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2025年9月

2025年9月30日 (火)

魅力的な黒部峡谷鉄道の機関車

9月26日から3泊4日で富山、金沢へ行ってきた。目的の一つは、だいぶ前から気になっていた黒部峡谷鉄道の電気機関車。鉄道撮影に対する熱は冷めてしまったが、かなり前からここの機関車を実際に見てみたいという希望を達成していないままだったため、今になってようやくその思いにケリをつけた。
もともと前面がゴチャゴチャとしてヘビーデューティーに見える車両が好きなものだから、長いレンズで引っ張ったら自分好みに撮れるのではないかとの思いを抱いたのは10年以上前からだったように記憶している。

この目で見た感想は想像通りで自分の感性にじゅうぶん響くもの。一見すると工事用車両のように映るかもしれないが、お客さんを乗せて走る正真正銘の旅客列車牽引機関車(しかも常時重連)。険しい勾配に挑む姿は小粒ながらなかなかの存在感が漂う。
カーブだらけのナローゲージでは700ミリクラスのレンズで引っ張るには撮影ポイントがないし、線路沿いに道がないから撮影できる場所は限られたが車両が小さいから400ミリ程度でも望遠効果はそこそこ大きかったように思う。個人的には国鉄のED18の雰囲気を感じたのかもしれない。茶色に塗ればさらに魅力は増すかもしれないが、昔からこの姿で使われてきた由緒正しき機関車。大井川鉄道の電機のような愚行はしない方が良いだろう(ただし、願わくばヘッドマークのない姿も見てみたい)。

現在、黒部峡谷鉄道は能登半島地震による影響で本来の終点である欅平まではつながっておらず、途中の猫又止まりだが来年の紅葉シーズンには再開されそう。改めて訪れることになるのは間違いない。

昨晩、帰って来たばかりで画像処理ができないが、9月最後の記事として掲載した次第。次回以降、新たに購入した24~120ミリズームで撮った、お決まりのアングルからの写真もアップしたい。

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石破首相や外務大臣の岩屋が国連でパレスチナの国家承認について「(承認を)するかしないかではなく、いつするかが問題だ」と演説したが「まやかし」にしか感じない。

「いつするかが問題」、ふざけるな!
日々、命が奪われている中、「いつ」はないだろう! 核拡散防止条約すら批准できない被爆国らしいと言えば「らしい」が、たとえ国家承認が即刻ジェノサイドの歯止めにつながらないにしても今日も明日も、あるいは今でも人命が奪われていく中で一日でも早く承認するのが筋だろう。トランプ関税を気にして言葉巧みに日本としての考えを明確にしない卑怯で姑息な論法を展開(どうせ承認しないということ)するのはうす汚く、腐臭すら漂う有様でしかない。あきれ返って恥ずかしくなるが、昔からこういう輩って常に職場や学校など、身の回りに存在したことも事実だ。

飢餓で、あばら骨を浮かべた子供が毎日死んでいく現実。それでも日本はすぐに承認しないのか。国家として承認したところで直ちに多くの命を救えるわけではないが、トランプ関税から自動車産業を守るためにこの問題にすらへつらうのか! そして、何百万もする車を当たり前のように4、5年で買い替えられる恵まれた国民はそんなことすらおかしいと感じないほど不感症に陥ってしまったのか! 給料が少し下がったって命に大きな影響が出るわけでもない自動車産業従事者を守るために馬鹿で愚かな米大統領を持ち上げるのだから我が国の首相、あるいは首相候補、ひいては与野党含めた政治家たちの腰が引けたザマもここに極まれり。一部には石破や岩屋の国連での演説を評価する向きもあるが、発言の実現性がないと理解していながらを称賛する姿には白けるばかり。

SNSなどでは群馬県前橋市長の不倫問題なんかでギャーギャー喚く国民のくせに、他国の子どもが多々死んでいく現実には関心が薄いのだから昨年、評論家の青木理が言ったように「劣等民族」とはつくづく言い得て妙だ。

