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2024年3月

2024年3月30日 (土)

お召し列車牽引を終え、6×6で撮ったEF5861

今日は小学校時代のクラス会。大学だとか高校時代のクラス会というのは比較的よく聞くが、小学校時代の連中と顔を合わせる機会がずっと続いている例は少ないのではないかと思う。なにしろ担任だった先生も90歳を超えてまだご健在というのも稀有の例。さすがに今回の4年ぶりとなる会には車いす生活となって欠席されるようだが、コロナ禍以前までは毎回顔を見せてくれていた。

きっと皆、それなりに年を取っているのだろうから、ちょっとした好奇心を伴って出席してくる。

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古くからの趣味仲間の会合がゴールデンウイークに開催される運びとなった。毎年、鉄道談議に花が咲く機会だが、そろそろ皆、現役を離れて時間もでき始めたようだから、夏が終わったころに数年ぶりに温泉旅行でも提案したいと思う。
ただ、もう揃って撮影したくなるような車両も思い浮かばず、そういう点では行く先の選定にも苦慮しそうだ。まあ無難なのは磐越西線や秩父鉄道、大井川など蒸気機関車が走っているところに落ち着くかもしれないが、いっそ写真撮影などやめて古い町並みを散策するような旅も良いかもしれない。

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1978年10月、長野国体に伴うお召し列車が運転され原宿~高崎を担当したEF5861。任務を終えた後、高崎第二機関区に入り東京へ戻る間に構内で撮影させていただいた。大方の人たちは高崎から先の区間でもお召し列車を撮ろうと移動していったのか、61号機を撮影する人は自分たち以外にほとんど見かけなかったように記憶している。
考えてみればこの後、お召し列車は碓氷峠を越えたわけだからEF62とEF63×2が担当する姿もこの時が最後だったと思われる(記憶違いだったら失礼)わけで、それはそれとして意味ある記録になっただろう。

約2か月前に購入したばかりのゼンザブロニカEC-TLで撮った6×6の写真。自分にとっては大窓が隠されてしまう邪魔でしかない日の丸が外されるまで待って形式写真を撮って機関区を後にした。

なお長野国体の帰りは中央線経由でEF64が担当したから61号機が受け持ったのは往路のみだった。


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2024年3月27日 (水)

水上のEF16

初めて上越線にEF16を撮りに行ったのは1977年8月のこと。高校の同級生K君と長岡方面に彼の好きなEF15を撮影に行った際に途中下車して、水上機関区や駅周辺でお手軽に片付けたのが最初だ。そのころの上越線はまだ新幹線開業前で「とき」や「いなほ」などの特急列車はもちろん、貨物列車の本数も多く飽きることのない線区だった。特に水上と石打の間はほぼすべての貨物列車に補機が付き、重連で清水峠を越えていたからたいそう見ごたえがあった。寒冷地装備のEF16は普段首都圏で見かけるEF15とは違い重厚で、雪のない夏場でも良き被写体だった。

水上機関区は帳面に氏名と住所などを記せば見学は自由で、機関車の出入りが激しい構内ながらも自由に見て回れたものだ。
アップするのは機関区外れの踏切付近から撮った下り貨物列車と構内入れ換え中のEF16。きわめて安易なポイントながら、上り列車もすぐそばの鉄橋で撮ることもできて何度も訪れている。EF65PFもここではEF16の力を借りていた。どちらも標準レンズでの撮影。

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2024年3月24日 (日)

田町で61号機の12両編成

雇用契約を延長しないと判断したら周囲から「ボケるんじゃないか?」などと言われるものだが、自分の場合はとっくに仕事に対する情熱も冷め、常に考えているのは次の北海道旅行の計画や模型、カメラの購入のことばかりだから、仕事を続けても辞めても何ら変わらず、どちらにしたってボケるときはボケるだろうと思っている。それにもし、70歳まで雇用を伸ばしたところでこの先与えられる仕事は簡単な、優秀な学生アルバイトでもできそうなもの。まともな企業ならきっとAIに任せても不思議ではないだろうから、そんな張り合いも矜持も持てない作業で微々たるサラリーに固執するのは虚しいと判断した。平均寿命が延び会社勤めが70歳まで可能な社会となっても、基幹業務に従事できないのなら若い人のお荷物になるばかりだ。

