61号機以外のEF58

2025年10月20日 (月)

日の丸がだらんと垂れたEF5860

どのタイミングをもって「50年」と言うのか不明だが、今年の12月は蒸機牽引の旅客列車と貨物列車がなくなって50年。
自分は高校1年生だったが12月14日のC57135のお別れ旅客列車の時は室蘭本線に駆け付けた。正直、C58ファンとしては最後まで残ったC57やD51、9600にはそれほど強い魅力はなかったが、煤にまみれて走り続けた本物の蒸気機関車を見るのは最後だと思い、期末テストの結果も見ずに羽田から飛行機に乗ったのは当然と言えば当然の行動。大した写真が撮れたわけでもないが、「そこに居合わせた」という事実を残すだけでも価値があると考えたのだろう。

実際、ろくな写真も残せなかったし、金がかかった割には行った甲斐は感じず、こんな人の多いイベントに小遣いを叩くなら鉄道模型の購入資金に回したほうがよほど価値があったとの思いは今でも変わらないが、とにかく今年の暮れあたりは、往時を懐かしむファンが当時の話をネタに盛り上がるのだろうか。

ところでいよいよ国鉄型の電気機関車が消滅するにあたり、11月に新潟方面でお別れ列車が走るという。50年も後に、この日のことを覚えている人は少ないとは思うが、大げさに考えるならちょっとしたエポックではあるのかも。蒸気機関車のようにすべての電気機関車が未来永劫、なくなってしまうわけではなく(保存機などは論外)「さようならEL」とはいかないものの、けっこうな人出になりそうな気配。友人に誘われていることもあり。撮影に行こうかどうか思案中。

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1979年5月、愛知県下で行われた全国植樹祭に際してEF5861によるお召列車が運転された。これはその終了後、浜松機関区で撮影したお召予備機となった60号機。

撮影を終えたファンが続々詰めかけ、撮影会さながらの状況だったが、機関区の対応は昨今の言い方で表現するなら「塩対応」。日の丸が掲げられている時には庫内でパンタが下がっており、屋外に出された際には日の丸が外されファンはガッカリ。
個人的には前面の窓がHゴム化された60号機なら、「まあ、いいや!」と感じたが、これでは下品を承知で例えるならオッサンのだらんと垂れ下がった陰嚢みたい。予備機ながらもそれなりに整備したのだから、こんな時こそサービスしてくれても良さそうなのに…とも思ったものだ。

写真としてはかつて「電気機関車EX」に掲載していただいた屋外のモノクロの方がはるかにマシで、パンタの下がっているこんな姿をリバーサルで撮るなど、非常にもったいない行為だった気がする。

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維新が自民と連立。もはやバカバカしくてどうでも良いが、これまで追及してきた裏金問題を絶対条件とはせずに(優先度を下げて)まで自民にすり寄る姿には哀れすら感じる。うがった見方をすれば、落ち目の維新としては次回衆院選で議席を減らす可能性が高いものだから、恩を売っておこうと「捨て身」の戦略に出たのかと映った…。

ところで企業・団体献金の「原則禁止」は「原則」とああるのだから抜け道はいくらでもつくれるわけで「禁止」という言葉の響きほど厳しいものではない。むしろ公明や国民民主の受け取り手を党本部や各都道府県連に絞る案の方がよほど効果があるはず。その点を誤解している人が多いようだが、けっきょく維新はそれを知りながら自民に妥協するように思えて仕方がない。

そういえば13日に閉幕した万博も維新が誘致を提案したバカバカしいイベントだった。当初の予算1250億円より大きくアップし最終的には2350億円、裏金と大して変わらない「無駄金」ではなかったかと感じる。裏金だけじゃなく無駄金ももっと問題にしろよ!
もちろんオリンピックやワールドカップサッカーの誘致に関しても然り。あんなもの税金の無駄の極み。

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2025年10月11日 (土)

二兎を追って失敗した写真

ようやく暑さも落ち着き、夜は掛布団が欲しくなってきた。日が暮れると裏の家の庭から秋の虫が忙しく鳴く声も聞こえ待ちに待った秋が訪れた。
そんな中、今月も北海道行きを企てて準備を始めている。行く先はもちろん知床。サケの遡上が本格化し、冬支度が始まる今の季節は動物たちも盛んに餌を求めるから撮影のチャンスも増え、普段はなかなか見かけることのできない絶滅危惧種・シマフクロウなども見られるかもしれず期待は高まる。今年は8月に羅臼岳登山道で男性がヒグマに襲われて死亡する事故があったおかげで、現地の規制が厳しくなっているはずだが、何も撮れないというわけではなく、行けば行ったなりの成果は挙げられるだろう。

