団体列車

2024年12月 4日 (水)

キヤノンの古い大口径レンズで撮った61号機

どこぞののんきな通信社がよその会社からの情報を確認せず記事を垂れ流し外交関係にまで影響するヘマをやらかした。他社からの情報を鵜呑みにして自社としての確認作業を怠って記事を配信したのだから呆れるばかりだが、これじや井戸端会議で聞いてきた噂話をまことしやかによそで吹聴するおばさんと同じじゃないの。

それでも人のやること、予想を超えたミスが起きるのも現実。要はこの先、マスコミとしてこれほどの誤報をしながら幹部がどう責任を取り関係者にどんな処分を下すのかが見もの。ほかの業種で商品に異物が混入するなど不良品を流通させたり、あるいはデータの偽装が見つかれば激しく非難する側が、自分の会社の基幹商品である配信記事に重大な間違いがあれば社長の辞任も不思議ではない。水谷という社長が外務省など当事者に謝罪して回っているようだが、それで終わりにするとしたら報道機関としての信用も地に落ちる。このままダラダラと年を越し、新年の挨拶でこういう問題を繰り返さないよう檄を飛ばせば社長に居座れると思っているんじゃないだろうな。

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国際会議での「外交マナー」について「私自身、足らざる部分が多々あったと認識している。謙虚に真摯(しんし)に受け止め、改善に努めなければならないと痛感している」と国会で発言した石破首相。立憲民主党の小川淳也幹事長への答弁。

まあ与野党伯仲の情勢下にあって真摯に議論を交わすのは当たり前だが、マナー云々についていえば国家議員全体が国民の期待を裏切っているわけで、政治家として「国民へのマナー」はどうなっているのか問いたいものだ。しょせん同じ穴の狢。質問者側もいい気になってんじゃねえよと思いながら国会中継を見ていた。

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NHKが火曜日に放映している「うたコン」。昨日3日は石原裕次郎のヒット曲特集だったが、昔からこの男のどこが良いのか理解に苦しんでいた者としては、食事時にこんなデブがいい気になって歌っている古い映像にウンザリしてしまった。
まあ、昔の方々にとってはスターなのだろうが、「西部警察」時代から糖尿病のごとき膨満した人物がカッコつけていることに違和感をもっていた身としては相変わらず理解不能。かと言って最近の、どいつもこいつも同じような顔をした兄ちゃんたちも御免こうむりたいが。

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特段、記す必要もない成田山初詣臨に充当されたEF5861。キヤノンの古くぼろい大口径レンズで撮ったもの。ナンバーや連結器周辺など、強く朝日が当たったところににじみが目立つ。

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2024年11月27日 (水)

EF5866牽引のオールロネ団臨

朝起きたら右目の周囲に痛みを感じ鏡を見るとまるで「四谷怪談」のお岩さんのように腫れていた。年齢的にもいろいろ故障が出てもおかしくないので朝一番で眼科に行くと「ものもらい」の初期症状だという。小学生や中学生の頃、同級生などによく見られたものだが、原因は不衛生や睡眠不足などさまざま。いずれの原因も心当たりはあるが、大人になってからは周囲にそんな症状が出た人を見ないから「今さらなんで?」と感じたが、とにかくもらった目薬で回復を待つしかない。それでも試合でパンチを受けたボクサーのような面相を鏡で見る度、情けなくなってしまう。

パソコン作業がやや億劫だ。

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「電気機関車EX」の記事を書くために古い「鉄道ファン」を眺めていたらEF5889が茶色に塗り替えられた時の記事に目が留まった。国鉄末期、61号機の人気にあやかって塗り替えられたとのこと。ただ、記事の中に当時つらら切り付きのEF58の人気が高まっていたとあるのは事実なのだろうか。このころはEF58に蝟集する連中が増え、そんな中に首を突っ込むのが煩わしくなって撮影から一歩引いていた時期だから、そのような傾向は知らなかったが、自分には記憶がなく釈然としない。本来塗り替えられる予定だった109号機よりも、つらら切りのおかげで89号機に振り返られたことは以前から知ってはいたが、つらら切り装備車ってそれほどの人気があったのか???

