ディーゼル機関車

2025年11月14日 (金)

鉄道仲間たちとの旅の準備

さて明日は若いころから鉄道写真を撮り続けてきた仲間たちとの旅行。今のところ15、16日両日ともに天気は良さそう。紅葉のピークは過ぎてしまったかもしれないが、まだ十分楽しめそうで2年ぶりの会津を堪能して来たいと思う。ただ自分が行く場所は毎度おなじみのところばかりだから、今回はM氏の車に乗せていただいて、普段行くことのないポイントでカメラを構えるのも楽しいだろう。
先週の運転ではC57180が山都の先、慶徳峠を上ることができず(砂箱だか砂撒き管のトラブルらしい)途中で運転打ち切りになったらしいが、今回もそんなことが起きないよう願っている。

実は自分の車で行って、SL撮影の前にツキノワグマでも撮ってみようかという考えも浮かんだが、昨今出没数が多いとはいえ必ず出会える相手でもないから、無駄に時間を費やすのもバカらしくSL撮影に専念することにした。ただし念のためクマ撃退スプレーは持参するつもり。

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写真は1995年11月下旬、磐越西線の山都付近での撮影。客車列車がなくなるときのお別れ運転。
当時は一時的にキヤノンのEOS1も使っていて、これは300ミリ、F2・8で撮ったもの。メインはニコンの500ミリで、珍しく2台のカメラを使った。と言うのもキヤノンに対する信頼性が低く、万が一のことを考えての体制だった。リバーサルフィルムのベルビアでの撮影。
けっきょくキヤノン製品もなかなか素晴らしかったもののシャッター音などがどうも気に食わず、しばらくして「休車」となってしまった。

今回の鉄道仲間たちとの旅よりももう少し秋が進んだ時期だが、きっとこの程度の光線状態で撮影できるだろうと、準備のため古い写真を引っ張り出して確認してみた。

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2025年11月 8日 (土)

五稜郭機関区のDD51

年内の旅行は鉄道仲間との会津行きを含めあと3回。いずれも行先は本州内だが、マイレージがかなりたまっているので本格的に雪が降る前に、あと一回北海道に行こうかどうか迷っている。と言うのも先日の知床旅行でヒグマの撮影者が例年よりも少なく、のんびりとシマフクロウを探せそうだから。

羅臼岳のヒグマ事故で撮影に関しても影響が及び、知床財団などの見回りがうるさくなったことから例年現地でお会いする(クマ撮影の)方々すら見かけなくなったため他人の行動を気にせず撮影に没頭でき、特に人の気配がするとすぐに逃げてしまうシマフクロウを撮るには良い状況となっている。秋がますます深まり木々の葉が枯れ落ちれば、見つけやすいという利点も重なる。

そう考えるとヒグマ撮影の規制も悪いことばかりではないが、いくつか思い切れない理由もあって逡巡してしまう。
一つはいつも使っているホテルが冬季休業に入ること。流氷が来る1月下旬には営業再開するが、その前の閑散期はお休みになる。もちろんほかに営業を続けるホテルはいくらでもあるが、定宿にしているここは撮影現場に最も近く、部屋の窓から山の様子や道路の凍結状態などが分かりやすく好都合。食事はまあまあなれども夜通し入れる温泉もあって、未明に起きて体を温めてから撮影に出かけられる。いい年して車中泊などバカなことをやらずに撮影をしない時間はそこそこ快適に過ごせるのはありがたく、知床に何度も足を運ぶ理由にもなっている。
もう一つは10月の旅で、これ以上はもう難しいのではないかというレベルのシマフクロウの写真が撮れたため、それを陵駕できる絵を撮れないのではないかという諦観。自分好みのアップ、しかも木の枝にとまっていながら見上げることなくアイレベルで撮れたし、紅葉に囲まれ色彩としてもまあまあの画像。よほどの幸運でもなければ、これを超える写真は難しそうで、それなりに金と時間を使ってももっと良いシーンに巡り合える確率はかなり低いだろう。