さて、使用しているニコンZ9は12月24日で発売から丸4年。デジタルカメラのフラッグシップ機で4年間もモデルチェンジしないのは、ここ最近としては珍しく、メーカーが自信をもって開発した製品であることは間違いないが、さすがに来年には新型機が出ても不思議ではないから、ひょっとしたら今回か次回の旅が最後の活用になるのかもしれず、そろそろFマウントのボディ(デジタルカメラ)とレンズは一気に処分しても良いタイミングかもしれないとも思い始めた。

そんな中、来月は鉄道仲間と泊りがけで久々の宴会旅行に出かける。
思えばコロナ禍前の2019年12月に挙行して以来だから6年ぶりのこと。我々の年代での6年と言えば身の上に何が起きても不思議ではないから、この6年間を皆無事に過ごせたことは喜ばしく、そういう意味でも貴重で大切な機会になるだろうと思う。毎年ほぼ必ず開催している春の宴会(都内で開催)で会ってはいても、泊りがけの旅ともなると時間もじっくりあるから昔日を思い出して楽しい時間を過ごしたいと思う。
行先は2019年同様、C57180の走る磐越西線方面。一緒に線路際に立って列車を待つまでの間も密度高くいろいろとおしゃべりを楽しめるはずだ。

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EF58重連で名を馳せた東海道線の荷物35列車がEF58の単機牽引となった後、広島~下関でEF58重連となった荷物37列車(ただし正確には次位の機関車は回送)。当時の広島には大窓のEF58が複数残っていたから、この列車の先頭に立つことを期待したものだった。

この時は前が69号機で次位が64号機と、どちらもつらら切りのない大窓機が起用されたため、がめつく次位の64号機の窓も写るような撮影地に仲間たちと足を運んだ。
しかし「二兎を追う者は一兎をも得ず」の例え通り、どっちつかずの面白みのない写真になって、遠路はるばる駆け付けた苦労は報われなかった。

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老害をふりまく麻生太郎のおかげで、下馬評を覆して高市早苗自民党総裁が誕生した。もちろん高市か小泉のどちらかが就任するのは予想されたことながら、決選投票になれば麻生は小泉に投票するよう派閥議員に指示を出すと思っていたから、ちょっと意外に感じたのは間違いない。個人的には小泉よりも右寄りとは言え偏差値に関しては高市の方がマシだと思っていたのでそれはそれで良いのだが、ここへきて公明党がきっぱりと連立離脱を決めたのは大英断。

これまで単なる補完政党としか見ていなかったし、支持母体が創価学会であることから「食わず嫌い」な面もあったが、愚かな自民党員よりもはるかに政治というものを真摯に考えている集団に映るから見直した。裏金問題を受けた企業・団体献金の規制強化にも明確な回答をしなかったり、裏金問題に関与した萩生田光一を幹事長代理に起用するなどの自民党の横暴に筋を通したのだから、その感覚は極めてまっとう。久しぶりに快哉を上げたくなった。

注目は首班指名。政権交代の可能性も出てきたわけだから野党も意見の相違を縮めて統一候補を出せれば面白くなるのだが、ここぞとばかりに自民党と連立を組もうという恥知らずな判断を下す政党が現れる可能性は捨てきれず、それはそれで自民党をも超えるハイエナの如き野卑な下衆。ここしばらく野党の品性にも大いに注目しておきたい。

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2024年12月18日 (水)

教訓となった写真

14日、近所のコミュニティハウスで開かれていた鉄道模型運転会をのぞいてきた。もちろん子供向けのもので模型はNゲージだったが、会場に蒸気機関車現役時代に撮った陸羽東線のC58の写真が展示されているというチラシを見たため、ちょっぴり恥ずかしさを抱きながら見学に行った。

ところが行ってみたらピントの合っていないSLの写真が3枚並べられているほかは皆、最近の電車と保存車両の写真ばかり。それほど期待を膨らませていたわけではないから「まあ、こんなものだ」と思いつつも、それでもせっかく来たからにはと丁寧に拝見した。しかしその中の1枚、碓井鉄道文化村に保存されているDD53の写真の説明文がDD54となっていたため、これだけはまずいと「ここに写っているのはDD53ではないですか」と、居合わせた撮影者に指摘したところ「いや絶対にDD54だ」と言い張る。

