ディーゼル機関車

2026年8月14日 (金)

久々に集団の中で列車撮影したはなし

5日から一週間ほどニセコと支笏湖周辺に行ってきた。撮影はしないで温泉に入り美味い食事にありつくのが目的の旅だったが、たまたま例のデザイナーが手掛けた「ロイヤルエクスプレス」が北海道で運転されるのが今年で最後ということもあり、かつて夜行列車を撮りに行った噴火湾周辺にちょっと寄り道することにした。例年、この時期に北海道に行くと道東方面で出くわしていた列車で撮ったことはあるが、道南方面で運転されるのは珍しいらしい。しかも当初、この情報をもたらしてくれた友人によると黄色いDE15が故障し国鉄色の機関車が使用される可能性もあるという話だったから今回はちょっと興味がわいたものの、結果として黄色い機関車が使われガッカリ。ただ自分としては車両よりも、10年ほど前まで足しげく通った沿線がどう変貌しているかの方に関心があったものだから、全くもって撮りたいわけでもない被写体に時間を費やすこととした次第。

さて10年ぶりの室蘭本線はどこもかしこも雑草だらけ。黄金の海岸はどうやら試運転の時に線路わきの草を刈った連中がいたようで、列車の足回りは撮りようによってはかろうじて雑草に遮られることはなさそうだったが、それでもノースリーブからはみ出した腋毛のようでどことなく不潔だし、国道のラーメン屋から入ったカーブも草に覆われかつての有名撮影地の面影はない。当初、目論んでいた豊浦の展望塔からの俯瞰も上下線間の雑草が伸び放題、どちらかと言えば列車の後方から撮った方がマシかと思ったものの断念せざるを得なかった。行くたびに昼飯にナポリタンやホタテフライを食べた国道沿いのドライブイン「みさき」も営業をやめたようで廃墟となってしまったのは寂しい限り。

チョイスしたのは大岸と礼文の間のカムイチャシ史跡のある小高い丘。かつて夜行列車を撮りに行った時代には、こんなところで撮ろうなどと思ったことはないが、雑草の影響が少ないことと晴れれば車体側面にも光が当たるという点に重きを置いて判断した。
着いた時点(朝7時過ぎ)では一番乗りだったものの、さもしく意地汚い追いかけ撮影を企てている奴らが見晴台(老朽化したため立ち入り禁止となっているにもかかわらず)の手すりに三脚を固定して場所取りをしている。相変わらず鉄道撮影の世界にはこういう下品極まりないバカが数多く存在しているらしいが、それはそれとして自分好みの立ち位置を確保して列車を待つことにした。

まあ後は想像通り列車の接近が近づくにつれ人も増え先客の間に割り込もうとする奴もいたが、幸いにもこちらの立ち位置は安泰でのんびり手持ち撮影に徹することができた。
それにしてもこんな列車、三脚を立てて複数のカメラで撮りたいのかね? 昔はカラーとモノクロの両方を撮りたいがためにこんな手法を使う人もいたが、デジタルカメラとズームレンズが全盛となった今、そこまで下品にならずとも良かろうに!そもそもファインダーをのぞかずに写真を撮るなんぞ、監視カメラを設置するような行為と大して変わらず、「撮った!」と言えるのか甚だ疑問。三脚を使わずに手持ち撮影が当たり前になれば場所の譲り合いも和やかにできるのではないかと思うのだが。
まあ、どうせこの先もこの世界は変わらず推移していくのだろうな。「〇〇は死ぬまで治らない」のか「死んでも治らない」のか???

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2026年4月25日 (土)

金沢へ

本日は誕生日でこれから金沢へ。カミさんと息子も同行(息子は後から合流)し祝ってくれる…のかもしれない?
昨年9月に黒部温泉に行った際に金沢で宿泊した「山楽」というホテルのラウンジが気に入ったと、ことあるごとに話題にしていたら妻が予約してくれていて再訪が叶うことになった。ありがたいことだ。
弾丸ツアーの如き一泊二日の日程だからホテルとその周辺の近江町市場あたりしか行く余裕はないが、ゴールデンウイーク前の観光客が少ないであろう時期、せいぜいのんびりして来ようと思う。

