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2024年7月

2024年7月30日 (火)

磐越西線・山都の鉄橋でD51

インスタグラムを始めてほぼ4カ月。動物や鳥の写真を40枚ほどアップしてきたが、そこそこの方が見てくださってありがたい。本格的に北海道に通って生き物を撮り始めてまだ日が浅いし、何よりも住んでいるわけではないから毎日撮影できず面白い写真などないが、自己満足できるほどのストックもできたから在庫が払底しない程度のペースで更新してきた。

始めるまでは食わず嫌いの性格もあってなかなか手を染めずにいたが、撮影地で知り合った方々から「メールアドレスを教えて欲しい」とか「インスタをやっていたら教えて欲しい」と、やりとりができる手段を尋ねられるようになって思い切った。元来、SNSなどで個人情報が盗まれるようなことになるのは非常に嫌だったし、メールの返信などもマメな方ではなかったから今も旧ツイッターやLINEはやっていないが、撮った写真を見てもらうのなら少しは張り合いにはなりそうだとも判断した。まだまだインスタの機能は使いこなせていないし、ハッシュタグの付け方などもよく分からないながら、取りあえず画像だけはアップを続けている。

ところでインスタの場合、写真の説明に撮ったときの様子や裏話などを少し長めに書いた方が良いのだろうか。乗りの軽いインスタに撮影時の四方山話などを披瀝したとて仕方がないと思う一方、せめて今よりも文章を長くするべきかとも悩むが、けっきょくは「お遊び」のインスタにそこまでの必要はあるまいと逡巡が続く。文章を長めにしないと撮影時の状況は伝わらないし、その反面そうするならブログとの棲み分けが難しくなりそうだし…。落としどころはどの辺なのだろう。

まあ、肩の力を抜いて気楽にボチボチ続けて行くつもり。

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この写真を撮ってもう13年がたつ。2011年、東日本大震災のあった年の5月のこと。大阪のH氏と撮影に行った後藤工場タイプのデフに換装され集煙装置が付いたD51498。工場で整備中のC57180に代わって磐越西線で走ったときの画像だ。
当時、ここ山都の鉄橋でこんな長いレンズを使う人は見かけず、同行のH氏とともに鉄橋上の列車を仕留めたが、この画像を昔やっていたブログに載せたところみるみる人が増えてしまった。もちろん記事に場所を明記する愚は犯していないが、それでもこの有名な橋を見れば鉄道ファンならどこだかすぐに分かったはず。

このころ自分は大阪に赴任していて横浜の自宅に帰るたびにブルトレなどの撮影に出かけていたが、このスタイルになったD51498は格別だったため磐越西線だけで4回ほど遠征した。ただ、震災からの復興を応援すべくD51のテンダー側面に「つなげよう日本。」と書かれたステッカーが貼られていたのは、あまりにも押しつけがましくて嫌だったから、正面方向から撮ったりテンダーが入らないように機関車のキャブから前だけを流し撮りするなどしたものだった。

それはそうとこの写真、まだニコンD3のころのもので、画像を見るとセンサーの性能は今のカメラよりもかなり劣るのは明白。特にRAW現像すると画質が荒れやすく、下手に手を加えるのは禁物。当時は画期的だったD3も今となっては時代遅れに見えてしまう。

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2024年7月28日 (日)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑫

暑い。家から一歩も出たくないから、やらなければならないことも後回しにしている始末。
それでもまだ仕事を続けていたら、こんな暑さの中でも出勤しなければならなかったのだから大変だった。なにしろ自分が勤務していた会社は定年の60歳を過ぎて70歳まで働けるとはいえ、それができる環境にあるのにテレワークを認めなかったのだから不思議だ。家で仕事をするとサボる奴がいるという性悪説に洗脳された幹部ばかりで、お隣の電通が社屋も売り払って多くの職員が自宅で仕事ができるようにしたのに、そういう発想もないのだから時代遅れも甚だしい。仕事を続けていた頃、息子にそんな話をしたら笑われたことを思い出す。きっと延長雇用の職員が通勤途上、暑さで何人かぶっ倒れでもしないと考えを改めることはあるまいが、とにかく全てに渡って後手後手の会社だった。

ただ、そういう社風はほかでもあるはずで今後、サラリーマン(最近はくだらないことに男女差別を助長するという観点からか「サラリーマン」などと言わず「ビジネスパーソン」などと言うから笑ってしまうが、それはさておき)の方々は定年が延長された場合、通勤途中に倒れる人も増えるだろう。よく電車内で「車内でご気分が悪くなられたお客様の救護のため電車がストップしています」などというアナウンスがあるが、そういう事例がますます増えそうな暑さだ。バカ幹部達は「這ってでも会社に出てこい」と思っているのだろうが、体は正直だから自分自身で防衛しなければならない。

