日記・コラム・つぶやき

2024年10月15日 (火)

「あまぎ」とすれ違う61号機(「あまぎ」に被られた61号機牽引の列車)

強烈な体調不良でここしばらく何もできず、そのうえもはや関心の薄れた鉄道のブログを更新するどころではなかった。連休が重なり病院もやっておらず、ようやく今日になって薬をもらえて多少回復し久しぶりにブログを開いたところ、更新が途絶えていたにもかかわらず多くの方々がアクセスしてくれたようで、ようやくやる気が出てパソコンに向かった。
ザッと言えば食べたものの中に異物が入っていたことが原因らしく、数日前の夜中などは吐き気が酷く、血液まじりの吐瀉物が出て焦ったがどうにか落ち着き普段の生活に戻りつつある。

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それにしても本日、医者に処方してもらった薬を薬局に受け取りに行ったら、前の高齢男性がジェネリック薬品についての知識が無く、根掘り葉掘り薬剤師に質問しまくっていて30分も待たされてしまった。体調が悪く、早く薬を飲みたいと待っている患者が並んでいることなど眼中にないらしい。皆、呆れた顔をしてイライラしているのが手に取るように分かる。薬剤師もお年寄りゆえか、丁寧に仕組みを解説するのだが、説明を後回しにするような気が利かない。よくバスに乗った後で財布から料金を出す人や、飛行機に乗り込んで、後に続く客のことなどお構いなく自分の荷物を棚に上げるのに時間をかけている人よりも場所が場所だから頭にくる。

折しも総選挙が公示され薬局のすぐ外では立候補者が演説していたが、こういう一般常識や社会情勢に疎い連中が自民党の裏金議員に投票してしまうのだろう。国会議員もロクでもないが、こういう有権者も同様。政治家が悪いのはイコール有権者の多くがバカだから。自分が住んでいる街の民度を目の当たりにして帰宅した。

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以前にも使った画像だが、パソコンのデスクトップにあったので再掲した。

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2024年10月 8日 (火)

京都駅のDD51お座敷列車

石破首相が裏金問題の議員を次の選挙で非公認とするなどとしたことで自民党議員の一部から不満が出ているようだが、そもそも党が下した処分が甘すぎて国民が納得していないのだから、この程度のことは当たり前。これに対して不満を言うようでは国民に「寄り添っている」(大嫌いな言葉だが)とは言えず、日々報道される記事の中で、誰がそんな発言をしているかチェックしている。

国会での論戦をするまでもなく衆院解散を決断した石破首相には多少失望したものの、裏金議員を非公認とする、あるいは比例代表との重複立候補は認めないとの方針は評価に値する。中には平沢勝栄氏のように総裁選で応援してもらって恩義がある議員も存在するだろうが、いくら仲良しグループであっても切るときは切るくらいの覚悟は必要で逡巡はあるとしても、そこは一国の首相として毅然と筋を通してもらいたいもの。

一方、対象となりうる議員の中には今の段階で不満を爆発させれば、それが報じられて27日の投票に悪影響が出ることを恐れて発言を控えている者も多いはずだから、選挙が終わった後に彼らの不満はもっとあからさまになるだろう。そうした中、裏金問題が多く発覚した安倍派議員から多数の支援を受けた高市早苗がどう動くかは注目で、同派の議員が大挙して議席を失えば今後、首相の芽は潰れるも同然。自民党を出て新党でも結成するかも。なかなか面白い展開になりそうな気配を感じる。

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1978年3月16日、京都駅で撮ったDD51のお座敷列車。機関車の所属は福知山だったが、草津線方面から乗り入れてきたように記憶している。すでに客は降車して構内の留置線に転線したシーン。

この頃はEF58以外の機関車がお座敷列車を牽いてもあまり注目することはなかったから、京都駅でこの列車を見かけてちょっとばかしラッキーだと感じたものだった。しかし今となっては団体旅行という形態はあっても、列車を仕立てるようなツアーは果たしてどれだけあるのだろうか。お座敷列車など車内で宴会をしながら目的地に向かったのだろうから、町内会の面々や職場の仲間など顔見知りが多かったはず。今やそんな濃い人付き合いはご免蒙りたい人が増え、こんな列車が国内各地で走っていたことに隔世の感を覚える。

