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2025年1月

2025年1月29日 (水)

「SL冬の湿原号」①

今回の道東の旅では予想通り、生き物の撮影に関しては大した収穫はなかったものの宿泊先が素晴らしく大満足。一泊目の「あかん鶴雅別荘 鄙の座」は値段も値段だから当然にしても全体で25室のみでインバウンドのうるさい観光客など皆無で静かなうえサービスも上々。部屋の露天風呂や食事もふくめて非常に快適な時間を送ることができた。道東としては珍しい大雪に見舞われ外出を見合わせても、チェックインからチェックアウトまで館内ですごすことに些かの不満も感じなかった。
その後に泊まったホテルも想像をはるかに上回る客室、大浴場、食事でこれまたビックリ。あまり知られていない宿だし部屋数も少ないから、ここに名前を記してしまうと今後、予約が取りにくくなるおそれもあって割愛するが、さっそく次回もここに泊まろうと春の旅行計画を練ろうと考えている。
実に良い旅だった。

前述の通り初日、2日目は大雪ながらSLファンには僥倖となったようで、かく言う自分も動物の撮影はほぼあきらめ手軽な場所でC11牽引の「SL冬の湿原号」をチャチャッと撮ることができた。復活した蒸気機関車には強い魅力を感じないが、道床まで積もった雪の中を走るSL撮影は久しぶり。生き物の撮影をすることに比べりゃ、時間通りやって来る列車撮影は非常に楽。寒さも感じず2日続けて撮ってしまった。

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旅行から帰る日、中居正広とやらの女性問題でフジテレビの記者会見を空港のテレビで見かけた。その時点で開始からすでに3時間。帰宅してからもまだやっていて延々10時間に及んだようで呆れてしまった。

芸能人のこの手のスキャンダルなど、こんなに放映する必要があるのか。もはやスキャンダルそのものよりもフジテレビの事後の対応や前回の記者会見に焦点は移っているにしても、単なる「ガス抜き」のための長時間会見としか映らない。得体のしれないユーチューバーなど、記者会見のマナーも知らない有象無象まで集まって、論旨の定まらない質問をダラダラとぶつけている姿に小学校の「児童会」のような印象すら受けた。
また、名だたるマスコミの記者も自社の幹部には平素、ろくろく意見や異論も唱えられないくせに、相手が他社なら偉そうに声を荒げるのだから惨めったらしい。尻尾を後ろ足にはさみながら後ずさりしつつ吠えている弱っちいイヌのごとき。他人、特に有名人だったり大手企業の失態をSNSなどで袋叩きにしていい気になっている連中の縮図のようにも見え、質問を受ける側も質問する方も「どっちもどっち」の質の低いバラエティでしかなかった。

しかしこんな話、そもそも芸能界や女子アナ、IT成金らの間ではゴロゴロ転がっていることは現役時代から聞き及んでいたが、しょせんそういう業界なのだ。大騒ぎするまでもなかろうに。

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2025年1月23日 (木)

流れてないのに「流し撮り」

本日から北海道。今回は時期的に動物の動きが今ひとつ活発ではなく、行き先も内陸部だから、撮影の方は大した収穫はあるまいと予想していて、予約している宿でのんびり過ごすのが最大の楽しみになるだろう。

念のため釧網線の「SL冬の湿原号」でも撮ろうと雑誌のバックナンバーを見たが、自分の頭に描いたような絵が撮れそうなところが見当たらない。こういうときは無難に撮影地ガイドに載っている場所でちょっと長いタマが使えそうなポイントを探すしかないが、それにしてもピンと来るところがなく、SL撮影さえもだんだん面倒くさくなりつつある。

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このところ文庫本を買いに本屋に行くことが多く、ついでに鉄道雑誌も立ち読みする機会が増えている。そこで目に付くのが流し撮りで背景がほとんど流れていない写真。蒸気機関車のように速度が遅い車両なら30分の1程度でもなかなか流れないこともあるが、電車や電気機関車でさえバックが流れていない写真もあって、本命の列車写真を撮った後、そのまま先頭車両を追い続けた結果、写っていたようなもの。ひょっとしたら狙いの車両を流し撮りして失敗したらまずいとびびって安全圏の250分の1とか125分の1などでシャッターを切っているのではないかという気もするが、思い切りの悪さを感じてしまう。中にはバックに何もない場所、例えば空などしか写らないような場所で流している例もある。プロ写真家やベテランがこんな中途半端な流し撮り(とても流し撮りの域には入らないが)をチョイスして平気で誌面に載せるのだから意図不明。

報道カメラマンだった現役時代、スキーのジャンプ競技などで絵に変化をつけるため、ジャンプ台から飛び出した瞬間ばかりではなく、着地点を目指して滑空している選手を真横から流し撮りしたものだが、失敗を恐れて250分の1などで撮るとバックの森などがはっきりと分かって、つまらない写真になりデスクに怒鳴られていた同僚がいたことを思い出す。

旅客用機関車の多くが消えて衰退一途の鉄道雑誌、とうとうそんな流し撮りまで許容してしまうのか。しょせん自己満足の写真なのだからどうでも良いことではあるが、自分だったら恥ずかしくて人様には見せられない。

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2025年1月15日 (水)

斜光注ぐ国縫付近でDC特急

来週後半から道東への旅。今回はいつもとは少しだけ行き先を変えて阿寒湖、釧路湿原あたりを訪れる。もともとこの旅行は当初から計画していたものではなく、昨年のブラックフライデーのキャンペーンでいつもよりも少しだけホテル代などが安くなっていて、それを妻が目ざとく見つけたことがことの始まりだった。そこでいつもと少し違うホテルに泊まってみることを主たる目的として計画を立てた次第。動物撮影に関しても熱心にするつもりはなく、2、3月の撮影旅行のための下見という性格の方が強い。ただ、宿泊するホテルが釧網線沿いなので、ちょうど運転されている「SL冬の湿原号」が撮れるようで、それならせっかくだから行ってみようとは思っている。予想外にエゾフクロウやモモンガなどの動きが活発ならば即中止するつもりではいるが、何もすることがない場合の保険ぐらいにはなるだろう。