当時の大宮工場には鉄道ファンの幹部がいて、その方の発案だったとも聞いたが、だとすれば彼のための提灯記事のようにも受け取れる。とにかく鉄道博物館には61号機より先に展示されることになってしまったわけで、けっきょく同じような色の同一形式が2両となったのは計画性が欠如していたとも映ってしまう(想像にすぎないが)。89号機などよりも収蔵するに値する(EF58ではない)別の車両があったような気がするが。

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古いネガのスキャンを再開したら、この写真を取り込んでいなかったことに気づいた。1978年11月7日に紀勢本線・白浜~朝来で撮影した10系オールロネのゴージャスな団体臨時列車(回送で列車番号は回8125列車)。

この編成は11月3日に宮原のEF5897によって上京し常磐線に向かった団体が乗車したもので、帰りは11月6日の東京発8101列車で東海道を下り紀勢線に入り、翌7日に白浜で客を降ろし紀伊田辺へと回送されたと記憶に残る。10系客車による団体列車はたまに運転されることはあったが、ロネのみの編成は珍しく授業を休んで紀勢線まで追いかけた。なかなか貴重な団臨だったと思うが、紀勢線内の写真は趣味誌にもあまり発表されなかったから単純に独りよがりに騒いでいただけなのかもしれない。天気が悪くリバーサルなどとても使える状況ではない中、ある人と現場に向かったことを記憶している。モノがモノだけに編成の側面がよく見えるような角度で撮ったのは当然と言えば当然。
後になって大窓の66号機が充当されたのは誰かが竜華機関区にお願いしたものだと聞いたが、だったらつらら切りのない22号機にして欲しかったと感じたことも忘れられない。

その後、30年以上して仕事でこの近くまで行ったときに車ですぐ横を通ったが、紀勢自動車道がほぼ真上を通るようになり撮影には不向きな環境となっていた。

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2024年11月 8日 (金)

上越・羽越線経由のカシオペア運転

あの宮内庁が101歳になる三笠宮百合子の容態が悪化したと発表した。入院後、8カ月にもなって、ここへ来てこのような発表があると言うことは延命措置を中止するという意味と解釈できる。英国訪問中の孫の彬子も帰国するからには、数日の間に死去が発表されるものと考えられる。

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11月30日の秋田行きカシオペアツアーは久しぶりに上越、羽越線経由で運転されるとの話を頂いた。それによると上野発の時刻は22:30~23:00の間らしく、上越線内での走行シーン撮影は難しいながらも、おそらく前補機にEF641000が使用されるであろうとのことで、久しぶりの機関車重連による長い編成の客車列車となるもよう。秋田着が翌朝の11:00頃となっているため、途中駅(おそらく羽越線内の駅)では長時間の停車が行われるはずで、昨今は面白いネタのない撮り鉄には久しぶりに注目されることだろう。特に返し(復路の回送)のスジは気になるところで、往路と同じ経路であるなら上越線内で撮れるかどうか気になるが、日没の早い季節ゆえ微妙だろう。

個人的に面白いと思っているのはツアーのコースの中に岩手県・湯川温泉の高級旅館「山人(やまど)」が入っているところ。ここはどの部屋にも温泉があり、食事も貸し切り露天風呂(時間制)も素晴らしく、そのもてなしの良さに惹かれ何度も訪れたところ。今年も4月に行ったが、このコースを選んだ人はきっと満足するはずだ。

今や無職の身。カシオペアの運転時刻によってはひさしぶりに撮影に行っても良いかとも考えているが、重い腰が上がるかどうかは天気と気分次第だ。

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2024年10月15日 (火)

「あまぎ」とすれ違う61号機(「あまぎ」に被られた61号機牽引の列車)

強烈な体調不良でここしばらく何もできず、そのうえもはや関心の薄れた鉄道のブログを更新するどころではなかった。連休が重なり病院もやっておらず、ようやく今日になって薬をもらえて多少回復し久しぶりにブログを開いたところ、更新が途絶えていたにもかかわらず多くの方々がアクセスしてくれたようで、ようやくやる気が出てパソコンに向かった。
ザッと言えば食べたものの中に異物が入っていたことが原因らしく、数日前の夜中などは吐き気が酷く、血液まじりの吐瀉物が出て焦ったがどうにか落ち着き普段の生活に戻りつつある。

