関して好き嫌いはなく、紹興酒もかつては自宅に常備していて一晩に一本程度空けても問題なかったのに、年齢とともに体質が変化して体に合わなくなってしまったのかもしれない。思い返せば毎年ゴールデンウイークに開く宴会でも、もはや紹興酒は自分にとって甘すぎて体が受け付けなくなってきたように感じていたから、その傾向が顕著に進んでしまったのだろうか。この分だと甘口のワインにも要注意だ。

それはそうと最近、前兆もなく体のあちこちに痛みを感じることがある。先週などは夜中に左ひざの関節が急に激しく痛みだし、その痛みはこむら返りのようでベッドで煩悶したが、それでも予兆があるならまだしも、いきなりやって来る痛みは対処のしようがなく焦る。救急車を呼ぼうかと思ったほどだ。自分ではまだまだ若いという意識は捨てきれないものの、確実に老化が進んでいるのだろう。だから嫌々70歳まで仕事などしないでサッサと見切りをつけたことをますます良かったと思う次第。
胃のムカつきはまだ少し残るがかなり回復したので、今日は二日ぶりにパソコンを開く気になった。

さて、宴会自体はなかなか濃い内容で、久しぶりに顔を合わせた方々との話も弾み午前11時から午後6時ごろまで楽しく過ごすことができた。さすがに現役バリバリの方々は現状に明るく、JRの某社が計画している国鉄型機関車を流用して「まがい物」をつくるロクでもない企画などについても耳に挟んだが、詳細についてはここに記すのもあまりにもバカバカしくてくだらないものだから割愛させていただく。遠からず発表されれば我々世代のファンはきっと自分と同じような感想を持つだろう。

飛行機の都合で一足先に帰ったAさんご夫妻、有意義な時間をセットしていただきありがとう! 次に会える機会をまた心待ちにしております。

********************************************************************************************

DF50を1両でも多く撮ろうと1977年のゴールデンウイークに訪れた紀勢線。紀伊長島や新宮、紀伊田辺などを行ったり来たりしながら片っ端から亀山機関区所属のDF50を撮りまくった。貨物も旅客も全てDF50が担当していたから、一網打尽の如く数だけはたくさん撮ることができたが、連日の夜行列車利用は体力的にかなり消耗した。おかげで旅行の後半は列車に乗るとすぐに睡魔に襲われ朦朧としながら撮影していた。
急行列車も当時の車両は窓が開くから、駅を通過するたびに車内から対向列車を撮っていたが、中にはどの駅で撮影したか分からなくなってしまったものもある。

連休中ながら紀勢線も白浜以南は観光客はまばらで、せいぜい紀伊長島付近に釣りに行く客で夜行列車がにぎわう程度。5日間の滞在中、ただの1人として鉄道ファンは見かけなかった。
この頃はホームから線路に下りて撮影するなど当たり前で、むしろ下手に自己規制してホーム上から撮った写真を見ると、後になって理性に沿って行動したことを後悔してしまうほど。もちろん発車の時刻や退避する列車の通過時刻などは頭に入っていて、その点には注意していたのは言うまでもないが、とにかくまだのどかな時代だった。そもそも機関区の見学も事務室に行って氏名と連絡先を記載すれば付き添いもなく、ほぼ自由に歩き回れたのだから推して知るべし。良い時代に鉄道撮影できたことをつくづく幸せに思う。写真は尾鷲でのもの。機関車の前面、貫通扉脇の手すりにかかる鎖が片方外されているのは、ここから重連になるための準備と思われたが、自分が乗ってきた新宮に向かう下り列車(貨物列車の後ろに隠れている)の発車が迫り、そこまで見届けることはできなかった。

Photo_20240827134601

| | コメント (0)

2024年8月22日 (木)

紀勢線和歌山口のDF50重連

次の日曜日は大阪からやって来るA氏らと久しぶりに酒を汲み交わす。
列車撮影を通じて知り合い半世紀近いお付き合いだが、もはや共通の趣味の世界に魅力ある被写体もなくなって最近は線路際で会うこともなくなっている。さて今後の交流はどうなるか? 宴席ではおそらくそんな話題から、一緒に撮影に出かけたときの昔話に花が咲くのだろうが、顔の広い彼のこと、さらには参加者には自分たちよりも少し若い現役バリバリの方々もいるようなので何か刺激を受けるネタを頂戴できるかもしれず、そんな意味でも楽しみだ。