とにかく一昨年よりも去年、そして今年と年々暑さが厳しくなっているのか、はたまた加齢のために自分自身が暑さに弱くなっているのかは分からないが炎天下、迂闊に出歩いて倒れたら自分のようなひねくれ者から見れば「バカ」としか思われないだろう。無駄な外出は極力避けるべし。

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1979年11月、東海道本線の弁天島で撮影した荷物36列車のEF58118(米)。狭い架線柱の間をくぐるような場所で撮影したのは、このころまだ米原機関区所属のEF58を全機撮影していなかったこともあって、被りのない場所で確実に仕留めておきたかったからで、もちろん大窓でもない機関車そのものに拘りなどなかった。

前年に購入したゼンザブロニカは手持ちで使うと左右水平にしづらいウェストレベルファインダーで、しかも左右逆象になるため慣れるまでそこそこ時間がかかった。ブロニカを買うときにペンタックス6×7と大いに迷ったものだが、フィルムバックを交換(すなわちケースバイケースでモノクロからカラーに切り換えるなどフィルムを変更できた)できることが選択の決め手になった。
秋の太陽は低く、写真としてはまあまあの結果になったが、なにぶんこんな58ではねぇ…。

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2024年7月26日 (金)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑪

また大嫌いなオリンピックが始まる。先の東京大会では電通や博報堂などの談合問題があったばかりだが、どうせ今大会にも「世界の電通」が絡んでいるのだろうから、懲りずにまた多額の金銭が動いているのだろうと想像してしまうのもあながち的外れではないだろう。「五輪の経済効果」などといってもしょせん国民には還元されるわけでもなく、スポンサーや組織委などが甘い汁を吸うばかり。のんきな連中は、そんなことも考えずにテレビ観戦し、パブリックビューなどで大騒ぎを繰り返すのは今回も日の目を見るより明らかだ。

どうして日本人はこれほどオリンピックが好きなのだろう。ひょっとしたら1964年の東京大会の興奮がいまだくすぶっていて、あのときの残滓を引きずっているのかも。だけど「東洋の魔女」と言われて金メダルを獲った女子バレーなどは、そもそも大会の公式競技でもなかったものを、その前の世界選手権で優勝したために日本が強引に公式競技として認めさせたという事実を知らない人も多い。しかも女子バレーに参加したのはたったの6カ国。3勝もすればメダルに届くわけだ。おまけに試合直前になって北朝鮮が出場を辞退し、このままでは開催が危ぶまれることから、韓国に出場をお願いした上での結果だ。きっと韓国チームを招聘するに当たっても渡航費用や滞在費など諸々の金銭を使ったのだろう。

大半の国民はそんな経緯も知らず浮かれていたようだが、とにかくオリンピックにはそういったグレーな部分が多すぎて、のんきにアホ面下げてテレビなど見る気にはなれない。
ちなみに自分の五輪嫌いにはもう一つ理由があるが、そちらはまた別の機会に。

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先日、酒の席で知り合いのJR社員から「息子が鉄道ファンで、機関区の展示会に行きたいと言っているが、入場料が高いものが多くて行けないで嘆いている」との愚痴を聞いた。
それを聞いてこちらはのんきに「なら、お父さんが裏から手を回して入れてやればいいじゃない」と応えてしまったのだが、当たり前だがさすがに現実はそうはいかないらしい。そりゃ次から次へとあの手この手の車両展示会が開催されるわけだから一回で気が済むわけじゃなく、一度味をしめればまた行きたくなるのはファンとして当然。JR社員のお父さんとしても忸怩たるものを感じるのは無理あるまい。

翻って自分はもうJR旅客会社の国鉄型機関車もお終いだから暴利を貪るような車両撮影会などに参加することは絶対にあり得ないが、最近の鉄道ファンを対象にした撮影会やらツアーの価格を見ていると、このお父さんの嘆きもよく理解できる。
カシオペア25周年記念の小山往復ツアーの展望室プランが10万円超。高崎のC6120のナンバープレートを赤い色のもの付け替える交換体験イベントが36120円(最初の「3」が凄い)。こういうイベントの参加料は適正価格などないものだから、公正取引委員会の出る幕もなく、大して根拠のない値付けをしているようにしか見えず、それでも参加する人が多いことを見れば自ら喜んで詐欺に引っかかっている如くに映ってしまう。

