蒸気機関車

2024年9月15日 (日)

C6029の廃車体

暑さがぶり返す中、ようやく次回の「電気機関車EX」の連載記事を書き上げた。この本、毎月の特集は国鉄時代の電機の特集が多く、よほど考えないとほかの執筆者と同じ機関車について書くことになるから、いつも何を扱うかで悩みに悩む。実際、それさえ決まれば記事を書くのはさほど苦にはならないが、毎度そこに至るまでに時間がかかってしまう。今回も次の記事のタイトルが決まったのが12日夜。昨晩なんとか記事を書き終え今朝、画像データとともに編集長に送付した。

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この数日、自民党総裁選に出馬する候補者の記者会見や討論会を見ていたが、やはり小泉進次郎の底の浅さが目立つ。羅列してもきりがないが、もし自分が首相になったら国会の予算委員会の質疑も経ないで解散を断行し、いきなり総選挙で国民に信を問うというのだから荒唐無稽も甚だしい。国民は予算委や各党党首との討論などを通じて首相としての彼の能力を見極め、それをもって衆院選で判断を下すのだから、まだ実現できるかどうかも分からない総裁選での発言だけを信じて(自民党に)投票しろと言われても、それでは解散どころか衆院選をやる意味はない。果たしてこいつは日本記者クラブでの討論会終盤、会場に湧きおこった記者連中の失笑をどう受け止めたのだろう。リスキリングしなきゃならないのはお前だよ。どうしようもない〇〇さだ。

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1971年の夏、肥薩線・真幸駅で撮ったC6029の廃車体。バカチョンカメラで撮ったもので、こんな廃車体を撮ったからと言って「C60を撮ったことがある」などと言えるものじゃない。せめてナンバープレートでもあれば別だが、ペンキ書きの番号も実際に本当なのかどうか疑わしくもある。廃車されてからずいぶん長く放置されていたように思うが蒸気機関車現役時代、ペンキでナンバーが書かれた廃車体は各地で見かけたものだった。

ただ、ナンバープレートのほかロッドなども外されてはいるが先日、信濃大町市内の公園で見た静態保存機(名ばかりの保存だが)C5694よりはマシな気もする。

C60

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2024年9月 2日 (月)

保存機C5694の惨状

少しは涼しくなることを期待して今月は帯広を訪れる予定。
帯広は3月にも行ったが、今回は久しぶりにエゾナキウサギを見ようと考えている。サケが川に遡上する時期に入るため道東に行けばヒグマの姿も濃くなるが、そちらはもう少し先にして9月はここ4年ほどご無沙汰のナキウサギを優先することにした。それにヒグマは動きも緩慢で表情も乏しく、全身真っ黒とあって絵的にも変化に富む写真をモノにするチャンスは少なく被写体としての面白味はさほど高くはない。実際にクマを見たことのない人に写真を見せれば「凄い!」とか「危なくはないのか?」などと驚かれるが現実はそんなもの。だからいつもはシマフクロウを待っていると(まだ撮れたことはない)、その合間に出てくるから撮ってはいるが、わざわざヒグマ撮影を目的にしたことはない。

実は帯広、近くに知名度の高い観光地があるわけでもなく、全国的にはせいぜい十勝川温泉ぐらいしか知られていないが、市内の緑が丘公園は市民の憩いの場所でリスが走り回り、キツネやフクロウ、モモンガなども見られて一発で気に入ってしまった。食事に関しては海から少し離れているため魚介類についてはまあまあながら、農産物や乳製品はどれも美味だし、いつもお世話になる十勝川温泉のホテル、豊洲亭のコース料理も絶品。モール温泉も湧き出て北海道各地に足を運んできた自分も最ものんびりできる道内随一の場所。楽しみだ。

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台風が低気圧に変わり今日の横浜は朝から青空。久しぶりにBMW M4を走らせて本屋に行き文庫化された小説を買ってきた。
その際、鉄道書籍にも目を通したが、やはり今回も買いたいと思うような本には出会わなかった。月刊誌については最新の情報を見ても気になる車両もなくなってしまっているから、もとより購買意欲など起こるべくもなく単行本コーナーで最近刊行されたものを何点か見たものの、どれも昔撮った写真を羅列しただけの内容で、ページをめくっても変化がなく飽きてしまう。立ち読みするだけでもウンザリするような本にこんな価格で付けて果たして売れるのだろうか?とこちらが心配になるほど。特にEF58の写真集など200ズームクラスのレンズで撮ったものばかりで全てのページに目を通す気になれなかった。もちろん中には良い絵もあるのだろうが玉石混交の様相で、せっかくの良い写真が埋没し目立たなくなってしまったのはもったいない。