そんなわけでどうせ行っても、せいぜい親子のヒグマと雪のコラボ程度が関の山。ここは無理せずに今後、どういう絵を撮りたいかといったコンテを立てるのも悪くはないだろう。明確なコンテも考えずにむやみに訪問回数を増やしても同じような写真ばかりたまってしまう。現地に乗り込む以上は、やはりこれまでとは少し違った絵をモノにしたい。今はじっくり次回の構想を練るときなのかもしれない。

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1984年7月、結婚して1年ほどたった夏の北海道旅行中、観光地巡りを終えて大沼プリンスホテルに向かう途中、立ち寄った五稜郭機関区で撮影したDD51。日の長い夏場ながら日没まで残り少ない時間帯だったため車体に影が伸びてしまったが、別の場所に止まっていた同じく「三つ目」の711号機はもっとまともに撮れたのはラッキーだった。

勤務時間終了直前、撮影に付き合ってもらった助役は面倒くさそうな顔をしていたが、今になって思えば強気に出て良かったと思う。まだDD51が五稜郭機関区にゴロゴロしていた時代の話。なんでこんな機関車が撮りたいのか不思議そうな顔をしていたことが忘れられない。

昔から北海道の機関車は蒸気機関車のC11にせよ9600にしても、ヘッドライトが左右2灯だったりして増灯されたものがあったが、山線でカーブが多いことなどから降雪時などに重宝したのだろう。それに最近のヒグマの問題なども加味すれば、線路上に飛び出すエゾシカなどの動物に警戒を促す効果もあったように推測する。

ブルートレインの晩年、北海道に「北斗星」などを牽引するDD51を撮りに通ったが、青いDD51にもこんな「三つ目」があったらと思ったものだった。Photo_20251108102801


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先日の旅行中、ホテルでトランプ米大統領が来日した時のテレビ中継を見ていた。
日の入り後、都心上空にヘリを飛ばしての中継など、事故も恐れず「よくやるよ!」と感じたが、それよりも驚いたのは夜になっても都心が明るいこと。写真で言えば露出オーバーでハレーションが起きているような画質。電灯の少ない知床に滞在していたせいか、その明るさが際立ちすぎて呆れる思いすらしたと同時に、こんなところからあまり離れていない自分の住む横浜だってさほど変わらないと気づき、ちょっとウンザリしたものだ。明るい所に集まる昆虫、人間も同様かと。
頭が古いせいか昼は明るく夜は闇が自然だと思っている身としては、この東京の夜景を北海道の端っこから眺めて、こんなところに住んできた自分の不自然さ(とでも言うべきか)に今さらながら激しい違和感を覚えた。

それにしてもトランプの警備は異常。警察官約18000人を投入したうえ、羽田から米大使館までヘリを使って米大使館に入り、さらに夕方のラッシュ時間帯に首都高速を30分以上閉鎖して皇居に向かう姿に、知る由もないが「進駐軍」を連想した。トランプの車列を金魚の糞のごとく追従する日本の警察車両、大統領の乗っている車のすぐ後ろに続くならまだしも、米国のシークレットサービスの車のずっと後ろにゾロソロついているだけ。これじゃあシークレットサービスを護衛しているかのようにしか見えず情けなさも大きかった。
さらにはその後の米海軍横須賀基地での早苗ちゃんの振る舞い、加えてトランプを独断でノーベル賞候補に推薦する(国会ではその真偽を明確にしなかったが)など、いったいどうしちゃったのか!

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2025年11月 3日 (月)

残雪の山をバックに「トワイライトエクスプレス」

一週間以上に及ぶ道東・知床の旅から帰ったばかり。
今回は羅臼岳のクマ事故が撮影にどのように影響を及ぼしているかという点に関心があったが、やはり少なからず制約が出て、以前とは少しばかり勝手が違った。細かく書いても無駄だし、ここに指摘しても知床財団や環境省の現地関係者は、人の話を真摯に聴く耳もなく意味がないから省略するが、どうも彼らは「守る」という観点だけにとらわれて、「今後どうする」という発想がなく、観光地・知床の魅力がこのままでは大きく削がれてしまうように感じた。たしかになかなか見られない流氷などは「売り」の一つだが、日本全国には多くの景勝地があって、それらの中には知床をはるかに上回る景色もあるのだから、このままでは動物撮影者ばかりではなくリピーターの観光客も減るように思う。知床と言えばヒグマに出会えるかという期待も大きいし事実、お土産のTシャツなどにもクマのイラストがあるくらいなのに観光客がクマを見つけて車を止めることさえ咎められるのなら知床観光の拠点はオホーツク海側のウトロからワシやシャチ、イルカなどの観光船に乗れる(ウトロ側では動物観察の船はほぼない)根室海峡側の羅臼に譲ることになりそうだ。