まあ金があって、そんな価格でも参加したい人は参加すれば良いだけのことだが、こんな価格が「前例」となって当たり前になるとしたら弊害は残らないのか。個人的にはもはや鉄道撮影には本腰を入れる気もないから、「後は野となれ山となれ」の心境で眺めているが、良識のかけらもないような価格設定には(JR本体とは別会社ながら)企業としての知性を疑ってしまう。もともと前身は日本国有鉄道と言いながら当時でも時代錯誤の労働組合に牛耳られて解体された会社だから、社会的立場などに頓着せず恥を恥とも思わない風土が残っているのかもしれないけれどね。

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「お呼びじゃなかったEF58」に回帰。
前面の窓が大きいのに「お呼びじゃなかった」理由はあえて明記するつもりもないが、EF58ファンならご理解いただけるだろう。
だから66号機についても個人的な外観の評価は同様だが、この40号機が残っていた頃には自分が好きな「ひさしのない大窓機」も残っていたから、なおさらそんな気持ちが強かった。

これは阪和線の山中渓付近で走行シーンを撮った後に和歌山に着いたら、まだ駅に停車していたからホームを下りて撮影した画像。「お呼びじゃなかった」のにわざわざ撮影したのは、山中渓での首尾が悪く手前に雑草が入ってしまったため。結果、40号機についてはこれが最もまともなカットになってしまたということになる。
和歌山駅はホームの位置が微妙にずれていて、特に和歌山着の貨物列車などはホームの先端ギリギリに止まることが多く対向ホーム上からでは撮影できないケースもあって厄介だった。この写真撮影については駅関係者に断って地上に下りているが、望遠レンズを使えるほど機関車より前方に行くのは憚られた。まだ遠慮がちで素直な学生だったからだろう。

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2024年7月24日 (水)

東武鉄道で走るC11207

初めて行った日光東照宮は見応えがあったが、とにかく暑くて参った。
キンキラキンの成金趣味のような建物は一見、横浜中華街の中華料理屋にも映ったが、古くから中国文化の影響を受けている日本ゆえ、共通したものがあるのは当然なのだろう。しょせん他人である徳川家の墓所で賽銭を出すのもお門違いと思ってお参りは省略したが、それにしても昔も今も金持ちや権力者は無駄にこういうものを作るなどして権勢をひけらかすことが多いのだろうと見た。見事であるには違いないが。

一方、いろは坂を上った中禅寺湖半は下界とは違って涼しく、暑がりの自分でもホテルのロビーや昼食を取った食堂にクーラーが入っていなくても文句なく過ごせたほどで、何と言ってもここは気に入った。昔から避暑地として有名な軽井沢などは今や猛暑が当たり前で、チャラチャラした人も多くガヤガヤしているから、今後行く気にもなれないが、ここは穴場で来年の夏は長期逗留も視野に入れたいほど。おまけに湖畔の森を歩いたらツキノワグマやニホンジカを見つけられたし、動物や鳥の撮影にも良さそうだ。紅葉の時期さえ避ければ案外空いていると聞いたので、タイミングを見計らって改めて動物を探しに行ってみたいとも思う。

宿泊した鬼怒川のホテル「山楽」は上々。特に料理は美味しく、部屋も広々としているから再訪の価値はあるだろう。蒸気機関車の撮影にも至便で、車で撮影地まで10分程度で行けることもあり、あまり前向きではなかったSL撮影もやってしまった。
これまで東武鉄道のSLについては全く関心がなく、どういうダイヤで走ってSLがどちら側に連結されるのかなど皆目知らずに行ったが、ホームページを見れば一目瞭然で便利だったし、下今市や鬼怒川温泉駅のターンテーブルも見学者向けには開放的でありがたい。
運転区間が短いから遊園地の機関車的要素も色濃く、さらにモクモクと煙を吐くような撮影ポイントがないのはやや難点ながら、主たる目的をSL撮影としないで温泉旅行ついでの撮影と割り切れば非常に楽しめるのではないかと思う。目の色を変えてガツガツしたファンがいなかったのは、そういう捉え方で訪れて欲しいと(東武鉄道が)考えているからではないか。

C11は決して好みの機関車ではないものの、ヘッドライトが二つでスノープローが付いた207号機は昔からけっこう気に入っていて、この機関車を撮ることができたのはちょっぴり嬉しい。

