61号機以外のEF58

2024年12月 1日 (日)

購入直後のブロニカで撮ったEF5853

一泊で湯河原に行ってきた。カメラも持たない安穏な旅。道路が空いていれば自宅から1時間半もかからない距離だから気楽だ。熱海や箱根、伊東となると外国からの客も含めて人が多く落ち着かないが湯河原だと静かに過ごせる。特に今回は湯河原でも奥の山あいに立地する宿だったからなおさらだったが、チェックイン前に食べた昼の鰻のコースが最高だった。

入ったのは富士屋旅館の瓢六亭という食事処。値段はそこそこするが前菜の鰻の煮こごり、刺身からして抜群。特にキンメ、ブリはこれまで食べた中で最高ランクだったし、メインの鰻土鍋ご飯膳はなかなかのもの。こんな言い方をすると自慢しているかのように受け取られかねないが、ここで鰻を食べたら市井のものは食べられないと思ったくらい。ホテルの夕食もそれなりにゴージャスだったが、うまい昼食のおかげで完全に霞んでしまった。いやはや食の世界は奥が深い。

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来月は道東でも釧路湿原を目指そうと予定を立てた。まだモモンガやワシのシーズンには若干早いが、ブラックフライデーとかのセールでお得なプランがあったため「ならば行くか!」となった。道東入りのほとんどが女満別空港を利用するが久しぶりの釧路空港経由。まだモモンガやワシの撮影シーズンには少しばかり早いが、行ってみれば何か収穫はあるだろうしホテルが釧網線沿いなので「SL冬の湿原号」ぐらいは撮れるはず。家で茫洋と過ごすよりは有意義だ。久しぶりに線路際に立つことになりそう。

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かつて前面に光が当たっていない状況下で大窓のEF58を撮影することには極力避けていたが、時間的な制約などやむを得ないない場合でも忸怩たる思いは強かった。茶色の61号機の場合は日陰になる前面がつぶれてもプリント時に多い焼きなどすれば、まあ許せるものもあったが、一般色の機体については撮影する前からろくな写真にならないだろうと諦観していたものだ。

これもその1枚。1978年8月26日の荷物36列車で場所は大井町~品川。しばらく前の「電気機関車EX」でEF66の「富士・はやぶさ」の写真を載せていただいたが、そこと同じポイントだ。
この日、実は新宿の「カメラのさくらや」でブローニー版のゼンザブロニカEC-TLを購入し、それで最初に撮ったのがこの写真。記憶によれば新宿の帰りに祖父母の家でカメラの箱を開け、フィルムを装填して大井町へと向かったことを思い出す。53号機が充当されることは知っていたから、この列車を「使い初め」にしようと考えた。左右逆像のウエストレベルファインダーに慣れていないことから手持ち撮影した結果、大きく傾いてしまいトリミングで水平にした。現像してみるまでもなくミスに気づいていたから、それを取り返そうと直ちに品川に向かい汐留から単機で戻ってくる53号機を撮り挽回しようと試みたが、やはり列車を牽いている姿でないと埋め合わせはできなかった。

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2024年11月27日 (水)

EF5866牽引のオールロネ団臨

朝起きたら右目の周囲に痛みを感じ鏡を見るとまるで「四谷怪談」のお岩さんのように腫れていた。年齢的にもいろいろ故障が出てもおかしくないので朝一番で眼科に行くと「ものもらい」の初期症状だという。小学生や中学生の頃、同級生などによく見られたものだが、原因は不衛生や睡眠不足などさまざま。いずれの原因も心当たりはあるが、大人になってからは周囲にそんな症状が出た人を見ないから「今さらなんで?」と感じたが、とにかくもらった目薬で回復を待つしかない。それでも試合でパンチを受けたボクサーのような面相を鏡で見る度、情けなくなってしまう。

パソコン作業がやや億劫だ。

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「電気機関車EX」の記事を書くために古い「鉄道ファン」を眺めていたらEF5889が茶色に塗り替えられた時の記事に目が留まった。国鉄末期、61号機の人気にあやかって塗り替えられたとのこと。ただ、記事の中に当時つらら切り付きのEF58の人気が高まっていたとあるのは事実なのだろうか。このころはEF58に蝟集する連中が増え、そんな中に首を突っ込むのが煩わしくなって撮影から一歩引いていた時期だから、そのような傾向は知らなかったが、自分には記憶がなく釈然としない。本来塗り替えられる予定だった109号機よりも、つらら切りのおかげで89号機に振り返られたことは以前から知ってはいたが、つらら切り装備車ってそれほどの人気があったのか???