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2024年10月 1日 (火)

旧広尾線・幸福駅の夜

9月23日から一週間、北海道に行ってきた。今回は4年ぶりのエゾナキウサギの撮影が目的。後半は妻も合流してお気に入りの十勝川温泉・豊洲亭に泊まり、ご自慢の食事にありつけ大満足。

ナキウサギの方はこの夏の暑さでまだ冬に向けた貯食が本格化しておらず、動きはあまり活発ではなかったが、今年生まれた子どもは人間に対する警戒心が希薄なのか、けっこう近いところまでやって来てアップの写真を心ゆくまで撮ることができた。お決まりのポーズばかりだが、体長15センチにも満たない小型の哺乳類を、そこそこ大きく撮影できたのだから悔いはない。

滞在3日目の25日には意を決して東ヌプカウシヌプリという標高1200メートルの山に登りナキウサギを撮ったが、かなり急な山道を1時間半かけて挑んだ体力はもう来年には残っていまい。一つでも若い内にチャレンジしておいて良かったと思う。何しろ好きなことをやるために雇用延長を断ったのだから遊ばなければ損。下山後、夜になって太ももがこむら返りを起こしたが、何ごとも体が動く内にやっておくに限る。

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自民党総裁選は旅先でも注目していたが、なかなか面白い展開だった。誰が首相になってもしょせんは政治家。総裁選での公約など実行できるはずがないのはガキじゃあるまいし自民党の議員、党員らは先刻承知のこと。ただただ選挙の「顔」として誰がふさわしいかという判断が結果を大きく左右するのは分かり切っていたことだから、立憲民主党の代表が野田になれば自ずと石破に票が流れるのは確実と見ていたら案の定。
また、総裁選に立候補したときの石破発言、「野党との論戦をしっかり経たうえでの衆院解散」が早くも反故にされたなどというのは政治家にすれば朝飯前。もっともらしい言い訳だって準備しているだろう。こんなことは今後もどんどん繰り返されるだろうから、いちいち「裏切られた」と嘆いても意味はない。

それよりも今後は石破が麻生や高市をどう駆逐するのかが見もの。

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帯広空港に下りると毎回立ち寄るのが旧広尾線の幸福駅跡。
駅名だけで知名度が上がった観光地だが、ここに保存されているキハ22は、さすがに観光客が多く来るからメンテナンスも行き届いてカメラを向けたくなってしまう。
今回は帰りの飛行機までの時間が余ったこともあって、夕方に行ってみたらなかなか良い光線だった。その際、あらためて周囲を見回したらライトアップ用の設備があったため暗くなってもう一度訪れて撮ったのがこの画像。グリーンのライトが強烈すぎて、せっかく色づいてきた木々の葉っぱが人工的に見えてしまったため、画像を調整して彩度をかなり落としたが結果はあまり芳しいものではない。

ただ思惑通りに近いものが撮れたので、こんな撮り方も悪くないだろうとアップしてみた。全国に数多保存されている車両も正面方向から長いタマで引っ張れるところが少ないだけにありがたい。

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2024年9月22日 (日)

高松駅のキニ15(モノクロ)

一昨日、所用があって仕方なく新宿まで行ってきた。自宅からだと田園都市線で渋谷に出て山手線に乗り換えるのが最も便利な経路。新宿の人混み、それにバカっぽいガキの集まる渋谷を通るのはかなりの苦痛だったが、時間が惜しいから「東京見物」だと割り切って耐えることにした。
それにしてもどちらの街も相変わらず人が多いのはもちろん、「大人」に見える人間が少ないのも以前と同様。ひたすら文庫本を読みながら周囲の不快な光景には目を瞑って所用を済ませてきたが、久しぶりの人混みは気分的にもヘトヘト。会社を辞めてまもなく半年近くなるが、もはや自分の体もメンタルも、あんな喧噪の中ではもたないということを思い知った。

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昨晩は武蔵小杉で若い鉄道仲間と飲み会。自分を除き皆50代だから「若い」という表現は適切ではないにしても共通の話題は多く楽しく酒を飲んできた。すでに鉄道撮影から撤退した自分としては昔のことしか話のネタはないが、いずれも優しい面々、つまらない思い出話にも耳を傾けてくれて6時間にも及ぶ長丁場もあっという間だった。
皆さま、どうもありがとうございました。