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それにしても本日、医者に処方してもらった薬を薬局に受け取りに行ったら、前の高齢男性がジェネリック薬品についての知識が無く、根掘り葉掘り薬剤師に質問しまくっていて30分も待たされてしまった。体調が悪く、早く薬を飲みたいと待っている患者が並んでいることなど眼中にないらしい。皆、呆れた顔をしてイライラしているのが手に取るように分かる。薬剤師もお年寄りゆえか、丁寧に仕組みを解説するのだが、説明を後回しにするような気が利かない。よくバスに乗った後で財布から料金を出す人や、飛行機に乗り込んで、後に続く客のことなどお構いなく自分の荷物を棚に上げるのに時間をかけている人よりも場所が場所だから頭にくる。

折しも総選挙が公示され薬局のすぐ外では立候補者が演説していたが、こういう一般常識や社会情勢に疎い連中が自民党の裏金議員に投票してしまうのだろう。国会議員もロクでもないが、こういう有権者も同様。政治家が悪いのはイコール有権者の多くがバカだから。自分が住んでいる街の民度を目の当たりにして帰宅した。

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以前にも使った画像だが、パソコンのデスクトップにあったので再掲した。

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2024年10月 8日 (火)

京都駅のDD51お座敷列車

石破首相が裏金問題の議員を次の選挙で非公認とするなどとしたことで自民党議員の一部から不満が出ているようだが、そもそも党が下した処分が甘すぎて国民が納得していないのだから、この程度のことは当たり前。これに対して不満を言うようでは国民に「寄り添っている」(大嫌いな言葉だが)とは言えず、日々報道される記事の中で、誰がそんな発言をしているかチェックしている。

国会での論戦をするまでもなく衆院解散を決断した石破首相には多少失望したものの、裏金議員を非公認とする、あるいは比例代表との重複立候補は認めないとの方針は評価に値する。中には平沢勝栄氏のように総裁選で応援してもらって恩義がある議員も存在するだろうが、いくら仲良しグループであっても切るときは切るくらいの覚悟は必要で逡巡はあるとしても、そこは一国の首相として毅然と筋を通してもらいたいもの。

一方、対象となりうる議員の中には今の段階で不満を爆発させれば、それが報じられて27日の投票に悪影響が出ることを恐れて発言を控えている者も多いはずだから、選挙が終わった後に彼らの不満はもっとあからさまになるだろう。そうした中、裏金問題が多く発覚した安倍派議員から多数の支援を受けた高市早苗がどう動くかは注目で、同派の議員が大挙して議席を失えば今後、首相の芽は潰れるも同然。自民党を出て新党でも結成するかも。なかなか面白い展開になりそうな気配を感じる。

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1978年3月16日、京都駅で撮ったDD51のお座敷列車。機関車の所属は福知山だったが、草津線方面から乗り入れてきたように記憶している。すでに客は降車して構内の留置線に転線したシーン。

この頃はEF58以外の機関車がお座敷列車を牽いてもあまり注目することはなかったから、京都駅でこの列車を見かけてちょっとばかしラッキーだと感じたものだった。しかし今となっては団体旅行という形態はあっても、列車を仕立てるようなツアーは果たしてどれだけあるのだろうか。お座敷列車など車内で宴会をしながら目的地に向かったのだろうから、町内会の面々や職場の仲間など顔見知りが多かったはず。今やそんな濃い人付き合いはご免蒙りたい人が増え、こんな列車が国内各地で走っていたことに隔世の感を覚える。

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2024年9月10日 (火)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑰

妻に誘われ一泊で伊豆に行ってきた。特に目的はなく温泉に入り、美味い食事にありついてきた。当初は電車を利用しようと考えていたが、残暑が続いて乗り換えも面倒に感じマイカーを使った。伊豆方面に車で行くのはゴミゴミした熱海市内を抜けるのが嫌で、いつもは避けているが、日曜に下って翌日の午前中に帰るなら渋滞もなく、さほど苦にならないと考えたから。宿はなかなかゴージャスで快適。カメラも持たない旅は楽で、夏の疲れが少々癒えたようだ。