人それぞれの価値観は異なって然るべきだと多様性を重んじる時代、どうでも良いことながら残念な思いがしたのはかつて自分自身がEF58を撮っていた頃、大窓機の撮影回数に拘って「質より量」に走りそうになったことを思い出したからだ。

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 先月の旅行中、信濃大町市内の公園で見かけた保存蒸機C5694。見ての通り酷い有様。見つけたときは公園の端に置かれた鉄くずの山に見えたほど。かつて飯山線や長野機関区で現役時代のC56を見ている者としては、こんな扱いなら解体した方がマシだと思ったのは本心。

現役蒸気機関車末期、各自治体はこぞってSLを静態保存したが、50年近くたってメンテナンスを続けず荒れたままになっている保存機は多く、今やそのほとんどがこんな状況かもっと朽ち果てているのだろうと想像する。
地元自治体にも保存した当時の感激など覚えている人もいなくなって、今や補修ための予算もつかず持て余しているのが実情ではないか。クラウドファンディングなどという響きの良い言葉で寄付を募り、きれいな状態になった保存機もあるが、とどのつまり行政の責任逃れのような気がしてならない。
補修された保存機にしてもそのタイミングで屋根などを設けないなら数年たてば再び荒廃するのは明らか。そのときになってまたクラウドファンディングを募っても、もうその頃、自分が見たこともない蒸気機関車の補修に寄付してくれる奇特な人がいれば良いが、そんな方々は先細りになるだろう。ならばいっそここで解体してしまうのも英断なのかもしれない。将来に光明が見えない「延命策」ならば宮城県内各地の静態保存機のように、解体してしまった方がベターだと感じるのは自分だけか。現地を後にする際、C5694が「安楽死」を望んでいるような気がしてならなかった。

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C5694

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2024年7月30日 (火)

磐越西線・山都の鉄橋でD51

インスタグラムを始めてほぼ4カ月。動物や鳥の写真を40枚ほどアップしてきたが、そこそこの方が見てくださってありがたい。本格的に北海道に通って生き物を撮り始めてまだ日が浅いし、何よりも住んでいるわけではないから毎日撮影できず面白い写真などないが、自己満足できるほどのストックもできたから在庫が払底しない程度のペースで更新してきた。

始めるまでは食わず嫌いの性格もあってなかなか手を染めずにいたが、撮影地で知り合った方々から「メールアドレスを教えて欲しい」とか「インスタをやっていたら教えて欲しい」と、やりとりができる手段を尋ねられるようになって思い切った。元来、SNSなどで個人情報が盗まれるようなことになるのは非常に嫌だったし、メールの返信などもマメな方ではなかったから今も旧ツイッターやLINEはやっていないが、撮った写真を見てもらうのなら少しは張り合いにはなりそうだとも判断した。まだまだインスタの機能は使いこなせていないし、ハッシュタグの付け方などもよく分からないながら、取りあえず画像だけはアップを続けている。

ところでインスタの場合、写真の説明に撮ったときの様子や裏話などを少し長めに書いた方が良いのだろうか。乗りの軽いインスタに撮影時の四方山話などを披瀝したとて仕方がないと思う一方、せめて今よりも文章を長くするべきかとも悩むが、けっきょくは「お遊び」のインスタにそこまでの必要はあるまいと逡巡が続く。文章を長めにしないと撮影時の状況は伝わらないし、その反面そうするならブログとの棲み分けが難しくなりそうだし…。落としどころはどの辺なのだろう。

まあ、肩の力を抜いて気楽にボチボチ続けて行くつもり。

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この写真を撮ってもう13年がたつ。2011年、東日本大震災のあった年の5月のこと。大阪のH氏と撮影に行った後藤工場タイプのデフに換装され集煙装置が付いたD51498。工場で整備中のC57180に代わって磐越西線で走ったときの画像だ。
当時、ここ山都の鉄橋でこんな長いレンズを使う人は見かけず、同行のH氏とともに鉄橋上の列車を仕留めたが、この画像を昔やっていたブログに載せたところみるみる人が増えてしまった。もちろん記事に場所を明記する愚は犯していないが、それでもこの有名な橋を見れば鉄道ファンならどこだかすぐに分かったはず。

