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2024年4月

2024年4月30日 (火)

横軽のEF63

毎年恒例の鉄道仲間たちとの宴会。今年も楽しい時間を過ごすことができた。初めて参加くださったN氏や大阪から駆けつけてくれたHa氏、それに先輩のI氏やO氏などもお元気で何より。今だから話せる裏話なども披露していただき、あっという間の時間が惜しい。長年の知り合いとの楽しい時間は、やはり一泊できる余裕が欲しいほどだ。また、I氏には久しぶりに模型の話もうかがえて、そろそろ自分が欲しいと思っているSLも模型化に向け進み始めたようで楽しみだ。
幹事のM氏にただただ感謝するのみ。

さて連休が終わればまた北海道へ撮影旅行。今回も一週間程度の日程になるが昨日、現地にお住いのT氏から今年もキタキツネのカップルに子どもが誕生したという嬉しい知らせが入った。実は昨年も撮ったカップルで母ギツネはこのとき足にけがを負っていて、この冬に行ったときにはその部分が壊死したらしく足がなくなって骨がむき出しになっていた。だからこの春は子供を産むのは無理だろうと考えていたのだが、何と昨年と同じように4匹の子に恵まれた聞き喜びもひとしお。まだ巣穴から出られるようになったばかりだというから警戒心も強く、カメラを向けたら巣に逃げ込んでしまうかもしれないが、とにかくめでたしめでたし。母親のお乳を飲むシーンも撮れるかもしれないと期待している。

北海道というところは四季を通じて動物の様々な姿を見ることができ、ごく当たり前の観光旅行にはない「発見」という魅力が多く取り憑かれてしまう。

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先日の宴会で初めて顔を合わせたNさんに磐越西線時代の745号機をはじめとするDD51の写真を見せていただき、刺激を受けたせいか自分の古い画像でも再掲しようかと思ったら、まだこのブログにアップしたことのない横軽のEF63の写真を見つけたので今回はそれを使うことにした。

貫通扉のある車両が好きな自分だが、このEF63やEF62はあまり関心がなく、現役時代ほとんど撮りに行くことはなかった。この写真は1980年の12月にHo氏と出かけたものだが、この頃の自分はお座敷客車など帯が入ったグリーン客車で統一された編成に惹かれるようになっていた。グリーン車から帯が消える時期に重なったことも要因だが、それは大きな理由ではなく、ただ単に魅力的に見えたから。横軽に行けば上り列車は機関車が3台連なるわけだから、それまでは滅多に足を踏み入れたことのない線区に行ったというわけ。

これはその時に撮ったもので、言ってみれば本番前の前座。それでもこの頃は新幹線開業前。ここを通過するすべての列車はEF63の補機が付き、興味こそ低いものの退屈することはなかった。

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2024年4月27日 (土)

上野駅のEF57とEF80

会社から離れフリーの身になればゴールデンウイークなど関係ない。こんな境遇となってみて物理的に束縛されることのないスッキリした気分がいかにホッとするものか、つくづく感じる。

先ほど美容院に行く妻を車で送った帰り道、東名高速のオーバークロスから眼下を眺めたら大渋滞。会社員時代も人であふれるような時期には遠出を避けていたため、レジャーで混雑するような経験はほとんど味わったことはないものの、それでもそういう状況をあえて忌避するよう心掛けるのと、今のようにまったく意に介さないで済むのとでは気持ちの上では大違い。こんな気分を味わうのは生まれて初めてだ。

これからのサラリーマンは定年が65歳に延長されたり、それ以降70歳を超えても働くような時代になるのではないか。年金制度なども破綻すれば要するに「死ぬまで働く」ことになるのだろうか。同じ会社に自分の孫のような新人が入ってきて、彼らはきっとスマホやデジタル製品を操るスキルに長けているはずだから、自らは組織の中でガラパゴス化して「お荷物」と見られながら傍流の業務ばかり割り当てられるようになるのもごく自然なこと。きっと「生きがい云々」などと言いだす身の程知らずな奴も出たり、反対に新入社員が自分の祖父母のような年代の先輩に仕事を教えられても素直に従うはずもないだろうから、様々な不満や「新型ハラスメント」も生まれそうだ。
そう考えれば「辞め時」を見極めるのも今後の大きな課題となるように思う。