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団体列車の撮影に熱心だった頃、こういう「編成はイイ!」のに「牽引機がクソ!」だと、本当にガッカリしたものだ。まだ高校生の頃で、好きな機関車を好きな列車に充当してもらうようお願いすることなど考えもしなかった時代の写真。もちろん61号機が充当されることを期待していたが、そうは思うように行くはずもない。1977年7月31日撮影。

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2024年8月 4日 (日)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑭

テレビを見るとやっているのはオリンピックばかり。毎度のことながらウンザリする。そもそもオリンピック自体が好きでないが、報道する側の姿勢も相変わらずで、優勝したら褒めちぎり、負けても健闘を讃えるという、どちらにしても日本の選手を賞賛する美辞麗句ばかりで吐き気を覚える。1964年の東京大会のような時代じゃないのだから日本選手ばかりを応援するよりも、世界一流の選手の演技にこそ注目する場だと思うが、新聞を見ても写真は日本選手のものがほとんどで、「おらが県」の選手の活躍ばかりを喧伝する国民体育大会の新聞紙面と大差ない田舎臭さだ。
さらにメダルを獲得した選手が、さも日本のために頑張ったようなコメントを出すのもウンザリ。まもなく終戦記念日だが、特攻隊員だったり出征させられた人が語るなら涙すらもって素直に嚥下できるが、今や娯楽の延長にすぎないスポーツの選手が国家を出汁に語るのはおこがましい。どうしてただただ自分のために必死だったと、もっと素直にホンネで語らないのか?お利口さんばかり。アアイヤダ。

五輪が終わっても帰国した選手を空港で取材したニュースや、メダルを獲得した選手が地元の自治体の首長らに報告に行く話などが繰り返され、いつまでたってもオリンピックの余韻は続く。冷めたスープを電子レンジで温めてもう一度味わうような出がらしのネタは勘弁してくれ!
大晦日の紅白歌合戦など最近は見る気も起きないが、きっと審査員などにもメダリストを引っ張り出してくるだろうし、2024年の重大ニュースをまとめた番組などでもどうせ五輪が多く取り上げられるだろうからこれからもまだまだ辟易させられそうだ。

しかもこれが終わればパラリンピック。夏は毎年めぐってくるが五輪が行われる年はなおさら鬱陶しくて暑苦しい。

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いっとき自分の写風をかなぐり捨ててEF5861と富士山を絡めた写真を撮ろうと躍起になった時期がある。1981年から82年にかけてのこと。何度も何度も富士山バックで撮れる三島~函南に赴いた。
だが、その発想は実にバカバカしいものだったと後になって気づくことになる。なにしろ頂上付近に雪をまとった富士山は当然、冬ならではの光景で、しかもそこそこの雪が積もるのは1月下旬から4月上旬の限られた期間、それも雲がかかってしまうことが多いばかりか少しでも暖かい日には(雲がなくても)霞んでしまう。また、下り列車撮影には良いポイントが少ないため狙い目は上り列車で、それも午前中でなければ光が悪く撮りに行く価値はない。こう列挙するとこれらの条件が揃いそうな日に、何度も何度もスケジュールを調整して出かけたのはおそらく一過性の病だったのだろう。

幸運を求めて61号機が午前の上り列車に充当されるとしばしば東名高速を沼津ICで下りた自分が、しかし単なる鉄の塊である機関車と富士山を絡めたところで、果たしてそれに何の価値があるのだろうと気づいたのは、それからまもなくのこと。例えれば好きな女の子とお花畑を絡めるような、アイドルをより可愛く見せる写真ならともかく、そもそも人の手によって造られた鉄道車両の大きな前面窓に惹かれただけなのに、雪を頂いた美しい富士山と一緒にしてはせっかくのチャームポイントは目立たないし、61号機自体がよりカッコ良く写るわけでもない。そう気づいた途端、自分はなんてバカなことにカネと時間を注いでいるのだろうとアホらしさがこみ上げてしまった。
だから、この時の反省が超望遠レンズの多用へとつながることになるが、長ダマこそが大窓の魅力をさらに引き立てると気づけば気づくほど、61号機がせっかく午前中の上り運用に充当されたチャンスを多々棒に振ってしまったことを大いに嘆いたものだ。空気の澄んだ真冬に上京する61号機、丹那トンネルの東側ならどこで撮っても順光だったのに、それを富士山をバックに配するなどと言う俗物的な発想に囚われて、自分好みのアングルで撮れたであろう絶好のチャンスを何度も無駄にしてしまった。バカの骨頂だ。