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撮影地はすぐに見つかった。熱を帯びた蒸気機関車だからレンズは400ミリまでが陽炎の影響が出ない限界と考え、さらに地面から立ち上る陽炎の影響を受けないように高い立ち位置を探しながら沿線を走ったらお手頃なポイントを見つけたが、ここは有名なところらしいと後で知った。ほかにも数カ所、高い位置から撮れそうな場所はあったが雑草が伸びて夏場は虫も多く、虫除けスプレーも持参しなかったことから道路から撮れるここでカメラを構えた。近くに顔面が削れたマリア像(?)が置かれていたのは少し不気味だったが。


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こちらは2014年の7月に撮ったJR北海道時代の画像。大沼公園駅付近で850ミリ。

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2024年7月20日 (土)

虹をバックに快走するC57180

明日から日光、鬼怒川へ2泊3日の旅。取り立てて目的はないが、家でブラブラしているより老舗旅館で温泉にでも入って、ご馳走にありつく方が有意義だと思うから猛暑になりそうな中、出かけることにした。目的地を日光方面にしたのは東武鉄道のC11のためなどではなく、生まれて一度も日光に行ったことがないから。

思い出せばカメラマン時代に鬼怒川駅前にハーレーを駆るライダーのグループを撮影に行ったことがあるが、東照宮や華厳の滝などは見たこともない。さらに遡れば小学校時代の遠足で日光に行く日、遅刻して置いてけぼりになったことがあって、昔からご縁がなかったためこの年齢になって初めて行ってみることにした。だから最低、東照宮と華厳の滝、それに戦場ヶ原ぐらいは見てこようと思っているがC11に関しては暑いし、どうせ長いレンズを使っても陽炎むんむんで面倒くささの方が勝るというのが事実ではある。果たして撮る気になれるかどうか行ってみないことには分からないが、もはや動物撮影ほどの期待感はなく、カメラの充電など準備にも全く手を付けていない。車に載せっぱなしのD4Sで流し撮りでもできれば上々かもしれない。

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昨年12月に福島・熱塩温泉に旅行した際の画像で同月7日の記事に使用した写真の数ショット後のお蔵入りしていたコマ。

この日の午後は天気も悪く会津若松から新潟へ戻る「ばんえつ物語号」は撮っても仕方がないと、喜多方で馬刺しを買って早々に帰途に就いたが途中、会津若松に入る頃になって急に強い夕日が差し始めた。そこで「どうせ煙も出る場所じゃないし流し撮りでもしよう」と架線の張られた区間で開けた場所を見つけスタンバイしていたら列車通過直前になって虹が出現。すでに踏切の警報機が鳴り始めていたから立ち位置を変える間もなく撮ったのがこの写真。

虹というものは40分の1の低速シャッターで捉えるとブレてもっとぼやけてしまうかと思ったら、まあ、虹と認識できるほどには写っているから現像してみた。C57180が真横すぎて煙室扉のナンバープレートも見えず個人的には消化不良だったことから今日まで放置していたが、そろそろ新しい画像も払底し始めたため思い切ってアップすることにした。

もっと早く虹が出ていたらもう少し左、C57180の前面(煙室扉)が写る位置に移動したかったが、虹は突然消えてしまうかもしれないし、とにかくそんな余裕などなくこれを撮るだけで精一杯。機関車の右側をもう少し入れた方がバランス的にはベターだったが、滅多に見られる光景ではないから、とにかく記録することに専念した。
ご笑覧下さい。

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2024年7月18日 (木)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑩

キヤノンの新型フラッグシップ機R1が発表され、価格が100万円を越えたことが話題になっている。
フィルム時代、カメラマンの憧れだったハッセルブラッドが当時の金額でボディのみ35万円程度で、かなり高額に感じたがR1はその約3倍。当時の物価と単純に比較はできないが、正直あきれているというのがホンネ。プロの写真家でも二の足を踏む値段だし、モデルサイクルからしても4年程度で新型が出るのだろうから、機材にそれほど投資するのも考えものだと思う。大方、マスコミ各社は五輪に合わせてすでに購入済みなのだろうが、メーカーはおそらくボディのみ70万円程度で販売しているにしても、もはや発行部数も激減している新聞の写真が劇的に良くなるはずもなく、そんなものに金を掛ける意味が理解不能。新しい機械を買えば写真が良くなると盲目的に飛びついても、撮影する人間がカメラの性能に頼り切っている現状、写真の向上など易々と図られるわけでもないだろうに。

