羅臼岳のヒグマ事故は自己責任
鉄道ファンの中でしばしばマナーの悪さが問題になる「撮り鉄」。自分が鉄道撮影から距離を置く気になった一因だが、動物撮影においてもマナーや約束事を守れない人により様々な弊害が発生し始めている。
8月14日に知床・羅臼岳で登山客がヒグマに襲われて亡くなったが、発生から時間がたつにつれ詳しい状況が分かってきた。それによれば大きな原因は被害に遭った方の準備不足にあったようにしか思えない。中でもヒグマの、走る相手を追いかけるという習性も知らず、「走る」トレイルランニングで羅臼岳にアプローチしていたことなどその最たるもの。しかもクマ撃退スプレーさえ所持していなかったというのだから呆れてしまう。同行していた友人が被害者の悲鳴を聞いて素手でクマに立ち向かったというが、誰がどう考えたってかなうわけあるまい。「クマと相撲をとる、鉞(まさかり)担いだ金太郎」でもあるまいし「アホか!」と評しては言い過ぎか? 勇敢というよりも前に彼も被害者同様、撃退スプレーを持っていなかったという無様さの証でしかない。日本で最もヒグマの数が多い知床半島。その中でも一般の観光客が滅多に足を踏み入れない、とりわけヒグマの密度が高い領域へと入るにはあまりにも無防備すぎた。
また、地元で管理を任されている知床財団も、その拠点である知床自然センターや知床五湖近くの遊歩道にクマが出ればすぐに閉鎖(一時的だが)するのに、少し離れた登山コースについては数日前からヒグマの出没が相次いで、中には人につきまとう個体がいるとの報告を受けていても閉鎖など、何ら手を打たなかったのだから、その扱いの温度差について疑問は残る。
おかげでこの影響がマナーを守って動物や鳥を撮っている写真愛好家などにも波及し今秋以降、これまで当たり前に行くことができた地区への立ち入り禁止などという形で表れる可能性が濃厚になっている。現場を知らない人は問題の所在をすぐにカメラマンに転嫁するが多くの場合、ベテランカメラマンが新参者に対して「やってはいけないこと」やクマの習性、クマとの距離、あるいは基本的なマナーなどについて撮影地でしっかりレクチャーしてきたのは事実で、筆者も最初の頃は教えを乞うたものだった。それはもちろんマナーを守らず撮影ができなくなることを懸念しているわけで、だから少なくとも撮影現場においてクマによる死亡事故は起きなかったといっても良いだろう。
端的に言えば今回の事故で(死者に鞭打つ表現になって恐縮だが)被害者が「ヘマ」をやらかしたおかげで、まともな人たちまでが不利益を被るのは大いに不服。しかも知床財団の某氏が十把一絡げに今回の事故の一因がカメラマンにあるかのような話をしていたがこれはこれで非常に短絡的で不快。どんなところにもマナーを軽視するバカは存在するのだから、それをカメラマン、あるいは観光客のすべてがそうだと聞こえてしまうようなニュアンスで語っていたのはバカ丸出し。批判を受けるのが怖いのか、はっきりと被害に遭った人の「無知」がもたらした事故だと発言する度胸もないくせに、観光地でもある現地の管理を担う関係機関の幹部がテレビで涙ながらに感情的な物言いをする姿は浅はかとしか映らなかった。
とにかく、そもそものミスはクマが静かに暮らしている領域に丸腰で入ったこと。死んだ人を悪く言うのはこの国ではタブー視されるが、26歳にもなるいい年をした大人にしてはあまりにも迂闊すぎる行動だったとの思いが募るのは正直なところだ。
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子どものころ、夏休みも終盤に入るとアブラゼミの声が減って吹く風もわずかながら秋の気配を帯びたものだが、最近の夏はそんな風流さなどみじんもない。お天道様は一切手加減してくれない。
そんな中、24日に鉄道仲間の集まりがあって横浜・中華街まで出かけた。大阪のA氏や横浜のO氏らがセットしてくれている宴会で毎年、この時期に合わせて開かれる。今年は総勢16名にも及ぶ大人数でA氏らも事前に名札などを準備してくれて、これまでになく盛り上がり13時から21時までのロングラン終了まであっという間。翌日は「宴の後」といった心境で寂しさを感じたほど。まずはAさん、Oさんに感謝する次第。ありがとうございました。平均年齢が60歳に近い面々だが、また来年あるいは機会があれば万難を排して参加させていただきます。仕事をリタイヤして家にいることが多い身としては、こういう集まりの楽しさ、ありがたさは昔よりもはるかに大きく、仕事を辞めてからの時間が長くなればなるほど尊いものになってきている。
ひとつだけ加えれば白昼からの宴会に向かう道だけは辛かった。関内駅から中華街への徒歩は地獄で、普通だったら10分ほどで着く店なのに途中の横浜ベイスターズのグッズ売り場でエアコンに当たり、暑さを鎮めなければならなかったほど。昔から暑さに弱い者としては、年を重ね夏場の外出を極力控えていることもあって、久しぶりに炎天下に身を晒したのはかなりのダメージだったが、それでも有意義な一日を過ごさせていただいたのは暑い夏の思い出として刻まれるだろう。
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その宴会でJR九州からED76とEF81が消滅したことを知った。九州の機関車には昔からあまり興味のあるものがないから、今回の話も深くは聞かなかったが、これで国鉄時代に製造された電気機関車がなくなったということか。
1992年から3年ほど福岡に赴任していたころは毎晩酒浸りの日々だったし、JR九州では国鉄当時に誕生した電車も含めておかしな色に変えられていたから転勤した当初はあまり撮影することはなかったが、ラスト1年を切ったころに少しだけブルトレなどを撮影した。まあ、身の入らないいい加減な記録ばかりだったが東京と九州を結ぶ伝統あるブルトレの消滅が迫っているとあれば撮っておかなくてはなるまい。東京に戻れば九州のスノープローもない電気機関車など、わざわざ撮りに来るはずはなく、そこに住んでいたから記録しておくのは義務だと考えたに過ぎない。
そんな中でこの「サザンクロス」用に塗装されたED7678はカラー写真に向いていたこともあって、この機関車がブルトレ牽引に当たるのを調べて10回ほど撮ったように記憶している。写真は通常の「さくら」マークではなく桜の花の周りが緑色のヘッドマーク。赤と緑の組み合わせでこの機関車にマッチすることからチャンスを狙っていた。
この日は2台の車のうちユーノスロードスター(初代)で出かけ、行き当たりばったり正面方向からタテで撮れるところを探したが順光で撮れる場所がなく、けっきょく肥前山口で分割され佐世保線に入ったあたりで撮った後、早岐機関区で形式写真を撮影した。
思い返すと当時の九州はどんな車両を撮っても満足感がなく、鉄道撮影には最悪の地域だったように思うが、こと酒や食べ物は最高の地。毎日が二日酔いだったから撮影などやってはいられないという事情も線路から遠ざかることに拍車をかけた。







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