今回アップしたのは三島~函南まで出かけた挙げ句、最初は見えていた富士山が雲に隠れて玉砕。その後、場所を移動して撮った「お呼びじゃなかった」EF5868。61号機は下り列車でサイド気味に撮ったが富士山も見えず意気消沈。そもそも列車の手前に架線柱がかかるアングルなど自分だけだったら絶対にチョイスするはずはない。最初から下のようなアングルで仕留める方が前面に日が当たらないまでもはるかにベターだった。
本命の列車撮影が首尾良くいかず痛い思いを味わった後、こういう手堅いアングルで別の列車を撮っても浅ましいだけで少しも埋め合わせにはならない。ましてそれが唯一無二の61号機なのだからなおさらで「負けは負け」と潔く認め次の機会に期待をつないでサッサと帰ってくるべきだった。恥じ入る。
それでも40年以上たって国鉄時代に誕生した機関車が消滅しそうな今だから、あざといようだが「撮らないよりはマシだった」と開き直るべきなのか。世の中ではそれを強弁というのだが。

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2024年7月 5日 (金)

お呼びしたかったEF58

4月から6月の北海道はさまざまな動物や鳥が子どもを産み、育てる姿があちこちで見られる季節。それを楽しみに5、6月と続けて遠征したが、キタキツネに始まりエゾシカ、クマゲラ、アカゲラ、ラッコなどの子育て風景を見ることができた。キツネやクマゲラはそろそろ親離れが近くなっていて、自分で餌を探す練習を始めているが、まだ親の手助けも必要で親子一緒の姿がほほ笑ましかった。こういう光景を見ているとやはり母親の存在は大きいと改めて感じる。父親が子育てに参加するものもいるが大抵の場合は母親が主で、子どもが父親よりも母親を慕うのは人間同様。なんだか過去の自分を見ているようだった。

ところで動物の子どもはいったん親離れして独り立ちすると、大きくなって親と会っても子どもは相手を親と認識できるのだろうか。ペットの犬や猫は何年たっても忘れないのかもしれないが、野生動物の場合は生存競争もあるから敵視するのではないかなどと考えながら撮影していた。
だから、そう思うと親の介護で苦労するのはやはり人間ならではのものではないかと感じるのだが、果たしていかがなものだろうか。撮影しながらそんなことに思いをはせている。

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旅行中、根室を訪れた。日本の東端の駅(正確には東根室だが)として全国的に有名だが駅舎そのものは非常にチャチ。もはや優等列車も運転されず、一日に6往復の列車しかないのだから当然と言えば当然だが、それにしても中学2年生のときに訪れて以来、少しは変わったかと思ったら駅に関してはますます寂れてしまったように見受けた。昔、蒸気機関車時代はターンテーブルもあって少しは活気があったが、今や列車の発着時以外は閑散として人の気配もない。観光客も列車を利用する人などいないからなおさらだ。
霧多布岬にラッコを見に行って霧が深かったため風蓮湖や春国岱を見て、昼食を取ろうと寄ったが、こと駅周辺は知名度の高い市の割には閑散としていた。

鉄道ファンにとっては落石と別当賀の間、海沿いを走る場所が有名で夕方の光線を浴びた気動車の写真が数多く発表され、時間があれば寄ってみても良いかとも思ったが宿泊するのが浜中町で少し離れているため多少時間を要するし、今さら手垢にまみれた場所で他人の猿まねのような写真を撮るほどの価値もあるまいと判断し断念した。
考えてみればすでに20系気動車は無論、少しでも関心を引く車両もないのだから風景写真を撮るようなもの。今後、新しい車両が投入されたとしても風景主体の写真なら車両が何であっても構わないのだから慌てて撮る必要はない。もちろん「廃線」という可能性も残るが、それにしたって義務的な列車撮影に時間を割くのはもったいないだろう。