さて、撮影は上々の上といった成果を得た。日本に200羽以下といわれる絶滅危惧種であるシマフクロウの良い絵が撮れた。もちろん餌付けされていない野生の個体。自画自賛は面映ゆいものの、客観的に見ても最高ランクの写真と言って良いだろう。だからヒグマなどどうでも良くなって、知床財団や環境省のアホな連中と下手に軋轢を生まずに旅を終えることができた。撮影後10日たってもその喜びは未だ持続しており、疲れが癒えるまで画像処理をせずに体調がととのってから作業を始めようと思っている。

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書店で立ち読みする鉄道雑誌のほとんどが車両の歴史やガイド、あるいは運用などにまつわる毎度おなじみの記事ばかり。昔から大して変わらない内容で、もう鉄道撮影には熱中することのない身には退屈そのもの。極論すればほかの本や資料から引用(悪く言えばコピペ)したと思われる解説的なものが多く、しょせん撮影するつもりもない車両を取り上げても興味も湧かない。
もちろん現役のファンの中には、そういう知識を蓄えて撮影に役立てる方もいるのだろうが撮影の肥やしになるような知識って、こんな記事の中にそれほどあるものではない。おまけに若いファンは雑誌自体を買わなくなって、ほとんどの知識はネット頼り。それなのに記事は旧態依然の切り口の繰り返し。もっと撮影時の体験談などを展開できないのか。想像だが執筆者が毎度毎度決まっているため、彼らに一任していることからマンネリ化を打破できないのではないか。

加えて写真も200ズームで撮ったものばかりで、写真が大きな「売り物」であるのに凡庸でしかない。多くの人の写真をたくさん掲載しようとしているのか、その一枚一枚も小さくて「質より量」的な扱いで際立ったものが少ないのはとても寂しく正直ウンザリする。だから買わない。
少なくとも立ち読みする読者が、衝動的に財布のひもを緩めるような記事や写真がないと売れるわけあるまい。

おかげで最近の雑誌は月刊のものよりも季刊であったりイレギュラーに発行されるものの方が断然面白い。たとえモノクロの、古くピントが甘い写真でも個性が滲み、一枚一枚を真剣に撮影していた様子が実感できる。本音を言えば自分が記事を書かせていただいた「電気機関車EX」やネコの「国鉄時代」などは発刊当時、価格も価格だから長くは続かないのではないかと危惧していたものの、最近は自分が活動していた時代の記事や写真がじわじわと増えて面白味が増してきた。要するにもう実物の列車撮影に「未来」などないのだから「過去」の方が断然楽しいということなのだろう。年齢的な感想でもあるが。

そんなことを考えると昨今、多く見かける超俯瞰撮影など風景をフレームに多く取り入れた写真が何十年かして鉄道雑誌に掲載されても、どの程度その時代の読者に響くか想像できない。特に風景主体のショットは何年もたって真似して撮ろうと思っても樹木が伸びたりするなど、環境変化のおかげでお手本となるような写真が撮れなくなる可能性は非常に高いから、せっかく苦労して撮っても写真としての「旬」は短い気もする。
やはり写真の価値がもっとも問われるのは主役であるはずの車両の「記録」にこそあるのではないか。

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2014年3月23日、家族でニセコにスキーに行った際、撮影した「トワイライトエクスプレス」。この列車の大阪行きは冬でも夕日が当たる時間帯に非電化区間で撮影が可能で、そういう意味ではほかの列車よりもいちはやく運行が終わったのは残念だった。
あと一年、廃止が延期になっていたら長万部以南でも手垢にまみれていない撮影地を開拓できたはず。