こうやって仲間が集まる機会も、集まるきっかけとなるネタがなくなれば自然消滅することも多いが、それでも継続できることはひとえにA氏や、毎年ゴールデンウィークの宴会の幹事を引き受けてくれているM氏らの尽力によるもので心からありがたく思う。セッティングを人任せにしがちな自分のような人間が多い中、積極的に声をかけてくださる彼らの存在は仕事をリタイヤして時間に余裕ができた者としては外出する機会にもなるわけで、そういう観点からも大変嬉しい。今回も大阪から来るA氏がわざわざ東京で招集をかけてくれることに対しては後ろめたい気がするものの、そこは素直に甘えて大いに飲んで語って来るつもりだ。

*********************************************************************************************

紀勢線で活躍したDF50はこの写真を撮った1978年以降、同線の一部電化などで急激に数を減らしていくのだが、このころはまだまだ旅客、貨物列車ともにかなりの両数が使われており、しばしば訪れた和歌山周辺でも当たり前に撮ることが可能だった。だから和歌山市に滞在していても朝から晩まで線路際で待つ必要などなく、光線が良くなる昼過ぎや上り下りの列車本数が密になる13時ごろに撮影地に着いて、そのまま夕方のキハ81で運行される「くろしお」まで居残るのが日課になっていた。

ちょうど「鉄道ダイヤ情報」も東北線からEF57が消滅したばかりで、次の照準をDF50に合わせてきたのかダイヤや運用も掲載され始め、撮影は非常に楽になったが、「ダイヤ情報」に頼らざるとも市販の時刻表さえあれば客車列車の時刻は分かるし、貨物列車についても「鉄道ファン」別冊の特急列車撮影地ガイドの巻末の大ざっぱなダイヤ表を見ればじゅうぶんで、緻密に調べなくともそこそこの数を仕留めることは可能だった。
だから関東で管理局報を見て団体列車などをチェックするような手間も省いて、時間が来れば線路際で目の前に現れる列車を片っ端から撮るという素朴な姿勢で撮影に臨め、希に12系客車の団体列車などがやって来れば「おまけ」として素直に喜んだものだった。

今回の写真は日々のルーティンとなった午後の撮影中、偶然やって来た重連貨物。南紀という観光地を控え、団体列車でも設定されたことで生じた機関車の回送だったのかもしれない。たまたま標準レンズを装着していたから2両目の機関車のサイドが見えるアングルになったが、どうして望遠を外していたのか記憶がない。なにしろ前後のコマを見れば全て135ミリで撮っているのだから、ひょっとしたら重連で来ると分かっていたのではないかと推察する一方、自分に関しては絶対にそんなことをするわけはなく不可解な一枚でもある。

Img8161

| | コメント (0)

2024年3月27日 (水)

水上のEF16

初めて上越線にEF16を撮りに行ったのは1977年8月のこと。高校の同級生K君と長岡方面に彼の好きなEF15を撮影に行った際に途中下車して、水上機関区や駅周辺でお手軽に片付けたのが最初だ。そのころの上越線はまだ新幹線開業前で「とき」や「いなほ」などの特急列車はもちろん、貨物列車の本数も多く飽きることのない線区だった。特に水上と石打の間はほぼすべての貨物列車に補機が付き、重連で清水峠を越えていたからたいそう見ごたえがあった。寒冷地装備のEF16は普段首都圏で見かけるEF15とは違い重厚で、雪のない夏場でも良き被写体だった。

水上機関区は帳面に氏名と住所などを記せば見学は自由で、機関車の出入りが激しい構内ながらも自由に見て回れたものだ。
アップするのは機関区外れの踏切付近から撮った下り貨物列車と構内入れ換え中のEF16。きわめて安易なポイントながら、上り列車もすぐそばの鉄橋で撮ることもできて何度も訪れている。EF65PFもここではEF16の力を借りていた。どちらも標準レンズでの撮影。

Img5150_20240327114101

Img5230

| | コメント (0)

2024年2月18日 (日)

根府川のEF661

今月8日、一泊で湯河原の温泉に行ってきた。何か写真を撮るわけでもなく、ただただ温泉に浸かり美味いものを食べるという旅行。したがってカメラも最小限でのんびりしたドライブだった。個人的には熱海より先、伊東や下田方面に車で行くのは渋滞することが多くて真っ平だが、湯河原や真鶴ならば列車撮影にしばしば行ったところだから許容範囲。茅ケ崎の熊澤酒造のレストランで昼食をとって海沿いに湯河原へと向かった。

