カメラと周辺機器

2025年10月 2日 (木)

黒部峡谷鉄道の電機と新たなレンズ

黒部峡谷鉄道で使ったレンズは100~400ミリと24~120ミリの2本のズームレンズ。ほかに、ツキノワグマやカモシカが現れないかと期待して念のため600ミリのPFは持参したが、最後まで出番はなくボディもZ8のみ。決して軽くはないが北海道に行くときはこのほかにZ9と400ミリ F2・8もあるのだから5キロ以上は軽量化することができた。

北陸新幹線の宇奈月黒部温泉駅(こういう長い駅名は愛着が湧かない)で下車するとレンタカー店のすぐ横に黒部峡谷鉄道の古い凸型電機が保存されており、さっそく購入したばかりの24~120ミリを初使用。これまではFマウントの24~70ミリ F2・8をアダプターを介して使っていたから重量バランスも悪かったが、Zマウントのレンズとなって使い心地は抜群。もっと早く導入するべきだったと感じながら道沿いを走る富山地方鉄道の電車を撮りながら目的地の宇奈月温泉へと車を走らせた。

上の写真は宇奈月温泉駅近くのビューポイントで撮ったもの。観光客も立ち止まって列車を撮る場所で絵葉書写真のようだが、新型ズームの性能を試すにはかっこうのロケーション。
撮影直後に画像をモニターで確認しただけで解像力の高さを思い知ったが、Fマウントの24~70ミリを大きく凌ぐキレ味にZマウントレンズの素性の良さを実感することができた。普段はこんなロングの写真は撮りたいと思わないものの、画面の周辺部にまで行き渡る気持ちの良い画質を見てしまったおかげで、ここに長居してしまった。

これからの鉄道写真は景色を多く入れたロングの風景写真的なものばかりが台頭してくるだろうが、このズーム域なら非常に便利なことは間違いない。加えてトリミングしていった時の解像度もズームとしてはなかなかで、オールマイティに使えるものとしてかなり重宝するだろう。古いレンズを我慢して使っている方は早々に買い替えないと時代に取り残されること間違いなし。

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下の2枚は黒部峡谷鉄道の電機で、前回の記事でアップしたEDM型をふくめ3形式が主力として使われている。ほかに2台の凸型電機があるようだが、そちらは工事用や入れ換えなどに使用されているため見ることはできなかった。

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旅行最終日の9月28日は金沢に出た。妻が高校生時代の一時期を過ごした街で、これまでにも数回訪れているから今さら兼六園などを見ることもなかったが、とにかく外国人観光客の多さは予想以上で驚いた。有名な近江町市場などは年末の上野・アメ横のような盛況で、野菜を買おうと立ち寄ってはみたが簡単に弾き出されてしまった。
もともと金沢市民の台所的商店街だが観光地と化し地元の人など見当たらない。以前訪れた時よりも野菜や魚の価格も上がっているように見え、次に行くことがあっても寄ることもないだろう。

ただ宿泊したホテル「山楽」はちょっぴり上等な部屋を予約したこともあり抜群。東京で同等の部屋に泊まったら1人一泊¥100000ほどしてもおかしくない。もちろん料理も部屋も素晴らしかったがラウンジがまた格別で、次回はここを根城に周辺を回ってみようと決めている。

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歴代首相の中で「こんな奴が!」と思った人は多々いるが、中では宇野宗佑、森喜朗、鳩山由紀夫、菅直人が際立っていたように思う。海部俊樹や麻生太郎も忘れられないが、とにかくこの4人は図抜けたアホだった。具体例を挙げると書ききれないが、とにかくリーダーとして、いや日本人として情けなくなるような面々。歴代首相の人気投票ではなく不人気投票をやったら、4人とも確実に5位までにランクインするのではないかと想像する。

しかしここへきて、いよいよ彼らすら凌駕するであろう面白そうな「大物」が現れそう。あえて誰とは書かないが国民の多くが予想している人物。ろくに経験もなく自分の頭で考えられず面白い発言を繰り返す傀儡野郎だ。新聞各社はいつ辞めることになってもいいよう、(辞任するときの)予定稿まで用意しているはず。