さて、今日は鉄道仲間たちとの交流会。もはや「これからどんな車両や列車を撮るか」などという不毛な雑談は虚しく、きっと老後をどう楽しく過ごすかという話で盛り上がりそうな気もする。集まる方々は皆さん老後の蓄えなどに不自由する方々ではないから、それなりにいろいろなことを計画しているのだろう。そんな話を聞くのも楽しみだ。

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以前からブログに挙げようかどうか迷っていた汚い(画質の悪い)写真をアップすることにした。先日発売された「電気機関車EX」に高校生時代のへたくそなEF65のブルトレ写真を載せていただき、「恥ずかしい」という気持ちが薄れてしまったようだ。1976年10月14日の上野駅での写真。19番線に到着した6402列車と20番線のEF80、ともに13号機が並んだ。雨の中、茶色のEF57と明るいピンクのEF80では露出もシビアなうえにピントも甘い。

ホームには列車から降ろされた荷物を運搬するターレートラック(通称ターレー。市場などではバタバタとかパタパタなどとも呼ばれた)も見える。
この頃まで残ったEF57の中でも13号機はスノープローの台座がなく個人的には好みではなかったが、すでにEF57が運用に入るチャンスも減って贅沢は言えない時代になっていた。

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2024年4月24日 (水)

EF5861の50系客車回送

送別会で久しぶりの深酒をして二日酔い気味。飲んだのは主にホッピーだったからそれほどのダメージではないが、夕方から午前3時までの長丁場はやはりこたえた。

そもそもコロナ以降、葬式にしても身内だけで執り行って、後で関係者に知らされるというご時世。送別会などやってくれるのは時代錯誤ではないかとすら思っていたのに、もともと宴席が好きな身とあってついいい気になってしまった。まあ、会社の連中と飲む機会もこれで最後になるかもしれないということもあって羽目を外したが、今後は自重しなくては寿命を縮める。

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1981年1月10日撮影のEF5861が牽く50系客車×8の新製車回送。場所は近江長岡付近。写真は再掲だがより丁寧に処理を施した(つもり)。前回の記事にも書いたが、ノコノコ革靴で出かけ痛い目に遭ったのが忘れられない。

オリンパスのズイコー300mmレンズは大口径のものではなく安価なF4・5のもので、画質に優れているとは言えないシロモノだった。学生時代のことで、就職したら大口径の超望遠レンズを買おうと心に決めていたが、ともかく焦点距離の長いレンズで撮ると大窓のEF58は自分好みの表情になって乱用したものだ。
長いレンズで撮るときはバックのものが引き寄せられ駅から至近の場所で撮るとホームが入っていかにも安易な場所で撮ったと思われがちだから、雪の中をてくてく歩いて列車の後方にホームが入らないよう気を遣ったものの、寒さや積雪に対する備えもなくほどほどのところで妥協した記憶が残っている。

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2024年4月21日 (日)

秋田内陸縦貫鉄道の車両

角館は桜が散り始め見ごろのピークを少し過ぎてしまっていたが落ち着いた街並みはやはり素敵で、泊まった武家屋敷ホテルの食事などにもじゅうぶん満足し、楽しみにしていた北上市内の「懸田商店」の鶏のから揚げも絶品、慌ただしい行程ながらも内容の濃い2日間だった。

初日、レンタカーを角館の一つ手前の田沢湖駅で借り、小雨の降る中を角館へと向う途中、秋田内陸縦貫鉄道とクロスする地点に好ましいカーブを見つけ使い初めとなったニコンZ8で翌朝、わずかな時間の中で久しぶりの鉄道撮影もした。
締め切りに迫られた鉄道写真家が絵作りに苦慮した挙句、何とか誤魔化そうとするような安易な場所だが、緩いカーブのアウト側から長いレンズで引っ張れば自分好みになるのではないかと考え、朝食前に通過時刻を見計らって出かけた。しかし立ち位置は自動車専用道路のため車から降りられず、仕方なくグランドレベルにポジションを見つけて撮ったカット。小雨のため新緑に染まり始めた背景の山々が煙ってしまったのは残念。晴れれば順光になるはずの場所で天気さえ良ければ、もう少しマシになったかもしれない。

この気動車と同じ形のものを昨年訪れたときに角館駅でスナップしたものの、その時の車両はボディは青く、あまり印象に残らなかったが、今回の紫色はマッチングが良いように思う。この築堤ももっと暖かくなって雑草が伸びたら撮影は困難だろう。そういう意味ではよい時期だったのかもしれない。かなり久しぶりに撮り下ろしの画像をアップする。

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2024年4月18日 (木)