自分よりも5つ6つ年上の人で(経歴が貼られていた)、こちらも下手に相手にすると近所に住んでいる人であろうから「そう思い込んでいるならそれで良し」とサッサと引き下がったが、どうもこれまでにも何度も展示してきた写真のようで、誰も指摘する人がいなかったのが不思議。DD54とDD53を見分けられるような鉄道ファンはもはや存在しないのか?
写真説明には「推進軸の損傷で数年で廃車になった悲劇の欠陥機関車」とあったが(これはDD54においては事実。ただし写真はDD53)、新たな知識をどんどん吸収していく小中学生がこの説明をそのまま信じこんでしまわなければ良いと願うのみ。

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与野党伯仲で国会中継が面白くなり連日NHKで国会中継を視聴している。石破が冷静な体で答弁に立っても難問山積で、しかも来年には参院選挙も控えているためにこれまでの首相のような余裕は感じられず、内心追い詰められているようにも映る。

しかし首相になるような奴はしょせん狸、そこは石破とて同じだろう。特に党内基盤がぜい弱なものだから、野党の意見に反論しているかのように見えてもそれはポーズで、実はほかの案件でも野党の提案を受け入れる腹積もりなのではないかとも想像してしまう。昨日、政策活動費の全廃法案に自民、公明両党が賛成に転じ、「公開方法工夫支出」の新設を断念したのもその表れではないか。これまでの予算委での答弁が自党に対して「やるだけのことはやっている」という演技だったと見えなくもない。小泉元首相のように「自民党をぶっ壊す」という威勢の良さとは逆の、「じわじわとぶっ壊す」ようなしたたかさも見え隠れしてきた。

ところでそんな中、思い出すのはコロナのパンデミックが起きたころ、当時の首相が国民1人あたり2枚のマスクを配ったこと。それも布製で小さく使い物にもならなかった駄品。国会中継を見てもあんなマスクをしていたのはご本人だけで、そのために543億円もの予算を使った事実。ほかにも医療従事者が厳しい勤務をしている中、Go Toキャンペーンなどをのんきに展開したことなどはろくに総括も反省もなかった。
それでも有権者の多くが、それも忘れたのか裏金問題があろうと、統一教会問題が片付かなくとも自民党候補に投票し、過半数割れとはいえ多数の人間を当選させ、いまだ与党でいられる不思議さよ。

最近、ジャーナリストの青木理が自民党候補者に投票する人が多いのはなぜかと問われたの対し「劣等民族だから」と答えて地上波のテレビ出演から身を引いているが、言葉自体は苛烈ながらも個人的には同感する部分もある。国民を欺くような国会議員の行いすらすぐに忘れてしまうような納税者が、重箱の隅をつついたようなジャーナリストの失言にはセンシティブなのだから面白いと言えば面白い。戒厳令が出ても民衆が国会前に集まる韓国ほど政治への関心が高いとも思えず、同様のことが起きても自宅のテレビでのんきにトレンディドラマでも見ているのだろう。

平和だよ。

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EF58が重連(次位は回送)だった荷物37列車。ただし重連で走るのは広島から西だった。
東京口で荷物35列車がEF58の単機牽引になった後に生じたものだが、広島には大窓機が配置されていたためそこそこ注目を浴びた。
このときも前が69で後ろが64という大窓機の組み合わせだったため、次位の機関車の窓が少しでも写ると思われる場所を見つけた仲間から情報を頂き駆けつけたと記憶しているが、けっきょく「二兎を追う者は一兎をも得ず」の通りで自分としては中途半端なアングルに終わってしまった。
やはり前の機関車さえ大きく写れば、個人的にはその方が全力を傾けてアップが撮れるわけで、プッシュプルなどの際も前後の機関車両方が大きく見えるようなポイントから撮っても、どっちつかずで満足な絵にはならないと確信した。
後年、次位がEF61に代わってからだが、Ho氏と嘉川~本由良で前に69号機が立った際にリカバリーでき喜んだことを思い出す。

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2024年12月 1日 (日)

