ディーゼル機関車

2024年11月21日 (木)

函館本線・大沼駅付近の貨物列車

もう本気で鉄道を撮ることはあるまいと思っていたら、ちょっと気になる車両を見つけた。「見つけた」と言っても新たに造られたものではなく、何年も前から現役で使われていたもので、ファンの間でもほとんど注目されなかった存在。その厳つい外観はよく見ると自分の好みにマッチしそうな予感もあり、いずれ撮影に行くつもりで今は下調べに勤しんでいる。超望遠レンズで圧縮したら、案外いけるのではないかと思う。

今年はもう11月も下旬になってしまい、動物撮影とのかねあいから時間を割けそうになく訪問は来年になるだろうが、撮影地が混み合うようなネタでもないからガツガツせず2025年以降の課題として楽しみを温存しようと思う。
ただ一つ問題なのは、自分が思い描いているよりも撮影地が少なく長いレンズを使える場所がかなり少ないこと。一昔前なら問題ないような場所ながら、最近はちょっと線路に接近するとすぐに問題となる時代だから、そんなことにも配慮しながらポイントを探さなければならない。まあ時間もあることだし、来年は観光も兼ねて旅先の一つに数えている。

******************************************************************************************

1988年5月、函館・大沼のカントリークラブで行われたプロゴルフの取材に行った際、早起きして撮ったDD51の貨物列車。もちろん本命は運転が始まったばかりの「北斗星」だったが、これはその前の列車で、日の出の早い5月だからこそ撮ることができた。

当時の北海道はまだ多くのDD51が使用されていたが、国鉄民営化を機に相当数が廃車になった。
記憶が定かではないが、まだDF200は見たことがなかったから製造されていなかったのか、両数が少なかったのか(調べりゃすぐに分かることながら面倒くさいし、どうでも良いことだから割愛する)、とにかくこの出張のときに撮った記録の中には一枚も残っていない。

スノープローが付いたDD51はそれ以前から好感を持っていたから山陰への出張などのときにも時間を作って記録したが、やはり北海道の方が密度も高く編成も長かったから撮影のし甲斐を感じたのは確かだ。

Img6460

Img6610

| | コメント (0)

2024年11月17日 (日)

今回の函館線事故現場での記録

首相が交代したものの衆院選で連立与党が過半数割れとなって騒がしい自民党。石破首相も総裁選での発言を撤回したりするなどして批判を浴びているが、それにしても身内の議員から首相の責任論が噴出しているザマは滑稽だ。なにしろ自民低迷の大きな理由が裏金問題だったことも顧みず、選挙結果について党幹部の責任を追及する姿はまるで自分たち自身の責任を棚に上げて全く反省していないかのようにしか映らない。もちろん選挙期間中に非公認候補者にまで2000万円を支給していたことは新執行部として責めを受けても当然ながら、そもそもは前任者の岸田がろくに後始末をしなかったことが国民の怒りを買ったのだから、責任を追及するなら矛先を彼らに向けるべきではないかと感じる次第で事の本質を見誤ってはいないか(それともわざと見ないようにしているのか)。

マスコミにしても自民大敗となった感想を岸田にこそ尋ねるべきで、そういった報道がないのだから怠慢としか言いようがない。もちろん岸田だけでなく麻生や二階、あるいは自民党に戻る萩生田や西村らの(選挙結果への)感想も伺いたいが週刊誌も含めて彼らに取材した記事を見かけないのはどうしたことだ。しょせん大手マスコミの政治部とは権力者に配慮するような奴らの職場なのか。
むしろ、そういうインタビューこそ選挙結果が出たら直ちにやらなければ意味がないと思うのだが、どうなっているのだろう???

