執筆者U

2024年12月 4日 (水)

キヤノンの古い大口径レンズで撮った61号機

どこぞののんきな通信社がよその会社からの情報を確認せず記事を垂れ流し外交関係にまで影響するヘマをやらかした。他社からの情報を鵜呑みにして自社としての確認作業を怠って記事を配信したのだから呆れるばかりだが、これじや井戸端会議で聞いてきた噂話をまことしやかによそで吹聴するおばさんと同じじゃないの。

それでも人のやること、予想を超えたミスが起きるのも現実。要はこの先、マスコミとしてこれほどの誤報をしながら幹部がどう責任を取り関係者にどんな処分を下すのかが見もの。ほかの業種で商品に異物が混入するなど不良品を流通させたり、あるいはデータの偽装が見つかれば激しく非難する側が、自分の会社の基幹商品である配信記事に重大な間違いがあれば社長の辞任も不思議ではない。水谷という社長が外務省など当事者に謝罪して回っているようだが、それで終わりにするとしたら報道機関としての信用も地に落ちる。このままダラダラと年を越し、新年の挨拶でこういう問題を繰り返さないよう檄を飛ばせば社長に居座れると思っているんじゃないだろうな。

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国際会議での「外交マナー」について「私自身、足らざる部分が多々あったと認識している。謙虚に真摯(しんし)に受け止め、改善に努めなければならないと痛感している」と国会で発言した石破首相。立憲民主党の小川淳也幹事長への答弁。

まあ与野党伯仲の情勢下にあって真摯に議論を交わすのは当たり前だが、マナー云々についていえば国家議員全体が国民の期待を裏切っているわけで、政治家として「国民へのマナー」はどうなっているのか問いたいものだ。しょせん同じ穴の狢。質問者側もいい気になってんじゃねえよと思いながら国会中継を見ていた。

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NHKが火曜日に放映している「うたコン」。昨日3日は石原裕次郎のヒット曲特集だったが、昔からこの男のどこが良いのか理解に苦しんでいた者としては、食事時にこんなデブがいい気になって歌っている古い映像にウンザリしてしまった。
まあ、昔の方々にとってはスターなのだろうが、「西部警察」時代から糖尿病のごとき膨満した人物がカッコつけていることに違和感をもっていた身としては相変わらず理解不能。かと言って最近の、どいつもこいつも同じような顔をした兄ちゃんたちも御免こうむりたいが。

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特段、記す必要もない成田山初詣臨に充当されたEF5861。キヤノンの古くぼろい大口径レンズで撮ったもの。ナンバーや連結器周辺など、強く朝日が当たったところににじみが目立つ。

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2024年12月 1日 (日)

購入直後のブロニカで撮ったEF5853

一泊で湯河原に行ってきた。カメラも持たない安穏な旅。道路が空いていれば自宅から1時間半もかからない距離だから気楽だ。熱海や箱根、伊東となると外国からの客も含めて人が多く落ち着かないが湯河原だと静かに過ごせる。特に今回は湯河原でも奥の山あいに立地する宿だったからなおさらだったが、チェックイン前に食べた昼の鰻のコースが最高だった。

入ったのは富士屋旅館の瓢六亭という食事処。値段はそこそこするが前菜の鰻の煮こごり、刺身からして抜群。特にキンメ、ブリはこれまで食べた中で最高ランクだったし、メインの鰻土鍋ご飯膳はなかなかのもの。こんな言い方をすると自慢しているかのように受け取られかねないが、ここで鰻を食べたら市井のものは食べられないと思ったくらい。ホテルの夕食もそれなりにゴージャスだったが、うまい昼食のおかげで完全に霞んでしまった。いやはや食の世界は奥が深い。

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来月は道東でも釧路湿原を目指そうと予定を立てた。まだモモンガやワシのシーズンには若干早いが、ブラックフライデーとかのセールでお得なプランがあったため「ならば行くか!」となった。道東入りのほとんどが女満別空港を利用するが久しぶりの釧路空港経由。まだモモンガやワシの撮影シーズンには少しばかり早いが、行ってみれば何か収穫はあるだろうしホテルが釧網線沿いなので「SL冬の湿原号」ぐらいは撮れるはず。家で茫洋と過ごすよりは有意義だ。久しぶりに線路際に立つことになりそう。

