ブルートレイン&夜行列車

2024年11月 8日 (金)

上越・羽越線経由のカシオペア運転

あの宮内庁が101歳になる三笠宮百合子の容態が悪化したと発表した。入院後、8カ月にもなって、ここへ来てこのような発表があると言うことは延命措置を中止するという意味と解釈できる。英国訪問中の孫の彬子も帰国するからには、数日の間に死去が発表されるものと考えられる。

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11月30日の秋田行きカシオペアツアーは久しぶりに上越、羽越線経由で運転されるとの話を頂いた。それによると上野発の時刻は22:30~23:00の間らしく、上越線内での走行シーン撮影は難しいながらも、おそらく前補機にEF641000が使用されるであろうとのことで、久しぶりの機関車重連による長い編成の客車列車となるもよう。秋田着が翌朝の11:00頃となっているため、途中駅(おそらく羽越線内の駅)では長時間の停車が行われるはずで、昨今は面白いネタのない撮り鉄には久しぶりに注目されることだろう。特に返し(復路の回送)のスジは気になるところで、往路と同じ経路であるなら上越線内で撮れるかどうか気になるが、日没の早い季節ゆえ微妙だろう。

個人的に面白いと思っているのはツアーのコースの中に岩手県・湯川温泉の高級旅館「山人(やまど)」が入っているところ。ここはどの部屋にも温泉があり、食事も貸し切り露天風呂(時間制)も素晴らしく、そのもてなしの良さに惹かれ何度も訪れたところ。今年も4月に行ったが、このコースを選んだ人はきっと満足するはずだ。

今や無職の身。カシオペアの運転時刻によってはひさしぶりに撮影に行っても良いかとも考えているが、重い腰が上がるかどうかは天気と気分次第だ。

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2024年8月 7日 (水)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑮

今朝の朝日新聞の経済面にある、パリ五輪で報道陣が使用しているカメラに最近ソニーが増えたという記事。何を今さらと思った読者が多かったのではないだろうか。こんな話、リオ五輪以前から何度も書かれていた内容で今に始まった現象でもなく新鮮味に欠ける。写真入りで5段も割くような記事か? 

きっとこんな既視感のある記事を載せざるを得なかったのは株価の大幅下落や急激な円高で、経済部記者がそちらの取材に手いっぱいになって経済面を埋める記事が足りなかったからだろう想像してしまう。盆暮れは政治や経済界の動きがなくなるから事前にひまネタを仕込んで紙面を埋めるが、まだお盆まで少し時間があるから記者からデスクに記事が上がって来ず、早く提稿された中から慌てて仕立てたようにしか思えない。

それにしてもこんな話はとっくの昔に各社こぞって書いているし、朝日だってオリンピックのたびに掲載してきただろうに。邪推すれば何年か前の古い記事をひな形にして「〇〇五輪」を「パリ五輪」と書き換え、製品名を最新の機種に書き換えただけ。自分が勤めていた会社の記者もやっていたが、ネタを拾えないときに記者が急場しのぎでよくやる手だ。

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来週早々から長野への旅。毎度毎度、北海道も良いが、夏休みで混雑することもあって、静かな時期の北海道を知っている者としては何もそんなタイミングで行くこともなく、ならば気分を変えてたまには近場の信州も良いだろう。

もちろん信州とてこの季節多くの観光客が訪れるが、夏場の北海道は動物の動きも鈍くてあまり写真にならないから、そういう時こそまだ行ったことのない所に行っておけば見聞が広まる。長野の富山、岐阜県境付近はこれまで一度も訪れておらず、ひょっとしたらライチョウを見られる可能性もあるため、比較的早いうちからホテルを予約しておいた。夏毛のライチョウは決して見た目の良い鳥ではないが、北海道でエゾライチョウを撮ったこともあり、本家本元のライチョウのもとを「表敬訪問」したい。