自分の口癖は「どうせ死ぬんだから」。だったら少しでも張り合いあることに時間をかけたい。

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実はブローニーやリバーサルフィルムのデジタル化が進んでいない。作業すればこのブログにアップする画像の選択肢も増えるのに、なかなかやる気が起きないのはスキャンに時間がかかるうえ、取り込んだ写真を調整するのに手間がかかるからだ。今後、時間がとれるから徐々に着手する予定だが、正直気の重い地味な作業だ。

さて今回の画像はあまりにもお手軽な撮影地、田町のホームで撮ったEF5861の12系×12。1980年3月6日の撮影で本番の6344列車を平塚で撮影後、東京駅から品川に入る回送列車をここで撮った。実はこのポイントで撮った61号機の写真は少なく、筆者にとってここは手前の列車にしばしば被られる鬼門とも言えた場所。浜松町方面まで見える長編成向きのポイントだから10両や12両と長めの列車のときに通ったが、そういう場合に限ってよく被られたものだった。

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2024年3月21日 (木)

降雪下の交換

9年前の今頃、2015年3月15日は北海道での夜行列車撮影に繰り返し通っていた時期で、大阪発の「トワイライトエクスプレス」がこの日をもって最終となった。3月だというのに朝起きたら結構な降雪で宿泊先のホテルのすぐそばで撮ることにして6時に宿を出た記憶がある。雪で遅れるだろうとふんでいたものの「トワイライトエクスプレス」は定刻で雪まみれになってやって来た。着雪でヘッドマークが見えないほど。今のように動物を撮るわけではないから防寒対策も甘く、何とか後続の「北斗星」まで頑張り、ほうほうのていで宿である「しおさい」に逃げ帰ったものだ。すぐに温泉で温まり朝っぱらから一杯やって二度寝を決め込む。夕方の大阪に戻る「トワイライトエクスプレス」の回送についてはもうどうでも良くなったが、再び温泉に入って美味い酒を飲むために雪の中、朝のポイントへと向かった。そのときに500mmで撮ったのがこの183系「北斗」とDF200のすれ違いシーン。ほとんどトリミングしていないから、ちょうど良い位置で撮れたのは思いもよらない収穫。この日一番の絵になったことはすぐに確信できた。

怠惰ながらも長く趣味を続けているとこういう幸運に恵まれることもある。
183系は少し前に消えてしまったが、複線の室蘭本線ではラッキーなすれ違いシーンを何度かものにできたのだった。

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下は先日の帯広空港着後に撮った写真。毎度おなじみの旧広尾線・幸福駅跡に保存されている気動車。当初、撮影する気はなかったが、素晴らしい快晴で順光線の美しさに惹かれて車を止めた。

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2024年3月18日 (月)

北海道旅行の成果 オオワシ①

1、2、3月と3か月続いた北海道旅行もこれで一段落。今年はモモンガがやや不作で、活発に動き回る時期にうまく遭遇できなかったが、昨年よりも行動範囲を広げたこともあって数だけは撮ることができた。ただ、どれも似たような絵になってしまい、そこがやや不満。もっと動きのある写真を期待したが、昨年よりも気温が低いことがモモンガの行動に影響したのかもしれない。今後、仕事もしないで自由な時間が増えるから来年はもっと長く現地に滞在して今年の雪辱を晴らそうと思う。

反面、2月の旅行ではワシに関して満足な写真が撮れた。これも天気のおかげで自分の狙い通りの写真をそこそこ撮れたと自負している。何度撮ってもワシは精悍な表情で、2月の旅では初めて訪れたH氏をはじめとする方々も満足したのではないかと思う。特に彼とはシマフクロウ撮影で徹夜した挙句、早朝5時15分の船に乗るなど、かなりの強行軍を組んだことから体力的にけっこうなダメージだったが、それを補えるほどの満足感は得られた。初めて訪れた場所もいくつかあり、今後の行動計画を立てる上でも非常に良い経験だったと思っている。