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明日から帯広。今回は4年ぶりのエゾナキウサギ撮影に挑む予定。ほかにリスなども撮れれば嬉しい。
すでに北海道に生息する主な小動物はそこそこ撮り終えているが、年に数回しか訪れないビジターとしては、単に撮ったというだけの絵ばかりで、面白いポーズや仕草はなかなかお目にかかれない。「(北海道まで)来たからには撮らなきゃいけない」という義務感に駆られ、図鑑に出ているような写真ばかりで変化に欠けるものばかり。だからそろそろこの辺で狙いを変え、ありきたりの写真ではなく、もっと表情が豊かなシーンを見たいと思う。

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こういう車両が好き。四国・高松駅で1978年3月に撮影したキニ15。
10系や20系の気動車は鉄道模型で蒸気機関車と並べると良い味わいを醸し出すから、小学生の頃からエンドウやカワイモデルのキハ17やキハ35などを買ったが、こういうゲテモノまで商品化されることはなく、近年になってキットとして販売されてから質の良い完成品が出るだろうと待っていた。

しかしさすがにこんな変わり種を出しても、¥150000以上出して買う人は少ないだろうから、いまだに決定版が出ず残念至極。願わくばU-TRAINSあたりから精密なモデルが出れば飛びつくのに。

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2024年8月21日 (水)

銀帯のDF5026

往年の世界的二枚目俳優、アラン・ドロン氏が死去した。

中学生のころ、学校帰りに都内の映画館に入り浸り外国映画を貪るように観賞した時代、彼が主役の映画は数多く上映され、結構な本数を見てきた者としては強烈な寂しさを感じる訃報だった。
有名なルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」はニーノ・ロータの音楽とともに日本でも人気を博し、アラン・ドロンの名が一躍世界に広まったが、個人的にはもう少し年を取ってから主演した「冒険者たち」「シシリアン」「さらば友よ」「ビッグガン」「スコルピオ」などのアクションものが好きで、まだ中学生だった自分も、あんな渋い中年になりたいとまで思ったものだ。
またレナウンのダーバン(紳士服のブランド)のCMにも登場していて、ダークスーツやトレンチコートなどをまとった姿をテレビを通して見かけることも多く、二枚目ぶりは子供心にも際立って映ったものだ(ちなみにこのCMの音楽は小林亜星氏の作曲)。カッコいいとか今で言う「イケメン」などと、そんな生半可なものではなく、最近の甘っちょろく腑抜けた顔をした国内外の二枚目俳優には全く見られない、色濃く漂う「陰」の部分が素敵で、そこに見え隠れする「悪」の一面が二枚目ぶりに一層の拍車をかけているように感じた。

我が家のグルニエには昔見に行った映画のプログラムやチラシ、レコードが多数残っていて、これまで幾度となく処分してしまおうかと考えたこともあったが、久しぶりに引っ張り出して映画にはまっていた当時を偲んでみようと思っている。アラン・ドロンはもちろん男優ではスティーブ・マックイーンやチャールズ・ブロンソン、ジャームズ・コバーンにマカロニ・ウェスタン時代のクリント・イーストウッド、女優ではオードリー・ヘプバーン主演のものが圧倒的な数を占める。

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ゼンザブロニカEC-TLを買った1978年9月に和歌山機関区で撮影した、お召列車けん引に充当されたこともあるDF5026号機。これ以前にも撮っているがモノクロで撮ったものだから、お召列車牽引の名残である銀帯に気づかず、この日が初めてカラーでの記録となる。

ブローニーの6×6サイズでは12枚しか撮影できず、35ミリフィルムよりも慎重に撮らなくてはならず、露出も含めてこんな1枚を撮るのにけっこうな時間を費やしたことを思い出す。
光に帯がうまく反射して、それが銀であることが分かる角度を探し当てるのに苦労したが、すぐ隣に蒸気機関車時代に火室下部から灰を落とすために設けられたアッシュピットがあったおかげで低い位置から撮ることができた。

