航空機、自動車など乗り物

2022年8月31日 (水)

ちょっと不気味な浦和橋の下で「能登」

2008年5月に訪れた通称「浦和橋」での撮影。鉄道撮影復帰直後のリハビリ期で、記憶によればKさんに案内されたポイント。切り通しのような場所で早朝の日当たりは悪いが、そのぶん影を気にせずに撮れるのがメリットなのか、撮影地ガイドにも出ていたらしい。
しかし、上には幹線道路の橋が架かって薄暗く陰鬱なムードで、散歩する犬が糞をしたり、酔っぱらいがゲロを吐くのにもってこいの一角。雨をしのげることもあって実際にホームレスが住み着いていたこともあったと聞いた。だから変なものを踏んづけたりするのは嫌だとよく観察したら昔、踏切があったらしく、事故か自殺かは知らないが、そこで亡くなった人を供養したとみられる地蔵(?)を見つけた。以来、ここを訪れるたびにまずはそれに向かって手を合わせるのが習慣となったが、何度行ってもただならぬ気配に霊感が刺激されるのか、なかなか撮影に集中できなかった。全国、いろいろな所に出かけたが、ここほど重苦しい場所はない。

200~300ミリ級のレンズを使うのが常套の撮影地らしいが、最初から500ミリ以外を考えなかった。ただ、編成が長くなると上に架かる橋に遮られて後部が切れてしまうため、「北斗星」「カシオペア」ではもっとレンズを長くして正面主体で狙ったものだ。個人的にはその方が正解だったように思う。

ボンネットが特徴の電車はサイドから撮るのが一般的なのだろうが、普通の人とは感性の異なる身としては長ダマで圧縮するアングルの方が断然好き。近いうちにそんな写真をアップしたい。リハビリ期を脱してから、ここで2度ほどボンネット「能登」を撮っている。

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北海道に夜行列車を撮りに行っていたころの画像フォルダーから出てきた政府専用機(先代)の写真。新千歳空港に着いたら訓練で離着陸を繰り返していたので、まもなく新型に交代することもあって少しばかり時間を割いた。

8月も今日で終わり。夏空もそろそろ見納め。

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(写真、文:U)

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2020年6月 3日 (水)

ヘッドマークを付けたED72と76

先月歩いた歩数は1日平均で13500歩ほどだから合計すると40万歩に近い。通勤時も最寄りの1、2駅手前で下りたり、先まで歩くように心がけ、我ながらよく歩いたと思うが、だからといってどれほど健康に寄与するのだろう、気休めのようなものだ。6月になって雨が降ったり暑くなれば、こんな数値はすぐにダウンするのだから自己満足もせいぜい今の内だけだ。

最近、田園都市線も撮り飽きて、この頃はバッテリーケースを取り外したニコンD800を持ち歩きウォーキングの途中、目についた旧車を撮っている。旧車といっても自分が勝手に珍しいと感じるものや、20世紀に生産され話題になったスポーツタイプのものが中心で、例えば1980年代末期のフェアレディやホンダのNSX、それ以前のサバンナRX7などから、初代スバルレオーネなどまで種々雑多。

さすがに民家のガレージに入っているものにカメラを向けるのははばかられるが、貸し駐車場に置かれている車も多く、ただただ漫然と歩くよりもはるかに楽しい。もちろんブログなどに載せる場合は所有者が特定されるようなことのないよう配慮するにせよ、懐かしい車の画像が増えてくると一種のコレクションのようで張り合いも出る。

結果、旧車を見かけるチャンスはそうそうないから、ウォーキングのコースを毎度変更することになり、おかげで遠回りするケースが増え歩数が増えたというわけだ。

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九州の機関車は蒸気機関車時代からなじみが薄い。往年の九州のSLは手入れが良く鉄の地肌が見えるほど磨かれていたというが、何しろ集煙装置やら重油タンク、あるいはスノープローなどをまとった、原形を大きく損なったスタイルが好きだった自分は長崎の祖父母を訪ねるとき以外、撮影を目的として行くことはなかった。
この傾向は無煙化後も変わらず、スノープローのつかないEL(旧型を除く)にもほとんど興味が涌かず、こんな写真があるのは父の転勤が福岡で、そこを根城に山陽本線西部にEF58を撮りに行ったり、自分自身が後年、福岡に赴任したからにほかならない。