当時の大宮工場には鉄道ファンの幹部がいて、その方の発案だったとも聞いたが、だとすれば彼のための提灯記事のようにも受け取れる。とにかく鉄道博物館には61号機より先に展示されることになってしまったわけで、けっきょく同じような色の同一形式が2両となったのは計画性が欠如していたとも映ってしまう(想像にすぎないが)。89号機などよりも収蔵するに値する(EF58ではない)別の車両があったような気がするが。

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古いネガのスキャンを再開したら、この写真を取り込んでいなかったことに気づいた。1978年11月7日に紀勢本線・白浜~朝来で撮影した10系オールロネのゴージャスな団体臨時列車(回送で列車番号は回8125列車)。

この編成は11月3日に宮原のEF5897によって上京し常磐線に向かった団体が乗車したもので、帰りは11月6日の東京発8101列車で東海道を下り紀勢線に入り、翌7日に白浜で客を降ろし紀伊田辺へと回送されたと記憶に残る。10系客車による団体列車はたまに運転されることはあったが、ロネのみの編成は珍しく授業を休んで紀勢線まで追いかけた。なかなか貴重な団臨だったと思うが、紀勢線内の写真は趣味誌にもあまり発表されなかったから単純に独りよがりに騒いでいただけなのかもしれない。天気が悪くリバーサルなどとても使える状況ではない中、ある人と現場に向かったことを記憶している。モノがモノだけに編成の側面がよく見えるような角度で撮ったのは当然と言えば当然。
後になって大窓の66号機が充当されたのは誰かが竜華機関区にお願いしたものだと聞いたが、だったらつらら切りのない22号機にして欲しかったと感じたことも忘れられない。

その後、30年以上して仕事でこの近くまで行ったときに車ですぐ横を通ったが、紀勢自動車道がほぼ真上を通るようになり撮影には不向きな環境となっていた。

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2024年9月10日 (火)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑰

妻に誘われ一泊で伊豆に行ってきた。特に目的はなく温泉に入り、美味い食事にありついてきた。当初は電車を利用しようと考えていたが、残暑が続いて乗り換えも面倒に感じマイカーを使った。伊豆方面に車で行くのはゴミゴミした熱海市内を抜けるのが嫌で、いつもは避けているが、日曜に下って翌日の午前中に帰るなら渋滞もなく、さほど苦にならないと考えたから。宿はなかなかゴージャスで快適。カメラも持たない旅は楽で、夏の疲れが少々癒えたようだ。

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団体列車の撮影に熱心だった頃、こういう「編成はイイ!」のに「牽引機がクソ!」だと、本当にガッカリしたものだ。まだ高校生の頃で、好きな機関車を好きな列車に充当してもらうようお願いすることなど考えもしなかった時代の写真。もちろん61号機が充当されることを期待していたが、そうは思うように行くはずもない。1977年7月31日撮影。

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2024年8月10日 (土)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑯

8日の日向灘を震源とする地震で気象庁が「南海トラフ地震臨時情報」が発表した。今後一週間以内に巨大地震が起きる可能性が平時よりも高まったということで、必ずしも地震が起きるというものではないが念には念を入れ昨日朝、備蓄用の水などを買い込んだ。長年、報道する側にいた身、大規模災害が起きれば人々がどう行動するかおおよそ見当がつくし、ましてや無職となったのだから時間はいくらでもある。いち早くできることをしたのは当然のことだ。

それにしても同じことを考える人は多く、開店と同時にスーパーの飲料水売り場はごった返していて驚いた。「一人1ケースにしてください」と書かれているのにいくつも買おうとして制止される人、何度もレジに並んで少しでもたくさん購入しようという主婦。なかなか面白い光景が繰り広げられていた。

帰りに車のガソリンも満タンにしておこうとスタンドに寄ったら、こちらはガラガラ。お盆休み前でもあるからもっと混雑しているかと思ったら平穏でビックリ。電気自動車が普及した影響もあるのだろうか? だとしても現状、電気自動車などは充電スタンドが足りないし、電力供給が滞ったら大変だと思うが、こればかりは自分が仕事をしていた時にそんな状況は見ていないから想像がつかない。電気自動車ってそういう意味ではまだまだ災害時に弱いのではないかと感じたが、果たしてどうなのだろう?