ちなみに「予定稿」とは、例えば高齢の有名人や皇族らが亡くなったときに直ちに紙面に印刷できて号外も出せるよう、あらかじめ作成しておく記事。
悪いことは言わない、まだ着手していない社は早めに準備しておいた方が良いと思う。

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2025年8月24日 (日)

EF64長岡機による客車列車運転


先週、遂にニコンZマウントの24~120ミリ、F4の交換レンズを購入した。「遂に」というのは自分の場合、単焦点ズームを使用するのはせいぜい家族との旅行や催事の時ぐらいしかないためでほとんどの場合、使用するのは望遠系のレンズばかりだから。短い焦点距離はこれまでFマウントの24~70ミリ、F2・8でまかなっていても不便がなかったが、ZのボディにFマウントレンズを装着するにはマウントアダプターが必要で、それを装着したままカメラバッグに入れるとバッグがパンパン膨らんでしまう。そのためいずれ小型のZマウントレンズにすればテレコンバーターも無理なく収納できて恩恵は大きいとは考えていたが、使う機会が少ないためずっと先送りにしていた。
特に撮影地点(場所だけではなくどの木に動物の巣穴があるかなど)を記録するときにスマホでこの画角域をカバーしてきたが画質があまりにも悲惨で、そばにある道路標識などの文字が読み取れないケースもあって、いずれはコンパクトでまともなレンズが必要なのは分かっていた。ちょうどニコンのキャンペーン期間中で普段よりもさらに安くなっていることが追い風になって決断した次第。
すぐに必要ではないからニコンに取り寄せだけお願いして、品物の引き取りはもう少し涼しくなってからにしようと思っているが、これで秋の旅行はカメラバッグが膨らまずに済みそうだ。

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このところ車の運転と言えば北海道でのレンタカーばかりで自宅にいるときにマイカーを使うことが減っている。旅行と言えば毎回ほぼ飛行機を利用するケースばかりで、自分の車で長距離を走ることがなくなってしまった結果だ。
そんなわけで家に滞在中は家人の最寄り駅までの送迎や買い物程度でしか車を使わなくなったが、それにしても最近の運転者のマナーの低下には驚くばかり。右左折の際もウインカーを出さなかったり出しても直前で出す例や、暗くなってもライトも消さずに駅のロータリーに停車するなど、周囲の車に対する配慮が以前より悪くなっているように感じる。
これはライトの点灯や消灯などをはじめ、かつてはドライバーが行うべき操作が自動化されたことが招いた問題で、回りの車への心遣いを自分の頭で考えなくなってしまった結果だろう。

先ほども妻を駅まで迎えに行く際、日が暮れているのにライトも付けずに曲がってくる車にひやりとしてクラクションを鳴らしたが、相手の女性ドライバーはどうして鳴らされたかも気づかない様子。何でもかんでも楽になって人間が操作しないで機械任せになってしまったことで、肝心の人間がバカになってきたように感じる。

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この秋も知床行きを準備しているが、8月14日の羅臼岳でのヒグマ襲撃事故で登山者が死亡し現地の規制が厳しくなることを懸念している。まあ自分としてはヒグマは力を傾けるようなターゲットではないが、同じような環境でフクロウを狙う場合も危険度から考えれば近いものがあるから厄介だ。まあ作戦(マナーを逸脱するようなものではない)は立てているが、撮影以外に気を遣わなければならない事が増えたのは面倒ではある。鉄道撮影もマナーを守れない一部のファンが増えたおかげで何かと鬱陶しくなっているが、動物撮影に於いても同様だ。

しかし大まかに言えば今回のヒグマによる死亡事故で子グマまで射殺したことを批判する人と、何より人命優先で射殺もやむを得ないという人があれこれ意見をSNSなどでぶつけ合ってるが、これはケースバイケースでどちらが正しいという話ではないと感じている。人間なのだから両方の考え方を踏まえて行動するべきで、角を立ててつまらない論争するのはいかがなものか? 
お互いの言い分を尊重せず、相手を論破しようということに明け暮れているから戦争というものがなくならないのと似ているように感じるが。

