磐越西線・山都の鉄橋でD51
インスタグラムを始めてほぼ4カ月。動物や鳥の写真を40枚ほどアップしてきたが、そこそこの方が見てくださってありがたい。本格的に北海道に通って生き物を撮り始めてまだ日が浅いし、何よりも住んでいるわけではないから毎日撮影できず面白い写真などないが、自己満足できるほどのストックもできたから在庫が払底しない程度のペースで更新してきた。
始めるまでは食わず嫌いの性格もあってなかなか手を染めずにいたが、撮影地で知り合った方々から「メールアドレスを教えて欲しい」とか「インスタをやっていたら教えて欲しい」と、やりとりができる手段を尋ねられるようになって思い切った。元来、SNSなどで個人情報が盗まれるようなことになるのは非常に嫌だったし、メールの返信などもマメな方ではなかったから今も旧ツイッターやLINEはやっていないが、撮った写真を見てもらうのなら少しは張り合いにはなりそうだとも判断した。まだまだインスタの機能は使いこなせていないし、ハッシュタグの付け方などもよく分からないながら、取りあえず画像だけはアップを続けている。
ところでインスタの場合、写真の説明に撮ったときの様子や裏話などを少し長めに書いた方が良いのだろうか。乗りの軽いインスタに撮影時の四方山話などを披瀝したとて仕方がないと思う一方、せめて今よりも文章を長くするべきかとも悩むが、けっきょくは「お遊び」のインスタにそこまでの必要はあるまいと逡巡が続く。文章を長めにしないと撮影時の状況は伝わらないし、その反面そうするならブログとの棲み分けが難しくなりそうだし…。落としどころはどの辺なのだろう。
まあ、肩の力を抜いて気楽にボチボチ続けて行くつもり。
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この写真を撮ってもう13年がたつ。2011年、東日本大震災のあった年の5月のこと。大阪のH氏と撮影に行った後藤工場タイプのデフに換装され集煙装置が付いたD51498。工場で整備中のC57180に代わって磐越西線で走ったときの画像だ。
当時、ここ山都の鉄橋でこんな長いレンズを使う人は見かけず、同行のH氏とともに鉄橋上の列車を仕留めたが、この画像を昔やっていたブログに載せたところみるみる人が増えてしまった。もちろん記事に場所を明記する愚は犯していないが、それでもこの有名な橋を見れば鉄道ファンならどこだかすぐに分かったはず。
このころ自分は大阪に赴任していて横浜の自宅に帰るたびにブルトレなどの撮影に出かけていたが、このスタイルになったD51498は格別だったため磐越西線だけで4回ほど遠征した。ただ、震災からの復興を応援すべくD51のテンダー側面に「つなげよう日本。」と書かれたステッカーが貼られていたのは、あまりにも押しつけがましくて嫌だったから、正面方向から撮ったりテンダーが入らないように機関車のキャブから前だけを流し撮りするなどしたものだった。
それはそうとこの写真、まだニコンD3のころのもので、画像を見るとセンサーの性能は今のカメラよりもかなり劣るのは明白。特にRAW現像すると画質が荒れやすく、下手に手を加えるのは禁物。当時は画期的だったD3も今となっては時代遅れに見えてしまう。
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