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1979年5月4日撮影のEF5830。このころ定期運用のなかった下関の4両のEF58の中の1台。以前の記事にも書いたが4両中、2両が大窓だったから事前情報がなくてもダメ元で見に行ったが、この日は「はずれ」だったわけ。
先台車が鋳鋼製というのが特徴だったが、下関にはほかに29号機という大窓のEF58が存在していたから、この30号機は全く注目されなかった。東京駅に早朝到着する8110列車で、14系客車を12両牽引して上ってきた。

東京駅の東海道線ホームは有楽町寄りも神田寄りもカーブしていて12両もの編成になるとすべてフレームに入れるのは難しく、入れようとするとホーム上にいる人間が入ってしまうこともあり、長い編成の撮影には不向きだった。

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2024年8月 7日 (水)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑮

今朝の朝日新聞の経済面にある、パリ五輪で報道陣が使用しているカメラに最近ソニーが増えたという記事。何を今さらと思った読者が多かったのではないだろうか。こんな話、リオ五輪以前から何度も書かれていた内容で今に始まった現象でもなく新鮮味に欠ける。写真入りで5段も割くような記事か? 

きっとこんな既視感のある記事を載せざるを得なかったのは株価の大幅下落や急激な円高で、経済部記者がそちらの取材に手いっぱいになって経済面を埋める記事が足りなかったからだろう想像してしまう。盆暮れは政治や経済界の動きがなくなるから事前にひまネタを仕込んで紙面を埋めるが、まだお盆まで少し時間があるから記者からデスクに記事が上がって来ず、早く提稿された中から慌てて仕立てたようにしか思えない。

それにしてもこんな話はとっくの昔に各社こぞって書いているし、朝日だってオリンピックのたびに掲載してきただろうに。邪推すれば何年か前の古い記事をひな形にして「〇〇五輪」を「パリ五輪」と書き換え、製品名を最新の機種に書き換えただけ。自分が勤めていた会社の記者もやっていたが、ネタを拾えないときに記者が急場しのぎでよくやる手だ。

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来週早々から長野への旅。毎度毎度、北海道も良いが、夏休みで混雑することもあって、静かな時期の北海道を知っている者としては何もそんなタイミングで行くこともなく、ならば気分を変えてたまには近場の信州も良いだろう。

もちろん信州とてこの季節多くの観光客が訪れるが、夏場の北海道は動物の動きも鈍くてあまり写真にならないから、そういう時こそまだ行ったことのない所に行っておけば見聞が広まる。長野の富山、岐阜県境付近はこれまで一度も訪れておらず、ひょっとしたらライチョウを見られる可能性もあるため、比較的早いうちからホテルを予約しておいた。夏毛のライチョウは決して見た目の良い鳥ではないが、北海道でエゾライチョウを撮ったこともあり、本家本元のライチョウのもとを「表敬訪問」したい。

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1980年2月23日、宇都宮で撮影した「八甲田」のEF58152。アルバイトの業務で宇都宮に行くことがあり、少し早めに家を出て駅でウロウロしたときのもの。この少し前から「八甲田」や「津軽」などの夜行急行も旧型客車が12系へと変わり、それ以前の田舎臭い編成から少しは近代化された。もちろん個人的には田舎臭い方旧編成の方が好みだったが普通席でもクーラーが効くようになったわけで、乗客にすれば夏場はずいぶん快適性が向上したと思われる。