最近、俯瞰撮影をはじめロングで風景を多く入れて車両がどこにあるか分からないような写真が雑誌等で多く見られるのは、まさに車両としての魅力に欠けるものばかりになったことの証でもあるのだろうか。

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不細工なEF58の画像はまだまだ続けるつもりだが、さすがにいったんまともな機体もアップして「口直し」といきたい。

1978年7月15日、東京駅で撮影した下関運転所配置のEF5831。大窓のEF58の魅力に気づかされた機関車で、EF58撮影にのめり込んだのは前年2月に、この機関車が牽くオール10系寝台客車の団体臨時列車を根府川で撮影したことが始まり。
このころ下関に配置されていた4両のEF58は定期運用を持たず臨時列車でしか見られなかったが、この月は毎週のように3回続けて、この31号機が東京までやって来た。

東京駅の12番線は機関車が機回しに使用することも多く、下手な機関区よりも形式写真風に撮るのに適していたように思う。ただしこの東京駅を12時半すぎに出発する8111列車では太陽がほぼ真上に来るため夏場はトップライトとなるのが残念だったが。

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2024年6月 6日 (木)

関ヶ原のEF5861と高崎の機関車消滅の話

注文していたパソコンが伝えられていたよりも4日も早く届き、設定に夢中になっていた。OSがウインドウズ11になって戸惑うかと思っていたがハードルは思っていたよりも低く、比較的楽に進んだものだからいい気になって、明日から長野に旅行に行くというのに急がずとも良いことまで手を付けてしまった。今使っているパソコンにもウインドウズ11をインストールしても良いかもしれない。

しかしこの新しいOSで最も気にかかるのがワンドライブという機能。設定を切らなければマイクロソフトのクラウド上に(自分が)作成した文書などが保存されてしまう。ところがその容量がたったの5GB。だからすぐに容量を超えてしまい、その容量を増やすために課金するよう求められる。その設定が出荷の段階からONになっているものだから、そのことを知らなければ、別のパソコンから移行した画像などですぐにいっぱいになって課金しろとのメッセージが画面に繰り返し現れる。

幸いこのことを前もって知っていたから、設定が一通り終わった段階でワンドライブとの連携を断ったが、それでもすでに4GB近くを使用していたのだから、これまでのウインドウズ10のようにRAW現像した画像をデスクトップなどに放置しているわけにはいかず、整理が苦手な自分としてはうっかりできない。
また、もう一つは新しいノートPCの画面が明るすぎて、すでにブログにアップしている画像が露出オーバーに見えてしまうこと。今回の画像は従来のもので作成しアップしたが、ノートPCではかなり明るく見えてしまう。従来機はEIZOのカラーモニターにつないで作業しているが、そのへんの落としどころを見極めるのが難しくなりそうで、今後頭を痛めることになるかもしれない。

それにしてもマイクロソフトはウインドウズ10が最後のバージョンになると言っていたのに「11」を出し、さらにはもう「12」の噂まで出ている。そしてその「12」からはサブスクリプションになるかもしれないというのだから、それが本当ならたまったものではない。
まあ5年くらいは先のことになろうかと思うが、進歩すること自体は良いとにしても、例えばコンパクトなデジタルカメラでじゅうぶん満足している人に高級ミラーレスカメラを押し付けるが如き戦略で、自分にとって不要なものにまで金を払わなければならない時代が来るとしたら迷惑でしかない。

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1980年7月27日、関ヶ原で撮影したEF5861牽引の8102列車。宇都宮学園修学旅行の団臨。
この列車22日に8107列車のスジで品川から岩国まで下り、乗っていた学生は広島や大阪へ寄ってこの日に戻ってきたわけだが、24日に8302列車で瀬野八を越えるための後補機が写る瀬野西トンネルで撮りたく、東京機関区の方にお願いして61号機を当てていただいた。