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1980年2月23日、宇都宮で撮影した「八甲田」のEF58152。アルバイトの業務で宇都宮に行くことがあり、少し早めに家を出て駅でウロウロしたときのもの。この少し前から「八甲田」や「津軽」などの夜行急行も旧型客車が12系へと変わり、それ以前の田舎臭い編成から少しは近代化された。もちろん個人的には田舎臭い方旧編成の方が好みだったが普通席でもクーラーが効くようになったわけで、乗客にすれば夏場はずいぶん快適性が向上したと思われる。

すでにこのころはEF58は59号機を残して全機撮り終えていたから、宇都宮に行っても取り立てて興味を掻き立てるものはなかったが、自腹で交通費を払う必要がないのだから当然カメラを持参した。もちろん大窓のEF58など来るはずはなく、学生ながら出張の合間を楽しんだというわけ。
けっきょくEF58は全て撮れたが、東海道方面のものよりも東北、上越筋のものは撮影回数が圧倒的に少なく、中には1度しか撮っていない機体も多い。もともとEF58全機を撮るつもりなどなく、結果的に撮れてしまっただけだから絵的にろくなものは残っていない。

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2024年6月13日 (木)

北海道、青いDD51の夜行列車@静狩3

来月発売の「電気機関車EX」の記事をようやく書き上げた。鉄道への関心が薄れゆく中で記憶をたどりながら原稿を書くのはなかなかしんどく、毎度時間がかかって編集長を困らせているらしい。ただブログの駄文と違い、鉄道好きな多くの読者にお金を頂戴してお見せするのだから毎度試行錯誤の繰り返しだ。例えば形容詞をどの言葉の前に付けるのが分かりやすいかとか、しばしば鉄道雑誌の記事に使われる言い回し、例えば「…である。」だとか「…であった。」などはなるべく避けたいし、同じ単語の繰り返しも芸がない。記事の内容そのものよりも、こんな細かな点にいつまでも拘泥してしまうのだからズルズル記事の完成に時間がかかる。自己満足に違いないとはいえ長年、鉄道雑誌を読んできた身としては、しょせん趣味の話なのにどうしてこういう論文的な表現が繰り返されるのかが疑問だったから、せめて自分の場合はいったん立ち止まって考えるよう心掛けているつもりだ。

しかしどうしても「…だが、」とか「…思う。」や「…と考える。」というところは避けるべくもなく、ほかになかなかふさわしい言葉が思い当たらず何度も使ってしまう。だから今さらながら自分のボキャブラリーのなさに愕然としつつ記事を書かせていただいているわけだ。

とまあ、とにかく記事はできたから少しは解放感もあるはずだが、無職になってみたら思ったよりやるべきことが多く時間がない。これまで気にならなかった庭の雑草が見苦しいと感じたり、洗濯物を干したり取り込んでたたんだり、あるいは無駄に取り置いている電化製品の段ボールをゴミに出したりなどなど、けっこう忙しく、午前6時ごろに目を覚ましても自分のために使う時間は意外と短い。
考えてみれば今までは妻がこれらのことを一手に引き受けてくれていたわけだから、ただただ申し訳なく思う次第で、その贖罪も含めてますます家事をやろうと張り切っている昨今。

以上、ブログ更新遅れの言い訳でした。

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今日、書き終えた連載記事でほんのわずかだけ触れた北海道の夜行寝台列車撮影時代の一コマ。まだ本格的に通い始める以前のカットで、2010年1月31日の撮影。転勤先の大阪から足を伸ばした時のもので、有名な長万部~静狩の国道のオーバークロスからのもの。中間地点にはまだ旭浜という駅があった時代だ。とにかくここは大のお気に入りで、その後あれこれいろいろな場所で撮ったが、迷ったときにはたびたびここに回帰したものだった。

何度もここ撮影した画像をアップしてきたが、初めて訪れたのは1988年5月のこと。後ろの木々がまだ低い時代。ただ個人的には木々が生長した後年の方が北海道らしい風景に感じたもので、その方が高い位置からの撮影には適したように思っている。
夜間に積もった雪がまだ解け始めず、粉雪として舞い上がって客車が隠れてしまうが、個人的にはその方が好みだった。