************************************************************************************************

北海道の函館線でまた列車の脱線事故が起きた。レールが破断されていたことなどから線路の保守管理に問題があったように推測されるのだろうが、かつて夜行列車を撮影に通っていた際に海峡線の札苅駅で同じような事故が起きて肝心の夜行列車が運休になったときのことを思い出した。当時はもっと頻発していたから毎度けっこう大きなニュースにはなったものの、最近は耳にしなくなっていてJR北海道も線路の保守管理に本腰を入れたのだろうと思っていた矢先。運輸安全委員会の報告を待たなければ何とも言えないが、またしても線路のメンテナンスに原因が見つかれば新幹線札幌延伸後の函館~長万部の存続を話し合う場でも取り上げられるのではないか。

で、それはともかく、このニュースを見ていたら2017年2月に今回の脱線事故が起きた現場の踏切(ここでレールの破断が見つかったらしい)でDF200の下り貨物列車を撮ったことを思い出した。「カシオペア」がDD51からDF200の牽引となり、あまり撮る気力は起きなかったが、とりあえず最後の記録を残そうと訪れたときのもの。翌月に控えたダイヤ改正で函館線の駅がいくつも廃止されるため、この踏切のすぐそばにあった桂川という駅を撮りに寄った。ほかにもこの界隈では姫川、東山も廃止され、翌日の「カシオペア」撮影を前に下見を兼ねてこれらの駅に寄り道し暇つぶししたときの産物。

この踏切はタテに構えればバックに駒ヶ岳が入ったが、あいにく霞んでいたからDF200をアップで撮っている。最近は記事の更新も怠けているため桂川に停車するキハ40の画像とともに掲載する。

Df200

Photo_20241117140301

| | コメント (0)

2024年11月 1日 (金)

新幹線のディーゼル機関車

一週間に渡る今回の北海道旅行の収穫は上々。紅葉もまだ見事で親子のヒグマや懸案だった餌付けされていない野生のシマフクロウも撮影できて大願成就といったところ。特にシマフクロウは日本に150羽程度しかいないとされている絶滅危惧種だけに、死ぬまで見られないかもしれないと思ったほど希少で達成感はとりわけ強い。これで自らの生き物撮影に一区切りがついて、今後はアップ系の絵から少し周囲の景色にも配慮した写真にもトライすることができそうだ。

それにしてもニコンZシリーズのレンズ、とりわけ400ミリ/F2・8の切れ味は圧倒的。天気が良ければ通常は手持ちでも撮影が楽なのは重量バランスにまで配慮した結果。入念な設計が威力を倍加させる。AFもZシリーズのレンズの中では最高速の一本で、それなりの価格はするものの、結果を見れば散財した甲斐はある。今回はこのレンズを中心に使用したが、次回は腹をくくって100~400ズームを持参せずに70~200ズームをチョイスする判断もあり得そうだ。

シマフクロウや川に遡上するサケを捕る親子グマの写真はかなりの数にのぼり処理までにはそれなりの時間を要するが、ゆっくりと慎重に進めていきたい。

*********************************************************************************************

ところで現存するEF65PFをレインボーカラーの1118のように塗り替えた「紛い物」が現れるらしい。かつてそんな噂を小耳にはさんで8月27日の記事で触れたことがあるが(内容はあまりにもバカバカしいから書かなかったが)、どうせ高額な撮影会用フェイク車両。一昔前、香港や韓国などでルイ・ヴィトンなどの一流品のコピーを本物と偽って販売していたのと似たような商法だが、今やそんな被害も下火になっているというのに……。

開いた口がふさがらない。

*********************************************************************************************

旅行にパソコンを持参していたからブログの更新はできたはずだが連日未明からの撮影でクタクタになって、毎晩8時前には就寝してしまったから、画像を外付けハードディスクに落とすぐらいしか作業しなかった。
今回は1977年夏に撮った新幹線用のディーゼル機関車。今はもうこんな車両はないのだろうが、当時は停電などに備えてディーゼルの機関車が準備されていた。高校生のころは何でも撮ってやろうと息巻いていたから品川の海側にあった車両基地に潜入して撮ったものの、海外の車両のようで満足感はなかったことを思い出す。
在来線の旅客輸送から機関車は消滅する時代、古き佳き時代の産物だった。

Img874

| | コメント (0)

2024年10月20日 (日)