ウェストレベルファインダーで左右逆像の6×6サイズは扱い使いづらかったが、この後に買ったペンタックス6×7の場合はタテで撮るケースでは非常に不便で、車両基地などではむしろブロニカの方が便利だったように思う。それまで35ミリフィルム一辺倒で撮ってきた若者にとって当初ブローニーフィルムの粒状性は素晴らしく感じられたもので、自分の好きな車両を撮るときには必ずブローニーを用いたが、超望遠レンズを使うようになるとモノクロの場合、少しは粒子が荒れている方が迫力が増すように感じ方に変化が出てきた。
そもそもこのブロニカやペンタックスの6×7は「中判」であって「大判」ではないのだから、現像に失敗すれば35ミリと画質に大差がなくなるのも当然だったが、まあ若いころの無知もあってこれらのカメラに盲目的に憧れたものだった。今思えばそんなものに金を投じるなら、もっと長いレンズにこそ資金を回して画角の違いをもっと早く知った方が利口だったと思う。

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2024年8月18日 (日)

お召し列車牽引のEF5861の流し撮り

長野への旅行はちょうど台風の到来と重なったが影響はほとんどなく、むしろ厳しい暑さに参った。特に黒部ダムからさらに上がった立山室堂(むろどう)は太陽を遮るものもなく熱中症になりそうな酷暑だった。遊歩道も石がゴツゴツしていてウォーキングシューズでは歩きにくく、ライチョウを見つけることも叶わない。現地の自然センターで聞いたところ涼しい場所を好むライチョウは、あまりにも暑いために室堂よりもさらに高いところへ移ってしまったようで、むしろ霧がかかるような曇天か小雨の方が見かけるチャンスは高いというから、今回はそれ以上無理をせずに下山することにした。

初めて訪れた黒部ダムは圧巻。まだまだ建設用の機械も進歩していなかった昭和30年代にあのような山奥にかつてないほどの巨大ダムを建設したことに呆れ、驚き、そのうえで賞賛もするが、過酷な工事で犠牲となった人々の慰霊碑を前にすると、当時と現代の労働者の待遇や扱いを「時代の違い」という言葉だけで片づけてはいけないような感慨がこみ上げてきたのも事実だ。
NHKの「プロジェクトX」や映画「黒部の太陽」などで厳しかった建設中の様子はかじっていたが、実際にあの場に行ってみると、とにかくそんな生やさしいものではなかったと実感できる。ここを訪れるつもりなら景色やその規模だけに注目せず、建設に携わった人々の生き様などを想像しながら足を踏み入れるべきだろう。もう少しそんな感性を磨いて再訪したい。

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旅行中、岸田が秋の自民党総裁選に立候補しないことを発表した。このことは妻がスマホで知って教えてくれたが、終戦記念の日の前日に発表したらどうなるか、あのバカは考えが及ばなかったのだろうか。教えてくれた妻に開口一番、自分がそう言ったのは翌日の朝刊がこのニュースばかりを大きく取り上げ終戦の日の記事が隅に追いやられることと、首相として全国戦没者追悼式で読み上げる式辞が空疎なものに聞こえてしまうことを想像したから。実に大した大馬鹿野郎だ。

まあマスコミも、総裁選不出馬の話をもっと早く察知できなかったから、いかに記者どものレベルが落ちているか露呈してしまったが、それにしても特ダネは降って湧いてくるようなものばかりではなく、「ひょっとしたらこの時期だからこそ岸田が退陣表明する可能性がぬぐえない」と山を張って取材していなければ特ダネなんてつかめないわな。お盆休みで世の中が大きく動かない一週間、休みを取ってのんきに構えていたのだろうが、総裁選が近づき岸田の進退に注目が集まっているこの大詰めで、どの社の記者もその気配を感じていなかったか予想できなかったとしたらマヌケばかりだ。しばらく時間をおいて、さも知っていたようにこの前後の官邸周辺の動きを記事にしても自分たちの無能ぶりを宣伝するだけで後の祭り。「ニュース」とも思えない。