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2025年9月25日 (木)

長野電鉄の電車

自民党の総裁選は相変わらずの茶番。記者会見などを見ても、もう裏金問題について語る候補者もおらず、むしろ問題にかかわった安部派の議員を重要ポストで使うことも視野に入れているらしい奴もいて、いずれまた金の問題を繰り返すであろうことはほぼ間違いない。この厚顔無恥な連中が、国政を牛耳って有権者を欺きながらぬくぬくと私腹を肥やすのだろう。
一方で何度騙されても懲りない国民。こりゃオレオレ詐欺が減るわけないはずだ。人が良いのもここまでくるとバカと言っても構わないだろう。

それにしても昔、仕事でインタビューに立ち会って写真を撮った際、「これから飲みに行かない?」とお誘いくださった高市さんが有力候補の一人なのだから時の流れは面白い。1988年だったか90年ごろのことで、まだキャスターだったように記憶している。政治部記者の某氏が「女性が政治に何を求めるか」という今さらながらのテーマで話を聞いた場だったと思う。後半、たしかワインの話か何かになって、そんな流れになったように記憶しているが、あいにくその日は泊まり勤務だったので同席できなかった。今思えば「首相とお友達」になっていたかもしれず、そう思うと不思議だが、だからと言って別に肩入れするわけじゃなく、ただただ「あの人がねぇ…」という感慨に浸るのみ。

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ようやく涼しくなってきて、明日から北陸に旅行。動物を撮れるような場所でもないから撮影機材も少しだけしか持参しないが、前にも書いたように時間があれば富山地方電鉄でも撮ってこようと思う。

どんな車両があるか明日、新幹線の中で調べてみようと思うが、目的の一つは購入してまだ一度も使ったいないワイド系ズームレンズの使い勝手を確かめること。ニコンのレンズはZマウントになって一段と性能アップしキヤノンやソニーをはるかに凌駕しているように実感する(個人的な評価だけではなく、カメラ雑誌などもそのことはよく分かっているはずだが何しろ「広告」があるからね)。
マウントの口径がFマウント時代よりもはるかに大きくなったため設計の自由度が大幅に増して、開発陣が「レンズ屋」としての本領を発揮してこのレンズも期待大。広角系の絵作りは苦手ながら、スナップ的な撮影を少しばかり楽しんできたいと思う。

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私鉄電車と言えば、こんな写真があった。長野電鉄の車両で左は旧東急の5000系。
まだ長電の長野駅が地上だった時代で小雪舞う1980年3月の撮影。

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2025年9月21日 (日)

多度津駅の歩道橋

「電気機関車EX」の連載を終えホッとしている。5年に渡り計20回ほど写真と記事を掲載していただいたが、いつも締め切りが迫ってからテーマを考えたり写真をチョイスして記事を書いてきた。毎度毎度、次からは早めに準備しようと思っていたのにこんなことの繰り返しで突貫作業の連続。まだ仕事に通っていた時期(2024年3月まで)などは酒を飲んで帰ってくることも多かったから、時間がなくなって徹夜作業も度々だった。さらに、鉄道そのものへの「熱意」が冷めてしまったことも加わって、なかなか「よし!頑張ろう」という気になれなかったことも思い出す。

そんなザマだから毎回、編集長に写真と記事を送った後になっても不安は残った。「あの部分の表現をもっと…すれば良かった」とか忘れていたエピソードを思い出すなど、ゲラを見て反省することもしきり。もうその段階で大幅な手直しなどできるはずもなく、完成した本を見ては幾度も辛酸をなめた。