さすがにカメラは最低限で良さそう。Z8のバッテリーグリップを外して24~120ミリで事足りる。先日の松山、熊本のように路面電車もない街だから鉄道撮影はあり得ないし、野生動物に遭遇することは100パーセントあるまい。余計な荷物を持たずに帰りにいろいろとお土産を買う余裕を確保する方が利口だ。
とりあえず絶対に欲しいのは「ヤマト醤油味噌(株)」の寿司醤油。寿司に合うのはもちろん、刺身との相性も抜群で昨年の旅行でも買ってきたが今回は少し多めに入手しておきたい。ネットでも購入できる時代だが、やはり現地で買って来たという事実は旅先での思い出の一コマとして刻まれる。急いで手に入れなければ困るものでもなし、自宅に居ながら買えるというプロセスではあまりにも味気ないように思う。
実は先日の熊本でも醤油を買って来た。こちらについては味わったうえで買ったのではなく帰りの空港の土産物屋の片隅に置かれていて無色透明なことに目が惹かれた。厳密にいえば「醤油風調味料」となるようだが、見た目が透き通った水のようで、本当に醤油の味がするのか気になった。特に九州の刺身醤油は甘口が多く、そういう観点からも好奇心が湧いた。関東の人は九州の甘い醤油になじみが薄いが、福岡で3年暮らした身としては懐かしいし、それはそれで好きだったからつい手が出てしまった。まだ味を確認していないが、トリュフが入った別の透明醤油は先日、ハンバーグにかけて食べたら美味だったし期待大だ。

加賀百万石の金沢の土産としてはお菓子なども気になるが、それよりも近江町市場で売られる海産物や野菜も楽しみ。特に加賀野菜は上品なものが多く、野菜の目利きが効く妻の目で判断してもらおうと考えている。探してみたいのは能登の椎茸。非常に濃厚な味わいだそうで、なかなか入手できないというから無理かもしれないが注目したい。
ほかには「かぶら寿司」。塩漬けしたかぶに熟成させた天然鰤を挟み、糀で漬け込んで発酵させた伝統の品で、金沢に住んだことのある妻から教わって好物の一つになっている。お麩とともに金沢の名産だし、保冷バッグを持参して持ち帰りたい。

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今年もY・M氏のおかげで恒例の趣味仲間との宴会が催される。昨年から泊まりがけの旅行会も復活したし、仕事をリタイヤした方も増えたので今後ますますこういう機会が増えるかもしれない。自分自身、このところ旅行が続いているが、「これが最後の顔合わせ」となっても不思議ではない年齢ゆえ、この時ばかりは予定を一切入れず万難を排している。
場所が渋谷だから、会の始まる前に「モデルスイモン」に行けば、仲間の何人かもやって来るだろう。このところ模型の方もご無沙汰だから久しぶりに「目の保養」も忘れてはなるまい。

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SMSが台頭し、そろそろ存在感が薄れてきたブログ。そう遠からずこの「niftyブログ」もお終いになる可能性もあるだろうと考え、これまで記事に使用しなかった写真、要するに本来の目的ではなく本命の列車撮影の前後に撮った画像を極力使用していこうと考えた。

今回はDF200の貨物列車。北海道には晩年の夜行列車を撮りに毎月のように通ったから室蘭本線や函館本線での貨物列車の写真はずいぶん撮影したが、雪が舞う中で撮ったものは多くはない。
今回のものは2015年3月13日に最終の札幌行(大阪発は前日)となった「トワイライトエクスプレス」を撮影後、札幌から大阪に向けて返送される「トワイライトエクスプレス」客車を待つ間に撮ったもの。雪が徐々に激しくなって超望遠レンズを諦めて200ズームで撮ったように記憶している。
近くの温泉施設「しおさい」に宿泊し、「朝練」を終えて風呂に入り一杯飲んで昼寝をした後に再び撮影地に戻った。すでに3月も中旬、前日まで雪は全く積もっていなかったのに朝起きたら結構な降雪で驚いたことを思い出す。

見飽きるほど撮影し今なお北海道の貨物輸送の主役であるDF200だが、そろそろ後継機が開発されているようで若い番号の機関車から淘汰されていくことだろう。

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2026年3月22日 (日)

整備中の「出雲」牽引DD51

18日の深夜、北海道から帰った。今回のモモンガ撮影は数こそ撮れたが「決定版」と言える写真が撮れず隔靴掻痒。今年はモモンガの繁殖期が遅いようで明るい時間帯にスッキリ撮れるチャンスがほとんどなかったためだ。それでもそもそも夜行性の動物だし、被写体が愛らしさに「質より量」と喜ばなければならないだろう。