すでにこのころはEF58は59号機を残して全機撮り終えていたから、宇都宮に行っても取り立てて興味を掻き立てるものはなかったが、自腹で交通費を払う必要がないのだから当然カメラを持参した。もちろん大窓のEF58など来るはずはなく、学生ながら出張の合間を楽しんだというわけ。
けっきょくEF58は全て撮れたが、東海道方面のものよりも東北、上越筋のものは撮影回数が圧倒的に少なく、中には1度しか撮っていない機体も多い。もともとEF58全機を撮るつもりなどなく、結果的に撮れてしまっただけだから絵的にろくなものは残っていない。

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2024年8月 4日 (日)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑭

テレビを見るとやっているのはオリンピックばかり。毎度のことながらウンザリする。そもそもオリンピック自体が好きでないが、報道する側の姿勢も相変わらずで、優勝したら褒めちぎり、負けても健闘を讃えるという、どちらにしても日本の選手を賞賛する美辞麗句ばかりで吐き気を覚える。1964年の東京大会のような時代じゃないのだから日本選手ばかりを応援するよりも、世界一流の選手の演技にこそ注目する場だと思うが、新聞を見ても写真は日本選手のものがほとんどで、「おらが県」の選手の活躍ばかりを喧伝する国民体育大会の新聞紙面と大差ない田舎臭さだ。
さらにメダルを獲得した選手が、さも日本のために頑張ったようなコメントを出すのもウンザリ。まもなく終戦記念日だが、特攻隊員だったり出征させられた人が語るなら涙すらもって素直に嚥下できるが、今や娯楽の延長にすぎないスポーツの選手が国家を出汁に語るのはおこがましい。どうしてただただ自分のために必死だったと、もっと素直にホンネで語らないのか?お利口さんばかり。アアイヤダ。

五輪が終わっても帰国した選手を空港で取材したニュースや、メダルを獲得した選手が地元の自治体の首長らに報告に行く話などが繰り返され、いつまでたってもオリンピックの余韻は続く。冷めたスープを電子レンジで温めてもう一度味わうような出がらしのネタは勘弁してくれ!
大晦日の紅白歌合戦など最近は見る気も起きないが、きっと審査員などにもメダリストを引っ張り出してくるだろうし、2024年の重大ニュースをまとめた番組などでもどうせ五輪が多く取り上げられるだろうからこれからもまだまだ辟易させられそうだ。

しかもこれが終わればパラリンピック。夏は毎年めぐってくるが五輪が行われる年はなおさら鬱陶しくて暑苦しい。

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いっとき自分の写風をかなぐり捨ててEF5861と富士山を絡めた写真を撮ろうと躍起になった時期がある。1981年から82年にかけてのこと。何度も何度も富士山バックで撮れる三島~函南に赴いた。
だが、その発想は実にバカバカしいものだったと後になって気づくことになる。なにしろ頂上付近に雪をまとった富士山は当然、冬ならではの光景で、しかもそこそこの雪が積もるのは1月下旬から4月上旬の限られた期間、それも雲がかかってしまうことが多いばかりか少しでも暖かい日には(雲がなくても)霞んでしまう。また、下り列車撮影には良いポイントが少ないため狙い目は上り列車で、それも午前中でなければ光が悪く撮りに行く価値はない。こう列挙するとこれらの条件が揃いそうな日に、何度も何度もスケジュールを調整して出かけたのはおそらく一過性の病だったのだろう。

幸運を求めて61号機が午前の上り列車に充当されるとしばしば東名高速を沼津ICで下りた自分が、しかし単なる鉄の塊である機関車と富士山を絡めたところで、果たしてそれに何の価値があるのだろうと気づいたのは、それからまもなくのこと。例えれば好きな女の子とお花畑を絡めるような、アイドルをより可愛く見せる写真ならともかく、そもそも人の手によって造られた鉄道車両の大きな前面窓に惹かれただけなのに、雪を頂いた美しい富士山と一緒にしてはせっかくのチャームポイントは目立たないし、61号機自体がよりカッコ良く写るわけでもない。そう気づいた途端、自分はなんてバカなことにカネと時間を注いでいるのだろうとアホらしさがこみ上げてしまった。
だから、この時の反省が超望遠レンズの多用へとつながることになるが、長ダマこそが大窓の魅力をさらに引き立てると気づけば気づくほど、61号機がせっかく午前中の上り運用に充当されたチャンスを多々棒に振ってしまったことを大いに嘆いたものだ。空気の澄んだ真冬に上京する61号機、丹那トンネルの東側ならどこで撮っても順光だったのに、それを富士山をバックに配するなどと言う俗物的な発想に囚われて、自分好みのアングルで撮れたであろう絶好のチャンスを何度も無駄にしてしまった。バカの骨頂だ。