このころ自分は大阪に赴任していて横浜の自宅に帰るたびにブルトレなどの撮影に出かけていたが、このスタイルになったD51498は格別だったため磐越西線だけで4回ほど遠征した。ただ、震災からの復興を応援すべくD51のテンダー側面に「つなげよう日本。」と書かれたステッカーが貼られていたのは、あまりにも押しつけがましくて嫌だったから、正面方向から撮ったりテンダーが入らないように機関車のキャブから前だけを流し撮りするなどしたものだった。

それはそうとこの写真、まだニコンD3のころのもので、画像を見るとセンサーの性能は今のカメラよりもかなり劣るのは明白。特にRAW現像すると画質が荒れやすく、下手に手を加えるのは禁物。当時は画期的だったD3も今となっては時代遅れに見えてしまう。

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2024年7月24日 (水)

東武鉄道で走るC11207

初めて行った日光東照宮は見応えがあったが、とにかく暑くて参った。
キンキラキンの成金趣味のような建物は一見、横浜中華街の中華料理屋にも映ったが、古くから中国文化の影響を受けている日本ゆえ、共通したものがあるのは当然なのだろう。しょせん他人である徳川家の墓所で賽銭を出すのもお門違いと思ってお参りは省略したが、それにしても昔も今も金持ちや権力者は無駄にこういうものを作るなどして権勢をひけらかすことが多いのだろうと見た。見事であるには違いないが。

一方、いろは坂を上った中禅寺湖半は下界とは違って涼しく、暑がりの自分でもホテルのロビーや昼食を取った食堂にクーラーが入っていなくても文句なく過ごせたほどで、何と言ってもここは気に入った。昔から避暑地として有名な軽井沢などは今や猛暑が当たり前で、チャラチャラした人も多くガヤガヤしているから、今後行く気にもなれないが、ここは穴場で来年の夏は長期逗留も視野に入れたいほど。おまけに湖畔の森を歩いたらツキノワグマやニホンジカを見つけられたし、動物や鳥の撮影にも良さそうだ。紅葉の時期さえ避ければ案外空いていると聞いたので、タイミングを見計らって改めて動物を探しに行ってみたいとも思う。

宿泊した鬼怒川のホテル「山楽」は上々。特に料理は美味しく、部屋も広々としているから再訪の価値はあるだろう。蒸気機関車の撮影にも至便で、車で撮影地まで10分程度で行けることもあり、あまり前向きではなかったSL撮影もやってしまった。
これまで東武鉄道のSLについては全く関心がなく、どういうダイヤで走ってSLがどちら側に連結されるのかなど皆目知らずに行ったが、ホームページを見れば一目瞭然で便利だったし、下今市や鬼怒川温泉駅のターンテーブルも見学者向けには開放的でありがたい。
運転区間が短いから遊園地の機関車的要素も色濃く、さらにモクモクと煙を吐くような撮影ポイントがないのはやや難点ながら、主たる目的をSL撮影としないで温泉旅行ついでの撮影と割り切れば非常に楽しめるのではないかと思う。目の色を変えてガツガツしたファンがいなかったのは、そういう捉え方で訪れて欲しいと(東武鉄道が)考えているからではないか。

C11は決して好みの機関車ではないものの、ヘッドライトが二つでスノープローが付いた207号機は昔からけっこう気に入っていて、この機関車を撮ることができたのはちょっぴり嬉しい。

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撮影地はすぐに見つかった。熱を帯びた蒸気機関車だからレンズは400ミリまでが陽炎の影響が出ない限界と考え、さらに地面から立ち上る陽炎の影響を受けないように高い立ち位置を探しながら沿線を走ったらお手頃なポイントを見つけたが、ここは有名なところらしいと後で知った。ほかにも数カ所、高い位置から撮れそうな場所はあったが雑草が伸びて夏場は虫も多く、虫除けスプレーも持参しなかったことから道路から撮れるここでカメラを構えた。近くに顔面が削れたマリア像(?)が置かれていたのは少し不気味だったが。


C11
こちらは2014年の7月に撮ったJR北海道時代の画像。大沼公園駅付近で850ミリ。

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2024年7月20日 (土)

虹をバックに快走するC57180

明日から日光、鬼怒川へ2泊3日の旅。取り立てて目的はないが、家でブラブラしているより老舗旅館で温泉にでも入って、ご馳走にありつく方が有意義だと思うから猛暑になりそうな中、出かけることにした。目的地を日光方面にしたのは東武鉄道のC11のためなどではなく、生まれて一度も日光に行ったことがないから。