で、帰宅から中3日おいて今朝は札幌へ来た。もう札幌はモモンガの季節はとうに過ぎ、この時期に撮りたいような生き物はいないが、撮影地で知り合った札幌在住の方が真駒内公園を案内してくれるということもあって2泊で訪れることにした。思えば新千歳空港を利用するのは久しぶり。北海道の夜行列車を撮っていたころは月に一度ないし二度は千歳を利用したものだが、最近は5年ぐらい前だったか、動物撮影の帰りに安平町の道の駅で保存中のD51320の公開にたまたま遭遇したとき以来。このところ頻繁に利用している女満別や釧路などのローカル空港とは比較にならない規模なのは言うまでもなく、レンタカーを借りるまでには時間もかかって返って面倒な気がした。
それでも自宅にとどまり花粉症の猛威におびえているよりも、スギ花粉の少ない北海道に3日ながらも逃げて来られたのは良しとしたい。時間が余ったら久々にDF200の貨物列車でも(架線下の電化区間でも良いから)撮ってみようかとダイヤグラムを携えているが果たしてどうなるか。

チェックインしたホテルのラウンジもゴージャス。昼の市内探索もやめてホテルで過ごすことにした。
11、12日に2泊した帯広のホテルは部屋が狭く外国人観光客ばかりだったし、何しろ立体駐車場なのにエレベーターがなく、撮影機材を部屋に運ぶのに往生したから「安かろう悪かろう」は避けた結果。昼から贅沢に展開中。

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かつてK・M氏と行った山陰旅行で撮影した「出雲」牽引のDD51。東京から同列車を牽いて米子機関区で整備中。「出雲」のヘッドマークは白が基調の「あさかぜ」や「さくら」などより見栄えが良く気に入っていたし、国鉄時代のDD51の車体色にマッチしていたように思う。

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2026年3月11日 (水)

磐越東線DD51重連貨物

松山の旅はなかなか楽しかった。これまで3度ほど訪れたが最初は1982年3月で社会人になる直前、中学の同級生らと3人で香川県で開催された「太陽博」に行った40年以上前のこと。自分としては「太陽博」など全く関心はなかったが、ついでに大好きなDF50を撮るチャンスがあることから付き合うことにした。博覧会のほか香川で栗林公園、松山でお城などを観光する合間、わずかな時間を使って駅に行ったら、偶然にも1号機が来ていたのはあまりにも運が良く、しかもスノープローを装着している姿を初めて撮れたのはとてもラッキーだった。
初訪問でそんな思い出もあるせいか、なんとなく良いイメージが残り、就職してからも労働組合の全国会合に出席したときや管理職となって出張する際もワクワクしたことを思い出す。

ただいずれも市内中心部のホテルに泊まったため有名な道後温泉界隈をじっくりと見ることはなかったが、今回の旅ではボランティアのガイドさんに案内していただき、近くの古刹にも訪れて温泉街の喧騒とは真逆の静かな雰囲気にも接することができた。正直言えば松山という土地は道後温泉ぐらいしか見るべきところはなく、観光としてはここで生まれた正岡子規と、教師として赴任した夏目漱石にまつわるものぐらいしか目ぼしいものはないだろうと決めつけていたこともあって、そんな思い込みを良い意味で打ち砕かれたというわけだ。

ところで久しぶりに鉄道車両を撮影した。市内を走る路面電車の軌道を走る「坊ちゃん列車」。軽便鉄道時代の蒸気機関車を模した、実は動力はディーゼルなのだが、細かいことには目をつむって道後温泉周辺で何度かカメラを向けた。
15年前の出張時に軽く記録したことはあるが、まさか今も走っているとは思っておらず、今回は持参した400ミリ(もちろん軽量なタイプ)で背景など無視して「面タテ」で狙ってみた。
路面電車の軌道を走る車両は行きかう車に遮られることも多くて、シャッターチャンスはなかなか難しいが、イレギュラーな動きをする動物や鳥よりははるかに撮り易く、久しぶりに鉄道ファンとしての血が蘇ったように感じた。

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またもや羽田のラウンジでの作文。これから帯広に飛んで数日滞在後、網走へと転戦する。今回も狙いはモモンガ。春先に繁殖行動に入るから通常、夜行性のモモンガが日中も出てきてオスがメスを追いかける機会が増える。それでも撮影チャンスのほとんどは早朝か夕方に限られるから、やはり運や天候に左右される可能性は高い。

3月も中旬となるが、昨年は17日までサロマ湖周辺にとどまった挙句、暴風雪で女満別からの飛行機が飛ばず、旭川まで行ってレンタカーを乗り捨てて帰途についたほどだからまだまだ油断はできず耐寒装備もおろそかにできないが、戻ってくる頃には関東では桜の便りも聞こえているのだろうか。