DE10の「湿原号」

人との付き合いから生き物の写真のインスタグラムを始めて半年。写真をアップして簡単なキャプションを付ける作業は面倒ではないものの厄介なのは、「♡いいね!」をいただいた人にお返しの「♡いいね!」を付けなきゃならないのかどうか迷うこと。ほとんどの人が撮った写真を片っ端からアップしているようで、昨日と同じような写真を羅列しているから変わり映えせず、正直「♡いいね!」に値しないものが多く、単に返礼の意味を込めてそんな評価をするのは自分の流儀から逸脱してしまう。連写した写真を毎日続けて見せられても辟易してしまうだけで、こちらとしては率直に言ってあまり良いとは思えないのに、それが儀礼のようになってしまっているから面倒くさい世界だと感じる。

とは言え、フォローしてくれる人の多くが古くからの友人や仕事上付き合ってきた人、あるいは動物の情報をもたらしてくれる人などで、義理があるからバッサリとは切り捨てられないのも現実。もちろん上手に写真を撮っている人の方が圧倒的に多いのだけれど、中には毎日の食事(主に外食)を載せただけのインスタなどもあり、なぜそんなものを人に見せて嬉しいのか理解に苦しむものもあり、これに「♡いいね!」を付けるのはやや不本意でもある。

そういう観点に立てば鉄道のブログでは同じ列車を連写した写真を同じ記事に何枚もアップする人を見かけるが、この人にとってどのコマがベストなのか撮影した本人の意志が伝わらず、むしろ節操のない人と映ってしまう。カメラの連写機能がアップして一度に何十枚も撮れるからと言って、見る側にすれば変わり映えのない連続したシーンをくどくど見せつけられるのは苦痛以外の何ものでもない。写真のチョイスにもっと真摯に取り組んで欲しいと思うが無理な相談か。

*********************************************************************************************

さて今週からまた道東。動物たちが餌の少ない冬に向けて食べ物を蓄える時期で動きが活発になる。しかも森の木々は葉を落とし、枝に止まった鳥なども木の葉に邪魔されず見つけやすくなるから写真が撮りやすい。今年7回目となる渡道で、毎回一週間以上滞在しているから2024年は少なくとも50日以上は北海道にいたわけだ。かつて夜行列車を撮りに通っていた頃、一回一回の滞在は短かったものの毎月1、2度は行っていたから、それに較べれば回数自体は少ないものの、当時は鉄道一辺倒でそれ以外のことにほとんど無関心だったことを思えば、生き物を撮るようになってからの旅は被写体以外のことにも関心が高くなって、ちょっと「大人の旅」的な感覚も出てきたように感じる。食べ物やホテルの居心地、温泉の質、景色、周囲の人たちとの会話などなど、かつて鉄道撮影で通っていた頃はほとんど現地で金を落とすことはなかったが、今は少しは地元に貢献している気がしないでもない。そんなわけで旅の内容も充実して、ガツガツせずに余裕を持って生き物を追うことができる。ちょっと天気が悪ければ早く宿に帰って露天風呂を堪能し、湯上がりにはホロ酔い気分で撮ってきた写真を眺めながら夕食まで部屋でのんびり過ごしたりと…。
そう言えば旅行中の27日は衆院選の投開票日。すでに期日前投票も終えて旅に出るが、開票速報を旅先の部屋のテレビでのんびりと見るのも、ちょっとした楽しみの一つになりそうだ。

下の写真は昨年2月に撮った釧網線の「冬の湿原号」。C11の調子が悪くDE10が牽いたときのもので、近くにエゾフクロウの巣があるため、それを撮りに行った際に寄ってきた。時間と場所がちょうど良かったから時間的な無駄は感じなかったが、撮り終わった後で「今さらこんな列車を撮って嬉しいか?」と心の中で自問したことを思い出す。以前アップした写真よりも、もう少し短い画角で捉えたもの。

_dsc54580

| | コメント (0)

2024年10月 8日 (火)

京都駅のDD51お座敷列車

石破首相が裏金問題の議員を次の選挙で非公認とするなどとしたことで自民党議員の一部から不満が出ているようだが、そもそも党が下した処分が甘すぎて国民が納得していないのだから、この程度のことは当たり前。これに対して不満を言うようでは国民に「寄り添っている」(大嫌いな言葉だが)とは言えず、日々報道される記事の中で、誰がそんな発言をしているかチェックしている。