思い出せばカメラマン時代に鬼怒川駅前にハーレーを駆るライダーのグループを撮影に行ったことがあるが、東照宮や華厳の滝などは見たこともない。さらに遡れば小学校時代の遠足で日光に行く日、遅刻して置いてけぼりになったことがあって、昔からご縁がなかったためこの年齢になって初めて行ってみることにした。だから最低、東照宮と華厳の滝、それに戦場ヶ原ぐらいは見てこようと思っているがC11に関しては暑いし、どうせ長いレンズを使っても陽炎むんむんで面倒くささの方が勝るというのが事実ではある。果たして撮る気になれるかどうか行ってみないことには分からないが、もはや動物撮影ほどの期待感はなく、カメラの充電など準備にも全く手を付けていない。車に載せっぱなしのD4Sで流し撮りでもできれば上々かもしれない。

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昨年12月に福島・熱塩温泉に旅行した際の画像で同月7日の記事に使用した写真の数ショット後のお蔵入りしていたコマ。

この日の午後は天気も悪く会津若松から新潟へ戻る「ばんえつ物語号」は撮っても仕方がないと、喜多方で馬刺しを買って早々に帰途に就いたが途中、会津若松に入る頃になって急に強い夕日が差し始めた。そこで「どうせ煙も出る場所じゃないし流し撮りでもしよう」と架線の張られた区間で開けた場所を見つけスタンバイしていたら列車通過直前になって虹が出現。すでに踏切の警報機が鳴り始めていたから立ち位置を変える間もなく撮ったのがこの写真。

虹というものは40分の1の低速シャッターで捉えるとブレてもっとぼやけてしまうかと思ったら、まあ、虹と認識できるほどには写っているから現像してみた。C57180が真横すぎて煙室扉のナンバープレートも見えず個人的には消化不良だったことから今日まで放置していたが、そろそろ新しい画像も払底し始めたため思い切ってアップすることにした。

もっと早く虹が出ていたらもう少し左、C57180の前面(煙室扉)が写る位置に移動したかったが、虹は突然消えてしまうかもしれないし、とにかくそんな余裕などなくこれを撮るだけで精一杯。機関車の右側をもう少し入れた方がバランス的にはベターだったが、滅多に見られる光景ではないから、とにかく記録することに専念した。
ご笑覧下さい。

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2024年2月27日 (火)

出張ついでのC623

まだ北海道。パソコンは持参しているがブログの記事を書く時間はないから、以下は出発前に書いておいたもの。

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1989年、つまり平成元年は1年間、プロ野球担当となり出張の多い年だった。このプロ野球担当というのは交代で1年間、4人のカメラマンがプロ野球を専任として受け持つものだがナイターが多く、現地に早く着いても試合開始の2時間前に球場入りすれば良く、それまで観光したり列車撮影などをすることができた。この写真は夏場、北海道での巨人戦に出張した時のもの。

ギリギリ現役時代のC62は見ることができた世代だが、個人的にはボイラーが太く丸いおかげでブタのような印象が強くそれほどの魅力を感じず、撮りに行こうかどうかかなり逡巡しながら出かけたことを思い出す。しかし結果的に見ると、このチャンスに重い腰を上げたのは正解だったようで、復活したC623を撮ったのはこの日が唯一のこととなったのだから、札幌で昼間から寿司をつまみながら酒を飲んでウダウダやっているよりも有意義だったのは間違いない。

この復路の列車は塩谷付近のオーバークロスから撮ったものだが、実はここには朝日新聞カメラマンのT氏も来ていて、その夜再び円山球場で顔を合わせたことも懐かしい。だいぶ以前の記事にも書いたが彼とは香港の空港や、肥薩線の復活8620撮影、磐越西線(これら全ても自分は出張帰りだった)など、予期せぬタイミングで会っているが、同じ鉄道ファンとはいえこんな偶然が重なったことに毎度驚かされたものだ。
プロ野球撮影用にまだマニュアルフォーカスだった200~400mm F4を持参していて最初はタテで撮り、近づいてきたところをヨコに構え直して200mmで撮っている。ほぼノートリミング。

タクシーを呼んであったから、この後は小樽まで行って電車で札幌へ戻ったが(もちろん会社のカネ)、小樽に着いたらC62はまだ駅に止まっていたから少しばかり撮影したものの、どうも満足感は希薄だった。