そう思って念のため調べてみたら「SL冬の湿原号」、18日から走るというのに試運転が始まったのは14日からのようで、しょっちゅう故障する機関車のくせに試運転のスタートが遅いことに驚いた。しかも10ヶ月間、火を落としていたのだからなおさら。一昨年などは蒸気機関車の故障で運転期間のほとんどをディーゼル機関車に代わったくせに、試運転の開始が本番の4日前というのはのんびりした会社柄あるいは土地柄のせいなのかと訝ってしまう。本州など遠隔地からSLを撮りに行こうと早くから計画していたファンがガッカリした前例も意に介さない悠長な企業風土は何と評して良いのやら。

まあ国内にゴロゴロ走っているC11というありふれた機関車だから、個人的には故障してディーゼルが代行しても不満はないが架線がなく、雪の積もる中を走るのだから、そんな光景を期待して渡道するファンは少なくないはず。しっかり準備してそういう方々をガッカリさせないようお願いしたいものだ。

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写真は2009年3月20日に撮ったもので場所は国縫~北豊津。この日は午後の上り「トワイライトエクスプレス」が運転されず、宿に戻ってもやることがないから貨物列車を撮って時間を潰していたが、この時刻(16時30分ごろ)はなかなか良い光が注いだ。木の影が編成に落ちるものの、晴れると足回りもはっきり見えるし後方の雪山も臨める。
ならば「トワイライトエクスプレス」はここを17時15分ごろ通過するはずだから、4月か5月になれば木の影も落ちず、良い雰囲気ではないかと考えていたが、けっきょくここで撮ろうという発想そのものを失念してしまった。長万部付近にもっと良い場所があったことも一因だが、日没が遅い時期に入ると機関車の正面に光が当たらないだろうと思いこんで、そのままどうでも良くなってしまったというわけ。

何ごとも思いついたときに直ちに試しておくべきだった。

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2025年1月 6日 (月)

東室蘭駅のC5744

2024年の年の瀬は大掃除を済ませ、例年よりも早く年賀状を発送し準備万端で正月を迎えようと思っていたらインフルエンザに感染してしまった。幸い熱は高くならず、咳も酷くはならなかったが元旦はベッドで横にならざるを得ず、本来ならば妻の妹夫婦と昼から酒を酌み交わす予定がパーになってしまってガッカリ。大晦日からやって来た息子も感染を懸念してか、一泊で帰ってしまい寂しい正月だった。まあタミフルを服用せずともすぐに快癒したのは幸いだが、よりによって元旦に微熱が出たのはタイミング悪すぎ。

ところで頂いた年賀状を見ると、今回をもって「年賀状終い」するという人が何人かいたが、ふだんメールや電話でお話しする機会もない人は、これから先のことを真剣に考えた上で決めたのだろうかと不思議でならない。要するにいざとなればメールや電話があるのだから儀礼的な年賀状など無駄だと思っているのかもしれないが日頃、音信のない相手だからこそわずかながらも年賀状でつながってきたわけなのに、それをやめると宣言するのは、大げさに言えば「絶縁宣言」とも受け取れる。自分のような年齢になると、その人が亡くなってもきっと分からないままでいるケースが増えるわけで、そこまで想像を膨らませたうえでの「年賀状終い」なのか疑問だ。親戚の中にもそういう人がいて、個人的には「血のつながりがあっても、もうこの人とは他人となるのだろう」と考えれば、一方的で勝手な言いぐさだという気がしないでもない。

コロナ禍を経験して葬儀にも立ち会えず哀しい思いをした人も多かっただろうに、コロナが過ぎてみればそれを理由にこれ幸いとドライな社会に変わってしまった。個人的には、滅多に会うことができずとも一年に一度の年賀状だけであっても、繋がりを感じていられる方が温かい世の中だったように思えてならない。

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それにしても年末年始のテレビ番組が年々酷くなっているような気がする。スタジオにタレントやお笑い芸人を集め、自分たちだけでワイワイ盛り上がっている姿を視聴者に見せるようなお手軽なものか、一年間のニュースを寄せ集めたものばかりでとても見る気にはなれない。NHKに逃げようと思っても、こちらはこちらで紅白歌合戦の前触れ番組や新しい大河ドラマの番宣ばかりでウンザリ。おかげで毎日のようにやっていたテレビ東京の「孤独のグルメ」が最も無難なチョイスになった。

「年賀状終い」して正月もクソもない世の中になるのなら、年末年始に拘らずいっそいつものレギュラー番組をやってくれた方がまだマシではないかと感じる。

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1971年2月、東室蘭駅で撮影したC5744牽引の普通客車列車。
この頃、ここ東室蘭には駅名とは異なる鷲別機関区が設置されていて、目立たない存在ながらC58の戦後型が2両配置されていたため、それを撮ろうと駅に降り立ったのだが、ホームは凍結しているうえ防寒対策もろくにしていない小学生の身では、駅から徒歩で20分以上もかかる機関区のたどり着けるはずはなかった。

JR化後、最後の夜行寝台列車を撮りに北海道通いしていたころ、持て余した時間を潰しに鷲別機関区に寄りDF200などを撮ったものだが、どれも同じようなスタイルで個性のない機関車ではあまり熱心にはなれなかった。

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