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この写真、いつごろ撮影したのかすっかり忘れてしまったが1995年か96年の秋だったように思う。3年間の福岡赴任を終えて本社に戻ってきたころのもの。
福岡時代は美味い酒、美味い魚、楽しい現地の友人たちに囲まれかけがえのない3年間を過ごすことができたが、こと列車撮影に関してはロクな被写体がなかった。JR九州がおかしなデザイナーに車両の塗装や改装を依頼し、真っ赤な489系ボンネット電車や復活した蒸機8620を変な色に変えて、見るも無残な国鉄型車両があふれていたためだ。当然、線路際に立つ機会はなくなり、かろうじて東京や関西からのブルトレや筑豊線の客車列車しか撮るに値するものはなかった。

だから関東に戻ったらその鬱憤を晴らすかのように、昔はそれほど入れ込んで撮影しなかったDD51などを撮りにこんな場所まで遠征したが、それとても「熱心に」というレベルじゃなかったように思う。
これはベルビアで600ミリを使用した画像。水平にカメラを構えると面白くないから、やや傾けて撮影した。周囲にまっすぐな電柱などがない場所だからこそなせる技。

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2026年2月 7日 (土)

羽田でひまつぶしの記事

期日前投票をさっさと済ませ本日から秋田へ。日本海側の大雪予報で飛行機が飛ぶかどうか微妙だがダメならダメで仕方ない。また行くだけのことだ。

それにしてもこんな寒い時期、特に北国の方々は大雪で投票どころではないだろうに、国民生活に関して自民党、高市が全く配慮しないことの典型例だ。もとより食品に関して消費税を2年間だけゼロにすると言っても、再び上げるときのショックは相当なものだろうに。有権者を騙すような話だとしか受け取れない。もちろん騙される方もダマされる方で政見放送を見ていても「オレオレ詐欺」かと感じるばかり。
ところで投票日の設定が8日になったのはテレビ局などがオリンピック放送に主軸を置くから、その前に投票日を設定したのだろうと思っていたら案の定。NHKの知り合いが自民党から五輪放送の枠について早くから問い合わせがあったと、私の指摘に返答してくれたが、ここで一週間やそこら延期されたとしても大したことはなかっただろう。とにかく高市は自らの人気が下がらないうちに焦って解散したとしか思えない。

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今、羽田に早く着いてラウンジでひまつぶしにこんな記事を書いたところ。手持ちの絵がないので以前使った尾鷲駅で並んだキハ81とDF50の画像を再掲する次第。

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2025年11月14日 (金)

鉄道仲間たちとの旅の準備

さて明日は若いころから鉄道写真を撮り続けてきた仲間たちとの旅行。今のところ15、16日両日ともに天気は良さそう。紅葉のピークは過ぎてしまったかもしれないが、まだ十分楽しめそうで2年ぶりの会津を堪能して来たいと思う。ただ自分が行く場所は毎度おなじみのところばかりだから、今回はM氏の車に乗せていただいて、普段行くことのないポイントでカメラを構えるのも楽しいだろう。
先週の運転ではC57180が山都の先、慶徳峠を上ることができず(砂箱だか砂撒き管のトラブルらしい)途中で運転打ち切りになったらしいが、今回もそんなことが起きないよう願っている。

実は自分の車で行って、SL撮影の前にツキノワグマでも撮ってみようかという考えも浮かんだが、昨今出没数が多いとはいえ必ず出会える相手でもないから、無駄に時間を費やすのもバカらしくSL撮影に専念することにした。ただし念のためクマ撃退スプレーは持参するつもり。

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写真は1995年11月下旬、磐越西線の山都付近での撮影。客車列車がなくなるときのお別れ運転。
当時は一時的にキヤノンのEOS1も使っていて、これは300ミリ、F2・8で撮ったもの。メインはニコンの500ミリで、珍しく2台のカメラを使った。と言うのもキヤノンに対する信頼性が低く、万が一のことを考えての体制だった。リバーサルフィルムのベルビアでの撮影。
けっきょくキヤノン製品もなかなか素晴らしかったもののシャッター音などがどうも気に食わず、しばらくして「休車」となってしまった。

今回の鉄道仲間たちとの旅よりももう少し秋が進んだ時期だが、きっとこの程度の光線状態で撮影できるだろうと、準備のため古い写真を引っ張り出して確認してみた。

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2025年11月 8日 (土)