さて、七転び八起き。
そんな反省をふまえてそろそろ(いつになるか分からないが)電気機関車よりも純粋に好きだったディーゼル機関車、特にDF50やDD54、そして後年、撮影に力を注いだ北海道をはじめとするDD51の記事執筆を手掛けようと考えている。
DF50などは現役時代、蒸気機関車を駆逐した「悪役」のように思われていたのか鉄道趣味誌に特集記事として扱われたことはほとんどなかったが、それからしばらくたってから模型ではけっこうな人気を集め、ムサシノモデルの製品などはオークションで引手数多。同社のDD54とともに発売時の価格を大きく上回る事例も多い。「隠れファン」が多かった証拠でもある。

そこでこれらの機関車を中心に自分が撮影した時代の思い出を中心に書かせていただこうかと考えた次第。住んでいる関東からは遠出しなければ撮れなかった形式ゆえ、記録できなかった個体も多いが紀勢本線や四国に限ればまあ体裁は整うと思う。間違いなく電気機関車よりはこれらのDLの方が好きだったし作業も少しは前向きになれそう。昨晩はとりあえず古いネガからDF50の画像を数十枚ほどピックアップした。記事についてはいったん書き上げてから時間を置いて推敲した方がより良くなるので時間がかかるのは確実だが、ゆっくり慌てず、何より後悔しないよう落ち着いて作業したい。

写真はその中で拾った1978年3月の多度津でのもの。この駅に架かる歩道橋は広々とした構内を見渡すには最適で、架線もないことも手伝って発着する列車を全て撮ることができ重宝した。当時はDE10牽引の列車は貨物も含めて一本もなく、ここを通る機関車のすべてがDF50だったこともありがたく、四国を訪れるたびに必ず立ち寄った。この日は多度津工場に入場しているDF50にもカメラを向けるべく見学許可を頂いていたので、その前の時間を利用している。
多度津工場を見学する許可を取ったのは万が一、DF50の1号機が入場していることを懸念したためだったが杞憂に終わり前日、高松運転所で心行くまで撮れたことも懐かしい思い出だ。

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2025年9月13日 (土)

室蘭本線・礼文にて

これまで幾度となく書いてきた北海道・羅臼岳で起きたクマに登山者が襲われた事故。知床をしばしば訪れているわが身にとっても他人事ではないから関心をもって現地の知り合いや昔の同業者らにも詳細を尋ねてきたが、最近少しずつ実情が見えてきた。もちろん教えてくれた人とて現場にいたわけではないから事実と受け止めるには無理もあるが、登山者たちの実態や現場の管理をゆだねられている知床財団の対応の遅れがこの事故を招く大きな要因になったのは間違いなさそうな気がする。

一つ目は事故が起きた登山道の現場には蟻塚(蟻が地中に巣を作る時持ち出した土砂が、地上に積み上げられたもので、土や落葉を塚のように積み上げて作った蟻の巣)があって今回の犠牲者は足早に下山中、そのそばで好物のアリを食べていた子熊にぶつかり、子を守ろうとした親グマに襲われたというのが真相らしい(現地で取材を重ねた某社記者の話)。蟻塚がそこにあることはクマ対策に関わる人には知られていて、前日にもそのあたりで登山客がヒグマに付きまとわれたという通報があったことを鑑みれば、なぜ知床財団が登山道を閉鎖しなかったかは疑問で、自分たちの活動拠点ともいえる知床自然センター周辺の遊歩道にクマが出ると即閉鎖することに比べると片手落ちのようにも見える。

二つ目は登山者のマナー。羅臼岳に登る人の中には往路(山に登るとき)、少しでも荷物を軽くするため食料などを登山道途中の木に引っ掛けて山頂に向かい、帰り道に回収する人がいると言う話を事故発覚直後のニュースで目にしている。割と普通に行われていたようでテレビでそう語っていたが、事実ならこれこそ大きな要因でもっと登山客のマナーについても検証すべきだろう。財団や現地の人も耳にしていたのではないか? 不思議なのはこの話がその後、全く出てこなくなったこと。遭難者がいくら出ても登山禁止にならない山登り、登山家たちか“圧力”でもかけたのか、それともこの件を耳にしていた財団が責任逃れのために放映をやめるようテレビ局に依頼したのか?邪推したくなるほどこの映像はパタッと消えてしまった。