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2024年5月26日 (日)

茶色時代のEF6437

このところ鉄道撮影からご無沙汰している身でも周囲の方々から耳にする話はいろいろとある。もはや現役の鉄道ファンではない者にとってその情報は玉石混交だが先日来、聞こえてくるのは「カシオペア」のE26系客車は次回の検査を通さないという話。そこでお手軽にウィキペディアで調べたところ製造年が1999年だから、これまで消えていった車両と比較した場合、まだ使用できるのではないかと感じるのだが、この話がもし事実になるのであれば見えてくるのは客車の老朽化よりも牽引する機関車を淘汰したいという思惑。そう考えたら確かに合点のいくわけでまんざら噂だと片付けるわけにはいかない気もしてきた。

そんなわけで昨日の「カシオペア」を撮りに行こうと思ったわけだが、けっきょく重い腰は上がらずパス。そろそろ撮影現場ではこの話も広まりつつあるとするならば人も多いわけで、しかも事前に牽引機がEF8180と知ってしまったし、どうせ行く場所も大宮以南なのだから目新しくもない。何だかんだと「行かない理由」をひねり出してしまった。ただ、消滅してから後悔するのが常の自分としては時間もあることだし、そろそろ動物撮影用に購入したレンズなどを使ってみたいという思いも芽生え始めている。

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今回はこんな画像で食いつなぐ。2014年10月に撮影したEF6437。
茶色の車体色がそろそろもともとの国鉄色に戻されるのではないかとの噂が出始めたころのもので、EF65501とのプッシュプルで臨時運転されたときのもの。使用したカメラを確認したらニコンD4sだからもう10年近く前のものになる。フィルム時代はカメラを10年程度使うのは当然の話だったがデジタルカメラ全盛となった今では昔の話。この後にD5、D6、D800、D810、D850などのフルサイズ版とD7000やD7100も導入したのだから非常に贅沢になった。この絵を撮ったD4sは報道の仕事をしていた身としては何かの際に使えるよう、車のトランクに放り込んだままだからまだ手元にはあるが、この先果たして使うことはあるのか疑問だ。

再掲したこの写真、機関車の前傾を垂直にするべきなのだが、やはり少し倒れ掛かっているように見えせる方がスピート感が出る。撮影時のままだが、こういう点にも拘っていたことを思い出す。(これはローリングシャッターの影響もあるのか? 近いうちにZ9でも試してみたい)

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2024年5月21日 (火)

EF5861の14系寝台客車回送

先日、秩父鉄道の「わくわくフェスタ」を伝えるNHKのニュースにお仲間のHo氏が映っていた。別の仲間からメールが届きNHKプラスで見たところまさにご本人。C58363号機のデフレクタが門鉄タイプに換装されて駆けつけたようで、記者のインタビューに生き生きとと答えていたが、いくつになっても好きなことをやるときの表情はバイタリティみなぎるものだった。
当日はけっこう暑い日で、大勢の入場者をものともせずに撮影していたのが記者の目に留まったのだろう。もはや鉄道趣味への情熱が冷めつつある身には大変たくましく思え、彼を知っている妻ともども何度も繰り返して拝見した。
届いたメールを見るとT氏も行こうとしていたというから鉄道仲間の情熱はまだまだ健在のようで、もはやストックの画像を何度もこのブログに使って延命を図っている自分としては恥ずかしくもある。無職となって自由な時間も増えたのだから少しは関心のある車両の撮影でもしたいと、もっと前向きに考えたいが、好き嫌いが激しい性格ゆえなかなか重い腰を上げるに至らないままだ。