現役時代、写真のセクションに職種転換者の連中が大挙して異動してきた。元は社有車の運転手や庶務要員だった方々。どちらも今ではじゅうぶんアルバイトでまかなえるような業務で庶務要員は「坊やさん」と呼ばれていたっけ。
彼らは組織の合理化に伴い、まともな試験も受けずに新聞記者やカメラマンになったのだが元来、希望してこれらの仕事にありついた人たちではないからやる気もなく、記事も下手だし写真すら撮ったこともない奴がほとんど。仕事の指示を出してもその2、3割程度の成果しか上げられずずいぶん泣かされた。それでも「石の上にも三年」、それなりの経験をして最近では年功序列でそこそこの役職には就いている。
しかし、元を正せばアルバイトしてカメラ1台買ったこともないような人ばかりで基本的には写真が好きだったわけでもなく、向上心のかけらもないものだからいつまでたっても中身はしれている。なのにカメラがデジタル化されオートフォーカスが実用に耐えうるようになったおかげで撮影での失敗だけは減り、今ではでかい面を晒しているのだから笑止千万。
新型カメラの発展は結構なことだがボディ1台が100万円もするカメラを会社から貸与され、「私は報道カメラマンだ!」などと胸を張ったとて、実態を知っている身にはおかしくて仕方がない。きっとそんな奴こそ定年後、「現役時代はどんなお仕事をされていたのですか?」と尋ねられたらきっと「報道カメラマンでした」などとほざくのだろうが、しょせん出自は会社の都合で職場を変えられた元運転手さんや庶務要員で、考えてみれば彼らほどカメラの発展による恩恵を被っている人たちはおるまい。

100万円を越えたカメラを一人につき2台ずつ与えりゃ失敗だって減るわな。それよりも撮った(撮れていた)写真の中から瞬時にベストのコマを選べ、やる気もないのに写真職場に配置された人間を巧く使いこなす、ポリシーを持ったエディターを育てる方が先決ではないか。
高価な新型カメラの発表を受け、そんなことまで考えてしまった。

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1980年5月3日の浜川崎でのショット。光の当たり具合から荷物の32列車だと分かる。ネガを見てもほかに大窓のEF58が写っているわけでもなく、何を撮りにここへ行ったかも分からなくなってしまった。
もちろん、わざわざこんなEF58を目的に行くはずもなく、この日の自分の行動が意味不明になっている。

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2024年7月15日 (月)

東急8500系8637編成が現役復帰

つまらないEF58の画像ばかりを羅列してしまい、おまけにモノクロ写真オンリーとなってしまったためちょっと気分を変えたい。筆者の地元を走る東急の話題。

ネットを見ていたらすでに本線上から姿を消した東急の8500系がこのほど整備を受け、現役に復帰するかもしれないという情報に行き当たった。そう、コロナが流行っていたころに退役した、ステンレスのコルゲートが特徴の一つだった東急を象徴する電車。沿線に住む自分も普段は電車に興味がないくせに何度も撮りに行ったのはこのブログでも周知の通り。

その中の水色の帯をまとっていた8637編成が東急の恩田にある工場で整備を受け、帯を赤いものに換装されたらしく4両編成として再登場するかもしれないといった記事。10日にその記事を見て翌日、たまたま地元でお会いした同社幹部にその話をぶつけたところ、まさしく本当に波動輸送用として復活する計画があるという。NISA(少額投資非課税制度)のもとで小遣い稼ぎ程度の株式投資をしているから一応、東急の株主だということもあって正直に答えてくださったようで、それをもってさらに知人にその件を確認願ったらやはり同様の答え。それでも念には念を入れもうひと方にも聞いてみたら、やはり答えは同じだった。

よってこの「東急8500系の現役復帰説」は裏付けられたようで、まず間違いないと思われる。
ネットには8月1日未明に9000系に伴われて恩田から長津田に移送されるとも出ているから、再デビューもさほど遠からずか。こどもの国への多客時の臨時運用やイベントなどに使われるのであろう。
5000系青ガエルやステンレスの7000系など数々の名車を輩出しながら現役で走っている車両がなかった東急だけに実現すれば率直に嬉しいと思う。

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2024年7月13日 (土)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑨

1992年から3年間の福岡転勤では散々遊んだが夏は仕事が大変だった。まあ年間を通じてプロ野球やらサッカーなども多かったが、何より福岡は九州全域と沖縄までをカバーする職場。管内の支局にはカメラマンはいないから大きな事件や事故があれば夜中でも連絡が来て現地へ駆けつけるのは日常茶飯事だった。
特に夏が大変だったのは梅雨明けの時期になると毎年大雨による水害が発生し、そのほとんどが南九州だったからヘリが使えない夜間は車で出かけなければならない。夜が明けて到着し暑い中、泥だらけになって捜索活動を撮影し、さらには行方不明者の顔写真などを集め電送する作業は、まだ携帯電話など普及する前だったから近隣の民家の電話を借りるなどしなければならなかった。朝夕刊の締め切りに間に合うよう撮影後の写真電送の時間を見越して現場を離脱するタイミングも難しく、その間に救助される人がいる場合を考えると気が気ではなかった。

足元は泥、ぬかるみから出ても照り付ける太陽は容赦なく、汗だくになりながらの取材は記者の連中がするはずもなく、現場から離れた場所で人づてに聞いた話を記事にするわけだが、記事に合わせる写真を撮って欲しいなどと勝手なことを言われてしばしば大喧嘩になった。例えば現場での行方不明者の捜索も実際はある程度あきらめムードになっているのに、記事では「現場では必死の捜索活動が続けられている」などとするものだから、そんな様子を見つけるために右往左往したものだ。
今も昔も記者の連中は「こたつ記事」ばかり。自分もカメラを持っているくせに撮影するつもりもないし、ましてやフィルム現像が面倒くさいものだから写真を撮ろうとしない。仮に撮っていても現像をカメラマンに依頼して後は知らん顔。だから地方支局の記者が重要なカットのネガすら保管していないことなどザラ。

鹿児島の現場が落ち着いたと思うと続いて宮崎や熊本でも発生し、その移動のために疲れた運転手に代わってタクシーを運転したことも思い出す。ユニクロなんて九州にはまだまだなかったし、着替えを買うのも苦労した時代だ。

松山で土砂崩れが発生して現在3人が行方不明という。松山には何度も行ったから少しは街の様子も知っているが松山城のすぐ下にマンションが林立し、その隙間に民家があるのは知っていたから、「土砂崩れが起きたら泥濘はマンションに遮られて民家に押し寄せるんではないか」と考えたのはもう15年ほど前だっただろうか。

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過去の写真を見直すと気づくことがある。もちろん見ていたくせにそのときは目につかなかったことだから、往々にして些末なことばかりだが、この長岡のEF58110についても同様。そもそも大窓以外のEF58には関心がなかったのだから当たり前でもあるが、耐寒型の長岡機なのになぜかこの日はスノープローが装備されていない。だから後にも先にも耐寒装備のEF58のスノープローの取り付け台座を見たのはこれっきりで、そういう観点からすればネガをじっくり見直すのも案外楽しいものだ。まあ何らかの都合でこの日は外されていたのだろうし、その「何らかの都合」についてあれこれ想像をたくましくするほど偏執狂でもないから理由についてはどうでも良いが(だけど、こういうことをああだこうだと指摘してくる奴も多いんだよな)、スノープローがないとこんな姿なのだということが分かったのは「百聞は一見に如かず」といったところか。

1978年10月21日の上野駅。この日は乗り気じゃなかった客車列車の編成調査に駆り出され上野駅のホームを駆けずり回った。その合間に撮ったショットだが、長岡のEF58など滅多に撮ることはなかったから同区所属のEF58については写真を撮っておくことにした。その中の一枚。

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2024年7月 9日 (火)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑧

継続雇用を断った理由の一つは記者の撮ってくる写真が酷いモノばかりで、そんな写真の色を補整し、何とかトリミングで誤魔化して新聞に使えるようにする作業にウンザリしたから。そもそも新聞記者なんぞ自分で写真を撮ることなど前向きではなく、自分の書いた記事を紙面に大きく扱わせるために写真を利用しているだけだから(写真が)あれば良いというだけで、そのクオリティなどどうでも良いという奴がほとんど。そのくせお題目のように、報道には写真が重要だとかほざくからチャンチャラおかしくて仕方がない。
ピントは悪いし構図は酷いし露出は合っていないうえに、こちらがトリミングしてやると自分が撮った写真であることすら気づかないという愚かな奴もいて、写真というモノを端からバカにしている。画面の小さいスマホで見る記事に使う写真だというのに主要な被写体が小さく、何が何だか分からないという例もたびたびあってストレスは高まっていた。

それがネットの時代になって写真は儲かると気づけば、かつて記者時代に自分で撮影もしたこともない連中が口を出してくるのだからアホ臭くなった。自宅に帰って会社の業務を思い出してムラムラと腹が立ったこともしばしば。
そんな「エンバーミング」のような作業から解き放たれて今はスッキリ。北海道で撮ってきた写真もじっくりと処理している。