しかし今にしてみれば上のED72などは前に張り出た「鳩胸」がグラマラスで独特。下の凹凸のないED76よりも断然個性的ではある。これは父の元へ行った際、Ho氏と門司機関区で1980年春に撮らせていただいたカット。
1978年から80年ごろ、九州にはかろうじてED72や73が健在で、すでに大きく数は減らしていたものの、ときにはブルートレインを牽く姿も見ることができた(ただし運転時にヘッドマークを付けていなかった)。Ho氏が国鉄本社の人に掛け合ってセットしてくれて、良い位置に止めた72に九州独特の中央が膨らんだヘッドマークを付けていただくことができた。この後、それほど時を置かずして消えたED72だけに自分たちの世代としては貴重な記録だ。

下は1994年秋に佐世保線・早岐で撮影。
翌年6月に東京に戻ることが早々と決まっていたから、次のダイヤ改正で廃止される「みずほ」を中心に、酒ばかり飲んでいないで少しだけ鉄道撮影に精を出した。撮影地で知り合った、現九州鉄道博物館の副館長U氏と知り合うことができたおかげで、この「サザンクロス」塗装のED7678の止まりシーンをパンタを上げて撮ることが許された。

石の上にも何とやら、駄作ばかりながらも鉄道撮影を長く続けてきた結果、(好き嫌いはともかく)記録としてこんな写真も残った。
いずれも過去にカラーで掲載した画像で、今回のものはペンタックス6×7で撮ったもの。

(写真、文:U)

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2020年4月10日 (金)

9年前の流し撮り2種

車を1年点検に出している間に代車として借りたBMW420クーペは素晴らしかった。軽快なことこの上なく、エンジンの吹き上がりがなめらかで185PSのパワーでもじゅうぶんな加速をする。大きさの違いこそあれども、かつての愛車、初代ユーノスロードスターを彷彿させるハンドリングは一日中、乗っていたいと感じるほどだった。車の買い換えを考えている人は一度、試乗することをお勧めしたい。モデル末期でもあり、かなりの値引きも期待できそうだ。

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コロナウイルスで会社の業務は減っているはずなのに、部下を休ませるなどの調整で平常時よりもむしろ忙しい。残業こそないし、酒を飲んで帰るようなこともせず、自宅にとどまる時間は長くなっているのに、相次いで届くメールや電話で気ぜわしく、読書を遮られたりブログを書くには寸暇をつかなくてはならない。ストレスがたまる。

この機に何かペットでも飼ってみようかと思うのだが…。

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桜のピークも過ぎ、新緑の美しい季節を迎えるが気分が晴れないのは中国伝来のウイルスのおかげ。
来年の今ごろは緑のきれいなところで流し撮りでもしていたいものだ。

2011年5月28日の2枚。大阪に単身赴任していた当時、横浜に帰宅したときに出かけたときのショット。一番の狙いは「あけぼの」だったが、その後に設定された臨時列車を牽引するEF641001と秩父鉄道のC58も流してみた。
蒸気機関車の流し撮りは速度が遅いためロッドや動輪をぶらすには60分の1程度では全く動感が出ない。このときは300ミリのF2・8で25分の1を切ったが、何とか見られる程度には写すことができた。

(写真、文:U)

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2019年12月20日 (金)

EF58129(東)のお座敷列車

次から次へと政治家の疑惑やスキャンダルがニュースになった2019年もあと10日あまり。締めくくりになるのか、中国企業の統合型リゾート施設(IR)事業に絡んだ外為法違反問題で衆院議員の関係先が捜索を受けたが、いやはやこの国の政治家のモラルというのは何年たっても浄化されない。普通、1000人程度の組織で、これだけ頻繁に問題が相次いだら社会的信用を失うのに、国民はそんな連中にのんきに国政をゆだね、その下で黙々と不満も抱かず新たな年を迎える。来年もまたオリンピックという、税金を湯水のごとく無駄に使ったイベントで政治への不信感をはぐらかされるのだろう。きっと2020年も「おめでたい」1年となるに違いない。

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最近、自動車の安全装備が進み今度はホンダが一定条件下ならハンドルを握らず、前方から目をそらしてもシステムに運転を任せられる車を来年発表するという。かつては高級車にオプションとなっていたオートスピードコントロールも今では軽自動車にも当たり前に設定され、のみならず渋滞時には前を走る車と一定間隔を保ちながら走行できるほどに進化した今、早々次のステップに進んだわけで、免許証返上までの時間が気になる身としてはただただ驚くばかりだ。