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11月に長岡所属のEF641000によるお別れ運転(プッシュプル)が24日に実施されると聞いた。長岡~新津を「SLばんえつ物語号」(詳細は未発表)の客車で2往復。また11月1日には長岡~越後湯沢に同編成を使用した「越後湯沢駅100周年号」が運転されるとのこと。

涼しくなっている時期だろうから、久しぶりにM4を駆って出かけるかどうか思案中。

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2025年4月12日 (土)

カシオペア客車の引退

ニコンが発表したZ5Ⅱはなかなかのもの。もちろん昔のフィルムカメラに比較すればボディだけで¥200000を越えるわけだから、それと較べれば高価には違いないが、昨今のデジタルカメラの価格からすればかなりのバーゲンプライス。フルサイズで、上位機が備えている性能をほぼ備えていて、大抵の撮影ではこれ1台あればじゅうぶん。動物撮影に関してはトリミングが前提となるため2000万台の画素では少々心許ないものの高感度においてはZ9を上回るし、かつてのD3X並みの画素数と考えれば、その4分の1程度の価格でAFをはじめとする性能も格段に進化しているわけだから非常に魅力的。いままでどうしてユーザーに対して誠実なこういう製品がなかったかと不思議なくらい。

懸念されるのはバカな米大統領の関税引き上げで、現在の価格が上昇してしまう可能性があること。価格が大きな魅力であるのに、それがアップしてしまうとしたらこのカメラの良さがスポイルされてしまう。果たしてニコンはそのことを考慮した上でこの価格設定にしたのだろうか。もしそうでなかったら今後、値上げということも考えられるわけで、欲しいなら早めにオーダーだけでも入れておかないとまずいかもしれない。

そろそろZ9の後継フラッグシップ機が登場してもおかしくはない時期だけに、ここでちょっと「道草」するかどうか悩むところだ。

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「カシオペア」の客車が6月に引退になると聞いても「それが何?」という感想の方が強い。北海道への乗り入れが終わって8年間、紅白歌合戦にお呼びがかからなくなったかつての人気歌手が地方のドサ回りをしているようなツアーに使われてきたのを何度か撮影したが、もともと客車自体には魅力はなく、牽引する機関車を撮りたいがための被写体でしかなかった。古い画像を見ても編成の側面が大きく写っているようなカットは非常に少ないのはその証だ。

夜行列車を撮りに北海道に通っていた頃も「北斗星」がお目当てで、次いで「トワイライトエクスプレス」。たまたま「カシオペア」も走る日だから撮ってはいたものの、あの車体色には違和感しかなかった。

ただし、これで12両もの長い編成の客車列車は完全に消滅するわけで、超望遠レンズで引っ張るのが好きな身としては、そう考えれば寂しさもある。最後にどこかへ引っ張りに行ってみようかと考え始めたが、ちょうどゴールデンウイークに仲間達と顔を合わせるからアドバイスをお願いしようと思っている。

一部にこの客車がどこかに売却されるのではといった憶測があるようだが、今さらJR北海道が入手するとも思えないし、これほど長い編成をそのまま使える会社もあるまい。読売新聞のオンライン記事には「引退後の車両の扱いは今のところ決まっていない」とあるが、すでにどこかから引きがあるのだろうか?

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2025年2月12日 (水)

「SL冬の湿原号」③

20日からまた道東方面へ。今回は10日間の長丁場で、衣類やスノーシューなどは宅配便で送り、いつもより機材を多めに持参しようと考えている。このところFマウントのニッコールの出番がなくなっているため久しぶりに使ってみたいから。Zマウントの方がAF速度が速いとはいうが、200ズームと400ミリ以外ならFマウントでも全くと言って遜色はなく退役させるにはあまりにももったいない。生き物を撮影する場合、AFの速度そのものが取り立てて問題になることはなく、そんな些末なことを嘆くよりも被写体を早く見つけることの方がはるかに重要。レンズが古いからAFの合焦速度が劣るとぼやく人も多いが、そんな感想を聞くと腹の底では「分かってないな、このバカ!」と感じてしまう。
まだまだ新品に近い500ミリのF4やF5・6などは切れ味に関しても抜群で、ワシやモモンガなどの撮影には威力を発揮するはずだ。