サロンエクスプレス「そよかぜ」

関東では新緑が目につく季節になったが、明日から行く角館はちょうど桜が満開になっているようだ。美しい風景はありがたいが、かたや人でも多そうで、じっくり景色を味わえるかどうか微妙なところ。わざわざ人ごみに出かけるのだから覚悟の上とはいえ、東北に桜を見に行くのは初めてだから少しは静かに街を歩けると良いのだが。

本日、会社にパソコンやスマホなど、貸与されていた品を返してきた。正式な離職日は来週だが、有給休暇を消化しているから早めに返納した次第。大学を出てから43年間在籍した会社を出るときに、ちょっと寂しい思いでも湧き上がるかと思っていたら、全くそんな感慨にとらわれることもなく意外な気がしたのは、明日から旅行を控えているせいなのかもしれない。ともかく気分は自由一色で晴れ晴れとみちのくの春を味わってきたい。

ところで帰りは北上から新幹線に乗って帰途に就く予定だが、北上の街はちょっとした「鳥カラ」(鶏のから揚げ)ブーム。一昨年、義父の七回忌で行ったときに食べたお店の唐揚げが抜群で、新幹線に乗り車内でそれを肴に軽い酒盛りをするのも楽しみ。旅行に行く際はレンタカーを運転することが多いし帰りも羽田から車を運転するため、明るい時間帯に酒を飲めないが、今回は東京駅から電車で帰宅するので車内で「ちょい飲み」もできる。そんなことにもちょっとばかしワクワクする。

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1988年5月1日に撮影したサロンエクスプレス「そよかぜ」。けっこう遅い時間の撮影ながら遅い日没のおかげで東神奈川でリバーサルが使えた。
この時代、このあたりで下りブルトレをリバーサルを撮るという芸当は困難で後年、デジカメが発達したおかげで下りの「富士・はやぶさ」なども撮れるようになったのだからありがたいものだ。

使ったレンズは180mmの単ダマ。開放値がF1・8だか2だったように思うが、とにかくニッコールのレンズ中、最高ランクの切れの良いレンズだった。Zマウントレンズには今のところこのあたりの焦点距離の単ダマがなく、今後発売されれば飛びつきたいと思う。

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2024年4月15日 (月)

ひっそり消えたEF67

スギ花粉に対するアレルギーがやっと治まりようやく外出する気力が戻ってきた。まだカメラを持って出かけるような機会はないが今週末の角館への旅行を機に本格化したいし、ブログの方も以前のペースに戻したいと思う。特にコメントを頂戴している方々に返信もしておらず恐縮至極。いただいた内容なども踏まえて記事でも触れていきたいと思う。

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今さら惚けたことを言うと思われる方々も多いだろうが、実はこのEF67という機関車が消滅したことを知らないでいた。もともと関心の高い機関車ではなかったが、なんだかんだとしぶとく残っているような気がしていて、その希少性についてもあまり話題にもならなかったことから、まだ予備的な存在でEF210の300番台が検査に入るときなどに使われているのかと思い込んでいた。

まあ、どうせ先行きは長くはないと思っていたからさほどの感慨はないにしても、かつてEF58を撮りに行った広島地区もいよいよJR化後の機関車ばかりになって、そういう意味では時代の移り変わりを強く感じる。
大窓のEF58が運用に就いていないような日は瀬野八に行ってEF59や61などを撮って暇をつぶしていたわけで、今やそこに行っても前も後ろも同じ機関車の貨物列車ばかりなのだと思えば、少しばかり残っていた瀬野八への思い入れも雲散霧消。EF67にしても東京からわざわざ行ったわけではなく、大阪に赴任していた時代に仕事のついでで2度、それにH氏に連れて行ってもらっただけだから、決して前向きに撮ったわけではないが、それでもまだ国鉄時代の機関車としての面影は残っていたから、通り過ぎる上り貨物列車は先頭の機関車をほとんど無視して後押しするEF67ばかり狙ったものだった。

大阪を離れた後は気に掛けることもなかったが普通、鉄道ファンはなくなる車両を血眼になって追うから「葬式鉄」として話題になるのに、この機関車についてはひっそりと消えていったように感じるのは自分だけか。国鉄時代にEH10がなくなった時と似ているような気もする。
デッキ付き電気機関車はとうに引退していて(国鉄時代のもの)EF15すら見たことがないファンがすでに30歳を過ぎていることを考えれば、国鉄~JR時代ではこのEF67の0番台が最後のデッキ付き電機ということになるのだろうか。