圧倒的な技術革新のうねりは、少しでも油断すると時代について行けない落伍者をつくり、いったん置いて行かれるとなかなかその波に追いつくことが困難になる。今の時代は全てが「自動(オート)」に向かって突っ走り、その中でマニュアルの良さを懐かしむ自分のような旧態依然の人間の意見などに耳を貸す包容力はない。今年、車の免許取得のため教習所に通った息子に、マニュアルシフトの面白さをアピールしても、そんなことは無駄だと一蹴された我が身の時代錯誤はいよいよ重篤となった。

それでも悪あがきのごとき感想を書くと、「運転中にハンドルから手を離す」とか「前方から目をそらす」、さらには「テレビを見たりスマホを操作できるようになる」というドライバーとして(今までなら)あるまじき行為をしても運転を任せ続けられると、安全運転の基本を置き去りにするかのようなニュースの伝え方には激しい違和感を抱く。安全を機械任せにすることが可能な世の中は素晴らしいと分かってはいても、視覚をはじめとするさまざまな感覚を、ここまで人は技術にゆだねて良いのか? 複雑な思いで新型車に関する報道を眺めている。

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1980年11月8日、横浜~東神奈川で撮ったEF58129(東)の引く南シナのお座敷9302列車。この日の午前中はここでほかにもEF5861の引く沼津のお座敷客車、同148号機の名古屋のオールグリーン車と3本の列車が立て続けに撮影できた。

列車写真には適した好ポイントだったが並走や被りも多く、シャッターを早く切らざるを得ないことも災いして、パンタグラフが後ろの架線柱にかからない位置で撮れた写真は少ない。そしてそれを回避できても機関車の前(写真で言えば右側)に標識があってこれも目障り。何度も何度も通いながら、なかなか思うような写真は残すことができなかった。

(写真、文:U)

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2019年5月24日 (金)

国鉄時代の「ひたち」を流し撮り

常磐線方面では国鉄色と称される赤とクリームに塗装が変更されたE653系にファンの注目が集まっているようだが、自分のような頭の硬い人間にはやはりこの車両にこそ最もマッチする。1985年4月24日、つくば博でEF8181がお召し列車を牽いたときに仲間達と沿線で撮影したもの。

このときは大阪に赴任しており撮影のために帰京、弟の車AE86のカローラ・レビンを借りて出かけた。保険の関係から兄弟でも車を貸し借りをすることはなく、今となってもこれが唯一だ。驚いたのはエンジンが高回転まで気持ち良く回ること。自分の乗っていた2000cc、DOHC4気筒16バルブのスカイラインRSよりもはるかに壮快で少なからず悔しい思いを味わったものだ。あの頃の日産は出てくる車がどれも惨憺たるものばかりで旧態依然のL型エンジンにターボを付けて「新型エンジン」などとしてしのいでいたが1981年秋、スカイラインに久々のDOHCが載せられた(ノンターボで150馬力だが現在のNET表示ではなくもっと甘い数字)。しかしながらトヨタの攻勢に押されるばかりでRSもこの後、ターボを追加して190馬力、インタークーラーを付けて205馬力と節操もなく数値を上げ、最初にRSを買った客は不快な気分を味わうこととなる。幼かった自分もユーザー不在のバカバカしいスペック合戦にやきもきしたが、最近の画素数の多さを競い合うデジタルカメラを見ると、あの頃の自動車業界の不毛な競争を思い出す。

まだ入社4年目の若造ゆえ、何日も休むわけにもいかず26日の復路のお召し列車撮影は断念して帰阪したものの、久しぶりの仲間達との撮影は短い時間ながらも楽しかった。「水鏡」など狙うような感性は今もって持ち合わせないが、ボンネットの「ひたち」は大阪で見る「雷鳥」同様、サイドからの姿が美麗で柄にもない撮り方にチャレンジした。一部再掲。

(写真、文:U)

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2019年5月 6日 (月)

BMW335クーペMスポーツ

R32のGTRと同時に売却したBMW335は非常に快適な車だった。1630㎏を超す車重も305馬力のパワーでものともせず、何よりも乗り心地がソフトなのに、首都高速山手トンネル大橋ジャンクションの螺旋状の急カーブもそこそこの速度で楽しむことができる足回りが素晴らしかった。GTRの硬派な乗り心地とは対極で、年を重ねるとともにBMWを駆って出かける機会が増えていったのも当然と言える。走行距離も車を仕事に使わない者としてはそこそこ、8年で64000㎞ほどに達したが、そのまま部品を交換して長く乗り続けることすら考えたほどだ。今の車は皆そうなのかもしれないが、3000ccターボのエンジンとしては燃費も良好で、オートスピードコントロールを使って穏やかに高速道路を巡行すると1リットルあたり14㎞を越える燃費を記録したのにも驚かされたが、スタイルも好みで鉄道撮影に乗って行った先で列車が来る合間にしばしばカメラを向けた。