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かつて前面に光が当たっていない状況下で大窓のEF58を撮影することには極力避けていたが、時間的な制約などやむを得ないない場合でも忸怩たる思いは強かった。茶色の61号機の場合は日陰になる前面がつぶれてもプリント時に多い焼きなどすれば、まあ許せるものもあったが、一般色の機体については撮影する前からろくな写真にならないだろうと諦観していたものだ。

これもその1枚。1978年8月26日の荷物36列車で場所は大井町~品川。しばらく前の「電気機関車EX」でEF66の「富士・はやぶさ」の写真を載せていただいたが、そこと同じポイントだ。
この日、実は新宿の「カメラのさくらや」でブローニー版のゼンザブロニカEC-TLを購入し、それで最初に撮ったのがこの写真。記憶によれば新宿の帰りに祖父母の家でカメラの箱を開け、フィルムを装填して大井町へと向かったことを思い出す。53号機が充当されることは知っていたから、この列車を「使い初め」にしようと考えた。左右逆像のウエストレベルファインダーに慣れていないことから手持ち撮影した結果、大きく傾いてしまいトリミングで水平にした。現像してみるまでもなくミスに気づいていたから、それを取り返そうと直ちに品川に向かい汐留から単機で戻ってくる53号機を撮り挽回しようと試みたが、やはり列車を牽いている姿でないと埋め合わせはできなかった。

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2024年11月27日 (水)

EF5866牽引のオールロネ団臨

朝起きたら右目の周囲に痛みを感じ鏡を見るとまるで「四谷怪談」のお岩さんのように腫れていた。年齢的にもいろいろ故障が出てもおかしくないので朝一番で眼科に行くと「ものもらい」の初期症状だという。小学生や中学生の頃、同級生などによく見られたものだが、原因は不衛生や睡眠不足などさまざま。いずれの原因も心当たりはあるが、大人になってからは周囲にそんな症状が出た人を見ないから「今さらなんで?」と感じたが、とにかくもらった目薬で回復を待つしかない。それでも試合でパンチを受けたボクサーのような面相を鏡で見る度、情けなくなってしまう。

パソコン作業がやや億劫だ。

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「電気機関車EX」の記事を書くために古い「鉄道ファン」を眺めていたらEF5889が茶色に塗り替えられた時の記事に目が留まった。国鉄末期、61号機の人気にあやかって塗り替えられたとのこと。ただ、記事の中に当時つらら切り付きのEF58の人気が高まっていたとあるのは事実なのだろうか。このころはEF58に蝟集する連中が増え、そんな中に首を突っ込むのが煩わしくなって撮影から一歩引いていた時期だから、そのような傾向は知らなかったが、自分には記憶がなく釈然としない。本来塗り替えられる予定だった109号機よりも、つらら切りのおかげで89号機に振り返られたことは以前から知ってはいたが、つらら切り装備車ってそれほどの人気があったのか???

当時の大宮工場には鉄道ファンの幹部がいて、その方の発案だったとも聞いたが、だとすれば彼のための提灯記事のようにも受け取れる。とにかく鉄道博物館には61号機より先に展示されることになってしまったわけで、けっきょく同じような色の同一形式が2両となったのは計画性が欠如していたとも映ってしまう(想像にすぎないが)。89号機などよりも収蔵するに値する(EF58ではない)別の車両があったような気がするが。

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古いネガのスキャンを再開したら、この写真を取り込んでいなかったことに気づいた。1978年11月7日に紀勢本線・白浜~朝来で撮影した10系オールロネのゴージャスな団体臨時列車(回送で列車番号は回8125列車)。

この編成は11月3日に宮原のEF5897によって上京し常磐線に向かった団体が乗車したもので、帰りは11月6日の東京発8101列車で東海道を下り紀勢線に入り、翌7日に白浜で客を降ろし紀伊田辺へと回送されたと記憶に残る。10系客車による団体列車はたまに運転されることはあったが、ロネのみの編成は珍しく授業を休んで紀勢線まで追いかけた。なかなか貴重な団臨だったと思うが、紀勢線内の写真は趣味誌にもあまり発表されなかったから単純に独りよがりに騒いでいただけなのかもしれない。天気が悪くリバーサルなどとても使える状況ではない中、ある人と現場に向かったことを記憶している。モノがモノだけに編成の側面がよく見えるような角度で撮ったのは当然と言えば当然。
後になって大窓の66号機が充当されたのは誰かが竜華機関区にお願いしたものだと聞いたが、だったらつらら切りのない22号機にして欲しかったと感じたことも忘れられない。