ところで今述べたように、鉄道撮影と違って動物や鳥を撮るには撮影者が居所を早く見つけなければならない。動物や鳥を扱う雑誌は少ないし、撮影地を記すと現場に人が多く集まって生き物が寄りつかなくなるため、どこへ行けば何が撮れると書かれたものはなく、現地で会った人に尋ねたり(なかなか教えてくれないのは当たり前。それでもそこを聞き出すのが会話のテクニック)、さまざまな資料を漁って撮影できそうな場所を独自に見つけなければならず、今回の旅でも春の撮影に向け、そんな所を開拓しておくことも重要な目的の一つになる。

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1月の道東旅行は動物や鳥をほとんど撮影できなかったため、柄にもなく復活蒸機が牽く「SL冬の湿原号」を撮って無聊を慰めた。とは言っても標茶から釧路に戻る下り列車はC11が逆向きで牽引に当たるため撮っても仕方がないから釧路からの上り列車のみしか撮る意味はなく、大した暇つぶしにはならなかったが、釧路発の時刻が11時すぎのため、朝風呂に浸かってからも悠々間に合うのは楽でイイ。まだ蒸気機関車が現役だった頃、一日に何本かのSL牽引列車が走っていてガツガツするまでもなかった時代を思い出す。

釧路湿原の一部を見渡せる有名な撮影地も、すでに撮る人は撮ってしまったのか、空いていてのんびりしたもの。列車を待つ間も眼下にキタキツネやエゾシカ、タンチョウが出没し、どちらかというとSLよりもそちらに気を取られていたが、釧路湿原駅を発車する汽笛が耳に届くに及んで一脚に付けたカメラのシャッター速度や絞り、フレーミングを線路に合わせてスタンバイ。400ミリでここまで引きつけた後は別のカメラに持ち替えて110ミリ程度で絵はがき写真を撮った。欲張って2台で撮っても短いレンズで仕留めたものなどRAW現像する気もないのに、そこは元鉄道ファンの性。列車が接近すれば煙の出具合がもっとマシになるかもしれないと淡い期待も抱いてしまう。

それにしても400ミリのF2・8、以前はもっと重たかったように思うが、最近はずいぶんと軽量化されたうえ解像力も格段に向上し、さらにはテレコン内蔵なのだから非常に重宝する。

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2024年11月 1日 (金)

新幹線のディーゼル機関車

一週間に渡る今回の北海道旅行の収穫は上々。紅葉もまだ見事で親子のヒグマや懸案だった餌付けされていない野生のシマフクロウも撮影できて大願成就といったところ。特にシマフクロウは日本に150羽程度しかいないとされている絶滅危惧種だけに、死ぬまで見られないかもしれないと思ったほど希少で達成感はとりわけ強い。これで自らの生き物撮影に一区切りがついて、今後はアップ系の絵から少し周囲の景色にも配慮した写真にもトライすることができそうだ。

それにしてもニコンZシリーズのレンズ、とりわけ400ミリ/F2・8の切れ味は圧倒的。天気が良ければ通常は手持ちでも撮影が楽なのは重量バランスにまで配慮した結果。入念な設計が威力を倍加させる。AFもZシリーズのレンズの中では最高速の一本で、それなりの価格はするものの、結果を見れば散財した甲斐はある。今回はこのレンズを中心に使用したが、次回は腹をくくって100~400ズームを持参せずに70~200ズームをチョイスする判断もあり得そうだ。

シマフクロウや川に遡上するサケを捕る親子グマの写真はかなりの数にのぼり処理までにはそれなりの時間を要するが、ゆっくりと慎重に進めていきたい。

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ところで現存するEF65PFをレインボーカラーの1118のように塗り替えた「紛い物」が現れるらしい。かつてそんな噂を小耳にはさんで8月27日の記事で触れたことがあるが(内容はあまりにもバカバカしいから書かなかったが)、どうせ高額な撮影会用フェイク車両。一昔前、香港や韓国などでルイ・ヴィトンなどの一流品のコピーを本物と偽って販売していたのと似たような商法だが、今やそんな被害も下火になっているというのに……。

