書籍・雑誌

2024年9月 2日 (月)

保存機C5694の惨状

少しは涼しくなることを期待して今月は帯広を訪れる予定。
帯広は3月にも行ったが、今回は久しぶりにエゾナキウサギを見ようと考えている。サケが川に遡上する時期に入るため道東に行けばヒグマの姿も濃くなるが、そちらはもう少し先にして9月はここ4年ほどご無沙汰のナキウサギを優先することにした。それにヒグマは動きも緩慢で表情も乏しく、全身真っ黒とあって絵的にも変化に富む写真をモノにするチャンスは少なく被写体としての面白味はさほど高くはない。実際にクマを見たことのない人に写真を見せれば「凄い!」とか「危なくはないのか?」などと驚かれるが現実はそんなもの。だからいつもはシマフクロウを待っていると(まだ撮れたことはない)、その合間に出てくるから撮ってはいるが、わざわざヒグマ撮影を目的にしたことはない。

実は帯広、近くに知名度の高い観光地があるわけでもなく、全国的にはせいぜい十勝川温泉ぐらいしか知られていないが、市内の緑が丘公園は市民の憩いの場所でリスが走り回り、キツネやフクロウ、モモンガなども見られて一発で気に入ってしまった。食事に関しては海から少し離れているため魚介類についてはまあまあながら、農産物や乳製品はどれも美味だし、いつもお世話になる十勝川温泉のホテル、豊洲亭のコース料理も絶品。モール温泉も湧き出て北海道各地に足を運んできた自分も最ものんびりできる道内随一の場所。楽しみだ。

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台風が低気圧に変わり今日の横浜は朝から青空。久しぶりにBMW M4を走らせて本屋に行き文庫化された小説を買ってきた。
その際、鉄道書籍にも目を通したが、やはり今回も買いたいと思うような本には出会わなかった。月刊誌については最新の情報を見ても気になる車両もなくなってしまっているから、もとより購買意欲など起こるべくもなく単行本コーナーで最近刊行されたものを何点か見たものの、どれも昔撮った写真を羅列しただけの内容で、ページをめくっても変化がなく飽きてしまう。立ち読みするだけでもウンザリするような本にこんな価格で付けて果たして売れるのだろうか?とこちらが心配になるほど。特にEF58の写真集など200ズームクラスのレンズで撮ったものばかりで全てのページに目を通す気になれなかった。もちろん中には良い絵もあるのだろうが玉石混交の様相で、せっかくの良い写真が埋没し目立たなくなってしまったのはもったいない。

人それぞれの価値観は異なって然るべきだと多様性を重んじる時代、どうでも良いことながら残念な思いがしたのはかつて自分自身がEF58を撮っていた頃、大窓機の撮影回数に拘って「質より量」に走りそうになったことを思い出したからだ。

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 先月の旅行中、信濃大町市内の公園で見かけた保存蒸機C5694。見ての通り酷い有様。見つけたときは公園の端に置かれた鉄くずの山に見えたほど。かつて飯山線や長野機関区で現役時代のC56を見ている者としては、こんな扱いなら解体した方がマシだと思ったのは本心。

現役蒸気機関車末期、各自治体はこぞってSLを静態保存したが、50年近くたってメンテナンスを続けず荒れたままになっている保存機は多く、今やそのほとんどがこんな状況かもっと朽ち果てているのだろうと想像する。
地元自治体にも保存した当時の感激など覚えている人もいなくなって、今や補修ための予算もつかず持て余しているのが実情ではないか。クラウドファンディングなどという響きの良い言葉で寄付を募り、きれいな状態になった保存機もあるが、とどのつまり行政の責任逃れのような気がしてならない。
補修された保存機にしてもそのタイミングで屋根などを設けないなら数年たてば再び荒廃するのは明らか。そのときになってまたクラウドファンディングを募っても、もうその頃、自分が見たこともない蒸気機関車の補修に寄付してくれる奇特な人がいれば良いが、そんな方々は先細りになるだろう。ならばいっそここで解体してしまうのも英断なのかもしれない。将来に光明が見えない「延命策」ならば宮城県内各地の静態保存機のように、解体してしまった方がベターだと感じるのは自分だけか。現地を後にする際、C5694が「安楽死」を望んでいるような気がしてならなかった。