国会での論戦をするまでもなく衆院解散を決断した石破首相には多少失望したものの、裏金議員を非公認とする、あるいは比例代表との重複立候補は認めないとの方針は評価に値する。中には平沢勝栄氏のように総裁選で応援してもらって恩義がある議員も存在するだろうが、いくら仲良しグループであっても切るときは切るくらいの覚悟は必要で逡巡はあるとしても、そこは一国の首相として毅然と筋を通してもらいたいもの。

一方、対象となりうる議員の中には今の段階で不満を爆発させれば、それが報じられて27日の投票に悪影響が出ることを恐れて発言を控えている者も多いはずだから、選挙が終わった後に彼らの不満はもっとあからさまになるだろう。そうした中、裏金問題が多く発覚した安倍派議員から多数の支援を受けた高市早苗がどう動くかは注目で、同派の議員が大挙して議席を失えば今後、首相の芽は潰れるも同然。自民党を出て新党でも結成するかも。なかなか面白い展開になりそうな気配を感じる。

*****************************************************************************************

1978年3月16日、京都駅で撮ったDD51のお座敷列車。機関車の所属は福知山だったが、草津線方面から乗り入れてきたように記憶している。すでに客は降車して構内の留置線に転線したシーン。

この頃はEF58以外の機関車がお座敷列車を牽いてもあまり注目することはなかったから、京都駅でこの列車を見かけてちょっとばかしラッキーだと感じたものだった。しかし今となっては団体旅行という形態はあっても、列車を仕立てるようなツアーは果たしてどれだけあるのだろうか。お座敷列車など車内で宴会をしながら目的地に向かったのだろうから、町内会の面々や職場の仲間など顔見知りが多かったはず。今やそんな濃い人付き合いはご免蒙りたい人が増え、こんな列車が国内各地で走っていたことに隔世の感を覚える。

Img161tif1

| | コメント (0)

2024年9月 6日 (金)

おかしな色のDE10

今日は小泉が自民党総裁選への出馬を表明する。前々回の記事であんなことを書いたが、もしも小泉が首相になってしまったらそれはそれで楽しいこともある。
まあ今回の総裁選に出ると予想される面々を見ても、今後も日本の政治が浄化されるとも思えない。こちらの余命も日に日に短くなっていく中で政治にいつまでも幻想を抱いても無駄。だったらいっそ視点を変えて「ショー」としてウォッチした方が笑えるだけ健康に良いかもしれない。

国会中継が面白くなるのは間違いない。最も楽しめそうなのが党首討論。立憲民主党の代表が野田元首相になった場合はとりわけ目が離せない。政治家の世襲をなくしたいと主張している野田氏とのやりとりは今からワクワクする。その中で小泉が「クール」だとか「セクシー」だとか訳の分からない発言をすれば、さらに盛り上がる。新聞にも週刊誌のような記事が増えて翌日の朝刊が待ち遠しいものになって発行部数が増えるだけでなく、今年あるいは来年の流行語大賞も見えてきそうだ。

予算委員会などの答弁に立つ場面も同じ。官僚が徹夜で答弁を作成しても本人は内容を100%咀嚼できないないだろうから、審議が何度もストップする可能性も高い。役人の徒労感も激しくなりそうでブラックな残業が増え、それも問題となるのではないか。答弁書の作成を命じられそうな役人は早くもウンザリしているとの書き込みを目にしたが、今から「勘弁して欲しい」と思っている関係者も多いという。漢字の読み間違えを警戒してフリガナも必要になるかも。

組閣も面白そう。願わくば麻生太郎が入閣してくれれば上々。閣議で首相の隣にふんぞり返って座り、誰が首相か見間違えるような画像を期待できる。まず週刊誌のグラビアになるだろうが、同じように年上の閣僚が面従腹背している姿もそれはそれで想像をかき立てられる。