五稜郭機関区のDD51

年内の旅行は鉄道仲間との会津行きを含めあと3回。いずれも行先は本州内だが、マイレージがかなりたまっているので本格的に雪が降る前に、あと一回北海道に行こうかどうか迷っている。と言うのも先日の知床旅行でヒグマの撮影者が例年よりも少なく、のんびりとシマフクロウを探せそうだから。

羅臼岳のヒグマ事故で撮影に関しても影響が及び、知床財団などの見回りがうるさくなったことから例年現地でお会いする(クマ撮影の)方々すら見かけなくなったため他人の行動を気にせず撮影に没頭でき、特に人の気配がするとすぐに逃げてしまうシマフクロウを撮るには良い状況となっている。秋がますます深まり木々の葉が枯れ落ちれば、見つけやすいという利点も重なる。

そう考えるとヒグマ撮影の規制も悪いことばかりではないが、いくつか思い切れない理由もあって逡巡してしまう。
一つはいつも使っているホテルが冬季休業に入ること。流氷が来る1月下旬には営業再開するが、その前の閑散期はお休みになる。もちろんほかに営業を続けるホテルはいくらでもあるが、定宿にしているここは撮影現場に最も近く、部屋の窓から山の様子や道路の凍結状態などが分かりやすく好都合。食事はまあまあなれども夜通し入れる温泉もあって、未明に起きて体を温めてから撮影に出かけられる。いい年して車中泊などバカなことをやらずに撮影をしない時間はそこそこ快適に過ごせるのはありがたく、知床に何度も足を運ぶ理由にもなっている。
もう一つは10月の旅で、これ以上はもう難しいのではないかというレベルのシマフクロウの写真が撮れたため、それを陵駕できる絵を撮れないのではないかという諦観。自分好みのアップ、しかも木の枝にとまっていながら見上げることなくアイレベルで撮れたし、紅葉に囲まれ色彩としてもまあまあの画像。よほどの幸運でもなければ、これを超える写真は難しそうで、それなりに金と時間を使ってももっと良いシーンに巡り合える確率はかなり低いだろう。

そんなわけでどうせ行っても、せいぜい親子のヒグマと雪のコラボ程度が関の山。ここは無理せずに今後、どういう絵を撮りたいかといったコンテを立てるのも悪くはないだろう。明確なコンテも考えずにむやみに訪問回数を増やしても同じような写真ばかりたまってしまう。現地に乗り込む以上は、やはりこれまでとは少し違った絵をモノにしたい。今はじっくり次回の構想を練るときなのかもしれない。

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1984年7月、結婚して1年ほどたった夏の北海道旅行中、観光地巡りを終えて大沼プリンスホテルに向かう途中、立ち寄った五稜郭機関区で撮影したDD51。日の長い夏場ながら日没まで残り少ない時間帯だったため車体に影が伸びてしまったが、別の場所に止まっていた同じく「三つ目」の711号機はもっとまともに撮れたのはラッキーだった。

勤務時間終了直前、撮影に付き合ってもらった助役は面倒くさそうな顔をしていたが、今になって思えば強気に出て良かったと思う。まだDD51が五稜郭機関区にゴロゴロしていた時代の話。なんでこんな機関車が撮りたいのか不思議そうな顔をしていたことが忘れられない。

昔から北海道の機関車は蒸気機関車のC11にせよ9600にしても、ヘッドライトが左右2灯だったりして増灯されたものがあったが、山線でカーブが多いことなどから降雪時などに重宝したのだろう。それに最近のヒグマの問題なども加味すれば、線路上に飛び出すエゾシカなどの動物に警戒を促す効果もあったように推測する。

ブルートレインの晩年、北海道に「北斗星」などを牽引するDD51を撮りに通ったが、青いDD51にもこんな「三つ目」があったらと思ったものだった。Photo_20251108102801


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先日の旅行中、ホテルでトランプ米大統領が来日した時のテレビ中継を見ていた。
日の入り後、都心上空にヘリを飛ばしての中継など、事故も恐れず「よくやるよ!」と感じたが、それよりも驚いたのは夜になっても都心が明るいこと。写真で言えば露出オーバーでハレーションが起きているような画質。電灯の少ない知床に滞在していたせいか、その明るさが際立ちすぎて呆れる思いすらしたと同時に、こんなところからあまり離れていない自分の住む横浜だってさほど変わらないと気づき、ちょっとウンザリしたものだ。明るい所に集まる昆虫、人間も同様かと。
頭が古いせいか昼は明るく夜は闇が自然だと思っている身としては、この東京の夜景を北海道の端っこから眺めて、こんなところに住んできた自分の不自然さ(とでも言うべきか)に今さらながら激しい違和感を覚えた。