開いた口がふさがらない。

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旅行にパソコンを持参していたからブログの更新はできたはずだが連日未明からの撮影でクタクタになって、毎晩8時前には就寝してしまったから、画像を外付けハードディスクに落とすぐらいしか作業しなかった。
今回は1977年夏に撮った新幹線用のディーゼル機関車。今はもうこんな車両はないのだろうが、当時は停電などに備えてディーゼルの機関車が準備されていた。高校生のころは何でも撮ってやろうと息巻いていたから品川の海側にあった車両基地に潜入して撮ったものの、海外の車両のようで満足感はなかったことを思い出す。
在来線の旅客輸送から機関車は消滅する時代、古き佳き時代の産物だった。

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2024年7月18日 (木)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑩

キヤノンの新型フラッグシップ機R1が発表され、価格が100万円を越えたことが話題になっている。
フィルム時代、カメラマンの憧れだったハッセルブラッドが当時の金額でボディのみ35万円程度で、かなり高額に感じたがR1はその約3倍。当時の物価と単純に比較はできないが、正直あきれているというのがホンネ。プロの写真家でも二の足を踏む値段だし、モデルサイクルからしても4年程度で新型が出るのだろうから、機材にそれほど投資するのも考えものだと思う。大方、マスコミ各社は五輪に合わせてすでに購入済みなのだろうが、メーカーはおそらくボディのみ70万円程度で販売しているにしても、もはや発行部数も激減している新聞の写真が劇的に良くなるはずもなく、そんなものに金を掛ける意味が理解不能。新しい機械を買えば写真が良くなると盲目的に飛びついても、撮影する人間がカメラの性能に頼り切っている現状、写真の向上など易々と図られるわけでもないだろうに。

現役時代、写真のセクションに職種転換者の連中が大挙して異動してきた。元は社有車の運転手や庶務要員だった方々。どちらも今ではじゅうぶんアルバイトでまかなえるような業務で庶務要員は「坊やさん」と呼ばれていたっけ。
彼らは組織の合理化に伴い、まともな試験も受けずに新聞記者やカメラマンになったのだが元来、希望してこれらの仕事にありついた人たちではないからやる気もなく、記事も下手だし写真すら撮ったこともない奴がほとんど。仕事の指示を出してもその2、3割程度の成果しか上げられずずいぶん泣かされた。それでも「石の上にも三年」、それなりの経験をして最近では年功序列でそこそこの役職には就いている。
しかし、元を正せばアルバイトしてカメラ1台買ったこともないような人ばかりで基本的には写真が好きだったわけでもなく、向上心のかけらもないものだからいつまでたっても中身はしれている。なのにカメラがデジタル化されオートフォーカスが実用に耐えうるようになったおかげで撮影での失敗だけは減り、今ではでかい面を晒しているのだから笑止千万。
新型カメラの発展は結構なことだがボディ1台が100万円もするカメラを会社から貸与され、「私は報道カメラマンだ!」などと胸を張ったとて、実態を知っている身にはおかしくて仕方がない。きっとそんな奴こそ定年後、「現役時代はどんなお仕事をされていたのですか?」と尋ねられたらきっと「報道カメラマンでした」などとほざくのだろうが、しょせん出自は会社の都合で職場を変えられた元運転手さんや庶務要員で、考えてみれば彼らほどカメラの発展による恩恵を被っている人たちはおるまい。

100万円を越えたカメラを一人につき2台ずつ与えりゃ失敗だって減るわな。それよりも撮った(撮れていた)写真の中から瞬時にベストのコマを選べ、やる気もないのに写真職場に配置された人間を巧く使いこなす、ポリシーを持ったエディターを育てる方が先決ではないか。
高価な新型カメラの発表を受け、そんなことまで考えてしまった。

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1980年5月3日の浜川崎でのショット。光の当たり具合から荷物の32列車だと分かる。ネガを見てもほかに大窓のEF58が写っているわけでもなく、何を撮りにここへ行ったかも分からなくなってしまった。
もちろん、わざわざこんなEF58を目的に行くはずもなく、この日の自分の行動が意味不明になっている。

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2024年6月16日 (日)