ちょっと考えただけでも以上のようなシーンが浮かぶが、つまらないドラマよりもノンフィクションとして楽しめる国会中継や政治関連のニュースは今後要注目のエンターテインメント。小泉じゃダメ、自民党には期待できないと分かれば、その次の選挙から投票率がアップすることが彼の最大の功績になるのかも。

****************************************************************************************

暑さが峠を越えつつあるように感じるものだから、そろそろ先送りしていた諸々の手続きなどを開始しようと列挙したら、かなりの数があることに気づいて我ながら呆れている。妻に頼まれた家事などまで入れれば両手の指では数えられない。怠慢な性格を呪ってしまう。

そんなわけでブログも手抜き。ここしばらくはアップした写真の説明程度で済ませようと思う。
1994年6月29日に赴任先の福岡から裁判の出張で行った熊本でのもの。非電化区間の豊肥線・水前寺まで特急電車が乗り入れるため、熊本との間、電車を牽引するために国鉄特急色に塗り替えられた可哀想なDE10。
当時はおかしなデザイナーがせっかくの国鉄車両を妙なデザインに変えてしまい、国鉄特急色のまま使われていた485系電車も少なかったのだから、なにもわざわざDE10をこんな色にすることもなかったのに。
JR九州の目を覆いたくなるような色彩の車両を見て一時期、列車撮影から離脱していたが本社に戻る時期も迫り、記録として残したもの。

De10

| | コメント (0)

2024年8月29日 (木)

紀伊田辺機関区でDF50の夜間撮影

報道各社の世論調査では次期自民党総裁には石破茂元幹事長が人気ナンバー1となっているが、しょせん総裁選は自民党議員と党員が行う選挙。投票できない一般国民を対象とした世論調査の結果など全く持って意味はない。そのことは当然ながらマスコミも分かってやっているのだから、こんな愚にもつかない調査結果が連日大きく報じられるのは候補者にロクでもない奴が多く、せめて石破さんにでも立候補してもらわないと政権を預かる与党の総裁選としてカッコがつかないとの思惑が働いているからではないかと勘ぐってしまう。
とりわけ今回の総裁選は最初の投票で1位の候補が過半数を得られなければ上位2者で決選投票になるのはほぼ確実。その時点で石破さんが残っていなければ党所属議員と党員の中での人気が下位だったなどと、後になって言い訳がましく伝えられても何ら意味はなく、現時点でそのことを見出しにとった記事にすべきではないか。政局に絡む報道の胡散臭さは相変わらずだ。

それはそうと米大統領選ではないが「もしトラ(もしかしてトランプ)」ならぬ「もしかして小泉」も深刻だ。
たしか数年前の「週刊新潮」では偏差値30とも40とも言われ、答案用紙に自分の名前さえ書ければ合格できるなどと誠しやかに言われる日本の大学から現職首相だった父の力を借りての米コロンビア大学院へ「学歴ロンダリング」した経緯が関係者の実名入りで記事になっていたが、いかに米国の大学院には有名人や金持ち子弟の入学枠があるとて、一般家庭の学生だったらまずあり得ないこと。世間並みの苦労も経ずに何から何まで親の七光りに頼ってきた若僧に国政の舵をとらせるなど政権与党として暴挙もいいところだ(田中角栄のアクの強さがあれば別だが)。万が一にも首相になれば、きっとバックにいる森元首相など海千山千らの傀儡となるのが関の山だろうが、それにしても国連気候行動サミットで「気候変動問題に取り組むとき、それは楽しくなければならずクールでなければなりません。それもセクシーでなければなりません」(どう解釈しようと意味不明) などと、頓珍漢な発言をした小僧では日本人は、トランプを大統領に選出して世界中の物笑いの種になったアメリカの国民よりもレベルが低いと恥ずかしい思いをするのではないか。首相になったとしてもすぐに馬脚を現すのは目に見えている。そうなったとき、こいつが首相にふさわしいと思っている奴らは何を語るのか。見ものだ。

