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2025年9月13日 (土)

室蘭本線・礼文にて

これまで幾度となく書いてきた北海道・羅臼岳で起きたクマに登山者が襲われた事故。知床をしばしば訪れているわが身にとっても他人事ではないから関心をもって現地の知り合いや昔の同業者らにも詳細を尋ねてきたが、最近少しずつ実情が見えてきた。もちろん教えてくれた人とて現場にいたわけではないから事実と受け止めるには無理もあるが、登山者たちの実態や現場の管理をゆだねられている知床財団の対応の遅れがこの事故を招く大きな要因になったのは間違いなさそうな気がする。

一つ目は事故が起きた登山道の現場には蟻塚(蟻が地中に巣を作る時持ち出した土砂が、地上に積み上げられたもので、土や落葉を塚のように積み上げて作った蟻の巣)があって今回の犠牲者は足早に下山中、そのそばで好物のアリを食べていた子熊にぶつかり、子を守ろうとした親グマに襲われたというのが真相らしい(現地で取材を重ねた某社記者の話)。蟻塚がそこにあることはクマ対策に関わる人には知られていて、前日にもそのあたりで登山客がヒグマに付きまとわれたという通報があったことを鑑みれば、なぜ知床財団が登山道を閉鎖しなかったかは疑問で、自分たちの活動拠点ともいえる知床自然センター周辺の遊歩道にクマが出ると即閉鎖することに比べると片手落ちのようにも見える。

二つ目は登山者のマナー。羅臼岳に登る人の中には往路(山に登るとき)、少しでも荷物を軽くするため食料などを登山道途中の木に引っ掛けて山頂に向かい、帰り道に回収する人がいると言う話を事故発覚直後のニュースで目にしている。割と普通に行われていたようでテレビでそう語っていたが、事実ならこれこそ大きな要因でもっと登山客のマナーについても検証すべきだろう。財団や現地の人も耳にしていたのではないか? 不思議なのはこの話がその後、全く出てこなくなったこと。遭難者がいくら出ても登山禁止にならない山登り、登山家たちか“圧力”でもかけたのか、それともこの件を耳にしていた財団が責任逃れのために放映をやめるようテレビ局に依頼したのか?邪推したくなるほどこの映像はパタッと消えてしまった。

ともあれ、観光客や重い機材を持った
写真愛好家が普通に行くような場所で起きた事故ではなく、こんな事実を発表しないで自分たちの落ち度から目をそらせようとするかのようにカメラマン対策に走る関係者たちには呆れるばかりだ。

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インスタというのは面白い媒体で、字数こそ多くないにも関わらずコメントする人間の教養というものがあからさまに見える。言葉遣いはもちろん、記事の読解力が足りないくせに自分と異なる考え方を持つ人を認めず、汚い言葉でののしる連中が数多。

知人が自分の考えを一言インスタに書いたら膨大な数の批判が舞い込んで、そのほとんどが事実誤認に基づくものだったとメールで伝えて来た。反論を受けることは承知していたが単なる罵詈雑言ばかりで、世の中には頭の悪い人がこれと同じような比率で存在しているのだとしたら…とショックだったらしい。
想像はつく。かつてEF5861が交通博物館に収蔵されることをブログで書いたら、レベルのあまり優れているとは思えないコメントがまあ来るわ来るわ。教育水準が低かったのか、親の躾が行き届かなかったのか、あまりにも多くて哀れに感じたのは5年ほど前だったか。

とにかく返事はおろか、次の記事で反論に聞こえるようなことは書かないのが一番だと偉そうにアドバイスしたが、ネットが発展したことで新聞を読んだり読書の機会が減り、自分と同じような意見にしか耳を傾けなくなった連中を相手にするのは愚の骨頂(もちろん中にはしっかり根拠や事例を示して語るまっとうな人も存在するが大半はそうじゃない)。そんな方々を真面目に相手にするのは、しばらくしたらつくづくバカバカしく思うぞと返信したところ。味噌も糞も利用するSNSなんぞに足をすくわれない心得だ。

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D52を撮ろうと訪れた1971年(ネガを見るのが面倒なので1970年だったかもしれない)2月の室蘭本線・礼文。当時はダイヤグラムなどなかったし、あっても冬の北海道では列車の遅延など当たり前だからあまり参考にはならない。行き当たりばったりの訪問だった。

寒さはなかなか厳しく半世紀以上たった今でもこの時の感覚は思い出せる。雪は少ないものの海からの風をまともに受けながら線路沿いの道を歩いたが顔に突き刺さるような冷たさに耐えるのは辛かった。やがて太陽が出てきていくらかマシにはなったが氷点下10度前後の風のあるコンディションでは2度や3度上がっても「焼け石に水」(例えが逆か)。それでも列車密度の高い室蘭本線ゆえ、いきなりD52が来たらまずいと早足で歩いたのだから車の撮影が当たり前になった今となってはあっぱれ!

けっきょく撮れたのはD52の貨物列車1本と「北斗」だけ。3時間ほど粘ったように思うが収穫はあまりにも少なかった。いかに列車本数が多い室蘭本線と言えど室蘭から東、札幌までと室蘭から西の長万部との間では雲泥の差。D52が来たことで満足してというか、それを言い訳のようにして急いで駅に引き揚げたが、こんな簡素な駅舎でも中に入るとありがたいほど暖かく、駅というもののの存在を強く認識したものだ。

後年、と言っても40年以上経過してからのことだが、北海道に夜行寝台列車を撮りに通うようになり、礼文にも足を運んだが駅にはもちろん職員など配置されておらず廃屋のような寂しさと夏でもひんやりする空気を思い出す。しかし、それももう10年以上前のことなのだから時の流れの早さに驚くばかり。


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