広島駅のEF5869

キヤノンの関係者によればもうすぐ発表されるフラッグシップ機(名称がR1なのかは不明)の画素数は2400万画素らしい。高感度性能を重視したために、この程度の画素数が落としどころになったようだが、それでもせいぜい(高感度は)ISO102400のようで飛躍的な発展とはならないのではないかと推測する。AFに関してはそこそこ進歩があるようだから、これに飛びつく層もいるだろうが、画素数についてはこれまでフラッグシップとしての役目を果たしてきたR3から激減するらしく、動物や鳥などのネイチャーフォトを撮っている身にはさほどの魅力は感じられないのではないか。

なにしろ生き物の撮影は近づけないケースが多くトリミングせざるを得ないものが多い(筆者はトリミングというものについては、しないで済むならそれに越したことはないが当然するべきものだと考えている)。だから画素数が現在主流の4000万画素半ばから半減されるとしたら、トリミング耐性も厳しくなるわけで、これは生き物を撮っている人たちには辛いはず。無節操に新しいカメラに飛びついても(トリミングした後の)画質が悪くなる可能性があるものを大枚100万円(実際、R1はそんな価格になるようだ)も出して導入しても喜べるか大いに疑問だ。

まあ2400万画素とは言え、それがどんなセンサー方式で採用されたかまでは聞かなかったから、キヤノンユーザーは筆者のこれだけのネタで早くも失望することもないとは思うが、この話が現実だとしたらそんなボディを買うよりももうすぐ発表になるであろう180~400ミリ(画角については未定)など、交換レンズに投資した方が利口な気がする。

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この秋、営業運転を終了する高崎の機関車群。9月にお別れ運転があるようで、お仲間からお誘いも受けている。まあ機関車ファンとしては引退に当たってお祭りとして参戦するのも「けじめ」なのだが、今ひとつ気が進まない。大勢の「にわか」をふくめた鉄チャンが詰めかけ、先日の大宮車両所での部品販売会のように撮影現場が混乱して新聞沙汰になるであろうことは目に見えているし、なにしろあの区間では撮影地も限られて面白味もなく、さらにはまだ暑さも厳しいから満足感よりもストレスの方が大きそうだ。

だから「最後だから…」と、こういうイベントに出かけて、これまで満足な写真が撮れた経験が非常に少ない者としては躊躇している。

やる気満々の方々は運転日が休日なのだから、もう沿線のホテルを予約するなり準備しているのだろうが(貧乏ったらしく車中泊を考えている人も多いかも)そろそろ自分も身の振り方を考え始めなければ。

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「電気機関車EX」の連載初回にも書いたとおり目撃したEF58中、最も気に入っていた69号機。広島配属時代は住んでいた関東地方にまで定期で上ってくることはなかったが、61号機に次いで2番目に撮影回数は多い。
列車を牽いている姿を長いレンズで撮るのが何より好きだったが、一方でこういう停車中のシーンも撮りたくてずいぶん、そんな機会がある運用を把握することに努めたものだ。

これは1979年3月に広島駅でのもの。柳井まで単機で下り、そこに疎開していた旧型客車を下関まで廃車回送するときの運用で、同じ日の同じタイミングでお座敷列車を牽いて、やはり大窓の64号機が岡山方面に向かう運用と重なった。どちらを撮るか迷った日の一枚。けっきょく撮影回数の少ない64号機をチョイスしたが、理由はそれだけではなく、上り列車の方が光が良かったことも大きい。

ゼンザブロニカEC-TLで撮ったが、ちょうど雲がかかって思いのほか撮影環境が良くブローニーフィルムを一本使い切ってしまった。
列車の先頭に立つシーンよりも地味な記録だがじっくりと、そして少しでも好きな角度を考えながら撮れたことを今でもはっきりと思い出す。

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2024年3月 6日 (水)

竹倉のEF5861

週末から再び北海道。今回は2年ぶりに帯広に入り後半は別の場所へ移動する予定。また8日間の日程だ。前回の旅行から帰った途端、今年も強烈な花粉症に見舞われて苦しんでいるから、それだけでも早く地元を脱出したいが、今度の旅から帰ってもまだヒノキ花粉の猛威は収まってはいないだろう。