******************************************************************************************

前回の記事と同様、1977年のゴールデンウイークに訪れた紀勢線のDF50。写真は紀伊田辺機関区でのもの。

この日は新宮からの列車で夕方到着した後、和歌山方面から来る夜行列車で再び新宮へ戻る計画だった。もちろん宿代を浮かすのが目的だったが、列車の待ち時間中に構内に休むDF50を撮ることも当然プランに入れていた。
亀山のDF50は和歌山まで通しで運用されることはなく、新宮か紀伊田辺で燃料補給をすることから、両機関区には必ず数両がDF50がたむろしていて、数を撮るには非常に便利。ただ新宮は、ここを始発としたり終着とする列車も多く、気動車の出入りも多かったため、三脚にカメラを付けたまま構内をうろつくには田辺の方が安全で、好き勝手に移動しても注意を受ける心配はなかった。

すでに蒸気機関車時代の扇形車庫は取り壊され、電化に向けた工事も進んでいたが、まだ架線が張られていなかったのは撮影するうえで楽だったように記憶している。

Img802

| | コメント (0)

2024年8月27日 (火)

尾鷲駅のDF50貨物列車

25日の趣味仲間との宴会は泥酔することもなく無事終了と思って帰宅したら「無事」では済まず、後になって酷い胃痛に見舞われた。ここしばらく外で酒を飲む機会が減って、久々の痛飲に胃が驚いたのかもしれない。二日酔いとは違うムカつきに襲われ昨日は丸一日家で横になっていた。不快感の原因はおそらく宴席で飲んだ紹興酒ではないかと推測する。

もともと酒に関して好き嫌いはなく、紹興酒もかつては自宅に常備していて一晩に一本程度空けても問題なかったのに、年齢とともに体質が変化して体に合わなくなってしまったのかもしれない。思い返せば毎年ゴールデンウイークに開く宴会でも、もはや紹興酒は自分にとって甘すぎて体が受け付けなくなってきたように感じていたから、その傾向が顕著に進んでしまったのだろうか。この分だと甘口のワインにも要注意だ。

それはそうと最近、前兆もなく体のあちこちに痛みを感じることがある。先週などは夜中に左ひざの関節が急に激しく痛みだし、その痛みはこむら返りのようでベッドで煩悶したが、それでも予兆があるならまだしも、いきなりやって来る痛みは対処のしようがなく焦る。救急車を呼ぼうかと思ったほどだ。自分ではまだまだ若いという意識は捨てきれないものの、確実に老化が進んでいるのだろう。だから嫌々70歳まで仕事などしないでサッサと見切りをつけたことをますます良かったと思う次第。
胃のムカつきはまだ少し残るがかなり回復したので、今日は二日ぶりにパソコンを開く気になった。

さて、宴会自体はなかなか濃い内容で、久しぶりに顔を合わせた方々との話も弾み午前11時から午後6時ごろまで楽しく過ごすことができた。さすがに現役バリバリの方々は現状に明るく、JRの某社が計画している国鉄型機関車を流用して「まがい物」をつくるロクでもない企画などについても耳に挟んだが、詳細についてはここに記すのもあまりにもバカバカしくてくだらないものだから割愛させていただく。遠からず発表されれば我々世代のファンはきっと自分と同じような感想を持つだろう。

飛行機の都合で一足先に帰ったAさんご夫妻、有意義な時間をセットしていただきありがとう! 次に会える機会をまた心待ちにしております。

********************************************************************************************

DF50を1両でも多く撮ろうと1977年のゴールデンウイークに訪れた紀勢線。紀伊長島や新宮、紀伊田辺などを行ったり来たりしながら片っ端から亀山機関区所属のDF50を撮りまくった。貨物も旅客も全てDF50が担当していたから、一網打尽の如く数だけはたくさん撮ることができたが、連日の夜行列車利用は体力的にかなり消耗した。おかげで旅行の後半は列車に乗るとすぐに睡魔に襲われ朦朧としながら撮影していた。
急行列車も当時の車両は窓が開くから、駅を通過するたびに車内から対向列車を撮っていたが、中にはどの駅で撮影したか分からなくなってしまったものもある。