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2025年9月21日 (日)

多度津駅の歩道橋

「電気機関車EX」の連載を終えホッとしている。5年に渡り計20回ほど写真と記事を掲載していただいたが、いつも締め切りが迫ってからテーマを考えたり写真をチョイスして記事を書いてきた。毎度毎度、次からは早めに準備しようと思っていたのにこんなことの繰り返しで突貫作業の連続。まだ仕事に通っていた時期(2024年3月まで)などは酒を飲んで帰ってくることも多かったから、時間がなくなって徹夜作業も度々だった。さらに、鉄道そのものへの「熱意」が冷めてしまったことも加わって、なかなか「よし!頑張ろう」という気になれなかったことも思い出す。

そんなザマだから毎回、編集長に写真と記事を送った後になっても不安は残った。「あの部分の表現をもっと…すれば良かった」とか忘れていたエピソードを思い出すなど、ゲラを見て反省することもしきり。もうその段階で大幅な手直しなどできるはずもなく、完成した本を見ては幾度も辛酸をなめた。

さて、七転び八起き。
そんな反省をふまえてそろそろ(いつになるか分からないが)電気機関車よりも純粋に好きだったディーゼル機関車、特にDF50やDD54、そして後年、撮影に力を注いだ北海道をはじめとするDD51の記事執筆を手掛けようと考えている。
DF50などは現役時代、蒸気機関車を駆逐した「悪役」のように思われていたのか鉄道趣味誌に特集記事として扱われたことはほとんどなかったが、それからしばらくたってから模型ではけっこうな人気を集め、ムサシノモデルの製品などはオークションで引手数多。同社のDD54とともに発売時の価格を大きく上回る事例も多い。「隠れファン」が多かった証拠でもある。

そこでこれらの機関車を中心に自分が撮影した時代の思い出を中心に書かせていただこうかと考えた次第。住んでいる関東からは遠出しなければ撮れなかった形式ゆえ、記録できなかった個体も多いが紀勢本線や四国に限ればまあ体裁は整うと思う。間違いなく電気機関車よりはこれらのDLの方が好きだったし作業も少しは前向きになれそう。昨晩はとりあえず古いネガからDF50の画像を数十枚ほどピックアップした。記事についてはいったん書き上げてから時間を置いて推敲した方がより良くなるので時間がかかるのは確実だが、ゆっくり慌てず、何より後悔しないよう落ち着いて作業したい。

写真はその中で拾った1978年3月の多度津でのもの。この駅に架かる歩道橋は広々とした構内を見渡すには最適で、架線もないことも手伝って発着する列車を全て撮ることができ重宝した。当時はDE10牽引の列車は貨物も含めて一本もなく、ここを通る機関車のすべてがDF50だったこともありがたく、四国を訪れるたびに必ず立ち寄った。この日は多度津工場に入場しているDF50にもカメラを向けるべく見学許可を頂いていたので、その前の時間を利用している。
多度津工場を見学する許可を取ったのは万が一、DF50の1号機が入場していることを懸念したためだったが杞憂に終わり前日、高松運転所で心行くまで撮れたことも懐かしい思い出だ。

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2025年9月 3日 (水)

ノロッコ号のお決まりカット

いまだに片が付かない石破首相の進退。物価対策や関税問題など喫緊の課題が山積しているというのに国民を無視して権力闘争に明け暮れている自民党議員のバカさ加減には反吐が出そう。各報道機関の世論調査でも「石破は辞める必要がない」という意見が多いのにどこ吹く風。いっそ静岡県伊東市の市長のように衆院を解散したら、自民党は議席をさらに大きく減らし衰退して「ケガの功名」になりそうな気がするし、もはやそこまでやらなければ政治はまっとうなものにならないのではないか。石破問題で「自民党はいったん野に下るべき」と言っていた議員もいたことだし、是非そう願いたい。