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1978年12月13日の沼津機関区。
この日は下関の31号機が来る予定だったが最悪の37号機に差し替えられてしまった。今のようにネットがある時代ではなく、数日前の現地からの情報を頼りにしていたからこういうことも間々あった時代。この頃の下関はEF58が4両配置され、31号機のほかにひさしはあるものの29号機も大窓だったから単純に考えれば50パーセントの確率で大窓機が来る可能性があったわけだ。

手前の2号機は浜松配置のもので前面のナンバーの貼り付け位置が偏っている異色機。だからと言ってちっとも嬉しいことなどなく、どうでも良くなって2機一緒にとってサッサと沼津を後にした。

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2024年7月 6日 (土)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑦

今年もバカみたいな暑さが到来。北海道も天気に恵まれて暑かったが関東のそれと較べればまったく大したことはなく、帰宅してからは外に出る気にもなれず旅行で撮った画像をチマチマとRAW現像している。今回の旅ではかねてから撮りたいと思っていたクマゲラの子育てやハヤブサなども見られ、とりわけ慎重に補整(主に明暗に関する作業)を進めているが、旅の疲れも出て目が霞むこともしばしば。無理に続けると翌日に見直して、あらぬ色になっていることに気づくこともあるから途中、リビングでお茶を飲んだりしながら休みを入れつつ進行中。

そんなときにテレビをつけるもののろくな番組をやっていない。芸能人が出演するくだらないワイドショーなどが、どうでもいいニュースを針小棒大に扱っていて、それならテレフォンショッピングの方がマシなくらい。

そこでこんなこともあろうかと予約録画していた東京都知事選の政見放送を再生したら、これが抜群に面白くはまってしまった。変なお笑い芸人などよりもご本人が本気で(当たり前だが)とんでもない公約を真顔で述べるのだから笑いが止まらない。特に今回の知事選は立候補者が多く、有象無象の方々がさまざまなことを言うだろうと楽しみにしていただけに、その期待が裏切られず最高! かつてマック赤坂氏の政見放送が話題になったことを思い出す。
まあ、赤坂氏よりも動的な派手さはないが、これを見ながらこの方々のご家族はどうご覧になっているのだろうと考えたり、自宅に帰って家人や友人にテレビを見た感想を聞く場面などを想像すると笑いは果てしない。NHKプラスで過去の面白い政見放送を集めて再放送しないだろうか。

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さて再びろくでもないEF58の画像に回帰。
コメントを寄せてくださった方も指摘しているようにEF58の晩年、紀勢線の天王寺~新宮間が電化されたときに集められた機体は本当に酷いスタイルばかりのもので、白いHゴムにヘッドライトのシールドビーム2灯化という、箸にも棒にもかからないものが多かった。同じ関西圏と言うこともあるのか宮原機関区からの転属組が多く、ここにもし大窓の53号機が来ていたらと思ったこともあるが、ヘッドライトの2灯化は免れなかっただろうから、それはそれで残念な思いを味わっただろう。

親しく付き合っている親戚がいたことから和歌山に行く機会は多く、近くでEF58を撮ることもあったがどうせ酷いモノばかりだから暇つぶし程度に撮っていたが、ローアングルにするなど工夫してみても酷いモノは酷い。大窓の66号機にしても、あまり撮る気にはなれなかったことを思い出す。

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2024年7月 5日 (金)

お呼びしたかったEF58

4月から6月の北海道はさまざまな動物や鳥が子どもを産み、育てる姿があちこちで見られる季節。それを楽しみに5、6月と続けて遠征したが、キタキツネに始まりエゾシカ、クマゲラ、アカゲラ、ラッコなどの子育て風景を見ることができた。キツネやクマゲラはそろそろ親離れが近くなっていて、自分で餌を探す練習を始めているが、まだ親の手助けも必要で親子一緒の姿がほほ笑ましかった。こういう光景を見ているとやはり母親の存在は大きいと改めて感じる。父親が子育てに参加するものもいるが大抵の場合は母親が主で、子どもが父親よりも母親を慕うのは人間同様。なんだか過去の自分を見ているようだった。

ところで動物の子どもはいったん親離れして独り立ちすると、大きくなって親と会っても子どもは相手を親と認識できるのだろうか。ペットの犬や猫は何年たっても忘れないのかもしれないが、野生動物の場合は生存競争もあるから敵視するのではないかなどと考えながら撮影していた。
だから、そう思うと親の介護で苦労するのはやはり人間ならではのものではないかと感じるのだが、果たしていかがなものだろうか。撮影しながらそんなことに思いをはせている。