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2024年1月22日 (月)

1月の道東の旅から 「赤い鳥」オオマシコ

自宅の近辺から本屋が減ってはいるが、それでも車を利用すれば6、7軒の本屋はある。そのほとんどはショッピングモールや百貨店に入っているもので、買い物のついでに文庫を購入するには便利なのだが、久しぶりに鉄道雑誌を見ようと思っても以前のように品が揃っていない。まあ、「鉄道ファン」や「鉄道ジャーナル」についてはどこの本屋でも置いているのだが、そのほかの「鉄道ピクトリアル」や「鉄道模型趣味」はない店も多く、まして「国鉄時代」「電気機関車EX」「蒸気機関車EX」などはほとんど取り揃えておらず、先日も久しぶりに「蒸気機関車EX」を見ようと思ったが全ての店になく、あらためて紙媒体あるいは鉄道雑誌の衰退ぶりに驚かされた。
もちろん「国鉄時代」などは購読層が限定され、50歳から60歳以上がほとんどだろうし、しかも年間4回の発売とは言え、一冊¥2500ともなると若い層は手を出しづらいだろうから書店が扱わないのも分からなくはないが、そうなると内容を確認したうえで購入できないから、ますます疎遠になってしまう。

本屋の良いところは内容に目を通したうえで購入するかどうか決めることができるという点にあると思っている身としてはこれは少々辛い。年間購読やネットで購入するにしても、好きな車両の記事や写真が少ないときは買いたくはないし、最近掲載される写真のクオリティや印刷の悪さを考えると中身を見ないで買ってガッカリするのも嫌だ。

そんなわけで自分自身、ますます雑誌離れが進んでしまうのだが、やはり本屋の魅力は立ち読みできるという点にあるのだと強く感じる。

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小鳥に関してほとんど無知な自分も、こんな色の鳥が来れば当然反応する。現地でオオマシコという名前と聞き、世界的に見ても極東にしかいないものだというから何枚も撮影した。冬になると中部以北の日本に飛来するものの数は非常に少ないらしく、野鳥を撮っている方が「モモンガなんかよりもはるかに貴重」だと言っていた。

新婚時代、家でジュウシマツを飼っていたことがあり、生まれたヒナが可愛くて休みの日には日がな一日、眺めていたことものだが、色を除いた外見がジュウシマツにそっくりで当時を思い出した。
これはオス。メスも撮影したが色は茶色で地味。周囲にいた人はメスが来てもほとんどシャッターを切っていなかった。

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2023年5月13日 (土)

黒磯でED71

登場人物のセリフが粋で、冷めた文体と共に大ファンだった作家の原尞さんが亡くなった。76歳。寡作で、数えられるほどしか作品はないものだから新作が出ると聞けばすぐに買ってもすぐには読まず、しばらく温存してからじっくり味わって読むようにしていたくらい大ファンだった。最も新しい14年ぶりの作品「それまでの明日」が発表されたのも2018年で、2年以上寝かせた後に読んだことを周囲から冷やかされたりもした。

福岡に赴任していた頃、ジャズピアニストとして佐賀県鳥栖市の店でピアノを弾くと聞き、仕事がてら伺って持参した本にサインをいただいたものだ。そろそろ新作は…と思っていた矢先で非常に残念。9年前に亡くなった白川道氏ともに憧れの作家だった。

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3月に妻の妹夫婦と伊東に遊びに行ってきたが、その際、妹の旦那が「男はつらいよ」の寅さんの妹役・倍賞千恵子が素敵だと言うから意気投合してしまった。彼によれば寅さんの妹「さくら」役がはまっていて、この役柄だから良かったのかもしれないが、こちらは倍賞千恵子が好きなものだから「遥かなる山の呼び声」「幸福の黄色いハンカチ」「駅」などもくどいほどお勧めした。