写真は2011年10月2日、H氏と訪問時にニコンD7000に500mmを装着して西条から広島に戻る単機を後ろから引っ張った画像で、35mmでは750mm換算。

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2024年4月10日 (水)

降雪の函館駅で

あと10日もすれば会社とオサラバ。大学を出て43年間在籍したわけだから、さっぱりしたとは言い切れいないものの、洋々たる気分も大いに味わっている。これまで土日祝日を念頭に旅行の計画を立ててきたが、今後そんなことに拘らず安い時期に安い料金で行けるプランが立てられるのは何よりだ。

そんな中、先日の旅行で気になったのが撮影現場で知り合った方々が皆、趣味用に名刺を持っておられること。特にまだ仕事をされている方でも一流企業に勤めている人ほど、それをひけらかすのは僭越だと感じているようで仕事の名刺ではなくメールやインスタのアドレス、携帯電話の番号などが書かれている趣味用の名刺を用意している。
まもなく「無職」になる身、いずれは自分も作らなければなるまいとは思うがなかなか手が回らず、まして皆さんのように肩書のところに「写真家」と書くのも面映ゆくて仕方ない。つまりこの「写真家」というもの、何を持って「写真家」と言うのか不思議でたまらないのだ。

写真で食っているのならともかく、単に好きで写真を撮っているのだからそう称していいものかどうか。ならば「写真愛好家」で良くないか。犬の散歩をしていて知り合った人と名刺を交わすような(そんなことはなかなかないだろうけれど)場合、仕事の名刺ではあまりにも場違いだから、それなら「愛犬家」とでも記すのか?
とにかくじっくり考えると、この「〇〇家」というのが非常に曖昧模糊とした肩書で、かついい加減な気がして仕方がない。

けっきょく肩書など記さない方向で考えているが、この自称「写真家」。今回も頂いた名刺の中にこう書いてあるものが圧倒的で、元報道カメラマンとしては何となく気持ちの整理がつかないでいる。

いっそ「愛妻家」にでもするか。

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蒸気機関車現役時代、社会人になってスキーを始めた頃、そしてDD51の夜行列車を撮りに行った頃と、これまで北海道に行った回数を数えるとゆうに100を超えている。それぞれ熱中しているものがあった時期で動物に夢中になった今でもそれは同様だ。もちろん蒸気機関車時代は青函連絡船を使っていたが、それ以降はすべて飛行機となり、自分にとって北海道の玄関口は函館から道内各地の空港となった。かつてのことを思えば羽田からひとっ飛びになって往復の負担はずいぶん軽減され、昔のように北海道という場所がずいぶん身近になった気がするが、それでも船で津軽海峡を渡った時代の思い出は今でも鮮明だ。

青函連絡船の乗船名簿に残すため(もちろん事故に備えてのこと)、青森が近づくと東北線車内で配られた氏名などを記す紙、青森駅桟橋への通路、連絡船が出港する際の銅鑼の音などなど、その一つ一つを今でも忘れていない。
だから自分にとって、今でも北海道の玄関口と言えば昔と変わらず函館で、夜行列車を撮りに通った頃もこの駅に立つことにちょっとした感慨を覚えたものだった。

2016年1月、まもなく本州と北海道を結ぶ夜行寝台列車がなくなるという時期にこんな写真を撮っているのは、その心象風景の証だったのかもしれない。撮りたい被写体をアップで狙うのが自分なりの写風ながら、この日は牽引機ED79の照明に焦点を合わせてみた。H氏と居酒屋で杯を交わした後。日付が変わって激しく雪が降る中、酩酊しながら駅まで歩き本州へ向かう「はまなす」を撮りに行った。水分を多く含んだ横殴りの雪はレンズフードの中にも飛び込んで、それを払いつつ三脚で長時間露光に挑んだ。午前1時を過ぎているのにホームは明るく、ヘッドライトに照らされた雪が浮かび上がる立ち位置を探しながらかじかんだ手でレリーズを握ったのはもう8年も前のことだ。

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2024年4月 6日 (土)

東京駅停車中のEF5861

一昨年よりも昨年、昨年よりも今年と年を追うごとに花粉症の症状が酷くなっている。例年なら4月になると改善に向かうのに、今年はとうとうヒノキ花粉のアレルギーも出てきたのか未だ目のかゆみ、くしゃみなど諸々の症状が出たまま。加えて数日前から風邪を併発して熱にのどの痛みも加わって最悪。会社を辞めるに当たって知人から電話をいただくのに、声がろくに出ず話をするのも億劫な状況だ。昨日、病院で風邪の薬をもらい、かなり緩和されてきたが、咳が酷かったおかげで肋骨周辺が痛むのは相変わらず。

