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2024年4月15日 (月)

ひっそり消えたEF67

スギ花粉に対するアレルギーがやっと治まりようやく外出する気力が戻ってきた。まだカメラを持って出かけるような機会はないが今週末の角館への旅行を機に本格化したいし、ブログの方も以前のペースに戻したいと思う。特にコメントを頂戴している方々に返信もしておらず恐縮至極。いただいた内容なども踏まえて記事でも触れていきたいと思う。

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今さら惚けたことを言うと思われる方々も多いだろうが、実はこのEF67という機関車が消滅したことを知らないでいた。もともと関心の高い機関車ではなかったが、なんだかんだとしぶとく残っているような気がしていて、その希少性についてもあまり話題にもならなかったことから、まだ予備的な存在でEF210の300番台が検査に入るときなどに使われているのかと思い込んでいた。

まあ、どうせ先行きは長くはないと思っていたからさほどの感慨はないにしても、かつてEF58を撮りに行った広島地区もいよいよJR化後の機関車ばかりになって、そういう意味では時代の移り変わりを強く感じる。
大窓のEF58が運用に就いていないような日は瀬野八に行ってEF59や61などを撮って暇をつぶしていたわけで、今やそこに行っても前も後ろも同じ機関車の貨物列車ばかりなのだと思えば、少しばかり残っていた瀬野八への思い入れも雲散霧消。EF67にしても東京からわざわざ行ったわけではなく、大阪に赴任していた時代に仕事のついでで2度、それにH氏に連れて行ってもらっただけだから、決して前向きに撮ったわけではないが、それでもまだ国鉄時代の機関車としての面影は残っていたから、通り過ぎる上り貨物列車は先頭の機関車をほとんど無視して後押しするEF67ばかり狙ったものだった。

大阪を離れた後は気に掛けることもなかったが普通、鉄道ファンはなくなる車両を血眼になって追うから「葬式鉄」として話題になるのに、この機関車についてはひっそりと消えていったように感じるのは自分だけか。国鉄時代にEH10がなくなった時と似ているような気もする。
デッキ付き電気機関車はとうに引退していて(国鉄時代のもの)EF15すら見たことがないファンがすでに30歳を過ぎていることを考えれば、国鉄~JR時代ではこのEF67の0番台が最後のデッキ付き電機ということになるのだろうか。

写真は2011年10月2日、H氏と訪問時にニコンD7000に500mmを装着して西条から広島に戻る単機を後ろから引っ張った画像で、35mmでは750mm換算。

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コメント

久しぶりにこのブログを拝読いたしました。
この機関車がいなくなったこと、地元にいても知らずに。
時代は移り変わるのですね。

投稿: 広島K | 2024年4月27日 (土) 19時23分

いつも拝見しております。
私は鉄道撮影は「卒業」しました。理由はあまりにも民度が低いからです。
昨今は撮りたい車両もないし、頭のおかしい連中と時間と場を共有する事が不快極まりないですし。

最近は模型と書籍がメインになっています。
電機EXの記事を毎回楽しみにしています。

投稿: 今井俊介 | 2024年4月18日 (木) 08時23分

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