それにしてもかなり久しぶりの湘南海岸。2020年6月に、買ったばかりのニコンD6をテストしに真鶴へ行って午前4時台に通過するEF64の貨物列車を撮って以来。その時は夜明け前にBMW M4で飛ばしたから海岸線沿いの風景などを堪能している余裕はなかったが、今回は軽自動車ハスラーでのんびり昔懐かしい場所を見ながら気楽な行程を楽しむことができた。

ハスラーで出かけたのは湯河原の宿が坂の途中にあり、M4なんかで行ったら車高が低いために底を擦ってしまうことが予想されたため。かつて伊東にBMWのカプリオレで行って宿の手前の急坂でフロントのスポイラーを擦りそうになり(改造など一切していない)、回り道をしたことがあるが、あの辺りはスポーティーな車は禁物。今回の宿はハスラーでさえ下を擦りそうな立地で、大人が4人乗っていたら危ういほど。湯河原には良い宿も多いが、そういう地区だから宿のある場所によっては平地の公営駐車場を利用しなければならないこともあるだろう。

宿は最近リニューアルしたばかりで、迷路のような廊下をたどって風呂に行くのはある意味、古くらかの建物であることの証。決してゴージャスとは言えないまでも料理が抜群で大満足。翌日は花が咲き始めた梅林や、久しぶりに早川の「前田の干物」、寒川のJAの農産物販売店(ここが凄く品数が多い)などに寄って帰宅。買ってきたキンカンの味に病みつきになり、充実した週末を過ごすことができた。

一方、根府川や早川の鉄橋も懐かしかった。根府川の鉄橋は山陰線・餘部鉄橋の事故をきっかけに、暴風をしのぐフェンスができて昔のような名撮影地から没落してしまったが、自分にとってはブルートレインや団体列車、荷物列車を撮った懐かしいところ。もう、かつてのような写真が撮れないと分かっていても下の道から眺めずにはいられない。一応、車に積みっぱなしの長いレンズがあるから、ホームから上り列車でも撮ろうかという考えがよぎったが、あんな車両ばかりでは時間を無駄にするのが関の山。

帰宅して、根府川で撮った古いブルトレの写真を見ていたら、コマとコマの間にEF66のファーストナンバーが牽く貨物列車を見つけた。試作機の901号機が存在したEF66ゆえ、1号機としてのバリューは高くはないものの、ここで撮った記憶がなかっただけにちょっとした発見だった。1977年2月撮影の高校生時代の、しかも蒸気機関車以外の車両を撮り始めて間もないころのものでフレーミングも甘いし、シャッターを切る位置も早すぎて画面のど真ん中に架線柱が来てしまい見苦しいが、それはさておき懐かしさがこみあげてくる。

Img8151

| | コメント (0)

2023年12月13日 (水)

水上の鉄橋で

この前の日曜日、例年になく暖かい日が続いているので今のうちにと思って自宅の窓ガラスを拭いたり、庭の草むしりや落ち葉拾いなどを済ませた。いつも年末ぎりぎりになって寒い中、嫌々屋外の仕事をしてきたが、年を取るごとに寒さが応えるようになり少し早めの大掃除に取り掛かった。日ごろしっかりやっていれば作業ももっと楽なのに、つい先延ばししてしまうから余計大変。当然、翌日は筋肉痛となった。

天気予報によれば、今度の土曜日も気温が高そうで続きをやる予定。正月だからと言って大掃除などすることもないが、岸田政権では裏金問題で汚れた閣僚や副大臣、あるいは与党幹部など「政府・与党の大掃除」を始めるようだから、そんな年末の「エンターテイメント」を楽しみながら我が家もそれに倣って大掃除を本格化したい。

******************************************************************************************************

1977年8月の長岡方面に遠征した際に立ち寄った水上。
あまり時間がなく機関区を見学するのがせいぜいだったが、すぐそばの踏切近くの鉄橋で少しだけ走行写真を撮ることができた。山間部で小雨に見舞われ画質が悪く、改めて訪問したかったがなかなかそのチャンスはなくEF16が活躍していた時代、雪のない時期にここで撮ったのはこの時だけに終わった。

Img5190

Img5200

Img5210

| | コメント (0)