その後、30年以上して仕事でこの近くまで行ったときに車ですぐ横を通ったが、紀勢自動車道がほぼ真上を通るようになり撮影には不向きな環境となっていた。

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2024年11月21日 (木)

函館本線・大沼駅付近の貨物列車

もう本気で鉄道を撮ることはあるまいと思っていたら、ちょっと気になる車両を見つけた。「見つけた」と言っても新たに造られたものではなく、何年も前から現役で使われていたもので、ファンの間でもほとんど注目されなかった存在。その厳つい外観はよく見ると自分の好みにマッチしそうな予感もあり、いずれ撮影に行くつもりで今は下調べに勤しんでいる。超望遠レンズで圧縮したら、案外いけるのではないかと思う。

今年はもう11月も下旬になってしまい、動物撮影とのかねあいから時間を割けそうになく訪問は来年になるだろうが、撮影地が混み合うようなネタでもないからガツガツせず2025年以降の課題として楽しみを温存しようと思う。
ただ一つ問題なのは、自分が思い描いているよりも撮影地が少なく長いレンズを使える場所がかなり少ないこと。一昔前なら問題ないような場所ながら、最近はちょっと線路に接近するとすぐに問題となる時代だから、そんなことにも配慮しながらポイントを探さなければならない。まあ時間もあることだし、来年は観光も兼ねて旅先の一つに数えている。

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1988年5月、函館・大沼のカントリークラブで行われたプロゴルフの取材に行った際、早起きして撮ったDD51の貨物列車。もちろん本命は運転が始まったばかりの「北斗星」だったが、これはその前の列車で、日の出の早い5月だからこそ撮ることができた。

当時の北海道はまだ多くのDD51が使用されていたが、国鉄民営化を機に相当数が廃車になった。
記憶が定かではないが、まだDF200は見たことがなかったから製造されていなかったのか、両数が少なかったのか(調べりゃすぐに分かることながら面倒くさいし、どうでも良いことだから割愛する)、とにかくこの出張のときに撮った記録の中には一枚も残っていない。

スノープローが付いたDD51はそれ以前から好感を持っていたから山陰への出張などのときにも時間を作って記録したが、やはり北海道の方が密度も高く編成も長かったから撮影のし甲斐を感じたのは確かだ。

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2024年11月17日 (日)

今回の函館線事故現場での記録

首相が交代したものの衆院選で連立与党が過半数割れとなって騒がしい自民党。石破首相も総裁選での発言を撤回したりするなどして批判を浴びているが、それにしても身内の議員から首相の責任論が噴出しているザマは滑稽だ。なにしろ自民低迷の大きな理由が裏金問題だったことも顧みず、選挙結果について党幹部の責任を追及する姿はまるで自分たち自身の責任を棚に上げて全く反省していないかのようにしか映らない。もちろん選挙期間中に非公認候補者にまで2000万円を支給していたことは新執行部として責めを受けても当然ながら、そもそもは前任者の岸田がろくに後始末をしなかったことが国民の怒りを買ったのだから、責任を追及するなら矛先を彼らに向けるべきではないかと感じる次第で事の本質を見誤ってはいないか(それともわざと見ないようにしているのか)。

マスコミにしても自民大敗となった感想を岸田にこそ尋ねるべきで、そういった報道がないのだから怠慢としか言いようがない。もちろん岸田だけでなく麻生や二階、あるいは自民党に戻る萩生田や西村らの(選挙結果への)感想も伺いたいが週刊誌も含めて彼らに取材した記事を見かけないのはどうしたことだ。しょせん大手マスコミの政治部とは権力者に配慮するような奴らの職場なのか。
むしろ、そういうインタビューこそ選挙結果が出たら直ちにやらなければ意味がないと思うのだが、どうなっているのだろう???

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北海道の函館線でまた列車の脱線事故が起きた。レールが破断されていたことなどから線路の保守管理に問題があったように推測されるのだろうが、かつて夜行列車を撮影に通っていた際に海峡線の札苅駅で同じような事故が起きて肝心の夜行列車が運休になったときのことを思い出した。当時はもっと頻発していたから毎度けっこう大きなニュースにはなったものの、最近は耳にしなくなっていてJR北海道も線路の保守管理に本腰を入れたのだろうと思っていた矢先。運輸安全委員会の報告を待たなければ何とも言えないが、またしても線路のメンテナンスに原因が見つかれば新幹線札幌延伸後の函館~長万部の存続を話し合う場でも取り上げられるのではないか。