ともあれ、観光客や重い機材を持った
写真愛好家が普通に行くような場所で起きた事故ではなく、こんな事実を発表しないで自分たちの落ち度から目をそらせようとするかのようにカメラマン対策に走る関係者たちには呆れるばかりだ。

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インスタというのは面白い媒体で、字数こそ多くないにも関わらずコメントする人間の教養というものがあからさまに見える。言葉遣いはもちろん、記事の読解力が足りないくせに自分と異なる考え方を持つ人を認めず、汚い言葉でののしる連中が数多。

知人が自分の考えを一言インスタに書いたら膨大な数の批判が舞い込んで、そのほとんどが事実誤認に基づくものだったとメールで伝えて来た。反論を受けることは承知していたが単なる罵詈雑言ばかりで、世の中には頭の悪い人がこれと同じような比率で存在しているのだとしたら…とショックだったらしい。
想像はつく。かつてEF5861が交通博物館に収蔵されることをブログで書いたら、レベルのあまり優れているとは思えないコメントがまあ来るわ来るわ。教育水準が低かったのか、親の躾が行き届かなかったのか、あまりにも多くて哀れに感じたのは5年ほど前だったか。

とにかく返事はおろか、次の記事で反論に聞こえるようなことは書かないのが一番だと偉そうにアドバイスしたが、ネットが発展したことで新聞を読んだり読書の機会が減り、自分と同じような意見にしか耳を傾けなくなった連中を相手にするのは愚の骨頂(もちろん中にはしっかり根拠や事例を示して語るまっとうな人も存在するが大半はそうじゃない)。そんな方々を真面目に相手にするのは、しばらくしたらつくづくバカバカしく思うぞと返信したところ。味噌も糞も利用するSNSなんぞに足をすくわれない心得だ。

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D52を撮ろうと訪れた1971年(ネガを見るのが面倒なので1970年だったかもしれない)2月の室蘭本線・礼文。当時はダイヤグラムなどなかったし、あっても冬の北海道では列車の遅延など当たり前だからあまり参考にはならない。行き当たりばったりの訪問だった。

寒さはなかなか厳しく半世紀以上たった今でもこの時の感覚は思い出せる。雪は少ないものの海からの風をまともに受けながら線路沿いの道を歩いたが顔に突き刺さるような冷たさに耐えるのは辛かった。やがて太陽が出てきていくらかマシにはなったが氷点下10度前後の風のあるコンディションでは2度や3度上がっても「焼け石に水」(例えが逆か)。それでも列車密度の高い室蘭本線ゆえ、いきなりD52が来たらまずいと早足で歩いたのだから車の撮影が当たり前になった今となってはあっぱれ!

けっきょく撮れたのはD52の貨物列車1本と「北斗」だけ。3時間ほど粘ったように思うが収穫はあまりにも少なかった。いかに列車本数が多い室蘭本線と言えど室蘭から東、札幌までと室蘭から西の長万部との間では雲泥の差。D52が来たことで満足してというか、それを言い訳のようにして急いで駅に引き揚げたが、こんな簡素な駅舎でも中に入るとありがたいほど暖かく、駅というもののの存在を強く認識したものだ。

後年、と言っても40年以上経過してからのことだが、北海道に夜行寝台列車を撮りに通うようになり、礼文にも足を運んだが駅にはもちろん職員など配置されておらず廃屋のような寂しさと夏でもひんやりする空気を思い出す。しかし、それももう10年以上前のことなのだから時の流れの早さに驚くばかり。


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2025年9月 7日 (日)

脱線したD51498

とうとう石破首相が辞任。特段、肩を持つつもりもないが、クソの如き麻生をはじめとする自民党議員のバカさ加減には辟易した。
まあ、次期衆院選では今回の無様なプロセスを忘れないクレバーな有権者からの支持は得られず、「解党的」状況に追い込まれることを期待したい。