それはそれとしても、この岸田という人物、見事なほど情けない首相だった。世襲をもくろんで秘書官にしたバカ息子が首相公邸の階段で組閣時の記念写真のまねごとをしたのは首相の責任ではないまでも、統一教会の問題は進展せず、防衛費倍増の財源について何も語らず、裏金問題も中途半端なまま。それを今になって「裏金問題のけじめをつける」というのは詭弁以外の何ものでもなく、ならばもっと早く辞めていなければおかしいと言われるのも当然のこと。辞任のタイミングをズルズル延ばしてきたおかげに党内の不満が膨らんで総裁選に出ても勝ち目がなくなり、再選されたとしても今度は衆院選に勝利する自信がないものだから詰め腹を切らされるかと、慌てて退陣表明となったのは無様でしかない。まるで「猫」を噛まずして逃げ回る意気地のない「窮鼠」の風で、一国の首相として滑稽極まりない。

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かつて「鉄道ジャーナル」誌に掲載していただいた写真で、このブログの開設当初もアップしたことのある1996年10月のお召し列車牽引のEF5861。「鉄道ジャーナル」の印刷があまりにも暗く、自分で少し色を調えてみた。

実はリバーサルフィルムの写真を最近の趣味誌に掲載していただかないのは、印刷がデジタルカメラで撮った画像の印刷には適している反面、古いリバーサルの印刷には向いていないように感じるから。中には大変見苦しい色のものも散見され、リバーサルを掲載していただくとしたらポジをそのままお貸しするよりも自分である程度、色調を調整したものを提供させていただく方が良いのかどうか逡巡しているから。

リバーサルフィルムでの撮影は今のデジカメに較べると難易度は高く、ちょっとした露出の過不足も致命的な痛手を受けたもの。緻密な計算や勘が働かなかった自分には失敗も多く、かつては印刷で救っていただけたこともあるが、最近はそこまで面倒を見てもらえないのか、先の「鉄道ジャーナル」のような結果になることが怖い。そこで久しぶりに昔の画像をいじってみたというわけ。

この日は往路復路ともお召し列車として61号機が旗を掲げて走ったが、復路は光が往路よりも芳しくないことから、撮影者の少ない側から手持ちで300ミリ F2・8を振ることにした。また、短い単ダマのレンズだと流し撮りをしない撮影者の邪魔になるため線路に近づけず、ある程度距離が離れても61号機を大きく写すことができる300ミリを採用した。
大口径レンズを手持ちで撮影することにリスクを感じたが、実際にやってみると300ミリ程度ならその重さが上下のブレを抑えてくれる。線路上を右から左、または左から右へと一定方向に動く列車撮影の場合、失敗する確率はそれほど大きくないから自分の場合、あまり恐れずにやっている。

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2024年7月28日 (日)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑫

暑い。家から一歩も出たくないから、やらなければならないことも後回しにしている始末。
それでもまだ仕事を続けていたら、こんな暑さの中でも出勤しなければならなかったのだから大変だった。なにしろ自分が勤務していた会社は定年の60歳を過ぎて70歳まで働けるとはいえ、それができる環境にあるのにテレワークを認めなかったのだから不思議だ。家で仕事をするとサボる奴がいるという性悪説に洗脳された幹部ばかりで、お隣の電通が社屋も売り払って多くの職員が自宅で仕事ができるようにしたのに、そういう発想もないのだから時代遅れも甚だしい。仕事を続けていた頃、息子にそんな話をしたら笑われたことを思い出す。きっと延長雇用の職員が通勤途上、暑さで何人かぶっ倒れでもしないと考えを改めることはあるまいが、とにかく全てに渡って後手後手の会社だった。

ただ、そういう社風はほかでもあるはずで今後、サラリーマン(最近はくだらないことに男女差別を助長するという観点からか「サラリーマン」などと言わず「ビジネスパーソン」などと言うから笑ってしまうが、それはさておき)の方々は定年が延長された場合、通勤途中に倒れる人も増えるだろう。よく電車内で「車内でご気分が悪くなられたお客様の救護のため電車がストップしています」などというアナウンスがあるが、そういう事例がますます増えそうな暑さだ。バカ幹部達は「這ってでも会社に出てこい」と思っているのだろうが、体は正直だから自分自身で防衛しなければならない。

とにかく一昨年よりも去年、そして今年と年々暑さが厳しくなっているのか、はたまた加齢のために自分自身が暑さに弱くなっているのかは分からないが炎天下、迂闊に出歩いて倒れたら自分のようなひねくれ者から見れば「バカ」としか思われないだろう。無駄な外出は極力避けるべし。