特に「駅」の中で高倉健演じる刑事が倍賞千恵子演じる女将の居酒屋に入った時のシーンが格別。バックに八代亜紀の「舟歌」が流れる中の、しみじみとしたやりとりは何とも言えず、なんのことはない場面なのにもうそれだけで涙が出てきそう。涙もろくなったのは年を取った証拠に違いないが、1981年に封切られたときからここが好きで、しばらく前にDVDを購入して最近でも見ることがある。

3作とも舞台が北海道という共通点があることも惹かれる理由に違いないが、バカバカしく非現実的な設定のドラマに時間を割くくらいなら、こういう映画を繰り返し味わいたい。年を重ねて昔の名画を見ると、若いころよりももっと深い見方ができるようになるのかもしれない。

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ニコンZ8はほぼ予想どおりの価格でかなりの注文が入っているらしい。実売54万円程度ということだから、性能から考えれば納得できる価格設定だろう。

注目すべきはZ9の動き。自分と同じように考える人が多いようで、特にプロカメラマンからかなりの駆け込み需要があったらしい。17日までにオーダーすればグリップを付けたZ8との価格差がほとんどないも同然なのだから当然。いつもお世話になっているカメラ店ではZ8を上回るほどの注文に追われているらしい。

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社会人になる前は東北本線の交流電化区間まで撮影に行く機会はほとんどなかった。もちろん好きな車両があれば多少、無理をしただろうがEF58(大窓)やDF50の方が断然、魅力的だったから東北方面に遠征することは稀だった。今になってみれば貫通扉のある機関車が好きだった者として、もう少しED75、77、78などをマメに撮っておけば良かったとは感じるものの、学生の身分では何でもかんでも記録しておくのは時間や使える金の制約上難しい。特に自分は「広く浅く」よりも「好きな車両をとことん撮影する」という姿勢だからなおさら。加えて、まだ新幹線もなかった東北地方に足を向けるために夜行急行や冷房の入っていない旧型客車の鈍行など、撮るには良いが乗るのはまっぴらだったために疎かになってしまったという生意気な事情も大きい。

それでもどうにかED71は撮った。
東北新幹線開業を機に引退したように記憶しているが、ともかくこの機関車はわずかながらも撮っている。最初は電気機関車を撮り始めた1977年の正月明け。このころは蒸気機関車現役時代に撮ったED70のネガを紛失したという事情があって、70に続く71は早いうちに撮っておこうと1、2度、東北線の交流区間に行ったが、もっとまともに撮ったのはその年の5月。EF15を全機撮影すべく頑張っていた高校の同級生K君が黒磯に宇都宮と高崎のEF15を撮りに行こうと誘ってくれたおかげだ。いつもこちらのわがままで東海道線方面にばかり付き合わせていた手前、たまには彼の希望を受け入れなければ申し訳ない。不承不承とまでは言わないが、これも人付き合い。ならばこちらとしてはED71でも狙えばいいじゃないかと開き直ったわけだ。東京近辺でもゴロゴロ走っているEF15なんぞにフィルムを費やすよりも、どうせだったら引退間近のED71を中心に撮れば黒磯くんだりまで行く甲斐はあるというもの。

ってな具合で今回は3枚をアップした。
ヘッドライトの2灯化が進んでいて、なかなか1灯の個体に巡り合えなかったことを覚えている。後に走行写真も撮る機会があったが、このときは日がな一日、オリンパスOM-1を持って駅構内をウロウロしたものだ。
そのED71、保存されていた1号機はすでに解体されてしまって、残るは東北線・船岡駅構内の37号機のみになってしまったと聞く。

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2022年11月28日 (月)

EF8195

最近は書店に行っても鉄道雑誌を見ることはなかったが、EF5861が鉄道博物館に展示されたということで先日、何年かぶりに月刊誌を立ち読みした。まあ、61号機のニュースは想像していた通りで、展示の様子を見ても撮影しにくそうなフェンスに囲まれているし、筆者にとっては目障りでしかない日の丸も付いていて、状況が分かったのは有意義だったが(雑誌を)購入するほどの内容ではなかった。