で、それはともかく、このニュースを見ていたら2017年2月に今回の脱線事故が起きた現場の踏切(ここでレールの破断が見つかったらしい)でDF200の下り貨物列車を撮ったことを思い出した。「カシオペア」がDD51からDF200の牽引となり、あまり撮る気力は起きなかったが、とりあえず最後の記録を残そうと訪れたときのもの。翌月に控えたダイヤ改正で函館線の駅がいくつも廃止されるため、この踏切のすぐそばにあった桂川という駅を撮りに寄った。ほかにもこの界隈では姫川、東山も廃止され、翌日の「カシオペア」撮影を前に下見を兼ねてこれらの駅に寄り道し暇つぶししたときの産物。

この踏切はタテに構えればバックに駒ヶ岳が入ったが、あいにく霞んでいたからDF200をアップで撮っている。最近は記事の更新も怠けているため桂川に停車するキハ40の画像とともに掲載する。

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2024年11月 8日 (金)

上越・羽越線経由のカシオペア運転

あの宮内庁が101歳になる三笠宮百合子の容態が悪化したと発表した。入院後、8カ月にもなって、ここへ来てこのような発表があると言うことは延命措置を中止するという意味と解釈できる。英国訪問中の孫の彬子も帰国するからには、数日の間に死去が発表されるものと考えられる。

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11月30日の秋田行きカシオペアツアーは久しぶりに上越、羽越線経由で運転されるとの話を頂いた。それによると上野発の時刻は22:30~23:00の間らしく、上越線内での走行シーン撮影は難しいながらも、おそらく前補機にEF641000が使用されるであろうとのことで、久しぶりの機関車重連による長い編成の客車列車となるもよう。秋田着が翌朝の11:00頃となっているため、途中駅(おそらく羽越線内の駅)では長時間の停車が行われるはずで、昨今は面白いネタのない撮り鉄には久しぶりに注目されることだろう。特に返し(復路の回送)のスジは気になるところで、往路と同じ経路であるなら上越線内で撮れるかどうか気になるが、日没の早い季節ゆえ微妙だろう。

個人的に面白いと思っているのはツアーのコースの中に岩手県・湯川温泉の高級旅館「山人(やまど)」が入っているところ。ここはどの部屋にも温泉があり、食事も貸し切り露天風呂(時間制)も素晴らしく、そのもてなしの良さに惹かれ何度も訪れたところ。今年も4月に行ったが、このコースを選んだ人はきっと満足するはずだ。

今や無職の身。カシオペアの運転時刻によってはひさしぶりに撮影に行っても良いかとも考えているが、重い腰が上がるかどうかは天気と気分次第だ。

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2024年11月 1日 (金)

新幹線のディーゼル機関車

一週間に渡る今回の北海道旅行の収穫は上々。紅葉もまだ見事で親子のヒグマや懸案だった餌付けされていない野生のシマフクロウも撮影できて大願成就といったところ。特にシマフクロウは日本に150羽程度しかいないとされている絶滅危惧種だけに、死ぬまで見られないかもしれないと思ったほど希少で達成感はとりわけ強い。これで自らの生き物撮影に一区切りがついて、今後はアップ系の絵から少し周囲の景色にも配慮した写真にもトライすることができそうだ。

それにしてもニコンZシリーズのレンズ、とりわけ400ミリ/F2・8の切れ味は圧倒的。天気が良ければ通常は手持ちでも撮影が楽なのは重量バランスにまで配慮した結果。入念な設計が威力を倍加させる。AFもZシリーズのレンズの中では最高速の一本で、それなりの価格はするものの、結果を見れば散財した甲斐はある。今回はこのレンズを中心に使用したが、次回は腹をくくって100~400ズームを持参せずに70~200ズームをチョイスする判断もあり得そうだ。

シマフクロウや川に遡上するサケを捕る親子グマの写真はかなりの数にのぼり処理までにはそれなりの時間を要するが、ゆっくりと慎重に進めていきたい。

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ところで現存するEF65PFをレインボーカラーの1118のように塗り替えた「紛い物」が現れるらしい。かつてそんな噂を小耳にはさんで8月27日の記事で触れたことがあるが(内容はあまりにもバカバカしいから書かなかったが)、どうせ高額な撮影会用フェイク車両。一昔前、香港や韓国などでルイ・ヴィトンなどの一流品のコピーを本物と偽って販売していたのと似たような商法だが、今やそんな被害も下火になっているというのに……。