連休中ながら紀勢線も白浜以南は観光客はまばらで、せいぜい紀伊長島付近に釣りに行く客で夜行列車がにぎわう程度。5日間の滞在中、ただの1人として鉄道ファンは見かけなかった。
この頃はホームから線路に下りて撮影するなど当たり前で、むしろ下手に自己規制してホーム上から撮った写真を見ると、後になって理性に沿って行動したことを後悔してしまうほど。もちろん発車の時刻や退避する列車の通過時刻などは頭に入っていて、その点には注意していたのは言うまでもないが、とにかくまだのどかな時代だった。そもそも機関区の見学も事務室に行って氏名と連絡先を記載すれば付き添いもなく、ほぼ自由に歩き回れたのだから推して知るべし。良い時代に鉄道撮影できたことをつくづく幸せに思う。写真は尾鷲でのもの。機関車の前面、貫通扉脇の手すりにかかる鎖が片方外されているのは、ここから重連になるための準備と思われたが、自分が乗ってきた新宮に向かう下り列車(貨物列車の後ろに隠れている)の発車が迫り、そこまで見届けることはできなかった。

Photo_20240827134601

| | コメント (0)

2024年8月22日 (木)

紀勢線和歌山口のDF50重連

次の日曜日は大阪からやって来るA氏らと久しぶりに酒を汲み交わす。
列車撮影を通じて知り合い半世紀近いお付き合いだが、もはや共通の趣味の世界に魅力ある被写体もなくなって最近は線路際で会うこともなくなっている。さて今後の交流はどうなるか? 宴席ではおそらくそんな話題から、一緒に撮影に出かけたときの昔話に花が咲くのだろうが、顔の広い彼のこと、さらには参加者には自分たちよりも少し若い現役バリバリの方々もいるようなので何か刺激を受けるネタを頂戴できるかもしれず、そんな意味でも楽しみだ。

こうやって仲間が集まる機会も、集まるきっかけとなるネタがなくなれば自然消滅することも多いが、それでも継続できることはひとえにA氏や、毎年ゴールデンウィークの宴会の幹事を引き受けてくれているM氏らの尽力によるもので心からありがたく思う。セッティングを人任せにしがちな自分のような人間が多い中、積極的に声をかけてくださる彼らの存在は仕事をリタイヤして時間に余裕ができた者としては外出する機会にもなるわけで、そういう観点からも大変嬉しい。今回も大阪から来るA氏がわざわざ東京で招集をかけてくれることに対しては後ろめたい気がするものの、そこは素直に甘えて大いに飲んで語って来るつもりだ。

*********************************************************************************************

紀勢線で活躍したDF50はこの写真を撮った1978年以降、同線の一部電化などで急激に数を減らしていくのだが、このころはまだまだ旅客、貨物列車ともにかなりの両数が使われており、しばしば訪れた和歌山周辺でも当たり前に撮ることが可能だった。だから和歌山市に滞在していても朝から晩まで線路際で待つ必要などなく、光線が良くなる昼過ぎや上り下りの列車本数が密になる13時ごろに撮影地に着いて、そのまま夕方のキハ81で運行される「くろしお」まで居残るのが日課になっていた。

ちょうど「鉄道ダイヤ情報」も東北線からEF57が消滅したばかりで、次の照準をDF50に合わせてきたのかダイヤや運用も掲載され始め、撮影は非常に楽になったが、「ダイヤ情報」に頼らざるとも市販の時刻表さえあれば客車列車の時刻は分かるし、貨物列車についても「鉄道ファン」別冊の特急列車撮影地ガイドの巻末の大ざっぱなダイヤ表を見ればじゅうぶんで、緻密に調べなくともそこそこの数を仕留めることは可能だった。
だから関東で管理局報を見て団体列車などをチェックするような手間も省いて、時間が来れば線路際で目の前に現れる列車を片っ端から撮るという素朴な姿勢で撮影に臨め、希に12系客車の団体列車などがやって来れば「おまけ」として素直に喜んだものだった。