思い出深いのが日本海側へ「あけぼの」を撮影に行った折、山形の月山の近くを通る道で未明に起きた不思議な現象。大雨となり視界がきかず時速30㎞程度で必至に運転していたらカーナビの画面に突然、白い装束をまとった女性の姿が映った。後部座席に座っている人物がモニターに反射したのかと車を止めて振り返ったほどで、超常現象なんぞ全く信じない自分が、対向車も来ない山道の暗闇で真っ青になった。霊峰連なる出羽山中、そのことが脳裏をよぎってなおさら怖くなったが、335クーペ運転中の忘れられない体験のひとつだ。

上の写真は怪現象に見舞われた翌年、月山パーキングエリアで撮影したもの。この車で「あけぼの」「はまなす」や583系、「SLばんえつ物語」を撮りに、何度も東北へ出かけたことは良き思い出だ。
下は335クーペ納車の日、それまで乗っていた同じくBMWの3シリーズ 330カプリオレとディーラーで撮影したコマ。

(写真、文:U)

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2019年4月22日 (月)

新車購入

R32GTRが手元を去って10日あまり。寂しさは募るが「川崎301 そ 8300」というナンバーへと変わったようだ。売却した自動車店が取りあえず取得したものだから、買い手がついたらまた別のナンバーになるわけで、取りあえずは仮のナンバーということになる。近いうちに売却した店をのぞきに行って販売価格がどの程度になるのか見ておきたいものだが、やがては大切にしてくれる方の手に渡ることを願っている。

次の車はどうするか、車種の選定にじっくり時間をかけたが、最近の車はエコカーが主流となっている一方、高出力車も多くなっていることに驚いた。アルファロメオ、フォルクスワーゲンゴルフ、レクサスなどは0ー100㎞の加速が4秒台半ばというものもあってハイパワーなエンジンが目白押し。かつてのスーパーカー並みだ。
しかしデザインはというと、どれもこれも未来的でアニメに出てくるような奇抜な印象。特にレクサスの尖ったイメージのフロントグリルなど到底、受け容れられるものではない。インテリアも同様。メーターパネルはまるでパソコン画面のようなものばかり。定年間近のオッサンとしてはもう少し落ち着いたものに心牽かれるのだが…。

車選びの参考にしようと自動車雑誌を見ると評論家の評価基準は相変わらず。最高速や加速性に重きが置かれて、自分が免許を取った頃、40年近く前の切り口と大差ないように感じた。もう少しトランク容量や最低地上高、バックする際の後部窓からの視認性や居住性など、実用的な観点からも評価して欲しいものだ。ついでに言えば「羊の皮を被った狼」などという表現も散見され、まるで鉄道雑誌の「度肝を抜かれた」と同様のアナクロさに失笑してしまった。

そうやって約2カ月、熟慮を経て選んだ車が今週末に納車となるが、人生最後の車となる可能性も大でGTR同様、これまた長い付き合いになりそうだ。

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以前、GTR売却の記事にコメントをくださいましたカイル・スワロー様。当方同様、BMWも所有なさっているとは奇遇でしたね。

R32は経年劣化していくゴム製品や内装品の確保がかつてのようにスムーズにはいかなくなり、走行に関わるトラブルこそ起きなかったものの、こちらを直せばあちらからビビリ音というように、個々に対応していては追いつかず難儀することも増えてきました。ダッシュボードのエアコンの送風口が劣化で割れたときなど、当該部品を捜すのにひと月近くかかり、ようやく愛知県下で1個、新品を見つけることができ安堵したものの、そんな有様が続いたものです。やはり完調を目指すなら車丸ごと工場に入れてフレームに浮いた錆の除去などから始めて、徹底的にレストアするのが得策なのは間違いありません。