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1979年11月、東海道本線の弁天島で撮影した荷物36列車のEF58118(米)。狭い架線柱の間をくぐるような場所で撮影したのは、このころまだ米原機関区所属のEF58を全機撮影していなかったこともあって、被りのない場所で確実に仕留めておきたかったからで、もちろん大窓でもない機関車そのものに拘りなどなかった。

前年に購入したゼンザブロニカは手持ちで使うと左右水平にしづらいウェストレベルファインダーで、しかも左右逆象になるため慣れるまでそこそこ時間がかかった。ブロニカを買うときにペンタックス6×7と大いに迷ったものだが、フィルムバックを交換(すなわちケースバイケースでモノクロからカラーに切り換えるなどフィルムを変更できた)できることが選択の決め手になった。
秋の太陽は低く、写真としてはまあまあの結果になったが、なにぶんこんな58ではねぇ…。

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2024年7月26日 (金)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑪

また大嫌いなオリンピックが始まる。先の東京大会では電通や博報堂などの談合問題があったばかりだが、どうせ今大会にも「世界の電通」が絡んでいるのだろうから、懲りずにまた多額の金銭が動いているのだろうと想像してしまうのもあながち的外れではないだろう。「五輪の経済効果」などといってもしょせん国民には還元されるわけでもなく、スポンサーや組織委などが甘い汁を吸うばかり。のんきな連中は、そんなことも考えずにテレビ観戦し、パブリックビューなどで大騒ぎを繰り返すのは今回も日の目を見るより明らかだ。

どうして日本人はこれほどオリンピックが好きなのだろう。ひょっとしたら1964年の東京大会の興奮がいまだくすぶっていて、あのときの残滓を引きずっているのかも。だけど「東洋の魔女」と言われて金メダルを獲った女子バレーなどは、そもそも大会の公式競技でもなかったものを、その前の世界選手権で優勝したために日本が強引に公式競技として認めさせたという事実を知らない人も多い。しかも女子バレーに参加したのはたったの6カ国。3勝もすればメダルに届くわけだ。おまけに試合直前になって北朝鮮が出場を辞退し、このままでは開催が危ぶまれることから、韓国に出場をお願いした上での結果だ。きっと韓国チームを招聘するに当たっても渡航費用や滞在費など諸々の金銭を使ったのだろう。

大半の国民はそんな経緯も知らず浮かれていたようだが、とにかくオリンピックにはそういったグレーな部分が多すぎて、のんきにアホ面下げてテレビなど見る気にはなれない。
ちなみに自分の五輪嫌いにはもう一つ理由があるが、そちらはまた別の機会に。

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先日、酒の席で知り合いのJR社員から「息子が鉄道ファンで、機関区の展示会に行きたいと言っているが、入場料が高いものが多くて行けないで嘆いている」との愚痴を聞いた。
それを聞いてこちらはのんきに「なら、お父さんが裏から手を回して入れてやればいいじゃない」と応えてしまったのだが、当たり前だがさすがに現実はそうはいかないらしい。そりゃ次から次へとあの手この手の車両展示会が開催されるわけだから一回で気が済むわけじゃなく、一度味をしめればまた行きたくなるのはファンとして当然。JR社員のお父さんとしても忸怩たるものを感じるのは無理あるまい。

翻って自分はもうJR旅客会社の国鉄型機関車もお終いだから暴利を貪るような車両撮影会などに参加することは絶対にあり得ないが、最近の鉄道ファンを対象にした撮影会やらツアーの価格を見ていると、このお父さんの嘆きもよく理解できる。
カシオペア25周年記念の小山往復ツアーの展望室プランが10万円超。高崎のC6120のナンバープレートを赤い色のもの付け替える交換体験イベントが36120円(最初の「3」が凄い)。こういうイベントの参加料は適正価格などないものだから、公正取引委員会の出る幕もなく、大して根拠のない値付けをしているようにしか見えず、それでも参加する人が多いことを見れば自ら喜んで詐欺に引っかかっている如くに映ってしまう。