そう思うと鉄道写真で食っているプロの方々は凄い。最初はきっと機関車やブルートレインなどが好きでその世界に入ったのだろうが、今となってはそんなものは壊滅状態。それでもおまんまを食うために風景など周囲の環境に重きを置いた写真も撮って頑張っているのだから、その点においてはまさに「プロ」。「好きなものしか撮りたくない」というわがままな自分にはとても真似できず大したものだと思わざるを得ない。きっと今の車両をも愛している根っからの鉄道好きな方々なのだろう。

笑顔でインタビューに答えるHo氏を見ながら、そんなことを考えたものだった。

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ここ数日、ブログの更新が疎かになったのはパソコンを買い足そうとあれこれ検討していたため。延長雇用を断って会社から貸与されていたPCを返却したから撮影旅行に持って行くためのものを買おうといろいろ調べていた。
動物を撮るようになって撮影枚数が増え毎回一週間も旅に出ていると、メモリーカードから携帯用のSSDなどに画像を移しカードを空っぽにしておかないと不安になるし帰宅後の整理も煩雑になる。そのため一定程度、性能の高い軽量PCを買おうと思い立ったのだが、何せそちらに関しての知識が疎いものだからメモリーやストレージなどの知識を得ることから始めなければならず、気がつけば寝食を忘れて没頭してしまった。

一般的に軽量PCといえばパナソニックのレッツノートという選択が半ば常識のようになっているものの、価格も高いことから中古製品も見ていたところ最近になってメモリーの進化が著しく、いくらレッツノートと言えど画像処理を伴う作業にはやや遅れていると感じたことから検討範囲を広げてしまった。現在使っているPCもすでに4年。性能的にはまだまだ使えそうだがフォトショップもどんどんアップデートするし、カメラの画素数も増えて処理作業にかける時間が増える一方だから、どうせ買うなら外出時ばかりでなく家で使うにもインターフェイスなどが整っているものが良いだろうと、あれこれと選択条件が増えてしまった。

ようやくDELLかレノボ製品に絞られたが、ここから先さらに比較して今週中に発注したい。

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1982年6月18日撮影の14系寝台客車12両の回8103列車。
4月に入社してまだ社員試用ながら、この日は午後から健康診断のおかげで近場なら撮影することができた。いくら遠出が可能であっても複線区間だと400mmを使うと面白みのない写真になりがちな所ばかりだから、むしろ複々線で引きのあるポイントの方が良い場合もある。もちろん手前には3本の軌道があるのだから電車が来て並走や被りなども危惧されるが、そういう不安にびくついていたら好きな絵をものにすることは難しい。この日もダイヤを見つつドキドキしながら線路際に立ったもので、写真を撮って会社に着くや否や現像したことを覚えている。

今は亡き柴田和男さんに教えていただいたポイントで非常に気に入ったが、午前中の明るい時間帯に下る長い編成の列車に61号機が充当されるチャンスはなかなか巡ってこず、この後しばらくして大阪に転勤になったものだからここで61の下り列車を撮れたのはこれが唯一。
その後同機は頻繁に「踊り子51号」なる臨時特急の牽引に当たったが、あのロッテのキャンデー「小梅ちゃん」の如きおかしなヘッドマークでは大阪から駆けつける気力など湧くはずもない。下手なヘッドマークなど大窓のEF58の魅力を阻害するだけだ。
梅雨空で暗く、ニコンF2でISO(当時はまだASA)1600での撮影。

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2024年5月16日 (木)

あつみ温泉駅停車中の「カシオペア」

7日から一週間ほどの子ギツネ撮影は首尾よく完了した。あと10日ほど早く行っていればまだ黒っぽい柴犬の子どものような、さらに幼い姿が拝めたかもしれないが、ゴールデンウイークの真っ最中に行くつもりもなかったし、むしろ少しばかり成長してキツネの風貌が出てきたころの方が可愛らしいとも感じたから目的は達成できたのは間違いない。同行した方々も(こちらの独りよがりの感もあるものの)キツネにヒグマ、エゾリスにシマリスと遭遇できたことを喜んでくれたように思う。ツアーのガイド的な役目も果たせてホッとした。