特に有力な次期首相候補が(今のところ)保守色の強い高市とおつむの弱い小泉ジュニアでは、外交をはじめとして日本という国が恥をかくのはまず確実。現官房長官の林芳正ならいくらかマシかもしれないが(この男も過去にいろいろあって取材に関わったことがあるが)、高市、小泉なら先が見えている。ならば彼らが間違いなく引き起こすであろうみっともない失態を「バラエティショー」と割り切って嘲笑いながら楽しんでいくのも一興だ。

これで総裁選に向け人事をめぐる動きが活発化して、さらに政治の空白が長引くことになったわけ。次期政権で入閣する連中がニヤニヤしながら首相官邸に入る姿はきっと醜悪だろう。ともあれこれが我が国の国会議員のレベルだということが強烈に証明された。

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今月は富山、金沢に行き温泉や食事を楽しんでくる予定。滅多に行くところではないから私鉄電車(富山地方電鉄など)でも撮るかもしれないが、それもあくまで気分次第。2017年の4月に永平寺に行った際はまだ鉄道撮影に対する情熱が些かなりとも残っていたから、長いレンズを使って前面アップの写真を撮ってきたが、今となってはそんな拘りもなくなってしまって近々入手する短いレンズで現地に行った「アリバイ」程度の記録でも残せれば良しとしたい。撮影を目的とした旅は10月下旬の知床旅行に重きを置くことになる。

その知床。現地のことを甘く見ていた登山者がクマに襲われて死亡したため、これまで立ち入ることができた地区もどうやら規制されそうな気配が濃厚。
しかし「知床」と言っても流氷がない季節の観光は景色を眺めるのがせいぜいで、あとは気軽に歩ける遊歩道で知床五湖や山をめぐり、シカとキツネに出会えれば大抵の人は満足しているようだが正直、これだけでは国内のほかの観光地と大差ない。景色にしても群を抜いて素晴らしいというわけでもなく、本当に知床に行って「良かった」と喜ぶのは山や船から野生動物に会えたとき。それを過度に規制してしまえば知床独自の良さがスポイルされてしまうように思う。

クマによる事故が起きて危険だからと、これまで普通に行けた場所まで立ち入り禁止とするならば、各地で相次ぐ登山事故や暑い季節の水の事故なども同様で登山禁止、遊泳禁止とすべきだし、かたや社会問題化している「歩きスマホ」やカーナビに手を加えて運転中でもテレビが見られるようにするバカなども放置されているのだから、丸腰でクマの生息域に入っていった人が事故に遭ったとしても、これまで通りで良いではないか。

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JR東日本のD51498がご難続き。GV-E197系とかいう面妖な動力車(?)に引きずられて動輪を損傷したと思えば、今度は修繕後の試運転でテンダー台車が脱線。上越線が運休となり利用者が多大の迷惑を被った。
あまり関心がなかったものの、先月24日の鉄道仲間の宴会ではGV-E197系との件は運転上のヘマではないかとの話を耳にしたが、そうだとしたら今回も「ひょっとしたら…」という疑念が湧いてしまう。今回の脱線は動輪ではないから、おそらく別の原因なのかもしれないが立て続けにトラブルならお祓いでもしてもらった方が良いのではないかと感じてしまう。

今後、原因が解明されて新たな発表があるまで軽々なことは書けないものの、JR北海道で脱線事故が相次いだことと重なる印象も受けた。

でもまあ「現役」とは言えない保存蒸機。遊園地のおとぎ列車の機関車と大差ない存在だから、いつ終わりになっても仕方ないけどね。

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2025年9月 3日 (水)

ノロッコ号のお決まりカット

いまだに片が付かない石破首相の進退。物価対策や関税問題など喫緊の課題が山積しているというのに国民を無視して権力闘争に明け暮れている自民党議員のバカさ加減には反吐が出そう。各報道機関の世論調査でも「石破は辞める必要がない」という意見が多いのにどこ吹く風。いっそ静岡県伊東市の市長のように衆院を解散したら、自民党は議席をさらに大きく減らし衰退して「ケガの功名」になりそうな気がするし、もはやそこまでやらなければ政治はまっとうなものにならないのではないか。石破問題で「自民党はいったん野に下るべき」と言っていた議員もいたことだし、是非そう願いたい。