今回アップしたのは三島~函南まで出かけた挙げ句、最初は見えていた富士山が雲に隠れて玉砕。その後、場所を移動して撮った「お呼びじゃなかった」EF5868。61号機は下り列車でサイド気味に撮ったが富士山も見えず意気消沈。そもそも列車の手前に架線柱がかかるアングルなど自分だけだったら絶対にチョイスするはずはない。最初から下のようなアングルで仕留める方が前面に日が当たらないまでもはるかにベターだった。
本命の列車撮影が首尾良くいかず痛い思いを味わった後、こういう手堅いアングルで別の列車を撮っても浅ましいだけで少しも埋め合わせにはならない。ましてそれが唯一無二の61号機なのだからなおさらで「負けは負け」と潔く認め次の機会に期待をつないでサッサと帰ってくるべきだった。恥じ入る。
それでも40年以上たって国鉄時代に誕生した機関車が消滅しそうな今だから、あざといようだが「撮らないよりはマシだった」と開き直るべきなのか。世の中ではそれを強弁というのだが。

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2024年8月 1日 (木)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑬

8月に突入したが暑さはまだまだ続きそう。様々な方々から鉄道撮影に関する情報をいただいているが外へ出る気が起きず、申し訳ないと思いつつも全てパスしている。3日などは先がないEF65501が高崎~横川のSL列車に起用されるというが、とてもじゃないが炎天下に身を晒す気力も湧かない。あの短い区間にどうせ大勢のファンが押しかけ、それだけでも人熱れ(ひといきれ)でムンムンするだろうに、さらに、集まるのは目の色を変えた連中ときているのだからわざわざ3時間もかけてノコノコ参戦しても体力、気分ともにマイナスにしかなるまい。こんなことでは引退が間近といわれるカシオペア客車にせよ高崎の国鉄型機関車にしても、もう目にすることもなく終焉となってしまうかもしれないが、それでも後々後悔することはあるまい。

それにしても高校、大学の頃ってこんなに暑かったっけ?と思う。夏休みが待ち遠しく、いざ休みに入ったら大喜びで三脚を含めた機材を担いで電車利用であちこちに行ったもの。駅から少し距離のある撮影地にも徒歩で行っていたし、電車だってまだすべての車両に冷房など搭載されてはおらず、暑いには暑かったものの今のような灼熱は滅多に経験しなかった。それがこのところ天気予報で翌日の最高気温が40℃になるという予報さえ当たり前で、しかも熱中症アラートなどの警報まで発せられ救急搬送される人も日々後を絶たないようになってしまった。これはもはや「地球温暖化」などというぬるい表現は現実的ではなく、「地球炎熱化」などもっと強い表現を用いるべきではないか。

さらに気温だけでなく湿度が高い日も多く暑さが以前にまして不快となり、昔は窓を開けて扇風機だけで過ごした夏休みが信じられないくらい。今朝などは先に起床した妻が北海道・釧路の期間限定賃貸マンションの家賃をネットで調べているほど。寒さは何とかなるが暑さについては2人ともダメ。いよいよ本気で夏の東京を脱出する術を考えないと「人生百年時代」など絵に描いた餅でしかない。

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前の段落でもうすぐ消滅する高崎の国鉄型機関車の話を引き合いに出したが、現段階で発表されている来月のお別れ運転以降も何かしらの催しがあるらしい。高額展示会などは願い下げだが、もしフィナーレを飾るお別れ運転が続くのだったら、下手な惜別の文言が入ったマークの掲出などやめて、特にEF65501については東海道線時代のブルートレインのヘッドマークでも取り付けて走らせた方がふさわしいと考えるがいかがだろう。牽引する客車についてはせいぜい12系ぐらいしかマッチするものはないが、それでもこの元特急牽引機の引退を惜しむには良き演出だと感じる。