瀬野八で撮った写真はいくつかの雑誌にも掲載していただいたが、ほかにも山崎やこの関ヶ原でも写真が撮れるとあって、このA126仕業は撮影する身にとって非常にありがたい運用だった。いずれの場所も晴天には恵まれなかったものの、雨には降られず瀬野八ではカラーも撮れたのだから上等。

関ヶ原のこの築堤はだいぶ前から、ここでペンタックスの6×7に200mm(35mm換算で100mm)を付ければ61号機を撮るのにちょうど良いと感じていたポイントだった。単線で架線柱が列車にかかるのは仕方ないとして、名所で撮れたことを喜んだものだ。

それにしても夏も盛りの7月24日。昔から有名な撮影地ではあるものの当時、ここを訪れる人は少なかったように記憶しているが、それでも線路際の雑草が列車の足回りを隠さない程度に刈られていたのだから、さすが主要幹線だけのことはある。JRとなった今はどんな状況になっているのか知らないが、夏場にこんな場所に初めて訪れるような賭けには出たくない。

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ところで本日、JR東日本高崎支社が今秋、高崎支社のELとDLの営業運転を全て終了すると発表した。
まあ誰もが予想していたことだから今さら驚くようなことではないが、SL列車の補助機には電気式気動車のGV-E197系が使われるとのことで、個人的にはSLを2両使うわけにはいかないのかと思うし、そこまでしてSLを走らせることもないだろうと思うのだが。

これに伴い9月以降、ELやDLを使った臨時列車が計10往復設定されるらしいが、まあ大変な騒ぎになることになるだろう。群馬県警などはピリピリしているはず。

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2024年5月26日 (日)

茶色時代のEF6437

このところ鉄道撮影からご無沙汰している身でも周囲の方々から耳にする話はいろいろとある。もはや現役の鉄道ファンではない者にとってその情報は玉石混交だが先日来、聞こえてくるのは「カシオペア」のE26系客車は次回の検査を通さないという話。そこでお手軽にウィキペディアで調べたところ製造年が1999年だから、これまで消えていった車両と比較した場合、まだ使用できるのではないかと感じるのだが、この話がもし事実になるのであれば見えてくるのは客車の老朽化よりも牽引する機関車を淘汰したいという思惑。そう考えたら確かに合点のいくわけでまんざら噂だと片付けるわけにはいかない気もしてきた。

そんなわけで昨日の「カシオペア」を撮りに行こうと思ったわけだが、けっきょく重い腰は上がらずパス。そろそろ撮影現場ではこの話も広まりつつあるとするならば人も多いわけで、しかも事前に牽引機がEF8180と知ってしまったし、どうせ行く場所も大宮以南なのだから目新しくもない。何だかんだと「行かない理由」をひねり出してしまった。ただ、消滅してから後悔するのが常の自分としては時間もあることだし、そろそろ動物撮影用に購入したレンズなどを使ってみたいという思いも芽生え始めている。

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今回はこんな画像で食いつなぐ。2014年10月に撮影したEF6437。
茶色の車体色がそろそろもともとの国鉄色に戻されるのではないかとの噂が出始めたころのもので、EF65501とのプッシュプルで臨時運転されたときのもの。使用したカメラを確認したらニコンD4sだからもう10年近く前のものになる。フィルム時代はカメラを10年程度使うのは当然の話だったがデジタルカメラ全盛となった今では昔の話。この後にD5、D6、D800、D810、D850などのフルサイズ版とD7000やD7100も導入したのだから非常に贅沢になった。この絵を撮ったD4sは報道の仕事をしていた身としては何かの際に使えるよう、車のトランクに放り込んだままだからまだ手元にはあるが、この先果たして使うことはあるのか疑問だ。

再掲したこの写真、機関車の前傾を垂直にするべきなのだが、やはり少し倒れ掛かっているように見えせる方がスピート感が出る。撮影時のままだが、こういう点にも拘っていたことを思い出す。(これはローリングシャッターの影響もあるのか? 近いうちにZ9でも試してみたい)

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