前日の北海道では400mm F2・8の素晴らしさに改めて驚いた。ある場所でワシを撮った際のAFの早さ、レンズの解像力は目を見張るもので、おまけに天気が良く高速シャッターを切れるようなケースでは、三脚や一脚も不要で手持ちでも充分扱える重量バランスの良さ。100~400mmズームやPFレンズの600mmも極めて高性能で重宝するが、それらを凌駕する切れの良さには舌を巻いた。もともとニコンの関係者から、このレンズは解像力やAF速度について絶対的な自信を持ってお勧めできると言われていたが、ここまで凄いとは思っていなかった。そのため今回の旅ではこのレンズをメインにモモンガを撮影するつもりでいるが、下手に一脚などを使うよりも(場が明るければ)手持ちで勝負したいと思う。
現時点でこのレンズに使われているAFのモーターはほかに600mm F4だけだが600mmの方は昨年、北海道で使った限りでは重すぎて飛行機での移動では荷物が嵩むし現場では取り扱いにも苦慮したから、そちらに色気は出ないが、このレンズに限っては太鼓判を押したい。

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フィルムの時代、この写真はプリントするのに非常に苦労したことを思い出す。1980年1月6日の三島~函南。有名な富士山バックの竹倉でのショットだ。実はこの時は初めての訪問。EF5861はそれまでにずいぶんと撮ることができたから、撮影名所で記録することに熱を上げ始めたころで、富士山をバックに撮れるこの地も視野に入った。
ところがこの列車「銀河52号」は早朝の通過で富士山にはうっすら日が当たり始めたものの線路はまだ日陰。しばらく前から天気予報を調べて快晴になることは分かっていたが大きな誤算を前に愕然としたものだった。

そんな状況で撮影したこの写真、富士山と列車の露出差でカラーは玉砕、この白黒でさえプリントする気にもなれず以後、何度もこの地へ足を運び61号機と富士山の組み合わせに挑んだものだった。

ところが時代は変わってデジタル処理ができるようになると、いとも簡単にこれくらいの現像ができてしまう。露出差で言えば影の部分と富士山では軽く3段以上の違いはあるだろう。ありがたい世の中になったもので、いずれピントの悪い画像も修正できる時代になるのではないかと密かに期待している次第。

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2024年2月15日 (木)

長崎駅を発つ気動車混合編成

ニコンZ8の購入を決めた。今回のファームアップが非常に充実したものであり、ちょうど今、メモリーカードのプレゼントキャンペーンが行われていることが追い風になった。数年もすれば、これまでコンパクトフラッシュやXQDカードのように使うこともなくなって、無駄にゴロゴロするだけのカードだが、今買えば¥20000を越えるのだから、これを値引きと考えれば良いタイミングだろう。バッテリーの持ちが不安なのでバッテリーパックもオーダーしたが、これは遠からず発売になるZ6Ⅲにも使えるはずで、もしZ6Ⅲを導入する場合も無駄になるまい。

そろそろ「カメラ終い」をしても良さそうなタイミング。だから購入に当たっては慎重に判断したが、動物を動画で撮影したくなりそうな気配を感じ、静止画を撮らなくなったとしてもしばらくはそちらでも使えるだろう。

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もう亡くなって36年がたつ父の実家は長崎市内だった。斜面にある家は今では伯母が一人で住んでいるが、居間の窓からは下に街並みが見え、わずかながらも長崎特有の情緒を感じたものだった。
幼い頃から何度となく訪れて祖父母や親戚に連れられて市内のグラバー邸や大浦天主堂、中華街などを回ったりしたが、鉄道を撮るようになってからも機会を見て足を運んだ。正直、まだ蒸気機関車が現役だった頃から九州の車両にはあまり惹かれるものがなく、いつも「せっかく行ったのだから」と義務的にカメラを向けていたとはいえ、それでも訪問回数が増えればそれなりにさまざまな車両の記録が残ってはいる。

この写真は1978年3月に福岡に転勤していた父の住まいを足場に祖父母を訪ねたときのショット。大学入学直前で日がな一日、祖父母の家にいても仕方がないのでブルートレインでも撮ろうと出かけた。当時、九州内ではブルトレといえどもヘッドマークは付いておらず、さして注目するほどの被写体ではなかったが、終着駅としての雰囲気だけは良かったものだから暇つぶしにはもってこいだった。20系客車の電源車改造のカニ25や10系寝台車なども客車区で自由に撮影できたし、「みずほ」についてはDD51が重連で牽引に当たっていたことも記憶に刻まれている。