まあ金があって、そんな価格でも参加したい人は参加すれば良いだけのことだが、こんな価格が「前例」となって当たり前になるとしたら弊害は残らないのか。個人的にはもはや鉄道撮影には本腰を入れる気もないから、「後は野となれ山となれ」の心境で眺めているが、良識のかけらもないような価格設定には(JR本体とは別会社ながら)企業としての知性を疑ってしまう。もともと前身は日本国有鉄道と言いながら当時でも時代錯誤の労働組合に牛耳られて解体された会社だから、社会的立場などに頓着せず恥を恥とも思わない風土が残っているのかもしれないけれどね。

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「お呼びじゃなかったEF58」に回帰。
前面の窓が大きいのに「お呼びじゃなかった」理由はあえて明記するつもりもないが、EF58ファンならご理解いただけるだろう。
だから66号機についても個人的な外観の評価は同様だが、この40号機が残っていた頃には自分が好きな「ひさしのない大窓機」も残っていたから、なおさらそんな気持ちが強かった。

これは阪和線の山中渓付近で走行シーンを撮った後に和歌山に着いたら、まだ駅に停車していたからホームを下りて撮影した画像。「お呼びじゃなかった」のにわざわざ撮影したのは、山中渓での首尾が悪く手前に雑草が入ってしまったため。結果、40号機についてはこれが最もまともなカットになってしまたということになる。
和歌山駅はホームの位置が微妙にずれていて、特に和歌山着の貨物列車などはホームの先端ギリギリに止まることが多く対向ホーム上からでは撮影できないケースもあって厄介だった。この写真撮影については駅関係者に断って地上に下りているが、望遠レンズを使えるほど機関車より前方に行くのは憚られた。まだ遠慮がちで素直な学生だったからだろう。

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2024年6月13日 (木)

北海道、青いDD51の夜行列車@静狩3

来月発売の「電気機関車EX」の記事をようやく書き上げた。鉄道への関心が薄れゆく中で記憶をたどりながら原稿を書くのはなかなかしんどく、毎度時間がかかって編集長を困らせているらしい。ただブログの駄文と違い、鉄道好きな多くの読者にお金を頂戴してお見せするのだから毎度試行錯誤の繰り返しだ。例えば形容詞をどの言葉の前に付けるのが分かりやすいかとか、しばしば鉄道雑誌の記事に使われる言い回し、例えば「…である。」だとか「…であった。」などはなるべく避けたいし、同じ単語の繰り返しも芸がない。記事の内容そのものよりも、こんな細かな点にいつまでも拘泥してしまうのだからズルズル記事の完成に時間がかかる。自己満足に違いないとはいえ長年、鉄道雑誌を読んできた身としては、しょせん趣味の話なのにどうしてこういう論文的な表現が繰り返されるのかが疑問だったから、せめて自分の場合はいったん立ち止まって考えるよう心掛けているつもりだ。

しかしどうしても「…だが、」とか「…思う。」や「…と考える。」というところは避けるべくもなく、ほかになかなかふさわしい言葉が思い当たらず何度も使ってしまう。だから今さらながら自分のボキャブラリーのなさに愕然としつつ記事を書かせていただいているわけだ。

とまあ、とにかく記事はできたから少しは解放感もあるはずだが、無職になってみたら思ったよりやるべきことが多く時間がない。これまで気にならなかった庭の雑草が見苦しいと感じたり、洗濯物を干したり取り込んでたたんだり、あるいは無駄に取り置いている電化製品の段ボールをゴミに出したりなどなど、けっこう忙しく、午前6時ごろに目を覚ましても自分のために使う時間は意外と短い。
考えてみれば今までは妻がこれらのことを一手に引き受けてくれていたわけだから、ただただ申し訳なく思う次第で、その贖罪も含めてますます家事をやろうと張り切っている昨今。

以上、ブログ更新遅れの言い訳でした。

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今日、書き終えた連載記事でほんのわずかだけ触れた北海道の夜行寝台列車撮影時代の一コマ。まだ本格的に通い始める以前のカットで、2010年1月31日の撮影。転勤先の大阪から足を伸ばした時のもので、有名な長万部~静狩の国道のオーバークロスからのもの。中間地点にはまだ旭浜という駅があった時代だ。とにかくここは大のお気に入りで、その後あれこれいろいろな場所で撮ったが、迷ったときにはたびたびここに回帰したものだった。