購入直後のブロニカで撮ったEF5853

一泊で湯河原に行ってきた。カメラも持たない安穏な旅。道路が空いていれば自宅から1時間半もかからない距離だから気楽だ。熱海や箱根、伊東となると外国からの客も含めて人が多く落ち着かないが湯河原だと静かに過ごせる。特に今回は湯河原でも奥の山あいに立地する宿だったからなおさらだったが、チェックイン前に食べた昼の鰻のコースが最高だった。

入ったのは富士屋旅館の瓢六亭という食事処。値段はそこそこするが前菜の鰻の煮こごり、刺身からして抜群。特にキンメ、ブリはこれまで食べた中で最高ランクだったし、メインの鰻土鍋ご飯膳はなかなかのもの。こんな言い方をすると自慢しているかのように受け取られかねないが、ここで鰻を食べたら市井のものは食べられないと思ったくらい。ホテルの夕食もそれなりにゴージャスだったが、うまい昼食のおかげで完全に霞んでしまった。いやはや食の世界は奥が深い。

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来月は道東でも釧路湿原を目指そうと予定を立てた。まだモモンガやワシのシーズンには若干早いが、ブラックフライデーとかのセールでお得なプランがあったため「ならば行くか!」となった。道東入りのほとんどが女満別空港を利用するが久しぶりの釧路空港経由。前述のように、まだモモンガなどの撮影シーズンには少しばかり時期尚早だが、行ってみれば何か収穫はあるだろうしホテルが釧網線沿いなので「SL冬の湿原号」ぐらいは撮れるはず。家で茫洋と過ごすよりははるかに有意義だ。久しぶりに線路際に立つことになりそう。

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かつて前面に光が当たっていない状況下で大窓のEF58を撮影することには極力避けていたが、時間的な制約などやむを得ないない場合でも忸怩たる思いは強かった。茶色の61号機の場合は日陰になる前面がつぶれてもプリント時に多い焼きなどすれば、まあ許せるものもあったが、一般色の機体については撮影する前からろくな写真にならないだろうと覚悟していたものだ。

これもその1枚。1978年8月26日の荷物36列車で場所は大井町~品川。しばらく前の「電気機関車EX」でEF66の「富士・はやぶさ」の写真を載せていただいたが、そこと同じポイントだ。
この日、実は新宿の「カメラのさくらや」でブローニー版のゼンザブロニカEC-TLを購入し、それで最初に撮ったのがこの写真。記憶によれば新宿の帰りに祖父母の家でカメラの箱を開け、フィルムを装填して大井町へと向かったことを思い出す。53号機が充当されることは知っていたから、この列車を「使い初め」にしようと考えた。左右逆像のウエストレベルファインダーに慣れていないことから手持ち撮影した結果、大きく傾いてしまいトリミングで水平にした。現像してみるまでもなくミスに気づいていたから、それを取り返そうと直ちに品川に向かい汐留から単機で戻ってくる53号機を撮り挽回しようと試みたが、やはり列車を牽いている姿でないと埋め合わせはできなかった。

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2024年11月27日 (水)

EF5866牽引のオールロネ団臨

朝起きたら右目の周囲に痛みを感じ鏡を見るとまるで「四谷怪談」のお岩さんのように腫れていた。年齢的にもいろいろ故障が出てもおかしくないので朝一番で眼科に行くと「ものもらい」の初期症状だという。小学生や中学生の頃、同級生などによく見られたものだが、原因は不衛生や睡眠不足などさまざま。いずれの原因も心当たりはあるが、大人になってからは周囲にそんな症状が出た人を見ないから「今さらなんで?」と感じたが、とにかくもらった目薬で回復を待つしかない。それでも試合でパンチを受けたボクサーのような面相を鏡で見る度、情けなくなってしまう。

パソコン作業がやや億劫だ。

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「電気機関車EX」の記事を書くために古い「鉄道ファン」を眺めていたらEF5889が茶色に塗り替えられた時の記事に目が留まった。国鉄末期、61号機の人気にあやかって塗り替えられたとのこと。ただ、記事の中に当時つらら切り付きのEF58の人気が高まっていたとあるのは事実なのだろうか。このころはEF58に蝟集する連中が増え、そんな中に首を突っ込むのが煩わしくなって撮影から一歩引いていた時期だから、そのような傾向は知らなかったが、自分には記憶がなく釈然としない。本来塗り替えられる予定だった109号機よりも、つらら切りのおかげで89号機に振り返られたことは以前から知ってはいたが、つらら切り装備車ってそれほどの人気があったのか???