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旅行中、根室を訪れた。日本の東端の駅(正確には東根室だが)として全国的に有名だが駅舎そのものは非常にチャチ。もはや優等列車も運転されず、一日に6往復の列車しかないのだから当然と言えば当然だが、それにしても中学2年生のときに訪れて以来、少しは変わったかと思ったら駅に関してはますます寂れてしまったように見受けた。昔、蒸気機関車時代はターンテーブルもあって少しは活気があったが、今や列車の発着時以外は閑散として人の気配もない。観光客も列車を利用する人などいないからなおさらだ。
霧多布岬にラッコを見に行って霧が深かったため風蓮湖や春国岱を見て、昼食を取ろうと寄ったが、こと駅周辺は知名度の高い市の割には閑散としていた。

鉄道ファンにとっては落石と別当賀の間、海沿いを走る場所が有名で夕方の光線を浴びた気動車の写真が数多く発表され、時間があれば寄ってみても良いかとも思ったが宿泊するのが浜中町で少し離れているため多少時間を要するし、今さら手垢にまみれた場所で他人の猿まねのような写真を撮るほどの価値もあるまいと判断し断念した。
考えてみればすでに20系気動車は無論、少しでも関心を引く車両もないのだから風景写真を撮るようなもの。今後、新しい車両が投入されたとしても風景主体の写真なら車両が何であっても構わないのだから慌てて撮る必要はない。もちろん「廃線」という可能性も残るが、それにしたって義務的な列車撮影に時間を割くのはもったいないだろう。

最近、俯瞰撮影をはじめロングで風景を多く入れて車両がどこにあるか分からないような写真が雑誌等で多く見られるのは、まさに車両としての魅力に欠けるものばかりになったことの証でもあるのだろうか。

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不細工なEF58の画像はまだまだ続けるつもりだが、さすがにいったんまともな機体もアップして「口直し」といきたい。

1978年7月15日、東京駅で撮影した下関運転所配置のEF5831。大窓のEF58の魅力に気づかされた機関車で、EF58撮影にのめり込んだのは前年2月に、この機関車が牽くオール10系寝台客車の団体臨時列車を根府川で撮影したことが始まり。
このころ下関に配置されていた4両のEF58は定期運用を持たず臨時列車でしか見られなかったが、この月は毎週のように3回続けて、この31号機が東京までやって来た。

東京駅の12番線は機関車が機回しに使用することも多く、下手な機関区よりも形式写真風に撮るのに適していたように思う。ただしこの東京駅を12時半すぎに出発する8111列車では太陽がほぼ真上に来るため夏場はトップライトとなるのが残念だったが。

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2024年7月 2日 (火)

お呼びじゃなかったEF58の画像⑥

昨晩、旅行から帰ってきた。8泊9日の旅、早朝(しかも午前3時半には明るくなる)から日によっては午前1時ごろまでぶっ通しで撮影していたからかなりグロッキー。年齢を考えると無謀な気がするが、好きなことをやっていると精神的には健康だから良い効果が得られるはず。つくづく会社に残らないで良かったと思う。

画像がかなりの数に上るため処理には相当な時間を要するはずだがラッコも見られたし、キツネやクマゲラの子どもの画像を処理する作業は楽しみだ。このブログには今後、生き物の写真をアップせず、インスタグラムのみにしようと思っているが、あるいは生き物の画像を中心とした別のブログを仕立てることも思案中。インスタだと画像は小さくロングのカットはチョイスできず、タテの写真もバランス上、アップしづらいこともあるため。

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恥知らずの岸田がノコノコ自民党総裁選に出るようで、電気やガス料金への補助をことしの8月から3か月間、追加で実施する方針を表明し、ちょっとした手柄話を仕立て上げた。こうやって金をばらまけば自分の功績になると思っているのだろうから政治家も国民を愚弄している。
これってとどのつまり選挙に当選したいがために立候補者が有権者を買収する構図と大して変わらない気がする。

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今回も不細工なEF58。1978年9月14日、下関で撮影したEF5838。
東京ならいざ知らず本州の西端まで行って広島のEF58中、最も面白味のない部類のEF58が来るとガッカリする。何しろ下関や広島にはまだ大窓のEF58が何両が配置されていて、関東よりも遭遇する可能性は高かったのだから。せめて広島タイプの左右一体型ひさしの個体ならばまだしも、パンタグラフもPS22Bでもない没個性のスタイルでは刺激も感じない。

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