嘘か誠かはあずかり知らぬところだが、かつて東京機関区が廃止される際、ブルトレのヘッドマークは職員の手によって火事場泥棒的にほとんどが持ち去られたという噂も耳にしているから、もはや博物館にあるものしか残っていないのかもしれないが、わざわざ惜別のマークをこさえるくらいなら、レプリカでもその方が後々の展示などにも使えて利用価値は高いのではないか。

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1977年12月18日撮影の「銀河」牽引の54号機。まあ、書くべきコメントも見当たらないようなスタイルのEF58だが20系寝台客車とのマッチングは決して悪くなかった。客車の帯が白いからで、これが24系になって銀の帯だと白いHゴムとのマッチングが劣るから、これはまあ何とか咀嚼できた。

田町のホームは東京駅方は遠くのカーブから直線になって撮影しやすい反面、品川方は大きくカーブして編成の後部が見えず、ホームの先端に行くとまるでダメだった。そこでホームの中央付近でカメラを構えるように心掛けたが、それはそれで京浜東北線が停車していると全く撮れないというリスクを伴った。まあ、ダメなら東京駅から品川に戻る回送列車を待てば良いだけだから、それほどのことではないもののHゴムの機関車の場合、わざわざ田町に居残ってまで待つのは無駄で、さっさと片付けて帰りたかったから、こんなショットも結構残った。

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2024年7月28日 (日)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑫

暑い。家から一歩も出たくないから、やらなければならないことも後回しにしている始末。
それでもまだ仕事を続けていたら、こんな暑さの中でも出勤しなければならなかったのだから大変だった。なにしろ自分が勤務していた会社は定年の60歳を過ぎて70歳まで働けるとはいえ、それができる環境にあるのにテレワークを認めなかったのだから不思議だ。家で仕事をするとサボる奴がいるという性悪説に洗脳された幹部ばかりで、お隣の電通が社屋も売り払って多くの職員が自宅で仕事ができるようにしたのに、そういう発想もないのだから時代遅れも甚だしい。仕事を続けていた頃、息子にそんな話をしたら笑われたことを思い出す。きっと延長雇用の職員が通勤途上、暑さで何人かぶっ倒れでもしないと考えを改めることはあるまいが、とにかく全てに渡って後手後手の会社だった。

ただ、そういう社風はほかでもあるはずで今後、サラリーマン(最近はくだらないことに男女差別を助長するという観点からか「サラリーマン」などと言わず「ビジネスパーソン」などと言うから笑ってしまうが、それはさておき)の方々は定年が延長された場合、通勤途中に倒れる人も増えるだろう。よく電車内で「車内でご気分が悪くなられたお客様の救護のため電車がストップしています」などというアナウンスがあるが、そういう事例がますます増えそうな暑さだ。バカ幹部達は「這ってでも会社に出てこい」と思っているのだろうが、体は正直だから自分自身で防衛しなければならない。

とにかく一昨年よりも去年、そして今年と年々暑さが厳しくなっているのか、はたまた加齢のために自分自身が暑さに弱くなっているのかは分からないが炎天下、迂闊に出歩いて倒れたら自分のようなひねくれ者から見れば「バカ」としか思われないだろう。無駄な外出は極力避けるべし。

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1979年11月、東海道本線の弁天島で撮影した荷物36列車のEF58118(米)。狭い架線柱の間をくぐるような場所で撮影したのは、このころまだ米原機関区所属のEF58を全機撮影していなかったこともあって、被りのない場所で確実に仕留めておきたかったからで、もちろん大窓でもない機関車そのものに拘りなどなかった。

前年に購入したゼンザブロニカは手持ちで使うと左右水平にしづらいウェストレベルファインダーで、しかも左右逆象になるため慣れるまでそこそこ時間がかかった。ブロニカを買うときにペンタックス6×7と大いに迷ったものだが、フィルムバックを交換(すなわちケースバイケースでモノクロからカラーに切り換えるなどフィルムを変更できた)できることが選択の決め手になった。
秋の太陽は低く、写真としてはまあまあの結果になったが、なにぶんこんな58ではねぇ…。