当時の大宮工場には鉄道ファンの幹部がいて、その方の発案だったとも聞いたが、だとすれば彼のための提灯記事のようにも受け取れる。とにかく鉄道博物館には61号機より先に展示されることになってしまったわけで、けっきょく同じような色の同一形式が2両となったのは計画性が欠如していたとも映ってしまう(想像にすぎないが)。89号機などよりも収蔵するに値する(EF58ではない)別の車両があったような気がするが。

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古いネガのスキャンを再開したら、この写真を取り込んでいなかったことに気づいた。1978年11月7日に紀勢本線・白浜~朝来で撮影した10系オールロネのゴージャスな団体臨時列車(回送で列車番号は回8125列車)。

この編成は11月3日に宮原のEF5897によって上京し常磐線に向かった団体が乗車したもので、帰りは11月6日の東京発8101列車で東海道を下り紀勢線に入り、翌7日に白浜で客を降ろし紀伊田辺へと回送されたと記憶に残る。10系客車による団体列車はたまに運転されることはあったが、ロネのみの編成は珍しく授業を休んで紀勢線まで追いかけた。なかなか貴重な団臨だったと思うが、紀勢線内の写真は趣味誌にもあまり発表されなかったから単純に独りよがりに騒いでいただけなのかもしれない。天気が悪くリバーサルなどとても使える状況ではない中、ある人と現場に向かったことを記憶している。モノがモノだけに編成の側面がよく見えるような角度で撮ったのは当然と言えば当然。
後になって大窓の66号機が充当されたのは誰かが竜華機関区にお願いしたものだと聞いたが、だったらつらら切りのない22号機にして欲しかったと感じたことも忘れられない。

その後、30年以上して仕事でこの近くまで行ったときに車ですぐ横を通ったが、紀勢自動車道がほぼ真上を通るようになり撮影には不向きな環境となっていた。

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2024年9月10日 (火)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑰

妻に誘われ一泊で伊豆に行ってきた。特に目的はなく温泉に入り、美味い食事にありついてきた。当初は電車を利用しようと考えていたが、残暑が続いて乗り換えも面倒に感じマイカーを使った。伊豆方面に車で行くのはゴミゴミした熱海市内を抜けるのが嫌で、いつもは避けているが、日曜に下って翌日の午前中に帰るなら渋滞もなく、さほど苦にならないと考えたから。宿はなかなかゴージャスで快適。カメラも持たない旅は楽で、夏の疲れが少々癒えたようだ。

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団体列車の撮影に熱心だった頃、こういう「編成はイイ!」のに「牽引機がクソ!」だと、本当にガッカリしたものだ。まだ高校生の頃で、好きな機関車を好きな列車に充当してもらうようお願いすることなど考えもしなかった時代の写真。もちろん61号機が充当されることを期待していたが、そうは思うように行くはずもない。1977年7月31日撮影。

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2024年8月10日 (土)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑯

8日の日向灘を震源とする地震で気象庁が「南海トラフ地震臨時情報」が発表した。今後一週間以内に巨大地震が起きる可能性が平時よりも高まったということで、必ずしも地震が起きるというものではないが念には念を入れ昨日朝、備蓄用の水などを買い込んだ。長年、報道する側にいた身、大規模災害が起きれば人々がどう行動するかおおよそ見当がつくし、ましてや無職となったのだから時間はいくらでもある。いち早くできることをしたのは当然のことだ。

それにしても同じことを考える人は多く、開店と同時にスーパーの飲料水売り場はごった返していて驚いた。「一人1ケースにしてください」と書かれているのにいくつも買おうとして制止される人、何度もレジに並んで少しでもたくさん購入しようという主婦。なかなか面白い光景が繰り広げられていた。

帰りに車のガソリンも満タンにしておこうとスタンドに寄ったら、こちらはガラガラ。お盆休み前でもあるからもっと混雑しているかと思ったら平穏でビックリ。電気自動車が普及した影響もあるのだろうか? だとしても現状、電気自動車などは充電スタンドが足りないし、電力供給が滞ったら大変だと思うが、こればかりは自分が仕事をしていた時にそんな状況は見ていないから想像がつかない。電気自動車ってそういう意味ではまだまだ災害時に弱いのではないかと感じたが、果たしてどうなのだろう?