しかし自民党の長老って、どうしていつまでも「老害」をまき散らすのだろう。いい年を偉そうにいつまでも影響力を誇示しようと、ふんぞり返って党内を混乱させてばかり。見ているだけでも不快な麻生をはじめ、最近では森喜朗や幹事長だった二階など、もっと遡ればいくらでも名前を挙げられるが、こいつらの行動や言動が伝えられるたびに正直「早く死ね」と言いたくなってしまう。

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気がついたら今年もマクドナルドの「月見バーガー」の季節。まだまだ暑くて月見気分ではないものの、毎年楽しみにしている者としては後ほど自宅から徒歩数十秒の店舗で「初物」にありつこうと思う。値段を見ると以前に比べてずいぶん上がったように感じるが、今シーズンは5、6回ぐらいは食べようと思っている。日傘でもさして買いに行く予定。

それにしても年々暑くなって今年は昨年を上回る暑さ。まだ仕事を続けていたらこの激暑の中、通勤でぶっ倒れていたかもしれないと思えば仕事を辞めて良かったと感じる。おかげで寿命が延びたのではないかとすら思うほど。元の同僚たちはきっとこの炎天下、毎夏汗を流しながら70歳まで頑張っていくのだろうが、職場で具合が悪くなったりしていないかと心配になる。
自分自身、これまで最も暑かったと記憶しているのは1989年1月に仕事で訪れたカンボジアのアンコールワット。ジャングルの中の開けた場所にある有名な遺跡だが、石畳が熱せられていて厚底の靴を履いていても足の裏がどしたかと感じるほどだった。鉄板の上を歩いているようで水たまりを見つけると靴ごと足を入れて冷やしながら取材をしたが、よくこんなクソ暑い所にアンコールワットなどという途轍もない城を造ったものだと感心した。

いっぽう国内では夏の高校野球。甲子園球場のセンターと三塁カメラマン席は日を遮るものもなく、朝から10時間以上ぶっ続けで取材すると夕方には濃い衣類だと汗が乾いて塩になって白くこびりついてしまう。試合中は日陰に逃げることもできず、名物の「かち割氷」などで補水しても大して効き目はなく、超望遠レンズの上で玉子を割れば確実に目玉焼きができただろう。近年はあんな過酷な取材シフトは組むことはなくなったから、ずいぶん改善されたはずだが、そのぶん短時間でも気温が上がるようになった今と比べればどっこいどっこいだったかもしれない。一説によると(未確認)各地の最高気温は日陰にある寒暖計で観測しているらしいから、甲子園球場の日なたでは実際42度ぐらいになっていたのではないか。

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釧網線の観光列車「ノロッコ号」が今年度で終了になると書いたのは誤報だった。たしかに当初はその予定だったらしいが、新たに投入される車両の製造が遅れているのか来年度いっぱいは存続するようだ。鉄道撮影がおろそかになってロクに情報を気にしなくなったため知らなかったが、お恥ずかしい限り。

したがって牽引機のDE10も今しばらくは安泰らしく、原型と車体色は違えど国鉄型の機関車はまだ見られそう。
写真はこの8月に釧路湿原~細岡の有名撮影地で撮ったもの。前回は望遠で引っ張ったカットをアップしたが、今回は短い画角にズームダウンしたもので、これが誰しもが撮る絵。

当初、ここに行く気はなかったが、ヤマセミという川沿いに生息する鳥を探して湿原を走っていたら、ちょうど「ノロッコ号」が来る時間になったため丘に登った。以前は丘への登り口に猛犬がいてかまれた人もいたらしいが、今はいなくなって安心してたどり着ける。

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2025年8月15日 (金)