で、こちらの鉄道ブログもようやく復旧したが、旅の疲れもあるし鉄道に関する思いが希薄になってしばらく放置してしまった。それでもカウンターを見るとアクセスしてくださっている方々もいつもと変わりなく、それに励まされる形でようやく更新する気になった。
ただしまだ動物の写真を処理するのに追われているため記事に関しては手薄。写真説明程度でお茶を濁したい。

かつてアップした写真だが、その時の画像処理がひどくて少し丁寧に調整したものを再掲した。この日本海回りで上野に戻るカシオペアのツアーはこのところ行われていないが、この日は客を乗せている。時間調整のためあつみ温泉駅で長時間停車したから本番の撮影地に選んだ村上~間島から足を伸ばした。
露出を機関車に合わせると客車の側面が飛んでしまうから、本来はデジカメがもつ何枚か露出を変えた写真を合成する機能を使えば良かったが、雨も降っていて面倒だし難しいうえに、牽引機がEF81如きではそんな手間などかけたくなかった。
この写真、前々号の「電気機関車EX」に使わせていただこうかと迷ったがボツにしたもの。

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2024年5月 6日 (月)

神田で撮影したEF5861の25形新製車回送

ブログの更新を疎かにしてしまった。何かと用が重なったり、さらに明日7日からの北海道行きのために動物撮影の準備に慌ただしく、もはや過去の趣味となってしまった感もある鉄道関係のことに手を付けるゆとりがなかったことを言い訳にしておく。SNSという手軽で浅はかな文章で済む媒体が台頭している今、ブログなどを見る人もいないだろうと思い込んでいることも正直なところだ。なにしろ実際、自分もインスタグラムなるものを3月から始め、そちらにアップする写真も処理することになってしまい、まだまだおぼつかないながら、その使い方を早く習熟しようと四苦八苦しているわけで、そうしたことも大いに影響してしまった。

インスタグラムを始めたのは動物撮影をしていると現地で知り合った人から「インスタをしていないのか?」と尋ねられることが増え、「やっていない」と言えば電話番号やメールアドレスを教えなくてはならず、初対面の方にそれをお知らせすることに少しばかりの躊躇があるため。もちろんインスタとて同じように個人情報に限りなく近づけるものの、まあ許容範囲であろうと判断した。ただ面倒なのは「(インスタを利用している誰それは)あなたの知り合いではないか?」とのお知らせが入ること。下手にフォローしてしまうと、せっかく会社を辞めたというのにそんな連中とのパイプが続いてしまう。もはや彼ら彼女らとの接点は一切断ちたいと考えているから迂闊に手は出したくない。実に余計なサービスで、こんな知らせが来ることに腹が立つ。もっと勉強してこの機能をストップしなければと考えている。とにかくこのネット社会、見たくもない広告なども次々と送られてきて、配信停止の処理をしてもなかなかストップせず煩わしいことこの上ない。どこで知られるのか求職の案内や老化防止のサプリメントの案内、相続税対策などなど、ほっといてくれ!

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ところで会社とは無縁になって、そろそろ現役時代の裏話なども書き残してみようと考えている。今の若い新聞記者の不甲斐なさ、管理職の無能さ、いい加減な取材の在り方、記者と政治家や企業幹部との癒着ぶり、あるいは地方新聞社の無茶な要求などなど、石の上(この業界)に43年身を置いた者としては話題は尽きない。もちろん自分の職場だった写真部というセクションがやらかした失態などは証拠を持ち帰っているから画像もアップできるが、まあ一呼吸置いてから徐々に始めようと思う。

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1978年1月10日、神田で撮影した回1941のスジで行われた24系25形客車の新製車回送。
思えばまだブルートレイン用の客車が造られていた頃なのだから隔世の感もある。新潟鉄工で製造された客車9両の回送で、配属先は無精者ゆえ記録していない。