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1979年5月4日撮影のEF5830。このころ定期運用のなかった下関の4両のEF58の中の1台。以前の記事にも書いたが4両中、2両が大窓だったから事前情報がなくてもダメ元で見に行ったが、この日は「はずれ」だったわけ。
先台車が鋳鋼製というのが特徴だったが、下関にはほかに29号機という大窓のEF58が存在していたから、この30号機は全く注目されなかった。東京駅に早朝到着する8110列車で、14系客車を12両牽引して上ってきた。

東京駅の東海道線ホームは有楽町寄りも神田寄りもカーブしていて12両もの編成になるとすべてフレームに入れるのは難しく、入れようとするとホーム上にいる人間が入ってしまうこともあり、長い編成の撮影には不向きだった。

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2024年8月 7日 (水)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑮

今朝の朝日新聞の経済面にある、パリ五輪で報道陣が使用しているカメラに最近ソニーが増えたという記事。何を今さらと思った読者が多かったのではないだろうか。こんな話、リオ五輪以前から何度も書かれていた内容で今に始まった現象でもなく新鮮味に欠ける。写真入りで5段も割くような記事か? 

きっとこんな既視感のある記事を載せざるを得なかったのは株価の大幅下落や急激な円高で、経済部記者がそちらの取材に手いっぱいになって経済面を埋める記事が足りなかったからだろう想像してしまう。盆暮れは政治や経済界の動きがなくなるから事前にひまネタを仕込んで紙面を埋めるが、まだお盆まで少し時間があるから記者からデスクに記事が上がって来ず、早く提稿された中から慌てて仕立てたようにしか思えない。

それにしてもこんな話はとっくの昔に各社こぞって書いているし、朝日だってオリンピックのたびに掲載してきただろうに。邪推すれば何年か前の古い記事をひな形にして「〇〇五輪」を「パリ五輪」と書き換え、製品名を最新の機種に書き換えただけ。自分が勤めていた会社の記者もやっていたが、ネタを拾えないときに記者が急場しのぎでよくやる手だ。

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来週早々から長野への旅。毎度毎度、北海道も良いが、夏休みで混雑することもあって、静かな時期の北海道を知っている者としては何もそんなタイミングで行くこともなく、ならば気分を変えてたまには近場の信州も良いだろう。

もちろん信州とてこの季節多くの観光客が訪れるが、夏場の北海道は動物の動きも鈍くてあまり写真にならないから、そういう時こそまだ行ったことのない所に行っておけば見聞が広まる。長野の富山、岐阜県境付近はこれまで一度も訪れておらず、ひょっとしたらライチョウを見られる可能性もあるため、比較的早いうちからホテルを予約しておいた。夏毛のライチョウは決して見た目の良い鳥ではないが、北海道でエゾライチョウを撮ったこともあり、本家本元のライチョウのもとを「表敬訪問」したい。

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1980年2月23日、宇都宮で撮影した「八甲田」のEF58152。アルバイトの業務で宇都宮に行くことがあり、少し早めに家を出て駅でウロウロしたときのもの。この少し前から「八甲田」や「津軽」などの夜行急行も旧型客車が12系へと変わり、それ以前の田舎臭い編成から少しは近代化された。もちろん個人的には田舎臭い方旧編成の方が好みだったが普通席でもクーラーが効くようになったわけで、乗客にすれば夏場はずいぶん快適性が向上したと思われる。

すでにこのころはEF58は59号機を残して全機撮り終えていたから、宇都宮に行っても取り立てて興味を掻き立てるものはなかったが、自腹で交通費を払う必要がないのだから当然カメラを持参した。もちろん大窓のEF58など来るはずはなく、学生ながら出張の合間を楽しんだというわけ。
けっきょくEF58は全て撮れたが、東海道方面のものよりも東北、上越筋のものは撮影回数が圧倒的に少なく、中には1度しか撮っていない機体も多い。もともとEF58全機を撮るつもりなどなく、結果的に撮れてしまっただけだから絵的にろくなものは残っていない。

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2024年8月 4日 (日)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑭

テレビを見るとやっているのはオリンピックばかり。毎度のことながらウンザリする。そもそもオリンピック自体が好きでないが、報道する側の姿勢も相変わらずで、優勝したら褒めちぎり、負けても健闘を讃えるという、どちらにしても日本の選手を賞賛する美辞麗句ばかりで吐き気を覚える。1964年の東京大会のような時代じゃないのだから日本選手ばかりを応援するよりも、世界一流の選手の演技にこそ注目する場だと思うが、新聞を見ても写真は日本選手のものがほとんどで、「おらが県」の選手の活躍ばかりを喧伝する国民体育大会の新聞紙面と大差ない田舎臭さだ。
さらにメダルを獲得した選手が、さも日本のために頑張ったようなコメントを出すのもウンザリ。まもなく終戦記念日だが、特攻隊員だったり出征させられた人が語るなら涙すらもって素直に嚥下できるが、今や娯楽の延長にすぎないスポーツの選手が国家を出汁に語るのはおこがましい。どうしてただただ自分のために必死だったと、もっと素直にホンネで語らないのか?お利口さんばかり。アアイヤダ。

五輪が終わっても帰国した選手を空港で取材したニュースや、メダルを獲得した選手が地元の自治体の首長らに報告に行く話などが繰り返され、いつまでたってもオリンピックの余韻は続く。冷めたスープを電子レンジで温めてもう一度味わうような出がらしのネタは勘弁してくれ!
大晦日の紅白歌合戦など最近は見る気も起きないが、きっと審査員などにもメダリストを引っ張り出してくるだろうし、2024年の重大ニュースをまとめた番組などでもどうせ五輪が多く取り上げられるだろうからこれからもまだまだ辟易させられそうだ。

しかもこれが終わればパラリンピック。夏は毎年めぐってくるが五輪が行われる年はなおさら鬱陶しくて暑苦しい。

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いっとき自分の写風をかなぐり捨ててEF5861と富士山を絡めた写真を撮ろうと躍起になった時期がある。1981年から82年にかけてのこと。何度も何度も富士山バックで撮れる三島~函南に赴いた。
だが、その発想は実にバカバカしいものだったと後になって気づくことになる。なにしろ頂上付近に雪をまとった富士山は当然、冬ならではの光景で、しかもそこそこの雪が積もるのは1月下旬から4月上旬の限られた期間、それも雲がかかってしまうことが多いばかりか少しでも暖かい日には(雲がなくても)霞んでしまう。また、下り列車撮影には良いポイントが少ないため狙い目は上り列車で、それも午前中でなければ光が悪く撮りに行く価値はない。こう列挙するとこれらの条件が揃いそうな日に、何度も何度もスケジュールを調整して出かけたのはおそらく一過性の病だったのだろう。

幸運を求めて61号機が午前の上り列車に充当されるとしばしば東名高速を沼津ICで下りた自分が、しかし単なる鉄の塊である機関車と富士山を絡めたところで、果たしてそれに何の価値があるのだろうと気づいたのは、それからまもなくのこと。例えれば好きな女の子とお花畑を絡めるような、アイドルをより可愛く見せる写真ならともかく、そもそも人の手によって造られた鉄道車両の大きな前面窓に惹かれただけなのに、雪を頂いた美しい富士山と一緒にしてはせっかくのチャームポイントは目立たないし、61号機自体がよりカッコ良く写るわけでもない。そう気づいた途端、自分はなんてバカなことにカネと時間を注いでいるのだろうとアホらしさがこみ上げてしまった。
だから、この時の反省が超望遠レンズの多用へとつながることになるが、長ダマこそが大窓の魅力をさらに引き立てると気づけば気づくほど、61号機がせっかく午前中の上り運用に充当されたチャンスを多々棒に振ってしまったことを大いに嘆いたものだ。空気の澄んだ真冬に上京する61号機、丹那トンネルの東側ならどこで撮っても順光だったのに、それを富士山をバックに配するなどと言う俗物的な発想に囚われて、自分好みのアングルで撮れたであろう絶好のチャンスを何度も無駄にしてしまった。バカの骨頂だ。

今回アップしたのは三島~函南まで出かけた挙げ句、最初は見えていた富士山が雲に隠れて玉砕。その後、場所を移動して撮った「お呼びじゃなかった」EF5868。61号機は下り列車でサイド気味に撮ったが富士山も見えず意気消沈。そもそも列車の手前に架線柱がかかるアングルなど自分だけだったら絶対にチョイスするはずはない。最初から下のようなアングルで仕留める方が前面に日が当たらないまでもはるかにベターだった。
本命の列車撮影が首尾良くいかず痛い思いを味わった後、こういう手堅いアングルで別の列車を撮っても浅ましいだけで少しも埋め合わせにはならない。ましてそれが唯一無二の61号機なのだからなおさらで「負けは負け」と潔く認め次の機会に期待をつないでサッサと帰ってくるべきだった。恥じ入る。
それでも40年以上たって国鉄時代に誕生した機関車が消滅しそうな今だから、あざといようだが「撮らないよりはマシだった」と開き直るべきなのか。世の中ではそれを強弁というのだが。