今回の写真は日々のルーティンとなった午後の撮影中、偶然やって来た重連貨物。南紀という観光地を控え、団体列車でも設定されたことで生じた機関車の回送だったのかもしれない。たまたま標準レンズを装着していたから2両目の機関車のサイドが見えるアングルになったが、どうして望遠を外していたのか記憶がない。なにしろ前後のコマを見れば全て135ミリで撮っているのだから、ひょっとしたら重連で来ると分かっていたのではないかと推察する一方、自分に関しては絶対にそんなことをするわけはなく不可解な一枚でもある。

Img8161

| | コメント (0)

2024年8月21日 (水)

銀帯のDF5026

往年の世界的二枚目俳優、アラン・ドロン氏が死去した。

中学生のころ、学校帰りに都内の映画館に入り浸り外国映画を貪るように観賞した時代、彼が主役の映画は数多く上映され、結構な本数を見てきた者としては強烈な寂しさを感じる訃報だった。
有名なルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」はニーノ・ロータの音楽とともに日本でも人気を博し、アラン・ドロンの名が一躍世界に広まったが、個人的にはもう少し年を取ってから主演した「冒険者たち」「シシリアン」「さらば友よ」「ビッグガン」「スコルピオ」などのアクションものが好きで、まだ中学生だった自分も、あんな渋い中年になりたいとまで思ったものだ。
またレナウンのダーバン(紳士服のブランド)のCMにも登場していて、ダークスーツやトレンチコートなどをまとった姿をテレビを通して見かけることも多く、二枚目ぶりは子供心にも際立って映ったものだ(ちなみにこのCMの音楽は小林亜星氏の作曲)。カッコいいとか今で言う「イケメン」などと、そんな生半可なものではなく、最近の甘っちょろく腑抜けた顔をした国内外の二枚目俳優には全く見られない、色濃く漂う「陰」の部分が素敵で、そこに見え隠れする「悪」の一面が二枚目ぶりに一層の拍車をかけているように感じた。

我が家のグルニエには昔見に行った映画のプログラムやチラシ、レコードが多数残っていて、これまで幾度となく処分してしまおうかと考えたこともあったが、久しぶりに引っ張り出して映画にはまっていた当時を偲んでみようと思っている。アラン・ドロンはもちろん男優ではスティーブ・マックイーンやチャールズ・ブロンソン、ジャームズ・コバーンにマカロニ・ウェスタン時代のクリント・イーストウッド、女優ではオードリー・ヘプバーン主演のものが圧倒的な数を占める。

****************************************************************************************

ゼンザブロニカEC-TLを買った1978年9月に和歌山機関区で撮影した、お召列車けん引に充当されたこともあるDF5026号機。これ以前にも撮っているがモノクロで撮ったものだから、お召列車牽引の名残である銀帯に気づかず、この日が初めてカラーでの記録となる。

ブローニーの6×6サイズでは12枚しか撮影できず、35ミリフィルムよりも慎重に撮らなくてはならず、露出も含めてこんな1枚を撮るのにけっこうな時間を費やしたことを思い出す。
光に帯がうまく反射して、それが銀であることが分かる角度を探し当てるのに苦労したが、すぐ隣に蒸気機関車時代に火室下部から灰を落とすために設けられたアッシュピットがあったおかげで低い位置から撮ることができた。

ウェストレベルファインダーで左右逆像の6×6サイズは扱い使いづらかったが、この後に買ったペンタックス6×7の場合はタテで撮るケースでは非常に不便で、車両基地などではむしろブロニカの方が便利だったように思う。それまで35ミリフィルム一辺倒で撮ってきた若者にとって当初ブローニーフィルムの粒状性は素晴らしく感じられたもので、自分の好きな車両を撮るときには必ずブローニーを用いたが、超望遠レンズを使うようになるとモノクロの場合、少しは粒子が荒れている方が迫力が増すように感じ方に変化が出てきた。
そもそもこのブロニカやペンタックスの6×7は「中判」であって「大判」ではないのだから、現像に失敗すれば35ミリと画質に大差がなくなるのも当然だったが、まあ若いころの無知もあってこれらのカメラに盲目的に憧れたものだった。今思えばそんなものに金を投じるなら、もっと長いレンズにこそ資金を回して画角の違いをもっと早く知った方が利口だったと思う。

Df5026

 

| | コメント (0)

より以前の記事一覧