2023年10月29日 (日)

御坊駅に到着するEF15+DF50の貨物列車

入手したニコンZ600mm F6・3PFはまだ本格的に使用していないものの、家のそばで小鳥などを試し撮りしただけでも非常に便利であることが実証された。マウントアダプターを介していないせいかFマウントの500mm F5・6PFよりもはるかにAFの合焦速度が速くビックリ。しかも同じZマウントの100~400mmズームよりも明らかに速く、同一のモーターなのにこれほど違うことに驚かされた。ズームレンズと単焦点レンズの切れの違いは今さらここに記しても意味はないが、やはり短焦点レンズの切れ味は格段で、いかに素晴らしい100~400mmをもってしても太刀打ちできない。なるべくならズームレンズにテレコンバーターを使いたくない自分としては、このレンズなら全く問題なさそうに感じた。1・4倍テレコンを装着してクロップすれば1260mm。これを手持ちで撮影できるのだから北海道の動物撮影に早く持ち出したくなってしまう。

ニコンによれば望遠端が180~600mmズームと競合し、開放絞りも同じF6・3であることもあって、廉価なズームの方が売れ行きは良いようだが、画質の違いを見るとやはり一目瞭然で価格以上の性能差を感じる。

******************************************************************************************************

先般の北海道旅行で撮った画像の現像があまり進んでいないため今回は古いストックの中からまたもやモノクロの写真。紀勢本線の和歌山~新宮間の電化が完成する直前、1978年8月28日に紀勢本線の御坊で撮ったEF15169とDF5037による貨物列車。EF15の紀勢線入線のための練習運転という位置づけになる。

大学1年の夏休みで、長い休みを利用してこのときも単身赴任していた父のいる福岡に向かう途次。ただし「途次」と言っても居心地の良い和歌山の親戚の家にダラダラと2週間近く滞在してしまい、父はいつになったら息子がやって来るのかやきもきしていたと思われる。本来、和歌山には3、4日だけお世話になるつもりでいたのに、EF58やEF15がDF50と組んで入線試験をやっている非日常的光景を見て、ズルズルと居座ってしまった。ほかにも、まだキハ81も残っていた時代、住んでいる(厄介になっている)家の近くでバラエティ豊かな被写体が見られる環境から離れがたくなったのは鉄道ファンとしては仕方のないところだろう。

Img8830

| | コメント (0)

2023年10月 2日 (月)

小野田~厚狭のEF66貨物

予約していたUーTRAINSのキハ30・500番台(両運転台)が入った。全体としての出来が良いのは毎度のことながら、引き取ってきた製品は運転台助士席の窓脇にある金属製ステップ(足掛け)の取り付けが甘く、帰宅して箱から出してみると外れていた。まあ、こんなことは模型業界ではよくあることゆえ慣れっこになってしまって腹も立たないから瞬間接着剤で補修したが、もう少し品質管理には気を遣って欲しい。直接、UーTRAINSの店頭で買ったものではなくモデルスイモン経由で購入したから、修理を頼むのも面倒くさく「泣き寝入り」するが、メーカーの店頭売り商品でないとこういうB級品をつかませられるリスクは高いのかもしれない。昔、天賞堂の蒸気機関車模型でも、銀座の本店で買わなかった商品に、煙室扉ハンドルが曲がっている不備が3回あったことを思い出す。まあ細かい点だから部品が外れていても気にしなければ看過できるが、保証制度もないのに高額な鉄道模型、もう少し念入りに作って欲しいと思うのは正直な思いだ。

ついでに言えばUーTRAINSの製品は良くできてはいるが、モーターから動力が伝わる側の台車前面に伝達装置先端の丸く大きな金色の部分が露出していて、こればかりは致命的欠点。そのためスノープローのある耐寒型でなければそこが丸見えとなって目立ち、模型も実車同様、前方から眺めることの多い者としては大いに不満。この部分を黒に染めるなどしても走らせると色が剥げてしまうので、敢えてそのままにしているのだろうか。自分好みの車両を数多く模型化しているメーカーだけに欲しい製品はたくさんあるのだが、スノープロー付きじゃないと手を出す気になれないのは残念至極。

******************************************************************************************************

個人的なことだが、結婚式を挙げて本日で40年となる。社会人になってすぐに結婚したから、もう人生の3分の2を妻と送ったことになるわけだ。婚姻届は式より4か月前に出しているが、やはり結婚記念日というのは式を挙げた日の方が記憶に刻まれるもので、実際のところ自分は書類を提出した日にちは覚えていない。