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2024年1月13日 (土)

木更津駅構内のC57180

2009年2月に千葉県内での出張運転に際して試運転を実施し木更津で整備を受けるC57180。矢那川という川を挟んで200mmほどで撮影した。15時を回り空も青く、暮れていく光を浴びたおかげで、こういう人の多く集まる場所に行くのが苦手な自分としてもアクアラインの通行料を払った甲斐があった。試運転の画像は架線の下であまり手ごたえを感じなかったが、木更津駅構内の転車台がある周辺は架線もなくスッキリしていた。
この日は鶴見付近で廃止間近の「富士・はやぶさ」を撮り、東急東横線の大倉山でどうでも良いイベント列車を撮ったものの、なんとなく物足りなさを感じて東京湾を渡ってC58180を見に行ったことを思い出した。もう撮る場所を開拓できないと思っていた東海道線の東京~横浜間だったが、探せばまだ撮れそうな場所を見かけたため取りあえず行ったら、かなりサイド気味の立ち位置で超望遠レンズが使えずガッカリした。そのため手ぶらでは帰れないと、別の獲物を狙おうと足を伸ばしたようだ。

本番ではおかしなヘッドマークを付けてしまうからファンとしてはマークのない試運転の方がありがたいわけで、無理にそんなものを付けずに走らせれば良いと思うのは毎度のこと。JR北海道でC623が復活したときのように現役時代に近い姿で走らせることを検討しても良いだろうに。組合活動が盛んだった国鉄のころ、ヘッドマークの付け替えが面倒くさくてブルトレのマークが付かなかったことを思い出せば、復活蒸機については怠惰なあの時代を見習えば良いと思ってしまう。

当時はホームグランドの磐越西線から離れてあちこちで特別に運転されることも珍しくなかったが、それも最近では見られなくなってしまった。昨年末、磐越西線の山都の鉄橋で隣り合わせたJR東日本本社の方が言うには、現在の社長は総務畑出身でSLを存続させる強い意志は感じられず、「(磐越西線に来る)機会をつくって今のうちにしっかり撮っておいた方が良いですよ」と言っていたが、報道関係の仕事をしてきて人の話の裏側を勘繰ってしまう身としては「C57180の寿命はあまり長くはない」と教えてくれたような気がして仕方がない。考えすぎだろうか? 

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2023年12月19日 (火)

2日続けて山都の鉄橋

何だか知らないが最近のJRは「国鉄色」だとか言って、現在残っている国鉄時代の車両を当時の色に復刻したり、あるいはJR化後に誕生した車両に無理やり国鉄色を施して欺瞞に満ちた商売をしているが、国鉄からJRという別会社になって30年以上たっているのに矜持というものはないのだろうか?

自動車会社などもレトロ調デザインの新型車を出すことはあるが、そういう類とは違い、JRになってからデビューした既成車両にまで国鉄色を施して関心を集めようというのだから自分の目には「まやかし」としか映らない。JRほどの大企業が自社で開発し製造した車両ではなく、赤字でつぶれたも同然の国鉄の車両でファンの耳目を呼ぼうとする催ししかできないとしたら滑稽で情けないと感じてしまうのは自分ばかりではないはずで、自社の車両にEF57や58、65P、66、C62など、かつて鉄道好きが憧れたようなスター性のある車両が存在しないことを認めていることの表れなのだろう。
まあ、それに踊らされるファンにも同様の感想を持つし、アホを相手になりふり構わず小遣い稼ぎのような商売するのも自由だが、社員の中に忸怩たる思いを持っている人はいないのか聞いてみたいところではある。

例えば品川の車両基地でEF65を並べた撮影会など、現場で準備をする関係者などは、その横に止まっているJR化後に誕生した車両を見てどう感じるのか。虚しさはないのか。何も感じないとしたらそれはそれで寂しいことではないか。
一度、そんな撮影会に参加して直接、現場でナマの声を聴いてみたいという気になってきた。もちろん、なるべく安い撮影会に限るが。

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同じ場所で撮った同じような写真を掲載したばかりでいささかみっともないが、先日の福島への旅行で撮った今年最後の運行となった「SLばんえつ物語号」(会津若松行き)をアップすることにした。「温存」しても仕方ないし。