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2024年8月 1日 (木)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑬

8月に突入したが暑さはまだまだ続きそう。様々な方々から鉄道撮影に関する情報をいただいているが外へ出る気が起きず、申し訳ないと思いつつも全てパスしている。3日などは先がないEF65501が高崎~横川のSL列車に起用されるというが、とてもじゃないが炎天下に身を晒す気力も湧かない。あの短い区間にどうせ大勢のファンが押しかけ、それだけでも人熱れ(ひといきれ)でムンムンするだろうに、さらに、集まるのは目の色を変えた連中ときているのだからわざわざ3時間もかけてノコノコ参戦しても体力、気分ともにマイナスにしかなるまい。こんなことでは引退が間近といわれるカシオペア客車にせよ高崎の国鉄型機関車にしても、もう目にすることもなく終焉となってしまうかもしれないが、それでも後々後悔することはあるまい。

それにしても高校、大学の頃ってこんなに暑かったっけ?と思う。夏休みが待ち遠しく、いざ休みに入ったら大喜びで三脚を含めた機材を担いで電車利用であちこちに行ったもの。駅から少し距離のある撮影地にも徒歩で行っていたし、電車だってまだすべての車両に冷房など搭載されてはおらず、暑いには暑かったものの今のような灼熱は滅多に経験しなかった。それがこのところ天気予報で翌日の最高気温が40℃になるという予報さえ当たり前で、しかも熱中症アラートなどの警報まで発せられ救急搬送される人も日々後を絶たないようになってしまった。これはもはや「地球温暖化」などというぬるい表現は現実的ではなく、「地球炎熱化」などもっと強い表現を用いるべきではないか。

さらに気温だけでなく湿度が高い日も多く暑さが以前にまして不快となり、昔は窓を開けて扇風機だけで過ごした夏休みが信じられないくらい。今朝などは先に起床した妻が北海道・釧路の期間限定賃貸マンションの家賃をネットで調べているほど。寒さは何とかなるが暑さについては2人ともダメ。いよいよ本気で夏の東京を脱出する術を考えないと「人生百年時代」など絵に描いた餅でしかない。

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前の段落でもうすぐ消滅する高崎の国鉄型機関車の話を引き合いに出したが、現段階で発表されている来月のお別れ運転以降も何かしらの催しがあるらしい。高額展示会などは願い下げだが、もしフィナーレを飾るお別れ運転が続くのだったら、下手な惜別の文言が入ったマークの掲出などやめて、特にEF65501については東海道線時代のブルートレインのヘッドマークでも取り付けて走らせた方がふさわしいと考えるがいかがだろう。牽引する客車についてはせいぜい12系ぐらいしかマッチするものはないが、それでもこの元特急牽引機の引退を惜しむには良き演出だと感じる。

嘘か誠かはあずかり知らぬところだが、かつて東京機関区が廃止される際、ブルトレのヘッドマークは職員の手によって火事場泥棒的にほとんどが持ち去られたという噂も耳にしているから、もはや博物館にあるものしか残っていないのかもしれないが、わざわざ惜別のマークをこさえるくらいなら、レプリカでもその方が後々の展示などにも使えて利用価値は高いのではないか。

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1977年12月18日撮影の「銀河」牽引の54号機。まあ、書くべきコメントも見当たらないようなスタイルのEF58だが20系寝台客車とのマッチングは決して悪くなかった。客車の帯が白いからで、これが24系になって銀の帯だと白いHゴムとのマッチングが劣るから、これはまあ何とか咀嚼できた。

田町のホームは東京駅方は遠くのカーブから直線になって撮影しやすい反面、品川方は大きくカーブして編成の後部が見えず、ホームの先端に行くとまるでダメだった。そこでホームの中央付近でカメラを構えるように心掛けたが、それはそれで京浜東北線が停車していると全く撮れないというリスクを伴った。まあ、ダメなら東京駅から品川に戻る回送列車を待てば良いだけだから、それほどのことではないもののHゴムの機関車の場合、わざわざ田町に居残ってまで待つのは無駄で、さっさと片付けて帰りたかったから、こんなショットも結構残った。

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