掲載されているほかの記事の写真に関しては風景の中で捉えたシーンが多く、老眼の身にはどこに列車が写っているのか分からないようなものまであって、この一枚を撮るためにかなり頑張って山登りをしたのだろうと想像するものの、自分としては体力的にもそんな撮影行はとても無理。現地まで車で行ける、アプローチが楽な場所ならともかく、そうでなければ一生、こんな絵は撮れないだろうとの寂しさも感じた。

ただ、鉄道写真で食っているプロにしてみれば、この傾向はなかなか苦しいのではないかと思う。これまではカタログ写真のようなものでもある程度のニーズはあったのだろうが、美しい風景を生かした鉄道の写真を求められた場合、納入までの時間的制約から、結果としてアマチュアの絵に負けるという逆転現象が生じかねない。特に風景が主体となる写真においては、天候や光、季節などが作品の良し悪しを大きく左右するわけで、好条件を期待しても直ちに撮れるものではなく運に拠るところも多い。だから現地に近いところに住んでいていつでもそこに行ける人か、その場所に拘り続けた人の方に分(ぶ)があるのは間違いなく、時間に制約のあるプロよりもアマチュア写真家の方が(同じ撮影地なら)良い写真を撮ることが当然のように出てくるというわけだ。

もちろん、プロはプロとしてクライアントが希望するような写真を常日頃撮り貯めてはいるにせよ、アマチュア写真家のレベルが上がってきた現在、プロの方々も安穏と構えていられなくなったのではないかと想像する。プロは常に最高の写真を撮るものだとは思ってはいないが、久々に鉄道雑誌を眺めて、プロとハイレベルのアマチュアとの差がなくなりつつあるように感じる。

さらにもう一つ言えば「鉄道ファン」誌の写真コンクールの作品レベルには呆れてしまった。選者のレベルの問題か。佳作の方がよほどマシなものが多い。

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相変わらず長ダマでアップの写真。
EF6627なき後の最注目の機関車はこのEF8195だという。なるほど、言われてみれば至極もっともなことで、赤の車体に「EF81」と入った車体は俯瞰撮影のようなロングの絵の場合も、車両が目立って訴求力が強いのは間違いなく、そういった点では比較的地味な81号機よりもインパクトが強い。

けれども、もしEF81の中から大宮の鉄道博物館入り候補を選ぶとすれば、やはり81号機に落ち着きそうな気がするのはきっと自分だけではあるまい。数回でもお召し列車を牽引した経歴は、専用機でなくとも強みになるのだろう。95号機の行く末が気にかかる。

(写真、文:U)

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2021年12月22日 (水)

レイルマガジン休刊か?

ブログの再開を公言しながら、何かとあって一週間も間が空いてしまった。最近は外で酒を飲む機会も減ったせいか、何件かの忘年会に参加したところ、アルコールに弱くなってしまったようで、飲んだ翌日は二日酔いになることが増え、パソコンに向かう機会を逸していた。

さて、「レイルマガジン」が次号をもって休刊になるらしい。
以前から噂として聞いてはいたが、すでにネット上ではかなり具体的な話も広まっており、デマと聞き流すことはできなさそうだ。まあ。隔月刊になったときに、これは休刊になる前段階だと言われていたが、事実であるなら鉄道開業150年を前に残念。

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1977年9月11日撮影の荷物41列車を牽くEF58のラストナンバー175号機。場所はまだ新幹線工事に着手する前の上中里駅。

ネガからスキャンしてどこの駅で撮ったのかすぐに思い出せなかったほど、現在は状況が変わった。

(写真、文:U)

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2021年2月28日 (日)