しかしそうまでして直しても、BMWの快適性と比較すると30年前のスパルタンな居住性では今後ますます老化をたどる我が身、ドライブに駆り出す機会は激減したことでしょう。レストアしても相変わらずガレージに保管しておくようでは、博物館にもっと良い状態で収蔵されているR32を見に行くのと変わりないような気もします。
加えて甚だ打算的ではありますが、ちょうどアメリカの「30年ルール」とやらが解禁になって米国でR32GTRに高値が付くことも決断の追い風となったことも吐露しておきます。

かような諸々から決めた売却ですが、カイル・スワロー様におかれましてはご自身の愛車、情熱の続く限りこれからも大切にされることを願っております。状況が許すことなら、自分もそうしたかったのですが…。

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興味ある人は極めて少ないと思うが久しぶりに九州在任時代の記録から電車の写真を2カットアップしたい。1994年3月の撮影で場所は有名な鹿児島線の天拝山~原田。
酒浸りの日々が続いた時代だが、妻が妊娠して少しは早く帰宅するようになり、休みの日は〝健康的〟にそれまでよりも少し早めに起床し、ブルートレインなどを撮りに出かけるようになった。お目当てはまもなく廃止となる「みずほ」だったが、長崎・佐世保行きの「さくら」も撮れたし、筑豊線の冷水峠に寄れば50系の客車列車にも間に合った。
これはその合間の普通列車でもちろん本番前の練習として記録されたもの。国鉄当時の塗装とは大きく変わったが、真っ赤に塗られ落書きのような文字が施された特急電車よりは遙かにマシな被写体だった。借りていた家から車で30分ほどの場所だから手軽な撮影地だったが、それ以上でもそれ以下でもない面白味のない直線区間。

この時期はキヤノンのF系とEOSを併用していたが、マゼンタっぽい色合いが強いFDレンズには泣かされたものだ。

(写真、文:U)

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2019年4月12日 (金)

R32GTRを売却

記事を拝見したところTさんも500ミリ F5・6を購入されたとか。やはり我々の世代にとって機材の軽量化は切実な問題になってきているようだ。もはや撮りたい車両も少なくなって大口径の500ミリを担ぎ出すことが減り、妻との旅行の合間に列車にカメラを向けるのがせいぜい。そんな自分にこのレンズは存在感を発揮してくれることだろう。ひと月に製造できる本数が限られているようで、今注文しても手元に届くのは秋以降になりそうだとも言われている現状、オーダーから3週間ほどで入手できたのは僥倖だった。

鉄道撮影にはまだ持ち出していないが先日、30年ほど所有してきたスカイラインのR32GTRを売却するにあたり、その姿を残そうと家の近所で丸一日、撮影に使用した。

1989年9月に納車されたGTRは大切に使ってきたこともあり、けっきょく43000キロほどしか走行しなかったから、高値で引き取ってもらえたが、状況が許せばまだ手放したくはなかった。
しかし経年劣化して交換しなくてはならない部品の入手がままならず、たった一つの部品を交換するためにひと月半もディーラーに入れておくケースも発生し、今後のことを考えると維持し続けるのは難しい環境となった。日産がR32マニアのために再生産する部品もあるが、全ての部品を生産するわけではなく、特にゴム製のパーツなどを捜すのはネットなどに頼らざるを得ないこともしばしば。加えて免許を取りに行き始めた息子もマニュアルトランスミッションの運転はしないとあれば、所有し続けても出番が減るのは間違いなく、高値で引き取ってもらえるタイミングを逃すべきではないと考えた。平成元年製の車を平成が終わる今月、手放すのも何かの因縁のようにも感じる。

もう1台のBMW335も下取りに出し、平成が終わる前に新たな車がガレージに納まる。

(写真、文:U)

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2019年3月29日 (金)

羽田空港朝練

さて、最近の土日の未明の行動というと、まずはフライトレーダー24でTG682便とLH716便の到着時刻とレジを確認するところから始まる。TG682便は定刻6時55分着であり、あまり早着してしまうと第1ターミナルの展望デッキが6時30分オープンなのでよろしくないが、日の出時刻も遅くなってきたので、撮影は随分しやすくなってきた。一方、北風運用でないとRW34Lにランディングしないし、せっかくならハミングバードディパーチャーも絡めたいので、3月一杯が必然的に狙い目となる。同じことを考えている同業者の方々はたくさんおられるようで、6時30分の第1ターミナルの展望デッキオープン時には自動ドアの前に長い列ができていたし、ドアが開くとともに、皆さんダッシュ! 女性の方もカメラ片手にたくさん来られているのには驚かされた。最近は、航空マニア人口もかなり増えているような気がするし、鉄道関係のブログで超望遠レンズを愛用されている方々も最近はかなり飛行機ネタが増えてきているような気がする。