それにしてもトランプの警備は異常。警察官約18000人を投入したうえ、羽田から米大使館までヘリを使って米大使館に入り、さらに夕方のラッシュ時間帯に首都高速を30分以上閉鎖して皇居に向かう姿に、知る由もないが「進駐軍」を連想した。トランプの車列を金魚の糞のごとく追従する日本の警察車両、大統領の乗っている車のすぐ後ろに続くならまだしも、米国のシークレットサービスの車のずっと後ろにゾロソロついているだけ。これじゃあシークレットサービスを護衛しているかのようにしか見えず情けなさも大きかった。
さらにはその後の米海軍横須賀基地での早苗ちゃんの振る舞い、加えてトランプを独断でノーベル賞候補に推薦する(国会ではその真偽を明確にしなかったが)など、いったいどうしちゃったのか!

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2025年11月 3日 (月)

残雪の山をバックに「トワイライトエクスプレス」

一週間以上に及ぶ道東・知床の旅から帰ったばかり。
今回は羅臼岳のクマ事故が撮影にどのように影響を及ぼしているかという点に関心があったが、やはり少なからず制約が出て、以前とは少しばかり勝手が違った。細かく書いても無駄だし、ここに指摘しても知床財団や環境省の現地関係者は、人の話を真摯に聴く耳もなく意味がないから省略するが、どうも彼らは「守る」という観点だけにとらわれて、「今後どうする」という発想がなく、観光地・知床の魅力がこのままでは大きく削がれてしまうように感じた。たしかになかなか見られない流氷などは「売り」の一つだが、日本全国には多くの景勝地があって、それらの中には知床をはるかに上回る景色もあるのだから、このままでは動物撮影者ばかりではなくリピーターの観光客も減るように思う。知床と言えばヒグマに出会えるかという期待も大きいし事実、お土産のTシャツなどにもクマのイラストがあるくらいなのに観光客がクマを見つけて車を止めることさえ咎められるのなら知床観光の拠点はオホーツク海側のウトロからワシやシャチ、イルカなどの観光船に乗れる(ウトロ側では動物観察の船はほぼない)根室海峡側の羅臼に譲ることになりそうだ。

さて、撮影は上々の上といった成果を得た。日本に200羽以下といわれる絶滅危惧種であるシマフクロウの良い絵が撮れた。もちろん餌付けされていない野生の個体。自画自賛は面映ゆいものの、客観的に見ても最高ランクの写真と言って良いだろう。だからヒグマなどどうでも良くなって、知床財団や環境省のアホな連中と下手に軋轢を生まずに旅を終えることができた。撮影後10日たってもその喜びは未だ持続しており、疲れが癒えるまで画像処理をせずに体調がととのってから作業を始めようと思っている。

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書店で立ち読みする鉄道雑誌のほとんどが車両の歴史やガイド、あるいは運用などにまつわる毎度おなじみの記事ばかり。昔から大して変わらない内容で、もう鉄道撮影には熱中することのない身には退屈そのもの。極論すればほかの本や資料から引用(悪く言えばコピペ)したと思われる解説的なものが多く、しょせん撮影するつもりもない車両を取り上げても興味も湧かない。
もちろん現役のファンの中には、そういう知識を蓄えて撮影に役立てる方もいるのだろうが撮影の肥やしになるような知識って、こんな記事の中にそれほどあるものではない。おまけに若いファンは雑誌自体を買わなくなって、ほとんどの知識はネット頼り。それなのに記事は旧態依然の切り口の繰り返し。もっと撮影時の体験談などを展開できないのか。想像だが執筆者が毎度毎度決まっているため、彼らに一任していることからマンネリ化を打破できないのではないか。

加えて写真も200ズームで撮ったものばかりで、写真が大きな「売り物」であるのに凡庸でしかない。多くの人の写真をたくさん掲載しようとしているのか、その一枚一枚も小さくて「質より量」的な扱いで際立ったものが少ないのはとても寂しく正直ウンザリする。だから買わない。
少なくとも立ち読みする読者が、衝動的に財布のひもを緩めるような記事や写真がないと売れるわけあるまい。