開いた口がふさがらない。

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旅行にパソコンを持参していたからブログの更新はできたはずだが連日未明からの撮影でクタクタになって、毎晩8時前には就寝してしまったから、画像を外付けハードディスクに落とすぐらいしか作業しなかった。
今回は1977年夏に撮った新幹線用のディーゼル機関車。今はもうこんな車両はないのだろうが、当時は停電などに備えてディーゼルの機関車が準備されていた。高校生のころは何でも撮ってやろうと息巻いていたから品川の海側にあった車両基地に潜入して撮ったものの、海外の車両のようで満足感はなかったことを思い出す。
在来線の旅客輸送から機関車は消滅する時代、古き佳き時代の産物だった。

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2024年10月20日 (日)

DE10の「湿原号」

人との付き合いから生き物の写真のインスタグラムを始めて半年。写真をアップして簡単なキャプションを付ける作業は面倒ではないものの厄介なのは、「♡いいね!」をいただいた人にお返しの「♡いいね!」を付けなきゃならないのかどうか迷うこと。ほとんどの人が撮った写真を片っ端からアップしているようで、昨日と同じような写真を羅列しているから変わり映えせず、正直「♡いいね!」に値しないものが多く、単に返礼の意味を込めてそんな評価をするのは自分の流儀から逸脱してしまう。連写した写真を毎日続けて見せられても辟易してしまうだけで、こちらとしては率直に言ってあまり良いとは思えないのに、それが儀礼のようになってしまっているから面倒くさい世界だと感じる。

とは言え、フォローしてくれる人の多くが古くからの友人や仕事上付き合ってきた人、あるいは動物の情報をもたらしてくれる人などで、義理があるからバッサリとは切り捨てられないのも現実。もちろん上手に写真を撮っている人の方が圧倒的に多いのだけれど、中には毎日の食事(主に外食)を載せただけのインスタなどもあり、なぜそんなものを人に見せて嬉しいのか理解に苦しむものもあり、これに「♡いいね!」を付けるのはやや不本意でもある。

そういう観点に立てば鉄道のブログでは同じ列車を連写した写真を同じ記事に何枚もアップする人を見かけるが、この人にとってどのコマがベストなのか撮影した本人の意志が伝わらず、むしろ節操のない人と映ってしまう。カメラの連写機能がアップして一度に何十枚も撮れるからと言って、見る側にすれば変わり映えのない連続したシーンをくどくど見せつけられるのは苦痛以外の何ものでもない。写真のチョイスにもっと真摯に取り組んで欲しいと思うが無理な相談か。

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さて今週からまた道東。動物たちが餌の少ない冬に向けて食べ物を蓄える時期で動きが活発になる。しかも森の木々は葉を落とし、枝に止まった鳥なども木の葉に邪魔されず見つけやすくなるから写真が撮りやすい。今年7回目となる渡道で、毎回一週間以上滞在しているから2024年は少なくとも50日以上は北海道にいたわけだ。かつて夜行列車を撮りに通っていた頃、一回一回の滞在は短かったものの毎月1、2度は行っていたから、それに較べれば回数自体は少ないものの、当時は鉄道一辺倒でそれ以外のことにほとんど無関心だったことを思えば、生き物を撮るようになってからの旅は被写体以外のことにも関心が高くなって、ちょっと「大人の旅」的な感覚も出てきたように感じる。食べ物やホテルの居心地、温泉の質、景色、周囲の人たちとの会話などなど、かつて鉄道撮影で通っていた頃はほとんど現地で金を落とすことはなかったが、今は少しは地元に貢献している気がしないでもない。そんなわけで旅の内容も充実して、ガツガツせずに余裕を持って生き物を追うことができる。ちょっと天気が悪ければ早く宿に帰って露天風呂を堪能し、湯上がりにはホロ酔い気分で撮ってきた写真を眺めながら夕食まで部屋でのんびり過ごしたりと…。
そう言えば旅行中の27日は衆院選の投開票日。すでに期日前投票も終えて旅に出るが、開票速報を旅先の部屋のテレビでのんびりと見るのも、ちょっとした楽しみの一つになりそうだ。

下の写真は昨年2月に撮った釧網線の「冬の湿原号」。C11の調子が悪くDE10が牽いたときのもので、近くにエゾフクロウの巣があるため、それを撮りに行った際に寄ってきた。時間と場所がちょうど良かったから時間的な無駄は感じなかったが、撮り終わった後で「今さらこんな列車を撮って嬉しいか?」と心の中で自問したことを思い出す。以前アップした写真よりも、もう少し短い画角で捉えたもの。