Uさんも記されているが、ココログのリニューアルは本当に困ったものだ。リニューアルどころか、色々な面でユーザー無視が目立つし、事前に十分な移行テストがなされたのか、また移行がうまくいかなかった場合のコンチプランがきちんと策定されていたのか甚だ疑問だ。無料でブログを開放しているんだから、文句を言うなという姿勢であるなら言語道断、手痛いシッペ返しをくらうであろう。

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さて、Uさんも予約を入れられたようだが、AF-S NIKKOR 500mm f/5.6E PF ED VRが手元に届いた。昨年末に銀座のニコンのショールームで実際に手にとって操作をしてみたところ、本当に500ミリというのが信じられないくらいの軽さと操作性の良さで、まあ俗に言う言葉で「一発でやられて」しまった。とは言え、安い買い物ではないので、かなり迷ったが、たまたま満期返戻になる保険があったので、カミさんには呆れられつつ、年が明けてから予約を入れた。その段階では納期は「いつになることやら」という状態であったし、気長に待っていたが、いつも親切にご対応いただける販売店さんから連絡が急に入って意外に早く手にすることができた。200-400mmズーム、80-400mmズーム、70-200mmズームと並べてみても、やはり信じられないくらい小さいし軽量だが、パフォーマンスの面でもUさんの知床のワシの作品を拝見して、「これは使える」と思った次第。最近、手持ちの航空機撮影の機会が増えているので、老体には本当にありがたいレンズだ。試しに、開封したのが夜間だったので無謀にも我が家の廊下で500ミリを振り回し、ISO6400、1/30、f5.6開放で、ウチのワンコを手持ち撮影してみたが、4段分のVRもさすがで、ワンコの顔の毛1本1本まで鮮明に写っていて、びっくりした。これからの季節は、あいにく陽炎が天敵なので、当面の登板回数は限られるかもしれないが、期待できる1本だ。

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晴天で空気が澄んで、富士山も望めて、北風運用で、TG682が6時40分以降の到着、という条件が整った日には迷わず出撃。

まずは通常塗装のTGのアプローチ。 ジェットエンジンの後方の噴流が何とも美しい。

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ランディング、そしてもの凄いタイヤスモーク!

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お次は、スターアライアンス塗装のHS-TGW。 遠目にも、まさに威風堂々という言葉がぴったりくる存在感。

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これまた凄いタイヤスモーク! このタイヤにどれだけの力がかかっているのやら。よくパンクしないものだ。

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後方にはカンタスの744も休憩中。

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今月で見納めのハミングバードディパーチャー。私はTG682のおまけの撮影だったが、むしろこちらがお目当ての人の方が多かったようだ。

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ANA787のハミングバードディパーチャー後のおひねり。

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(写真・文:T)

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2019年2月 9日 (土)

B747 ジャンボジェット 50周年

今日2月9日はB747の初飛行から丁度50年になるらしい。以来1550機以上が製造され、まだ細々とながら製造が続けられているというのはやはりすごい機種ということだろう。

初の出会いは1971年にロンドンヒースロー空港で見たBOACのジャンボ。当時はDC8やB707の全盛期で、ヒースローではBEAのトライデントやヴァンガードなども多く居た時期のあの巨体は印象深い。初めての搭乗は1974年にパリのシャルルドゴール空港から乗った日本航空のJA8105という記録が残っており、その旅程の中でBOACとPANAMのB747にも乗っている。

航空機撮影を本格的に始めたのが1989年でB747-400(ダッシュ400)が最新鋭機だったとき。調べてみるとダッシュ400の運用開始が1989年2月9日(ノースウエスト)なので、これも丁度30年前。なにやら2月9日という日はジャンボに縁のある日のようである。

1989年から30年で撮影したB747はシリアルベースで1400機を超えるところまで来た。現存している未撮影の機体は80数機だけになってしまったので、なかなか新規撮影機体にはあたらないが、年始のシンガポールで3機を潰し丁度1400機となり、先日のカタール首長の来日で使われたB747-800のビジネスジェットで1401機目となった。

カタールの機体は、その到着時間などが不明のまま、半日の休暇をとって羽田に張り込んでいたいたところ、何とか撮影することが出来た。

(写真・文:K.M)

2019年1月28日 QAF1 A7-HHE 羽田空港にて1401機目のB747撮影

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