年明けから数回に渡って行った北海道では、花粉症から逃れるために4月まで現地に住まいを借りた人もいて、来年から自分自身もそうしたいものだと考え始めたが、何しろ物件が少ないうえに、特に冬場は屋根付きの駐車場でないと車の屋根の雪下ろしなども大変らしく、そのあたりのことも考慮しないといけないらしい。現実は机上で考えるほど簡単ではなく、一朝一夕に判断できる話ではなさそうだ。

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東京駅でEF5861を撮った記録は思いの外少ない。東京駅停車中の列車をしつこく撮っていては走行シーンを撮るポイントまで移動する時間が短くなってしまうことが最大の要因で、ややもすると移動時間が足りなくなってお隣の有楽町などで撮らざるを得なくなるからだ。

ただしこの田端と品川を結ぶ回送列車だけは別格で、どうせ東京駅を出ても撮る場所は品川の手前の田町ぐらいしかないから、たまにはこんなシーンも撮ってみようと思い立ち、ブルトレが発着するホームで待ち構えた。1980年10月13日の撮影。この日の回送車両は14系客車×10両と珍しくゴージャスだった。

就職試験を始めたころで少しずつ撮影に出かけることを減らし始めた時期だったように記憶している。普段だったらブローニーの中判カメラを持ち出すのに35ミリの、しかも標準レンズでしか撮っていない。


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2024年4月 2日 (火)

お召し列車牽引機EF6211

3月の北海道旅行では久しぶりに帯広を玄関口とした。ちょうど2年ぶりのこと。このところ女満別や中標津空港ばかり利用してきたが、まずは帯広でモモンガを撮り、さらに道東へ移動しようという計画。もともと動物撮影を始めたのは帯広でリスを撮り始めたのがきっかけで、過去何回も行っているから生意気な言い方ながら「勝手知ったる所」。しばしば宿泊する十勝川温泉の豊洲亭の露天風呂付きルームも、市内の北海道ホテルも快適でくつろぐにはもってこい。しかしながら今回はちょっと気分を変えるべく十勝川温泉に一年半前にできたホテルに予約を入れた。

泊まったのは静寂房。豊洲亭よりも料金は高く設備も快適。ネットでそのことを知りどんなものかと予約を入れ、ここに泊まる日は動物撮影を早々に切り上げてチェックインした。
しかし残念ながら自分たちの好みとは合わず些かガッカリ。新設されたホテルで、最近の旅行客が好む趣向に合わせてはいるが部屋の露天風呂は塀が高く外の景色は見えないし食事も大したことはない。大浴場も窓はなく、都内の健康ランドの風呂を小さくしただけのようで、おまけに中国系の外国人がうるさく辟易させられた。館内はプライベートな空間を大切にするような配置で客室が並ぶが、コンクリートに囲まれてまるで刑務所の廊下のよう。レストランも中庭にオブジェが置かれるだけで、せっかくの十勝の外気とは隔絶されている。建築家が高級感を醸し出そうとした形跡はじゅうぶんにうかがえるが、むしろそれが仇となって、あまりにも外界から閉ざされすぎていて閉塞感ばかりが強すぎた。

多分二度と利用することはないだろう。この年になって、高い金を払って分不相応な好奇心を満たそうとしたのは失敗だったが、かろうじて助かったのは連泊しなかったこと。感想は人それぞれとしても、もし十勝川温泉に泊まろうと思っている人がいるとしたら、ここはお勧めできない。もしこの夏もロイヤルエクスプレスが以前と同じようなコースで道内を周遊するとしたとしてもこのホテルはツアーの宿泊候補にはならず、やはり軍配は十勝川温泉第一ホテル・豊洲亭に上がるだろう。

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写真は前回の記事と同じく1978年10月の高崎第二機関区でのもの。当日の朝、まずはここで高崎から長野間でお召し列車を牽引するEF6211の「旗開き」を撮影した後、神保原~新町でEF5861が牽く原宿からのお召し列車を撮った。

午前中、高崎第二機関区では機関車の下り側前面に光が当たらないことからやる気が出ず、モノクロで撮ることを忘れたほどだった。

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