このころはまだギリギリ高校生で、このスジにEF5861が充当されると知らずに学校帰りにカメラを一台だけ持って神田にやって来た。日の短い時期、15時半ともなれば日も傾いてお誂えの光になった。JR化後のようなヌメヌメした塗装ではなく、まだ61号機の人気が爆発的なものになる以前。撮影者も3人ほどだったように記憶している。この後、東京駅でしばし停車するから田町まで追いかけることも考えたが、すでにビルの影が落ちてしまってリバーサルでの撮影は難しいとあきらめたのだからまだ61号機に強い執着はなかったようだ。

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明日から12日まで事情があって当ブログへのアクセスができないようになる。来週初めには復活させたいが出かけることもあって、帰京後ただちに作業できないかもしれない。

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2024年4月10日 (水)

降雪の函館駅で

あと10日もすれば会社とオサラバ。大学を出て43年間在籍したわけだから、さっぱりしたとは言い切れいないものの、洋々たる気分も大いに味わっている。これまで土日祝日を念頭に旅行の計画を立ててきたが、今後そんなことに拘らず安い時期に安い料金で行けるプランが立てられるのは何よりだ。

そんな中、先日の旅行で気になったのが撮影現場で知り合った方々が皆、趣味用に名刺を持っておられること。特にまだ仕事をされている方でも一流企業に勤めている人ほど、それをひけらかすのは僭越だと感じているようで仕事の名刺ではなくメールやインスタのアドレス、携帯電話の番号などが書かれている趣味用の名刺を用意している。
まもなく「無職」になる身、いずれは自分も作らなければなるまいとは思うがなかなか手が回らず、まして皆さんのように肩書のところに「写真家」と書くのも面映ゆくて仕方ない。つまりこの「写真家」というもの、何を持って「写真家」と言うのか不思議でたまらないのだ。

写真で食っているのならともかく、単に好きで写真を撮っているのだからそう称していいものかどうか。ならば「写真愛好家」で良くないか。犬の散歩をしていて知り合った人と名刺を交わすような(そんなことはなかなかないだろうけれど)場合、仕事の名刺ではあまりにも場違いだから、それなら「愛犬家」とでも記すのか?
とにかくじっくり考えると、この「〇〇家」というのが非常に曖昧模糊とした肩書で、かついい加減な気がして仕方がない。

けっきょく肩書など記さない方向で考えているが、この自称「写真家」。今回も頂いた名刺の中にこう書いてあるものが圧倒的で、元報道カメラマンとしては何となく気持ちの整理がつかないでいる。

いっそ「愛妻家」にでもするか。

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蒸気機関車現役時代、社会人になってスキーを始めた頃、そしてDD51の夜行列車を撮りに行った頃と、これまで北海道に行った回数を数えるとゆうに100を超えている。それぞれ熱中しているものがあった時期で動物に夢中になった今でもそれは同様だ。もちろん蒸気機関車時代は青函連絡船を使っていたが、それ以降はすべて飛行機となり、自分にとって北海道の玄関口は函館から道内各地の空港となった。かつてのことを思えば羽田からひとっ飛びになって往復の負担はずいぶん軽減され、昔のように北海道という場所がずいぶん身近になった気がするが、それでも船で津軽海峡を渡った時代の思い出は今でも鮮明だ。

青函連絡船の乗船名簿に残すため(もちろん事故に備えてのこと)、青森が近づくと東北線車内で配られた氏名などを記す紙、青森駅桟橋への通路、連絡船が出港する際の銅鑼の音などなど、その一つ一つを今でも忘れていない。
だから自分にとって、今でも北海道の玄関口と言えば昔と変わらず函館で、夜行列車を撮りに通った頃もこの駅に立つことにちょっとした感慨を覚えたものだった。