おかげで最近の雑誌は月刊のものよりも季刊であったりイレギュラーに発行されるものの方が断然面白い。たとえモノクロの、古くピントが甘い写真でも個性が滲み、一枚一枚を真剣に撮影していた様子が実感できる。本音を言えば自分が記事を書かせていただいた「電気機関車EX」やネコの「国鉄時代」などは発刊当時、価格も価格だから長くは続かないのではないかと危惧していたものの、最近は自分が活動していた時代の記事や写真がじわじわと増えて面白味が増してきた。要するにもう実物の列車撮影に「未来」などないのだから「過去」の方が断然楽しいということなのだろう。年齢的な感想でもあるが。

そんなことを考えると昨今、多く見かける超俯瞰撮影など風景をフレームに多く取り入れた写真が何十年かして鉄道雑誌に掲載されても、どの程度その時代の読者に響くか想像できない。特に風景主体のショットは何年もたって真似して撮ろうと思っても樹木が伸びたりするなど、環境変化のおかげでお手本となるような写真が撮れなくなる可能性は非常に高いから、せっかく苦労して撮っても写真としての「旬」は短い気もする。
やはり写真の価値がもっとも問われるのは主役であるはずの車両の「記録」にこそあるのではないか。

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2014年3月23日、家族でニセコにスキーに行った際、撮影した「トワイライトエクスプレス」。この列車の大阪行きは冬でも夕日が当たる時間帯に非電化区間で撮影が可能で、そういう意味ではほかの列車よりもいちはやく運行が終わったのは残念だった。
あと一年、廃止が延期になっていたら長万部以南でも手垢にまみれていない撮影地を開拓できたはず。

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2025年9月21日 (日)

多度津駅の歩道橋

「電気機関車EX」の連載を終えホッとしている。5年に渡り計20回ほど写真と記事を掲載していただいたが、いつも締め切りが迫ってからテーマを考えたり写真をチョイスして記事を書いてきた。毎度毎度、次からは早めに準備しようと思っていたのにこんなことの繰り返しで突貫作業の連続。まだ仕事に通っていた時期(2024年3月まで)などは酒を飲んで帰ってくることも多かったから、時間がなくなって徹夜作業も度々だった。さらに、鉄道そのものへの「熱意」が冷めてしまったことも加わって、なかなか「よし!頑張ろう」という気になれなかったことも思い出す。

そんなザマだから毎回、編集長に写真と記事を送った後になっても不安は残った。「あの部分の表現をもっと…すれば良かった」とか忘れていたエピソードを思い出すなど、ゲラを見て反省することもしきり。もうその段階で大幅な手直しなどできるはずもなく、完成した本を見ては幾度も辛酸をなめた。

さて、七転び八起き。
そんな反省をふまえてそろそろ(いつになるか分からないが)電気機関車よりも純粋に好きだったディーゼル機関車、特にDF50やDD54、そして後年、撮影に力を注いだ北海道をはじめとするDD51の記事執筆を手掛けようと考えている。
DF50などは現役時代、蒸気機関車を駆逐した「悪役」のように思われていたのか鉄道趣味誌に特集記事として扱われたことはほとんどなかったが、それからしばらくたってから模型ではけっこうな人気を集め、ムサシノモデルの製品などはオークションで引手数多。同社のDD54とともに発売時の価格を大きく上回る事例も多い。「隠れファン」が多かった証拠でもある。

そこでこれらの機関車を中心に自分が撮影した時代の思い出を中心に書かせていただこうかと考えた次第。住んでいる関東からは遠出しなければ撮れなかった形式ゆえ、記録できなかった個体も多いが紀勢本線や四国に限ればまあ体裁は整うと思う。間違いなく電気機関車よりはこれらのDLの方が好きだったし作業も少しは前向きになれそう。昨晩はとりあえず古いネガからDF50の画像を数十枚ほどピックアップした。記事についてはいったん書き上げてから時間を置いて推敲した方がより良くなるので時間がかかるのは確実だが、ゆっくり慌てず、何より後悔しないよう落ち着いて作業したい。

写真はその中で拾った1978年3月の多度津でのもの。この駅に架かる歩道橋は広々とした構内を見渡すには最適で、架線もないことも手伝って発着する列車を全て撮ることができ重宝した。当時はDE10牽引の列車は貨物も含めて一本もなく、ここを通る機関車のすべてがDF50だったこともありがたく、四国を訪れるたびに必ず立ち寄った。この日は多度津工場に入場しているDF50にもカメラを向けるべく見学許可を頂いていたので、その前の時間を利用している。
多度津工場を見学する許可を取ったのは万が一、DF50の1号機が入場していることを懸念したためだったが杞憂に終わり前日、高松運転所で心行くまで撮れたことも懐かしい思い出だ。