この日は熱塩温泉の宿をチェックアウトした後、喜多方市内をウロウロした後、山都へやって来た。もちろん一番乗り。
ここは2010年に初めて訪れ、以後D51498が後藤工場タイプの切り取りデフと集煙装置をまとったときなど、軽く10回以上は来ている場所だが線路際の樹木が伸び、それが列車にかかるようになったため、立ち位置も列車に対してだんだん真っ正面に立たなければならなくなってつまらなくなってきた。これが最後かもしれない。

変わり栄えのない絵でお恥ずかしいが、購入したての600ミリはなかなかの解像力で良い買い物をしたと強く感じた。もう大口径超望遠レンズの時代ではなかろう。

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2023年12月16日 (土)

師走の「SLばんえつ物語号」

毎年11月から12月の前半は多忙。正月休みに向けてヒマダネのようなつまらない記事がたくさん出るおかげで、その写真の取材やら手配などに追われ面倒な作業が続いた。特に文化部の記者連中がどうでもいいニュースばかり書くものだから、タレントや歌手、お笑い芸人などの撮影も増えて、彼ら彼女らが大嫌いな身には辛いシーズン。だが、そんな作業も昨日をもって終了、来年からは出社の回数をさらに減らそうと思っているから、こんなストレスもこれで最後となるわけで、もうあの馬鹿どもの写真などハンドリングしないですむと思うと嬉しくなってしまう。ああ、ホッとした。

ってなわけで本日は曇天ながら暖かく、高圧洗浄機を使って庭を大掃除。デッキブラシでこすっても落ちない汚れも高圧洗浄機なら簡単に落とせ気持ちがイイ。嫌な業務からの解き放たれて強烈な水圧で一年間の汚れを落とす作業は爽快でもあった。
ブログにコメントを頂いているから、明日からそのお返事などを書くなど、自分の時間も持てると思うだけでワクワクする。

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先日の会津旅行で12月2日に撮ったもの。新潟へ戻る「SLばんえつ物語号」。山都の鉄橋で偶然お会いしたHo氏と軽い昼食を撮った後、一人で喜多方の街を見ていた妻を駅で拾ってから撮ったもの。なにしろ妻を乗せたと同時に列車も発車したものだから、警報機が鳴りだした踏切近くの道端に車を止めたら30秒もしないでやって来た。撮れなきゃ撮れないで痛くはないが、まあ撮れただけマシというところか。

「喜寿」のマークはけっこうだが途中30年もの間、静態保存されていた機関車なのだから「長寿」を祝うマークも何となく的外れに感じたものだ。

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2023年12月 7日 (木)

夕日を浴びるC57180

さて会津旅行から帰る12月3日は喜多方の坂内食堂でラーメンを食べ、マカベ肉店で馬刺しを買うことにした。

宿泊した熱塩温泉・山形屋の朝食は野菜などをはじめ「地産地消」の素材で美味しく、これはこれでじっくり味わったから昼食は遅めの方が良い。そこで午前中は喜多方市内の大和川酒造を見学して地酒を買い(蛇足ながらここの事務所の女の子が実に可愛く美しい。へたな芸能人なんか目じゃないくらい)、昼食時は混雑するであろう坂内食堂へ向かう前に時間つぶしを兼ねて前日と同じ山都の鉄橋で「ばんえつ物語」を迎え撃った。昨日は少し露出をオーバー気味にして白煙の中からC57が現れるような絵を作りたいと思ったが、なかなかうまくはいかず、この日は普通の露出でやってみるべく現地に着くと一番乗り。後から追いかけ撮影の連中がバタバタとやって来たが、「下手な鉄砲」方式の撮影は相変わらずお盛んなようだ。この日も通過5分ほど前に到着して人のすぐ後ろを平気で通る躾の悪い奴は後を絶たない。一番乗りしたおかげで線路沿いの木の枝が線路にかぶらない位置を確保でき無難に終了したあとは予定通り坂内食堂で遅い昼食をとった。

午後は当初からの雨予報。実際、急激に黒い雲が増え始め雨も降ってきたことから「ばんえつ物語」の返しは断念。ところが会津若松で土産を買おうと市内に入った途端、雲が切れ鮮やかな日が差し始めた。喜多方、山都方面に戻る時間的余裕もあったがそちらは雲が多そうで、手近な場所で流し撮りをしたのが今回の画像。手持ちで40分の1のシャッター速度で撮ったが煙は全くダメ。晴れただけ良しとしよう。

郡山でレンタカーを返し18時すぎの新幹線で帰宅。

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