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2024年7月26日 (金)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑪

また大嫌いなオリンピックが始まる。先の東京大会では電通や博報堂などの談合問題があったばかりだが、どうせ今大会にも「世界の電通」が絡んでいるのだろうから、懲りずにまた多額の金銭が動いているのだろうと想像してしまうのもあながち的外れではないだろう。「五輪の経済効果」などといってもしょせん国民には還元されるわけでもなく、スポンサーや組織委などが甘い汁を吸うばかり。のんきな連中は、そんなことも考えずにテレビ観戦し、パブリックビューなどで大騒ぎを繰り返すのは今回も日の目を見るより明らかだ。

どうして日本人はこれほどオリンピックが好きなのだろう。ひょっとしたら1964年の東京大会の興奮がいまだくすぶっていて、あのときの残滓を引きずっているのかも。だけど「東洋の魔女」と言われて金メダルを獲った女子バレーなどは、そもそも大会の公式競技でもなかったものを、その前の世界選手権で優勝したために日本が強引に公式競技として認めさせたという事実を知らない人も多い。しかも女子バレーに参加したのはたったの6カ国。3勝もすればメダルに届くわけだ。おまけに試合直前になって北朝鮮が出場を辞退し、このままでは開催が危ぶまれることから、韓国に出場をお願いした上での結果だ。きっと韓国チームを招聘するに当たっても渡航費用や滞在費など諸々の金銭を使ったのだろう。

大半の国民はそんな経緯も知らず浮かれていたようだが、とにかくオリンピックにはそういったグレーな部分が多すぎて、のんきにアホ面下げてテレビなど見る気にはなれない。
ちなみに自分の五輪嫌いにはもう一つ理由があるが、そちらはまた別の機会に。

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先日、酒の席で知り合いのJR社員から「息子が鉄道ファンで、機関区の展示会に行きたいと言っているが、入場料が高いものが多くて行けないで嘆いている」との愚痴を聞いた。
それを聞いてこちらはのんきに「なら、お父さんが裏から手を回して入れてやればいいじゃない」と応えてしまったのだが、当たり前だがさすがに現実はそうはいかないらしい。そりゃ次から次へとあの手この手の車両展示会が開催されるわけだから一回で気が済むわけじゃなく、一度味をしめればまた行きたくなるのはファンとして当然。JR社員のお父さんとしても忸怩たるものを感じるのは無理あるまい。

翻って自分はもうJR旅客会社の国鉄型機関車もお終いだから暴利を貪るような車両撮影会などに参加することは絶対にあり得ないが、最近の鉄道ファンを対象にした撮影会やらツアーの価格を見ていると、このお父さんの嘆きもよく理解できる。
カシオペア25周年記念の小山往復ツアーの展望室プランが10万円超。高崎のC6120のナンバープレートを赤い色のもの付け替える交換体験イベントが36120円(最初の「3」が凄い)。こういうイベントの参加料は適正価格などないものだから、公正取引委員会の出る幕もなく、大して根拠のない値付けをしているようにしか見えず、それでも参加する人が多いことを見れば自ら喜んで詐欺に引っかかっている如くに映ってしまう。

まあ金があって、そんな価格でも参加したい人は参加すれば良いだけのことだが、こんな価格が「前例」となって当たり前になるとしたら弊害は残らないのか。個人的にはもはや鉄道撮影には本腰を入れる気もないから、「後は野となれ山となれ」の心境で眺めているが、良識のかけらもないような価格設定には(JR本体とは別会社ながら)企業としての知性を疑ってしまう。もともと前身は日本国有鉄道と言いながら当時でも時代錯誤の労働組合に牛耳られて解体された会社だから、社会的立場などに頓着せず恥を恥とも思わない風土が残っているのかもしれないけれどね。

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「お呼びじゃなかったEF58」に回帰。
前面の窓が大きいのに「お呼びじゃなかった」理由はあえて明記するつもりもないが、EF58ファンならご理解いただけるだろう。
だから66号機についても個人的な外観の評価は同様だが、この40号機が残っていた頃には自分が好きな「ひさしのない大窓機」も残っていたから、なおさらそんな気持ちが強かった。