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2025年9月 3日 (水)

ノロッコ号のお決まりカット

いまだに片が付かない石破首相の進退。物価対策や関税問題など喫緊の課題が山積しているというのに国民を無視して権力闘争に明け暮れている自民党議員のバカさ加減には反吐が出そう。各報道機関の世論調査でも「石破は辞める必要がない」という意見が多いのにどこ吹く風。いっそ静岡県伊東市の市長のように衆院を解散したら、自民党は議席をさらに大きく減らし衰退して「ケガの功名」になりそうな気がするし、もはやそこまでやらなければ政治はまっとうなものにならないのではないか。石破問題で「自民党はいったん野に下るべき」と言っていた議員もいたことだし、是非そう願いたい。

しかし自民党の長老って、どうしていつまでも「老害」をまき散らすのだろう。いい年を偉そうにいつまでも影響力を誇示しようと、ふんぞり返って党内を混乱させてばかり。見ているだけでも不快な麻生をはじめ、最近では森喜朗や幹事長だった二階など、もっと遡ればいくらでも名前を挙げられるが、こいつらの行動や言動が伝えられるたびに正直「早く死ね」と言いたくなってしまう。

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気がついたら今年もマクドナルドの「月見バーガー」の季節。まだまだ暑くて月見気分ではないものの、毎年楽しみにしている者としては後ほど自宅から徒歩数十秒の店舗で「初物」にありつこうと思う。値段を見ると以前に比べてずいぶん上がったように感じるが、今シーズンは5、6回ぐらいは食べようと思っている。日傘でもさして買いに行く予定。

それにしても年々暑くなって今年は昨年を上回る暑さ。まだ仕事を続けていたらこの激暑の中、通勤でぶっ倒れていたかもしれないと思えば仕事を辞めて良かったと感じる。おかげで寿命が延びたのではないかとすら思うほど。元の同僚たちはきっとこの炎天下、毎夏汗を流しながら70歳まで頑張っていくのだろうが、職場で具合が悪くなったりしていないかと心配になる。
自分自身、これまで最も暑かったと記憶しているのは1989年1月に仕事で訪れたカンボジアのアンコールワット。ジャングルの中の開けた場所にある有名な遺跡だが、石畳が熱せられていて厚底の靴を履いていても足の裏がどしたかと感じるほどだった。鉄板の上を歩いているようで水たまりを見つけると靴ごと足を入れて冷やしながら取材をしたが、よくこんなクソ暑い所にアンコールワットなどという途轍もない城を造ったものだと感心した。

いっぽう国内では夏の高校野球。甲子園球場のセンターと三塁カメラマン席は日を遮るものもなく、朝から10時間以上ぶっ続けで取材すると夕方には濃い衣類だと汗が乾いて塩になって白くこびりついてしまう。試合中は日陰に逃げることもできず、名物の「かち割氷」などで補水しても大して効き目はなく、超望遠レンズの上で玉子を割れば確実に目玉焼きができただろう。近年はあんな過酷な取材シフトは組むことはなくなったから、ずいぶん改善されたはずだが、そのぶん短時間でも気温が上がるようになった今と比べればどっこいどっこいだったかもしれない。一説によると(未確認)各地の最高気温は日陰にある寒暖計で観測しているらしいから、甲子園球場の日なたでは実際42度ぐらいになっていたのではないか。

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釧網線の観光列車「ノロッコ号」が今年度で終了になると書いたのは誤報だった。たしかに当初はその予定だったらしいが、新たに投入される車両の製造が遅れているのか来年度いっぱいは存続するようだ。鉄道撮影がおろそかになってロクに情報を気にしなくなったため知らなかったが、お恥ずかしい限り。

したがって牽引機のDE10も今しばらくは安泰らしく、原型と車体色は違えど国鉄型の機関車はまだ見られそう。
写真はこの8月に釧路湿原~細岡の有名撮影地で撮ったもの。前回は望遠で引っ張ったカットをアップしたが、今回は短い画角にズームダウンしたもので、これが誰しもが撮る絵。

当初、ここに行く気はなかったが、ヤマセミという川沿いに生息する鳥を探して湿原を走っていたら、ちょうど「ノロッコ号」が来る時間になったため丘に登った。以前は丘への登り口に猛犬がいてかまれた人もいたらしいが、今はいなくなって安心してたどり着ける。

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