釧路湿原ノロッコ号

8月6日から8日間の北海道旅行は気温が高い時期とあって動物を見かける機会が少なく、これといった写真は撮れなかったがそれは予想通りのこと。特に今年は暑さも厳しく、普段はそこら中で見られるエゾシカでさえ日中、遭遇することは少なかった。関東の猛暑から逃げて避暑に行った身としては快適なホテルでのんびり過ごしたいから、いつものように夜明けから撮影に出るのはやめてドライブ中に出会った生き物にレンズを向ける程度にとどめた。
それでもキツネ、シカ、エゾリスなど「常連」の動物は撮れたし、この時期としては数が少ないオジロワシも目撃できたうえ、中標津の「湯宿だいいいち」ではここの目玉ともいえるシマフクロウを見ることができたのだから上々。特にシマフクロウに関しては開放値F1・8の望遠レンズを準備してこれまでよりも速いシャッター速度で撮れ「本懐」を遂げた思いもある。さらにバードウォッチャーにも人気のオオジシギとヤマセミを初めて撮ることができ、普段は鳥に強い関心を持たないながらも嬉しさもひとしおだった。とりわけモヒカンのヘアスタイルのようなヤマセミは撮影が難しい鳥のようで遠目ながらも低感度で撮れたのは一つの課題をクリアした思いがするし、活動領域をほぼ特定できたことで今後はもっと撮影方法を練って挑戦したいと考えている。

ひとつだけ残念だったのは9日にたまたま運転された「ロイヤルエクスプレス」を撮ったきわめて近くの国道でレンタカーとトラックの衝突事故があり、大阪から来た4人家族のうち妻と娘が亡くなったこと。まさに列車を撮影した3時間ほど後の発生で、ホテルに帰ってそのニュースを知り翌朝現場を通ったが、運転していて助かった父親の思いを考えるといたたまれない。退院して帰途に就く飛行機の中で何を思うのか…。

鉄道撮影はあまり前向きではなかったが、「釧路湿原ノロッコ号」が今年度でお終いになるということもあって一度だけ記録した。牽引機のDE10は色が塗り替えられて国鉄型機関車というにはあまりにもあまりな姿ながら、どこかの私鉄のEF65Pを真似たゲテモノよりは幾分マシだろう。中身だけは本物に違いないのだから。
まもなく消える列車ということもあって撮影者が多いかと思ったが、沿線で撮っている人は一人も見かけなかった。今後、廃止の話題が広がれば数少ない機関車牽引の列車として「葬式鉄」が始まるのだろうか?それにしてもエアコンもない貨車のような車両に乗っている人の姿からは、まるで捕虜収容所に移送されるようなイメージを受けたが、こんなことを書くと「週刊新潮」7月31日号の高山正之氏のコラム「創氏改名2・0」を問題視するような面倒な連中から批判されるのかな。

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2025年7月30日 (水)

旅のついでにロイヤルエクスプレス

石破首相に退陣を迫る自民党のゴタゴタはみっともない。「身から出たサビ」の連中が自分のことを棚に上げてトップをつるし上げている光景は、これが国会議員のやることか?としか映らない。朝日新聞の世論調査では「首相は辞任すべきか」という質問に「辞任すべきでない」という答えが上回り、しかも議席を減らした責任は「首相個人にある」が10パーセントに対し「自民党全体に問題がある」が81パーセントと、世論はきわめて冷静かつ常識的に受け止めているのに、多くの自民党議員は国民のそんな思いも無視して「石破おろし」に走っているのだからまさしく「税金泥棒」。これで次の総選挙では有権者がウンザリしてますます議席を減らせば自縄自縛。崩壊への道筋が見えてきた。

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さて8月6日から釧路方面に一週間ほど滞在する。最近、沖縄よりも気温が高かった北海道だから「避暑」とは言えないが、関東地方よりはいくらかマシなことを期待している。生き物たちも暑さでグロッキーのはずだから撮影できるようなものもないが、せいぜいのんびりしてこようと思う。

ただ何も撮らないのも時間を持て余しそうだから何か目ぼしいものはないかと見ていたら、ちょうど恒例の「ロイヤルエクスプレス」が釧網線を走る日らしい。これまでに2回ほど撮影したし、機関車は道路公団の車体色みたいで魅力は希薄だから撮っても無駄だという気もするが、一応は国鉄型機関車だから記録しておこうかいう気もあって迷い始めている。後続の「ノロッコ号」ともども暑い中、陽炎ムンムンの原野ゆえ200ズームあたりで接近戦となるだろうが。