2016年1月、まもなく本州と北海道を結ぶ夜行寝台列車がなくなるという時期にこんな写真を撮っているのは、その心象風景の証だったのかもしれない。撮りたい被写体をアップで狙うのが自分なりの写風ながら、この日は牽引機ED79の照明に焦点を合わせてみた。H氏と居酒屋で杯を交わした後。日付が変わって激しく雪が降る中、酩酊しながら駅まで歩き本州へ向かう「はまなす」を撮りに行った。水分を多く含んだ横殴りの雪はレンズフードの中にも飛び込んで、それを払いつつ三脚で長時間露光に挑んだ。午前1時を過ぎているのにホームは明るく、ヘッドライトに照らされた雪が浮かび上がる立ち位置を探しながらかじかんだ手でレリーズを握ったのはもう8年も前のことだ。

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2024年3月15日 (金)

白糸川橋梁「銀河」

もうすぐ年金を受給出来る年齢となり、あと5年ほどは働けるのだが、もう雇用を延長しないできっぱり辞めてしまおうと考えている。この先、安い賃金に固執して週に数日だけ仕事をしても、いつ何どき病気になったり足腰が衰えて好きな写真撮影ができなくなる可能性だってあるのだから、まだ元気で冬の北海道に行くメンタリティが残っているうちに仕事から離れるのはクレバーな判断だと感じるからだ。

この判断に間違いはあるまい。
56歳の現役で亡くなった父のことを思えば自分自身、定年まで働けたのだし残りの人生、食うことには困らずほどほどには好きなことがやれる余裕もあるのだから、それを謳歌できる時間をストレスを伴って稼ぐ安い賃金と引き換えにするのは愚かな決断だ。また、人生100年時代とは言え、このところ谷村新司や八代亜紀などをみると70歳台の前半で亡くなっている例も多く、いつ自分がそういう事態になるかと考えれば良いタイミングでもあるだろう。

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根府川というところは個人的にあまりお気に入りの撮影地ではなかった。ただ定番の場所でもあり、ここで諸々の列車を絵葉書的に撮っておくことは当時の鉄道ファンとしては義務的な意味を感じていたから何度か行っている。

最も気に入らなかったのは上り列車を撮る場合、編成に被る架線柱。定石どおりのアングルだと画面のほぼ中央に太い柱が位置して非常に目障り。これが嫌で嫌であまり訪れることはなかったが、それでも午前の早い時間帯に上ってくる列車に当たる朝日は非常に良かったのは間違いない。上り下りの列車とも海側から浴びる光は列車を引き立て、ろくでもない列車でも美しく撮れるという利点は確たるものだった。午後の山側から下り列車に当たる光が平々凡々で、バックに海が入ると言ってもほとんど行く気になれなかったことに対し、仲間のお誘いがあれば必ず同道させた頂いたのは朝の光線の美しさによるものだ。以前の記事にも書いたが、この橋の下を通った先日の湯河原旅行で懐かしさもこみ上げたのは、やはり自分と同じ世代のファンにとってここは忘れられない場所の一つであるだろう。

1980年2月25日の「銀河」


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2023年12月31日 (日)

北海道、青いDD51の夜行列車@北船岡1 2023大晦日

2023年は義母が亡くなり正月は喪中となる。実は年賀状に使う動物の写真を選ぶのは案外楽しいもので、どれを使えば喜んでもらえるかなどと(勝手に)想像しながらプリントする作業ができないのは寂しい。ならば「寒中お見舞い」という手もあるが、「お見舞い」なら最近は冬よりも夏。特にこのところの夏の暑さを考えたら「酷暑お見舞い」の方がお見舞いらしいのではないか。そう思った途端、「寒中お見舞い」などでただただ自己満足の写真を送りつけることがバカバカしくなってしまった。