しかし自民党の長老って、どうしていつまでも「老害」をまき散らすのだろう。いい年を偉そうにいつまでも影響力を誇示しようと、ふんぞり返って党内を混乱させてばかり。見ているだけでも不快な麻生をはじめ、最近では森喜朗や幹事長だった二階など、もっと遡ればいくらでも名前を挙げられるが、こいつらの行動や言動が伝えられるたびに正直「早く死ね」と言いたくなってしまう。

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気がついたら今年もマクドナルドの「月見バーガー」の季節。まだまだ暑くて月見気分ではないものの、毎年楽しみにしている者としては後ほど自宅から徒歩数十秒の店舗で「初物」にありつこうと思う。値段を見ると以前に比べてずいぶん上がったように感じるが、今シーズンは5、6回ぐらいは食べようと思っている。日傘でもさして買いに行く予定。

それにしても年々暑くなって今年は昨年を上回る暑さ。まだ仕事を続けていたらこの激暑の中、通勤でぶっ倒れていたかもしれないと思えば仕事を辞めて良かったと感じる。おかげで寿命が延びたのではないかとすら思うほど。元の同僚たちはきっとこの炎天下、毎夏汗を流しながら70歳まで頑張っていくのだろうが、職場で具合が悪くなったりしていないかと心配になる。
自分自身、これまで最も暑かったと記憶しているのは1989年1月に仕事で訪れたカンボジアのアンコールワット。ジャングルの中の開けた場所にある有名な遺跡だが、石畳が熱せられていて厚底の靴を履いていても足の裏がどしたかと感じるほどだった。鉄板の上を歩いているようで水たまりを見つけると靴ごと足を入れて冷やしながら取材をしたが、よくこんなクソ暑い所にアンコールワットなどという途轍もない城を造ったものだと感心した。

いっぽう国内では夏の高校野球。甲子園球場のセンターと三塁カメラマン席は日を遮るものもなく、朝から10時間以上ぶっ続けで取材すると夕方には濃い衣類だと汗が乾いて塩になって白くこびりついてしまう。試合中は日陰に逃げることもできず、名物の「かち割氷」などで補水しても大して効き目はなく、超望遠レンズの上で玉子を割れば確実に目玉焼きができただろう。近年はあんな過酷な取材シフトは組むことはなくなったから、ずいぶん改善されたはずだが、そのぶん短時間でも気温が上がるようになった今と比べればどっこいどっこいだったかもしれない。一説によると(未確認)各地の最高気温は日陰にある寒暖計で観測しているらしいから、甲子園球場の日なたでは実際42度ぐらいになっていたのではないか。

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釧網線の観光列車「ノロッコ号」が今年度で終了になると書いたのは誤報だった。たしかに当初はその予定だったらしいが、新たに投入される車両の製造が遅れているのか来年度いっぱいは存続するようだ。鉄道撮影がおろそかになってロクに情報を気にしなくなったため知らなかったが、お恥ずかしい限り。

したがって牽引機のDE10も今しばらくは安泰らしく、原型と車体色は違えど国鉄型の機関車はまだ見られそう。
写真はこの8月に釧路湿原~細岡の有名撮影地で撮ったもの。前回は望遠で引っ張ったカットをアップしたが、今回は短い画角にズームダウンしたもので、これが誰しもが撮る絵。

当初、ここに行く気はなかったが、ヤマセミという川沿いに生息する鳥を探して湿原を走っていたら、ちょうど「ノロッコ号」が来る時間になったため丘に登った。以前は丘への登り口に猛犬がいてかまれた人もいたらしいが、今はいなくなって安心してたどり着ける。

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