このところ国民民主代表の玉木の顔がテレビに映るたびに、自民党の最高顧問・麻生のように口がひん曲がってきたような印象を受けるのは自分だけではないようで、2名の知人から同じような感想のメールが寄せられた。今や上げ潮の国民民主党だがこと玉木に限れば別の顔がありそうでいずれ何か問題が起きそうな予感もする。同様に議席を伸ばした参政党にしても一時(いっとき)のブームで、将来に渡って国の舵取りを任せるには危うすぎる。人は見かけで判断してはいけないというタテマエ論はともかく、お若い人はまだ人物の顔でその人間性を推し量ることはできないだろうし、まして純情な年齢だからそんなことはしないだろうが貴重な一票を彼らに託した以上、期待を裏切られなければ良いのだが。
それにしても22日の各新聞は選挙結果が出る前から書いていたような記事ばかり。つまり①与党が大敗するケース②惜敗するケース③意外や意外、過半数を確保などのケースをあらかじめ想定して準備していたとしか受け取れない内容(よくオリンピックなどで日本選手が金メダルを取りそうな場合、逃した場合など結果が出る前に準備して締め切りに間に合わせるような予定稿)。その予定稿に開票時の様子や獲得議席数などの数字を少しだけ書き加えて本記にしているのが丸見えで、選挙翌日の新聞一面に掲載される毎度おなじみのパターン。しかもその横には「政治の空白を許すな」などと、普段は識者を担ぎ出して両論並記でお茶を濁しているような新聞記者が、ここぞとばかりに偉そうに語っているのだからチャンチャラおかしい。
開票結果を受けた21日の石破の記者会見では平河クラブ(自民党の記者クラブ)の幹事社である共同通信の記者が首相に辞任するかどうかをまず最初に質問していたが、物価高や消費税減税に関する問題など喫緊に手を打つべき課題が山積しているのに、まず責任論から追及するのはいかがなものか。それならば「続投する場合、(自民)党内で退陣すべきだという声も出るだろうが、そういう声を鎮めるためにどう理解を得るのか?」と、もっと踏み込んで質問をすべきで、イエスかノーだけで答えられるような質問では子どもの使いでしかない。会見前に記者クラブが自民党に質問の内容を伝えてチェックを受けていたのかもしれないが、口が達者な石破としてはそんな単純な質問に長々と答えていれば記者会見を打ち切る時間稼ぎにもなってありがたかったことだろう。無難な仕事さえしていればいい、腰砕けの政治部記者の実態がさらけ出されていたようで、まるっきりの茶番劇だった。
**********************************************************************************************
さてこの記事をアップしようとしたらトランプが日本に対する関税を15%にするとSNSで発表した。
このニュースを聞いてすぐに思ったのは、この話は先日、大阪万博に来たベッセント米財務長官から石破の耳に入っていたのではないかという推測。それが参院選での与党の過半数割れにも関わらず石破が続投を表明し自民党内で退陣論が大きくなってから、しかもアメリカ側から日本の夕刊締め切り前に余裕を持って発表されたのはあまりにも上手すぎる。開票当日に赤沢が訪米したことと合わせて考えれば明らかにシナリオがあったと感じるのは誰が見ても同様ではないか。選挙中から分かっていながら、自民党が議席を大幅に減らすのは確実と思ったためにあえて発表せず、続投を明らかにした段階で「手柄」として使うつもりだったのか?
ただ反対に大きな懸案が一定の成果を上げたので、もう続投の必要はないという考え方もできそう。
思い返せば昨年、終戦記念日の前日に前任の岸田が辞任を発表してほぼ1年。ことしも何か起きるのだろうか?
→で、今入ったニュース(TBS)によればけっきょく退陣表明になるようだが、そうなると今までの首相経験者よりもはるかにまともな人物に見えてしまう。今までが酷すぎたのか?(11時51分追加)
***********************************************************************************************
2014年9月に北海道新幹線開業前の海峡線で撮影した「北斗星」。前日に函館に入りこの場所に行ったが、ものすごい雨に見舞われ機材ともどもズブ濡れになったことを思い出す。翌朝近くまで雨は降り続いたが、せっかく来たのだからと撮影に出かけたら、滅多にないような朝日が線路を照らした。
同じ年の6月、この立ち位置よりも200メートルほど後ろで撮影したが、日の出前からスタンバイしたおかげで朝日の当たる位置がつかめず、日陰で撮って失敗しそのときの教訓が生きた。ただ、電化区間での撮影はあまり気が進まなかったからリカバリーに懸命になることはなかったが、このときは函館にホテルを取ったついでに再訪してみることにした。ここで一回目を撮ればDD51が牽く非電化区間に先回りも容易で、本来は好まない「追いかけ撮影」を何回か試みるようになった。
最近のコメント