写真は2020年8月21日、帯広旅行中に池田駅で撮影した同列車。ここで乗客は下車し我々と同じ十勝川温泉第一ホテル・豊洲亭へと向かった。写真は釧路へと向かう回送列車。駅の外れの人道橋から撮ったもの。黄色一色の車体は金を掛けられない台所事情のせいかと勘ぐりたくなる。 ニコンD6で700ミリ。

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2025年7月 3日 (木)

最終運転を終えた「カシオペア」

多少は迷ったものの6月30日の最終「カシオペア」の撮影はパスした。上野着が17時半ということで少し北上すれば人の少ない撮影地も見つかるだろうとは思ったが、EF8181牽引の列車は何度となく撮ったし、何よりも暑くてそれどころではないと判断した結果。きっと集まる人たちも「熱い人」たちばかりで、その熱も加わる中に身を置くのは「冷めた人間」としては耐えられそうもなかった。

後に最終運転の模様はニュースや新聞などでも見たが、今回も列車最後尾に意味不明の「ありがとう」などという貼り紙があったようで、どうして鉄の塊に「ありがとう」なのかは相変わらず意味不明で不思議。昔からお召し列車などの目玉列車を好きで勝手に撮りに行っていながら通過後、拍手が起きたり、感極まって「ありがとう」などと叫ぶ人や万歳する者(正直に言えば「?」としか思えない人間)が存在すること自体、理解不能で気味が悪いと思う身。だからこうした「信者」のような方々が蝟集するネタを避けたのは元々の宗教嫌い(戦争や紛争などの多くが宗教が原因で起きているようなもの。人間を幸福にすることなどないと思っている)のなせる本能だったのかもしれないが。

さて、これからのこと。12両編成の客車を買い取っても走らせることができる会社があるとも思えないが、分割して数両でも引き取る会社があるとも思えず、観光地の列車ホテルなどに転用する以外、使い道は限られるだろう。
涼しくなる頃に廃車回送でも行われるのなら物見遊山で見に行くかもしれないが。まあどうなることやら。

そういえば12日に上野駅でE26系の個室開放イベントが行われるようで、少なくとも尾久~上野駅の間では機関車牽引の列車が走るとか。

写真は2015年3月の大岸。
定期列車(もちろん1編成しかないからほぼ1日おきの運転だったが)として北海道に乗り入れていたころの姿。

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2025年6月23日 (月)

DF200-901

ここ数年、動物の撮影で年に10回ほどの北海道通いを繰り返しているが、DD51の夜行列車を撮っていたころも同様だった。一回一回の滞在期間はまだ仕事をしていたから、今ほど長くはなく4日から7日がせいぜいだったが、それにしても頻度は高かった。行く先は列車の発着駅が札幌だったから道南方面ばかりだが、あの時代は朝夕が撮影時間帯で日中は取り立てて撮影したい列車もなく時間つぶしに苦慮したことを思い出す。もちろん列車の消滅を控えて全国からやって来るファンが増えてからは撮影地の立ち位置を確保するために、早めに現場へ乗り込むことは増えたが、それでも関東などと較べれば緩やかだったのは間違いない。

写真は2016年の年明け、「カシオペア」がいよいよ終末期を迎えて北海道内での運行終了まで残すところ1年ほどに迫った時期、滞在していた函館で暇つぶしに撮影したDF200-901。
すでにこの頃、901号機は本線に出ることはなく函館の有川埠頭と五稜郭を結ぶ貨物線で地味に使われていた。もちろん「どうしても撮りたい!」という被写体ではなかったが、遠からず廃車されることは確実だったし、量産型のDF200とは前面のデザインが異なる希少車ということもあって撮っておこうと考えたときの「釣果」。埠頭から五稜郭への貨物列車はほとんどコンテナが載っていない空のコキだから列車を撮っても面白くなく、勢い停車中のシーンばかりになってしまう。
ただ、五稜郭駅構内では量産型のDF200のほかEH500や新型のEH800と並ぶ場面もあり。多いときには同じフレームに機関車が5両は入ってそれなりの記録にはなったと思う。もちろん電化されている区間だから歩道橋上からの撮影では架線が非常に目障りだったが、それはそれとして短い期間だけのシーンとして堪能したものだ。

