R32GTRが手元を去って10日あまり。寂しさは募るが「川崎301 そ 8300」というナンバーへと変わったようだ。売却した自動車店が取りあえず取得したものだから、買い手がついたらまた別のナンバーになるわけで、取りあえずは仮のナンバーということになる。近いうちに売却した店をのぞきに行って販売価格がどの程度になるのか見ておきたいものだが、やがては大切にしてくれる方の手に渡ることを願っている。
次の車はどうするか、車種の選定にじっくり時間をかけたが、最近の車はエコカーが主流となっている一方、高出力車も多くなっていることに驚いた。アルファロメオ、フォルクスワーゲンゴルフ、レクサスなどは0ー100㎞の加速が4秒台半ばというものもあってハイパワーなエンジンが目白押し。かつてのスーパーカー並みだ。
しかしデザインはというと、どれもこれも未来的でアニメに出てくるような奇抜な印象。特にレクサスの尖ったイメージのフロントグリルなど到底、受け容れられるものではない。インテリアも同様。メーターパネルはまるでパソコン画面のようなものばかり。定年間近のオッサンとしてはもう少し落ち着いたものに心牽かれるのだが…。
車選びの参考にしようと自動車雑誌を見ると評論家の評価基準は相変わらず。最高速や加速性に重きが置かれて、自分が免許を取った頃、40年近く前の切り口と大差ないように感じた。もう少しトランク容量や最低地上高、バックする際の後部窓からの視認性や居住性など、実用的な観点からも評価して欲しいものだ。ついでに言えば「羊の皮を被った狼」などという表現も散見され、まるで鉄道雑誌の「度肝を抜かれた」と同様のアナクロさに失笑してしまった。
そうやって約2カ月、熟慮を経て選んだ車が今週末に納車となるが、人生最後の車となる可能性も大でGTR同様、これまた長い付き合いになりそうだ。
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以前、GTR売却の記事にコメントをくださいましたカイル・スワロー様。当方同様、BMWも所有なさっているとは奇遇でしたね。
R32は経年劣化していくゴム製品や内装品の確保がかつてのようにスムーズにはいかなくなり、走行に関わるトラブルこそ起きなかったものの、こちらを直せばあちらからビビリ音というように、個々に対応していては追いつかず難儀することも増えてきました。ダッシュボードのエアコンの送風口が劣化で割れたときなど、当該部品を捜すのにひと月近くかかり、ようやく愛知県下で1個、新品を見つけることができ安堵したものの、そんな有様が続いたものです。やはり完調を目指すなら車丸ごと工場に入れてフレームに浮いた錆の除去などから始めて、徹底的にレストアするのが得策なのは間違いありません。
しかしそうまでして直しても、BMWの快適性と比較すると30年前のスパルタンな居住性では今後ますます老化をたどる我が身、ドライブに駆り出す機会は激減したことでしょう。レストアしても相変わらずガレージに保管しておくようでは、博物館にもっと良い状態で収蔵されているR32を見に行くのと変わりないような気もします。
加えて甚だ打算的ではありますが、ちょうどアメリカの「30年ルール」とやらが解禁になって米国でR32GTRに高値が付くことも決断の追い風となったことも吐露しておきます。
かような諸々から決めた売却ですが、カイル・スワロー様におかれましてはご自身の愛車、情熱の続く限りこれからも大切にされることを願っております。状況が許すことなら、自分もそうしたかったのですが…。
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興味ある人は極めて少ないと思うが久しぶりに九州在任時代の記録から電車の写真を2カットアップしたい。1994年3月の撮影で場所は有名な鹿児島線の天拝山~原田。
酒浸りの日々が続いた時代だが、妻が妊娠して少しは早く帰宅するようになり、休みの日は〝健康的〟にそれまでよりも少し早めに起床し、ブルートレインなどを撮りに出かけるようになった。お目当てはまもなく廃止となる「みずほ」だったが、長崎・佐世保行きの「さくら」も撮れたし、筑豊線の冷水峠に寄れば50系の客車列車にも間に合った。
これはその合間の普通列車でもちろん本番前の練習として記録されたもの。国鉄当時の塗装とは大きく変わったが、真っ赤に塗られ落書きのような文字が施された特急電車よりは遙かにマシな被写体だった。借りていた家から車で30分ほどの場所だから手軽な撮影地だったが、それ以上でもそれ以下でもない面白味のない直線区間。
この時期はキヤノンのF系とEOSを併用していたが、マゼンタっぽい色合いが強いFDレンズには泣かされたものだ。
(写真、文:U)
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