これは阪和線の山中渓付近で走行シーンを撮った後に和歌山に着いたら、まだ駅に停車していたからホームを下りて撮影した画像。「お呼びじゃなかった」のにわざわざ撮影したのは、山中渓での首尾が悪く手前に雑草が入ってしまったため。結果、40号機についてはこれが最もまともなカットになってしまたということになる。
和歌山駅はホームの位置が微妙にずれていて、特に和歌山着の貨物列車などはホームの先端ギリギリに止まることが多く対向ホーム上からでは撮影できないケースもあって厄介だった。この写真撮影については駅関係者に断って地上に下りているが、望遠レンズを使えるほど機関車より前方に行くのは憚られた。まだ遠慮がちで素直な学生だったからだろう。

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2024年7月18日 (木)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑩

キヤノンの新型フラッグシップ機R1が発表され、価格が100万円を越えたことが話題になっている。
フィルム時代、カメラマンの憧れだったハッセルブラッドが当時の金額でボディのみ35万円程度で、かなり高額に感じたがR1はその約3倍。当時の物価と単純に比較はできないが、正直あきれているというのがホンネ。プロの写真家でも二の足を踏む値段だし、モデルサイクルからしても4年程度で新型が出るのだろうから、機材にそれほど投資するのも考えものだと思う。大方、マスコミ各社は五輪に合わせてすでに購入済みなのだろうが、メーカーはおそらくボディのみ70万円程度で販売しているにしても、もはや発行部数も激減している新聞の写真が劇的に良くなるはずもなく、そんなものに金を掛ける意味が理解不能。新しい機械を買えば写真が良くなると盲目的に飛びついても、撮影する人間がカメラの性能に頼り切っている現状、写真の向上など易々と図られるわけでもないだろうに。

現役時代、写真のセクションに職種転換者の連中が大挙して異動してきた。元は社有車の運転手や庶務要員だった方々。どちらも今ではじゅうぶんアルバイトでまかなえるような業務で庶務要員は「坊やさん」と呼ばれていたっけ。
彼らは組織の合理化に伴い、まともな試験も受けずに新聞記者やカメラマンになったのだが元来、希望してこれらの仕事にありついた人たちではないからやる気もなく、記事も下手だし写真すら撮ったこともない奴がほとんど。仕事の指示を出してもその2、3割程度の成果しか上げられずずいぶん泣かされた。それでも「石の上にも三年」、それなりの経験をして最近では年功序列でそこそこの役職には就いている。
しかし、元を正せばアルバイトしてカメラ1台買ったこともないような人ばかりで基本的には写真が好きだったわけでもなく、向上心のかけらもないものだからいつまでたっても中身はしれている。なのにカメラがデジタル化されオートフォーカスが実用に耐えうるようになったおかげで撮影での失敗だけは減り、今ではでかい面を晒しているのだから笑止千万。
新型カメラの発展は結構なことだがボディ1台が100万円もするカメラを会社から貸与され、「私は報道カメラマンだ!」などと胸を張ったとて、実態を知っている身にはおかしくて仕方がない。きっとそんな奴こそ定年後、「現役時代はどんなお仕事をされていたのですか?」と尋ねられたらきっと「報道カメラマンでした」などとほざくのだろうが、しょせん出自は会社の都合で職場を変えられた元運転手さんや庶務要員で、考えてみれば彼らほどカメラの発展による恩恵を被っている人たちはおるまい。

100万円を越えたカメラを一人につき2台ずつ与えりゃ失敗だって減るわな。それよりも撮った(撮れていた)写真の中から瞬時にベストのコマを選べ、やる気もないのに写真職場に配置された人間を巧く使いこなす、ポリシーを持ったエディターを育てる方が先決ではないか。
高価な新型カメラの発表を受け、そんなことまで考えてしまった。

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1980年5月3日の浜川崎でのショット。光の当たり具合から荷物の32列車だと分かる。ネガを見てもほかに大窓のEF58が写っているわけでもなく、何を撮りにここへ行ったかも分からなくなってしまった。
もちろん、わざわざこんなEF58を目的に行くはずもなく、この日の自分の行動が意味不明になっている。

198053

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