成田線のDD51のお座敷列車

花粉と喘息の二重苦で、この6日ほどパソコンの作業を中断していたが、今日は会社の仕事があるため久しぶりにモニターに向かっている。毎年のことながらこの季節は本当に辛く、とりわけ今年はコロナで旅行に行けないことも手伝ってストレスは大きい。
また、自宅の屋根の修繕や外壁塗装で家屋の周りに足場が組まれていて、窓がマスキングされているから雨戸が開けられないのも苦痛。特に今回の屋根の修繕は塗装ではなくカバー工法という、ちょっと大掛かりな工事で塗装に比べると工期も長いことから、外壁の塗装と合わせて3週間ほど足場が撤去されない。好天が多い季節なのに外光がほとんど入らない生活を強いられていて、気分の浮き沈みが激しい自分は何事にせよやる気が出ない状況だ。
花粉は今がピークのようで、あと2週間もすれば山を越えるとみているが、それによって引き起こされた喘息や自宅の工事などに3月いっぱいは耐えなくてはならない。

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最近、一部の雑誌を立ち読みしていて感じるのは、戦後間もなくのころから鉄道を撮っておられるベテランの、何度も見たことのある写真が繰り返し使われているということ。生意気を承知で言えば、貴重な画像に違いないにしても、さすがに何十回も見せられるとうんざりする。特に大枚をはたいて購入した写真集などに収録されている作品はなおさらで、編集者が新たな写真を探そうとか、これまで使われたことのない写真を求める努力を怠っているようにも映る。具体的に書くと久保敏氏や宮沢孝一氏の写真などはどれも貴重なものが多く、よくぞこんな写真を撮っていると感心するものばかりだが、何度も何度も見せられると手垢にまみれてしまい、悪く言えばスタッフが手を抜いているかのようにも感じてしまうのだ。記事も毎回似たりよったりの内容の繰り返しだから写真も同じものですませてしまうということなのか。
月刊誌など、毎月のように本を出す編集者には酷だが、せめて古い時代の写真を探すときには、これまでとは異なる角度や場所で撮ったものをチョイスするなり、別の先輩との親交を築いて重複を避け、目新しい画像を発掘しないとムック本に食われてしまう予感がする。

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1980年12月17日に撮影の佐倉機関区のDD51によるお座敷列車。成田線の久住~成田で撮った。かなり前にアップした画像だが、DD51の引退も間もなくと言うことでスキャンし直した。

当日は未明に車で自宅を出て撮影地を探してウロウロし、最後にとうとう道に迷ってしまった。結果的には線路を見つけたものの、果たしてそこが成田線か総武線かすら分からなかったが、先行する電車が成田行きと表示されていたため安堵した。
普段、千葉の奥地まで来ることはなかったから、撮影ポイントの予備知識はゼロ。それでも当時は「どうせローカル線だから、行けば何とかなる」と気楽に構えて出かけて行った。最初、ここに立った時はバックに鉄塔があるし、列車の手前に速度制限解除の標識が入ることもあり、あまり良い場所ではないと思ったものの、よく考えたら吾妻線の祖母島~小野上の有名地に似ているような気がして腰を据えた。

(写真、文:U)

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2021年2月 7日 (日)

広島駅の80系電車

自宅の屋根やテラス工事、壁面の塗装などを発注するのにいくつかの業者に見積もりを出していただき、それを検討するのに時間がかかってしまい、ブログに関わる時間がなく今日の記事が一週間ぶりとなってしまった。

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最近、鉄道雑誌に使われているリバーサルで撮った写真の印刷が悪くなったように見えるのは自分だけだろうか。

もう月刊誌などを買うことはほとんどなくなってしまったから、たまに本屋で立ち読みするたびにそう感じるのは錯覚かもしれないが、フィルム時代の誌面よりも色も画質も極端に落ちたような印象を受ける。本が売れなくなったから印刷のコストを下げたということがあるにせよ、それを差し引いても見るに忍びないカラー写真をしばしば目にする。中には色がにじんでいるものまであって、本当はきっともっとシャープできれいに写っていると思われる上手な方の写真までそうなのだから、これはひとえに印刷に問題があるとしか思えない。