これは2列車「さくら」の出発を撮ろうと駅の浦上方の踏切で待ち構えていたときの余録。どこへ向かう列車なのか記録はないが、「首都圏色」などという小賢しい塗装の気動車すらなかった時代で、寄せ集めのような編成は見ているだけでも面白く映ったものだ。

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2024年2月 6日 (火)

DF504号機解体

北海道で生き物の撮影をするようになって飛行機移動が増え、少しでも荷物を軽くしようと撮影機材の見直しを進めてきた。鉄道の撮影と違って決まったところで場所を確保すればあとは列車を待てば良いというものではなく野山を歩くことが多くなり、少しでも荷物を軽くしなければ体力が追いつかない。もはや大口径超望遠レンズなどは一カ所でジッと現れるのを待つヒグマなどを別とすればほとんどのケースでは「足手まとい」になるから、今や軽いPFレンズが主力だが、そのほかにも一脚やあるいは三脚(あまり使うことはないが場合によってはあった方が楽なときがある)などのアイテムもカーボン製の軽いものへと変更した。

列車撮影をしていた頃はお決まりのハスキーでまかなってきて、それはそれである意味、鉄道ファンのステータス的なものだったが、さすがにもう時代遅れも甚だしい。今年はジッツオやベルボンのスーツケースに収まるような小型軽量の製品で動物撮影に臨もうと準備した。かつては国産品の耐久性が不安で、その中ではスリック製が良いとされてきた時代があるが、最近は国産品のレベルも外国製品を凌駕するほどになり、さらには中国製の三脚などは国産のものよりも安価になってきたから選択肢は豊富。先日は機内持ち込み可能なスーツケースに楽々と収まるSIRUIというメーカーのカーボン製一脚を¥8000を切る価格で購入した。PFレンズの望遠はもちろん、近年は軽くなった大口径の400ミリ F2・8程度なら多少動き回ったとしても使えそう。もうハスキーの出番はよほどのことがない限りなさそうだ。

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保存されている3両のDF50のうち、大阪市東淀川区の菅原天満宮公園の4号機が解体される。解体工事は間もなく完了する予定だが、在りし日に紀勢線でこの機関車に熱中した身としては大変残念に思う。数年前の台風で被害を受け修復ができる状況ではなくなったと聞いてはいたから早晩、こうなることは予想できたものの、保存車両のメンテナンスが難しいことを思い知った次第。
個人的なことだが5年ほど前に30年以上乗り続けたスカイラインGTR(R32)を売却したが、当初は死ぬまで乗るつもりの覚悟だったにもかかわらず、経年劣化の進む部品の調達が非常に困難となり、断腸の思いで売却したことが脳裏をよぎる。だからDF504号機が解体されても、保存後は見学に行ったこともないのだから嘆くのはお門違いなことなのかもしれない。

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上の写真は1980年3月1日に紀勢線・新宮~亀山で行われたDF50のお別れ運転の後、亀山機関区で撮影したもの。構内には人が溢れ、それを規制するためにローブが張られ、その一端が4号機の手すりに結ばれていたから2、3枚ほどシャッターを切ったが、結果的にこれが最後の写真になった。
下は1977年4月2日、宮前~紀三井寺で初めて撮影したときの4号機。この写真で4号機の運転席の窓が量産型よりも大きいことに気づき、試作型のDF50に魅力を抱いたきっかけとなった。
それにしてもこの当時は蒸気機関車こそなくなっていたものの、ほかにもまだまだ個性的な車両が多かったし、同じ形式の中でも特色ある個体も多く見られて楽しかった。それに比べるとJR化後は…と言いたいが、この傾向は鉄道車両だけではなく人間自身にも見られるように思う。会社の幹部、同僚などを見ても個性豊かで面白い人物がいないのは自分のいる組織だけでもあるまい。皆、右へ倣えの連中ばかりで些細なことまで全て上役にお伺いを立て、責任を回避することばかり考えて自分独自で判断することを恐れている奴ばかりだ。
「昔は良かった」というのは年を取った証拠だろうが、つまらない世の中になった気がする。

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