ただ元号で言えば昭和58年の6月に提出しているのは間違いなく、ならば6月1日に届けを出しておけば「5861」になって忘れるようなことはなかったはず。物忘れが多くなった昨今、こういうものこそ絶対に忘れない数字にこだわるべきだったと反省してしまう。

******************************************************************************************************

今日は職場のテレビがどの局もジャニーズの記者会見を生中継で放映していてウンザリ。しょせん外国のテレビ局に触発されてようやく問題化したニュース。それ以前からマスコミはジャニーズにへいこらして喜多川の行為を知りつつも報道しなかったくせに、いまさら「主犯と共犯」で茶番劇をやっているだけとしか映らない。

ところで「SMILE-UP(スマイルーアップ)」とかって言う新社名、かのマック赤坂氏の政見放送を思い出してしまった。

******************************************************************************************************

頭に変なものを載せる以前のEF66。小野田~厚狭で1985年3月に撮影した。ここはブルトレなどを撮るのに適していたポイントだったが編成が長いと後方が隠れてしまう。それを承知で300mmを使った。

東京発のブルトレ牽引機がEF66に代わった直後で某雑誌社から、ここで撮った写真をリクエストされたが、長いレンズを使ったものだから「さくら」や「はやぶさ」「みずほ」でも編成後部は切れ、短い「あさかぜ」が雑誌に掲載された。
個人的には編成が切れても何ら違和感はないと感じていたが、古い感覚にとらわれる編集者も多かった。

Img0261

| | コメント (0)

2023年9月 9日 (土)

千歳線のD51貨物列車

台風の中、8日から1泊で千葉の鋸南町に行ってきた。目的は美味しい魚料理と温泉が売りの宿。妻が友人から聞いてきて予約がなかなか取れないのに、ポツンと8日の晩だけ空室があったので押さえていたらしい。そのため、台風が来るのが分かってはいたが予定通り出かけることにした。
千葉の館山道の一部が通行止めになるなど台風の影響は多少あったものの、まあ自宅から2時間かからずに行けたのだから近い事に驚いた。

料理は期待通り、いつもは真鯛と言われても特別美味しいとは感じないのに、ここの刺身はなかなかのもの。高級魚からやや格が下がり気味の真鯛だが、ここで出された刺身は鯛の本領が発揮されているようであらためてその美味さを思い出した。

生憎の天気だったため観光はしなかったが(と言っても、あの周辺に我々のような年齢の者が行っても喜べるような観光地があるとも思えない)、何カ所かの「道の駅」で安くて質の良い農産物や干物などの海産物を仕入れることができ、これから数日は自宅でうまい酒を飲めることだろう。

ところで、台風だし早めにチェックインしてブログでも書こうかとパソコンを持参したのだが、昨日は明るい内から温泉に入って酒を飲んだものだから、それどころではなく、けっきょく帰宅してから書く羽目になった。
こういうときこそ、AIに任せればちょちょいのチョイなのかもしれないが…。

******************************************************************************************************

1973年8月25日に千歳線・沼ノ端~植苗で撮影したD5159(築)による急行貨物4097列車(当時の「SLダイヤ情報」による)。もう50年前の一コマだ。
20日に上野から「はつかり」で北海道入りし道東方面を回った後に釧路からの夜行列車で岩見沢に到着、室蘭本線と千歳線を使って植苗で下車し、線路沿いを歩いて勇払原野を俯瞰するこの有名撮影地へとやって来た。中学2年の夏休みのことだ。

蒸気機関車晩年になっても次から次へと来るC57やD51は撮り切れないほどの密度で、いわゆる「お立ち台」の撮影ポイントに居座り続けてもだんだん退屈してしまう。そこで斜面を下って千歳線を走るD51をサイド気味に標準レンズで狙ってみた。
沼ノ端から室蘭本線で追分方面に行く蒸機は平坦な区間のためほとんど煙は出ないが、千歳線に入る列車は勾配を上るため、この辺でやや煙が期待できた。

北海道にDD51の夜行列車を撮りに通った2014、2015年、懐かしさもあってこのあたりに行ってみたが、周辺の木々が生長し原野というよりも森になっていた。

Img0060

| | コメント (0)

より以前の記事一覧