あれこれ考えて思い当たるのが、今の印刷がデジタル写真向きに特化してしまい、そのぶんフィルムやプリントした写真の印刷には適さなくなったのではないかと推量するのだが、これは素人の浅はかな想像だろうか。デジタルカメラで撮影したカラー写真は美しいのにリバーサルから印刷したものはかなり劣って見える。価値の高い古い写真ほど良い印刷で見たいものだが…。

写真は1978年3月17.18日に広島駅で撮影したもの。各地からやって来るEF58を撮ろうとホームをウロウロしていたら80系電車が並んだ(上)。左は山陽本線の普通列車で右は呉線で使用されていたもの。モノクロしか撮っていないことからも、いかに電車に対する関心が低かったかが分かる。

(写真、文:U)

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2020年9月26日 (土)

583系「はつかり」

昨年秋に創刊された「Vintage Rails(ヴィンテージ・レイルズ)」。実物から模型まで、さまざまな話が面白かったので、続けて購読しようと思っていたが、第3号が発売されるはずの5月になっても(書店で)見かけない。内容が玄人向けだから取り扱う本屋さんが少ないのかと、アマゾンなどで探してみたが、どうやら2号をもって打ち切りになったらしい。残念。

しかし年4回の発行だと期待していた者にとって、何の前触れもなく休刊にしたのはいささか寂しい。
たしかにこの手の本はベテランファン向けで、若い方々には敷居が高いのかもしれないが定期的に発行しなくとも準備が整えば今後も随時、出版されれば嬉しいと思うのは自分だけではないだろうに。よほど売れなかったのだろうか。

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1979年7月に走ったミステリー列車(上野から真岡まで運転された)「銀河鉄道999」を撮影した際に雀宮~宇都宮で撮った583系「はつかり」。

このころ583系は「ひばり」など、運用の間合いを利用していくつかの列車に使われていたと記憶しているが(この写真を撮影した時点で583系が昼間の特急に充当されていたのはこの「はつかり」のみ)、「はつかり」の列車名には独特の風格を感じた。蒸気機関車撮影のために北海道へ行った際にも上野発16時だか16時半の583系「はつかり」に乗ったことが影響していたのかもしれない。青函連絡船を利用する乗客には車内で乗船名簿へ登録する紙が配られ、それに記入させられたことも懐かしい。

夏休みに入ったばかりで当時はまだ珍しかったミステリー列車には多くのファンが集まり、普段はあまり撮影者が来ないここもそこそこにぎわっていた。
本番の列車を撮る際は線路の反対側に行き、手前の人をかわして撮ったが、まだ「前座」の段階のこの写真に撮影者が入ってしまった。不快だったが、今にして思えばそれも良しとする余裕も身についた。

機関車が引く列車にばかり関心があって、その前後に来るこうした優等列車には皆目興味がなかった時代。583系が来ることなど事前に分かっていて撮ったものではない。

(写真、文:U)

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追伸:コメントを頂きました「ゴハチ信者」さま、ありがとうございました。誤字、脱字を訂正しました。またこの時点で583系はすでに「ひばり」から撤退していたとのこと。文中にその旨を挿入します。

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2020年8月11日 (火)

DF200の試作機901号

先日、記事で触れた某鉄道雑誌の隔月刊化はどうやら「レイルマガジン」らしい。すでにあちこちのブログや掲示板などに書かれており、事実だとしたらまもなく正式発表されるだろう。

しかし隔月発売となると、情報がネットなどでほぼタイムラグなしに伝わる今の状況では、誌面に掲載されるニュースが約3カ月遅れになることもあるのだから、そういったネタは旬が過ぎてしまってさほど歓迎されなくなるはず。さりとてムック本的内容に傾くと競合誌も多い。よほど内容に工夫を凝らし充実したものにしなければ休刊という事態にも追い込まれそう。

と言うか、休刊(事実上の廃刊)前提の隔月刊化にしか見えない気もするが。

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廃車の噂も流れていた北海道・五稜郭機関区のDF200の試作機901号機が先日、五稜郭と大沼の間で試運転を行ったとの話を聞いた。量産機と扱い方が異なるために本線に出ることなく、函館港・有川埠頭の入れ換えに使用されていたことは知っていたが、最近はその仕業に従事することもなくなっていたらしい。試運転が事実だとしたらいったい何のために行われたのだろう?