先日、DF200-901の撮影会が参加費¥39000で行われたと聞くが、撮影会終了後には解体されることが発表されている、いわゆる「鉄屑」。それでも「屑」で金儲けできるのだから「イィ~商売だなぁ」と映ってしまった。こんな事を書くとまた反感を呼ぶのだろうが、ひょっとしたら高崎に残っているEF65501などもこのように利用されるのかも。

付け加えればこのDF200、すでに後継機の製造が発表されており、徐々に撮影対象として人気が高まっていくと思われるが、特定機に焦点を当てた撮影会よりも、北海道の広い敷地を利用して横一線に10両程度並べた撮影会でもしてくれないかと思う。台所事情が苦しいJR貨物としては良い金儲けになるのではないかと思うが、10両もの機関車を運用から外して確保するのは難しいだろうな。

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2025年6月20日 (金)

仕方なく訪れた有名撮影地

今年5回目となる北海道での撮影旅行から帰宅したのは17日。今回もけっこう歩いたし、移動距離も長く運転にも疲れた。このところマイカーよりもレンタカーを運転することの方がはるかに多く、レンタカーだけでも2025年になって軽く6000キロを突破しているはず。燃費がよい反面、料金の安い車を借りていることもあって快適性は高くないから疲れるのも当然だが、それにしても最近の車はやたらと警報装置が多く煩わしい。カーナビの目的地設定も音声入力が増え、行き先の名称を正確に言わなければ表示されないのは決して便利ではない。何もかも車がやってくれるのは返って負担が増えるように感じる。

それはともかく今回の旅もまあまあの首尾で満足だったが羽田に着いたら、6月とは思えない暑さに驚いた。まだ6月だというのに梅雨明けのような暑さに日差し。今からこれでは7、8月の本格的な夏を迎えたらどうなる事やら。一歩も外に出たくはない。
夏は北海道も混雑し、特に道東方面は通行規制なども行われてレンタカーでは入っていけない場所もあるし、生き物もあまり目立ったものは撮れないから毎年行かないが、この暑さから逃げるためにお盆休みには釧路へ一週間ほど行こうとは思っている。撮影よりも文字通りの避暑。夏でもエアコンいらずの道東でカヌーでもやって過ごそうと思う。

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インスタで「いいね!」をいただくのは知り合いが多いが、知らない方からも頂戴することがある。取りあえずはありがたいことなのだが、その中の多くは若い女性。そしてそのほとんどが中国人と来ているのだから、迂闊にフォローバックなどできるはずはない。鼻の下を伸ばして返信でもしたら、どうせろくな事にはなるまいがプロフィールの顔写真は確かに美人揃いなことは間違いなく、イイ気になる人も多いのだろうなと推測する。中には肌の露出が過剰な写真もあって、ついそそられる人もいるのだろうが、中国人など絶対に信用しない身には邪魔くさくて右から左に削除している。
ホント、ろくな国ではないが、中には自己顕示欲の強そうな日本人とおぼしき女性もいて、セクハラの責任はそのほとんどが男性にあるように思っている連中は、こういう女がいることをもっと知るべきだと思う。

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かつて北海道に夜行列車を撮りに通った頃、ここ洞爺~有珠のカーブは多くの人々が訪れていた。撮影地ガイドに紹介され、そればかりではなくプロの連中もここで撮った写真を数多く発表していたから撮影者が多いのは当然だが、個人的には人が多く集まる場所は嫌いでDD51の夜行列車を撮ったのはこの1枚だけ。
実は豊浦の温泉施設に宿泊していて、すぐ近くの築堤で「トワイライトエクスプレス」を撮っていたら、そこで北海道新聞の記者にタテで「北斗星」を撮ることができる場所はないかと尋ねられて案内した結果、この1枚が残った。

夜行列車が通過後、撮影者が撤収してから気動車特急や貨物列車撮影で訪れたことはあるから場所は熟知していたものの、本命の列車を撮る価値はなく行きたくはなかったのに同業者に懇願されれば仕方あるまい。なにしろ自分の会社に金を払ってくれている有力加盟社の記者だし無下にはできなかった。たしか2014年の11月だったように記憶している。

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