そんなわけで今年は年賀状の作業もなくいつもよりやや寂しい年末。ただその分、妻から仰せつかる家の仕事が例年よりも多いような気はするが、下手に逆らわず「ハイ、ハイ」と唯々諾々、仕事をこなしているのは老後生活へ向けた研修だと思うから。
さっき雨が上がって2階の寝室の窓を拭いていたら庭掃除をしていたお隣のご主人、奥さんから叱られていたが、耳が遠いのか実は遠いふりなのか馬耳東風。自分だったら、ここで二言三言言い返して年末の大掃除があらぬ方向に発展してしまうだろうが、自分よりも年長だけあって老後の生き方をわきまえておられる。さすがだ。

それにしてもそういう場面を目撃してしまうと、女性って若い頃よりも年を取るにつれだんだん狂暴化していくのではないかと感じてしまう。たいていの男性が退職して稼ぎもなくなると、家で妻に頭が上がらなくなる反面、女性はだんだん頭(ず)が高くなるような…。
女性の社会進出が当たり前になる中、いずれ職場などでも女性上司によるパワハラが増え、それは男性社会だったころよりもきついものとなって社会問題化するかもしれないなと感じた2023年の年の瀬。

来年も円満でありたいものだ。

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振り返ると今年、このブログでEF58の画像を使ったのは1度か2度。強く意識してそうしたわけではなく、2023年は列車撮影などほとんどしていないものだから、ストックの画像を使わねばならず、EF58に偏ってしまうのは避けたいと心掛けたことが一つ。
それに、そもそもEF58といっても大窓の機体しか興味がなく、その他の小窓やHゴム車ついてはJR化後に誕生した機関車より少しだけマシという程度の関心しかない自分としては、そんな写真はなるべく使いたくない。

しかしながら先般、ある方から「自分たちは大窓機だけではなくHゴムの58すら見たこともない世代なので、大窓機に拘らず普通の58の写真ももっとアップして欲しい」との要望をいただき、加えてEF58以外の写真も枯渇しそうな事情を鑑みた結果、ならば来年は自分の中に巣食う「ルッキズム」を押さえつけ「不細工なEF58」も掲載することとした。

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しかし、20237年大晦日の画像はDD51。見る角度によって大窓のEF58よりもカッコ良く映ったのは間違いない事実。昔からスノープロー付きの機体には惹かれるものがあり、時としてこの機関車を撮りに行くこともあった。
これは20014年10月18日に北船岡で撮影した「トワイライトエクスプレス」。見事なほど強烈な夕日だった。

当日は朝の夜行列車を撮影した後、ニセコでC11207の「SLニセコ」を撮って北船岡に舞い戻った。グラウンドレベルから撮ろうかと考えて北船岡をチョイスしたものの、この頃は下り貨物列車がここで「トワイライトエクスプレス」と交換するために好みの立ち位置では撮れず、駅の跨線橋の金網に手持ちで超望遠レンズを押し当てて撮影した。

本番前、500ミリでタテにすれば編成後部まですっぽりと収まるものの、そうすると右側の貨物列車が目障りすぎる。それに引き付けすぎるとDD51に貨物列車の影が落ちてしまうから、編成全体をフレームに入れず夕日を浴びる機関車が大きく写るようテレコンバーターで700ミリにすることとした。それに金網ごしの撮影だから焦点距離を伸ばせば金網のボケも大幅に軽減されて都合が良い。手持ちでタテで構えるのは博打のような気もしたが、三脚を使うよりもフードを外して金網にしっかりレンズを押し付けた方がマシだろうと判断した。言うまでもないがもちろん「置きピン」。

結果、こういう風にトリミングするなら最初からヨコで構えた方が無難だったかとも振り返るが、もしかしたら700ミリでも「北斗星」などより編成が短い「トワイライトエクスプレス」なら編成全体が収まるかもしれないというスケベ心が働いたのも事実ではある。なにしろ最初で最後のこんな試み、転んでもガッカリしないように二兎を狙ったわけだ。
ただただ夕日に助けられた写真で、撮影時はこんな絵になるとは思ってもいなかったが北海道の青いDDが消え、しばらくたってみると、あの頃の思い出を語る上ではいくらか情緒漂うカットになったように思う。

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