写真は2016年1月(上)と2月(下)に撮ったもの。
まだDD51重連が牽引する「カシオペア」が残っていた頃で、それを撮影した後、やることがなくなってダメ元で訪れてみた有川埠頭と五稜郭駅で目撃することができた。量産機よりも無骨な外観が特徴で、本線を走る姿を見たことはないものの、ヘッドライトの位置から遠くからでも識別可能だっただろう。
それにしても五稜郭駅構内は狭いながらも貨物列車の発着密度は高く、SL時代はもとよりDD51の頃にも来てみたかった。

モノクロ写真が続いて見栄えが悪いので無理やりカラーをアップした。

(写真、文:U)

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2020年8月 5日 (水)

野宿の翌朝に撮影したキハ82

鉄道撮影を趣味とする友人から「オンライン飲み会」の提案を受けた。
ものは試し、できるならまずはテストしてみたいと思い、さっそくパソコンの1台を見てみると、すでに10年近く使っているものながらカメラも内蔵されているようだから、何とかなりそうだ。同じ場所で飲むわけではないから、それぞれ別の種類やメーカーの酒を飲むのは当然としても、つまみが異なるとあって違和感は覚えるが、一人で飲むよりも断然うまい酒になりそうではある。

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在宅勤務などでこのところ顔を合わせる機会がなかった鉄道好きの同僚が、テレワークの最中にあれこれネットを見ていたところ、ある鉄道雑誌が休刊になるとの書き込みをいくつか見かけたと教えてくれた。その中のブログの管理人さんはどうやら別の趣味誌に携わる人らしく当然、業界のことには詳しいはずだからきっと事実なのではあろう。

ただし実際には「間引き運転」らしく、同僚が誤解したような「休刊」ではなさそうだが。

もうすぐ趣味誌の業界にも大きな変化が起きそうな気配。

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1977年のゴールデンウイークに撮影したキハ82系の「くろしお」。
紀勢線に行くときは常に和歌山の親戚の家を拠点に行動していたが、そこは鉄道撮影に行くことが億劫になるほどの快適な豪邸。従兄弟達とも気が合って楽しく過ごしてしまい、撮影の予定をキャンセルしてしまうことも多かった。
そこでこのときは和歌山には行かず、名古屋側から入って新宮から夜行列車(この当時は「はやたま」に改称される以前で「南紀」)の乗り継ぎを繰り返し、数日間に渡って撮影を続けた。

この写真はそんな旅のさ中、無謀にも新宮~三輪崎の海辺で野宿(まさに言葉通りの野営)した翌朝、ブルートレイン「紀伊」を撮り終え、新宮の駅に戻る際に踏切で後追いしたもの。若さゆえの暴挙に違いないが、夜間もちょうど良い気温で虫もいない時期だったからこそなせた所業。酒を飲める年齢でもなかったのだから、よく眠れたものだと今となっては驚きさえ感じる。

当時、紀勢線にはボンネットのキハ81が健在で、名古屋と天王寺を結ぶ「くろしお」の1D、2Dの天王寺側の先頭に充当されていたため、ファンの注目は自ずとこの列車に集まっていたが、自分の目にはこのパノラミックウインドウのキハ82の方が優美に映ったものだ。幸い「くろしお」はほかに何本も運転されていて撮影機会も多かったし、キハ81だけに集中せず、そこそこの回数を撮影することができた。

スタイルとしては数年前まで残っていたキハ181系と相似するが、前面の厳つさはキハ82が上。斜光を浴びたキハ82の顔をタテで超望遠レンズを使って撮りたかった。

(写真、文:U)

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