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2024年10月15日 (火)

「あまぎ」とすれ違う61号機(「あまぎ」に被られた61号機牽引の列車)

強烈な体調不良でここしばらく何もできず、そのうえもはや関心の薄れた鉄道のブログを更新するどころではなかった。連休が重なり病院もやっておらず、ようやく今日になって薬をもらえて多少回復し久しぶりにブログを開いたところ、更新が途絶えていたにもかかわらず多くの方々がアクセスしてくれたようで、ようやくやる気が出てパソコンに向かった。
ザッと言えば食べたものの中に異物が入っていたことが原因らしく、数日前の夜中などは吐き気が酷く、血液まじりの吐瀉物が出て焦ったがどうにか落ち着き普段の生活に戻りつつある。

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それにしても本日、医者に処方してもらった薬を薬局に受け取りに行ったら、前の高齢男性がジェネリック薬品についての知識が無く、根掘り葉掘り薬剤師に質問しまくっていて30分も待たされてしまった。体調が悪く、早く薬を飲みたいと待っている患者が並んでいることなど眼中にないらしい。皆、呆れた顔をしてイライラしているのが手に取るように分かる。薬剤師もお年寄りゆえか、丁寧に仕組みを解説するのだが、説明を後回しにするような気が利かない。よくバスに乗った後で財布から料金を出す人や、飛行機に乗り込んで、後に続く客のことなどお構いなく自分の荷物を棚に上げるのに時間をかけている人よりも場所が場所だから頭にくる。

折しも総選挙が公示され薬局のすぐ外では立候補者が演説していたが、こういう一般常識や社会情勢に疎い連中が自民党の裏金議員に投票してしまうのだろう。国会議員もロクでもないが、こういう有権者も同様。政治家が悪いのはイコール有権者の多くがバカだから。自分が住んでいる街の民度を目の当たりにして帰宅した。

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以前にも使った画像だが、パソコンのデスクトップにあったので再掲した。

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2024年10月 8日 (火)

京都駅のDD51お座敷列車

石破首相が裏金問題の議員を次の選挙で非公認とするなどとしたことで自民党議員の一部から不満が出ているようだが、そもそも党が下した処分が甘すぎて国民が納得していないのだから、この程度のことは当たり前。これに対して不満を言うようでは国民に「寄り添っている」(大嫌いな言葉だが)とは言えず、日々報道される記事の中で、誰がそんな発言をしているかチェックしている。

国会での論戦をするまでもなく衆院解散を決断した石破首相には多少失望したものの、裏金議員を非公認とする、あるいは比例代表との重複立候補は認めないとの方針は評価に値する。中には平沢勝栄氏のように総裁選で応援してもらって恩義がある議員も存在するだろうが、いくら仲良しグループであっても切るときは切るくらいの覚悟は必要で逡巡はあるとしても、そこは一国の首相として毅然と筋を通してもらいたいもの。

一方、対象となりうる議員の中には今の段階で不満を爆発させれば、それが報じられて27日の投票に悪影響が出ることを恐れて発言を控えている者も多いはずだから、選挙が終わった後に彼らの不満はもっとあからさまになるだろう。そうした中、裏金問題が多く発覚した安倍派議員から多数の支援を受けた高市早苗がどう動くかは注目で、同派の議員が大挙して議席を失えば今後、首相の芽は潰れるも同然。自民党を出て新党でも結成するかも。なかなか面白い展開になりそうな気配を感じる。

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1978年3月16日、京都駅で撮ったDD51のお座敷列車。機関車の所属は福知山だったが、草津線方面から乗り入れてきたように記憶している。すでに客は降車して構内の留置線に転線したシーン。

この頃はEF58以外の機関車がお座敷列車を牽いてもあまり注目することはなかったから、京都駅でこの列車を見かけてちょっとばかしラッキーだと感じたものだった。しかし今となっては団体旅行という形態はあっても、列車を仕立てるようなツアーは果たしてどれだけあるのだろうか。お座敷列車など車内で宴会をしながら目的地に向かったのだろうから、町内会の面々や職場の仲間など顔見知りが多かったはず。今やそんな濃い人付き合いはご免蒙りたい人が増え、こんな列車が国内各地で走っていたことに隔世の感を覚える。

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