何度もここ撮影した画像をアップしてきたが、初めて訪れたのは1988年5月のこと。後ろの木々がまだ低い時代。ただ個人的には木々が生長した後年の方が北海道らしい風景に感じたもので、その方が高い位置からの撮影には適したように思っている。
夜間に積もった雪がまだ解け始めず、粉雪として舞い上がって客車が隠れてしまうが、個人的にはその方が好みだった。

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2024年4月10日 (水)

降雪の函館駅で

あと10日もすれば会社とオサラバ。大学を出て43年間在籍したわけだから、さっぱりしたとは言い切れいないものの、洋々たる気分も大いに味わっている。これまで土日祝日を念頭に旅行の計画を立ててきたが、今後そんなことに拘らず安い時期に安い料金で行けるプランが立てられるのは何よりだ。

そんな中、先日の旅行で気になったのが撮影現場で知り合った方々が皆、趣味用に名刺を持っておられること。特にまだ仕事をされている方でも一流企業に勤めている人ほど、それをひけらかすのは僭越だと感じているようで仕事の名刺ではなくメールやインスタのアドレス、携帯電話の番号などが書かれている趣味用の名刺を用意している。
まもなく「無職」になる身、いずれは自分も作らなければなるまいとは思うがなかなか手が回らず、まして皆さんのように肩書のところに「写真家」と書くのも面映ゆくて仕方ない。つまりこの「写真家」というもの、何を持って「写真家」と言うのか不思議でたまらないのだ。

写真で食っているのならともかく、単に好きで写真を撮っているのだからそう称していいものかどうか。ならば「写真愛好家」で良くないか。犬の散歩をしていて知り合った人と名刺を交わすような(そんなことはなかなかないだろうけれど)場合、仕事の名刺ではあまりにも場違いだから、それなら「愛犬家」とでも記すのか?
とにかくじっくり考えると、この「〇〇家」というのが非常に曖昧模糊とした肩書で、かついい加減な気がして仕方がない。

けっきょく肩書など記さない方向で考えているが、この自称「写真家」。今回も頂いた名刺の中にこう書いてあるものが圧倒的で、元報道カメラマンとしては何となく気持ちの整理がつかないでいる。

いっそ「愛妻家」にでもするか。

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蒸気機関車現役時代、社会人になってスキーを始めた頃、そしてDD51の夜行列車を撮りに行った頃と、これまで北海道に行った回数を数えるとゆうに100を超えている。それぞれ熱中しているものがあった時期で動物に夢中になった今でもそれは同様だ。もちろん蒸気機関車時代は青函連絡船を使っていたが、それ以降はすべて飛行機となり、自分にとって北海道の玄関口は函館から道内各地の空港となった。かつてのことを思えば羽田からひとっ飛びになって往復の負担はずいぶん軽減され、昔のように北海道という場所がずいぶん身近になった気がするが、それでも船で津軽海峡を渡った時代の思い出は今でも鮮明だ。

青函連絡船の乗船名簿に残すため(もちろん事故に備えてのこと)、青森が近づくと東北線車内で配られた氏名などを記す紙、青森駅桟橋への通路、連絡船が出港する際の銅鑼の音などなど、その一つ一つを今でも忘れていない。
だから自分にとって、今でも北海道の玄関口と言えば昔と変わらず函館で、夜行列車を撮りに通った頃もこの駅に立つことにちょっとした感慨を覚えたものだった。

2016年1月、まもなく本州と北海道を結ぶ夜行寝台列車がなくなるという時期にこんな写真を撮っているのは、その心象風景の証だったのかもしれない。撮りたい被写体をアップで狙うのが自分なりの写風ながら、この日は牽引機ED79の照明に焦点を合わせてみた。H氏と居酒屋で杯を交わした後。日付が変わって激しく雪が降る中、酩酊しながら駅まで歩き本州へ向かう「はまなす」を撮りに行った。水分を多く含んだ横殴りの雪はレンズフードの中にも飛び込んで、それを払いつつ三脚で長時間露光に挑んだ。午前1時を過ぎているのにホームは明るく、ヘッドライトに照らされた雪が浮かび上がる立ち位置を探しながらかじかんだ手でレリーズを握ったのはもう8年も前のことだ。

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