写真はやはりワシから。
今回は羅臼に2日滞在し朝5時半の船に2度、9時の船に1度と計3度乗船した。いずれも過去に例を見ないほどの好天で、バックの国後島や知床の山々もきれいだった。だから背景にも少し気を遣ったが、やはり精悍なワシが飛び回る光景は魅力的で、まだまだ現像に着手し始めた段階ながら、そういう写真から処理を開始した。
以前、オオワシよりもオジロワシの方が顔つきが良いと書いたが、今回じっくり撮ってみるとオオワシもなかなかのもの。まずはオジロワシよりも個体数が少ないオオワシからアップする。オジロワシにはシベリアに戻らず知床にとどまる個体が多い一方、オオワシはほとんどとどまらないから、北海道を訪れる人にとっては貴重だ。ウクライナに侵攻したロシアなどに戻らず、日本にもっともっととどまってくれないかなどと思ったりもする。

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2024年3月15日 (金)

白糸川橋梁「銀河」

もうすぐ年金を受給出来る年齢となり、あと5年ほどは働けるのだが、もう雇用を延長しないできっぱり辞めてしまおうと考えている。この先、安い賃金に固執して週に数日だけ仕事をしても、いつ何どき病気になったり足腰が衰えて好きな写真撮影ができなくなる可能性だってあるのだから、まだ元気で冬の北海道に行くメンタリティが残っているうちに仕事から離れるのはクレバーな判断だと感じるからだ。

この判断に間違いはあるまい。
56歳の現役で亡くなった父のことを思えば自分自身、定年まで働けたのだし残りの人生、食うことには困らずほどほどには好きなことがやれる余裕もあるのだから、それを謳歌できる時間をストレスを伴って稼ぐ安い賃金と引き換えにするのは愚かな決断だ。また、人生100年時代とは言え、このところ谷村新司や八代亜紀などをみると70歳台の前半で亡くなっている例も多く、いつ自分がそういう事態になるかと考えれば良いタイミングでもあるだろう。

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根府川というところは個人的にあまりお気に入りの撮影地ではなかった。ただ定番の場所でもあり、ここで諸々の列車を絵葉書的に撮っておくことは当時の鉄道ファンとしては義務的な意味を感じていたから何度か行っている。

最も気に入らなかったのは上り列車を撮る場合、編成に被る架線柱。定石どおりのアングルだと画面のほぼ中央に太い柱が位置して非常に目障り。これが嫌で嫌であまり訪れることはなかったが、それでも午前の早い時間帯に上ってくる列車に当たる朝日は非常に良かったのは間違いない。上り下りの列車とも海側から浴びる光は列車を引き立て、ろくでもない列車でも美しく撮れるという利点は確たるものだった。午後の山側から下り列車に当たる光が平々凡々で、バックに海が入ると言ってもほとんど行く気になれなかったことに対し、仲間のお誘いがあれば必ず同道させた頂いたのは朝の光線の美しさによるものだ。以前の記事にも書いたが、この橋の下を通った先日の湯河原旅行で懐かしさもこみ上げたのは、やはり自分と同じ世代のファンにとってここは忘れられない場所の一つであるだろう。

1980年2月25日の「銀河」


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2024年3月12日 (火)

新鶴見機関区にかかるこ線橋から

2月、川崎市内のある劇場にミュージカルを見に行った。ここ最近、妻がボランティアをしている劇団が上演する芝居などにも同行する機会が増えているが、最初はやや敷居が高く感じた観劇も2度3度と行っているうちにだんだん面白く感じるようになり、今では一緒に行くことが当たり前になりつつある。

で、その劇場があるのが川崎市の横須賀線・新川崎駅の近く。自宅から車でゆっくり行っても30~40分と、電車で行くよりもはるかに便利。そのため毎回、新川崎駅のこ線橋を通過するが、ここは新鶴見機関区の真上にあたり高校生のころずいぶん通ったところ。蒸気機関車時代の写真こそないが、その後のEF12、13をはじめEF15や60、65、66、EH10など数々の機関車を記録した思い出深い場所。先日もここから機関車を撮っている若いファンを見かけ、かつての自分自身を思い出したものだ。

当時、同級生だったK君と機関車の番号つぶしなる競争をしていた時代、ここに来れば一日にたくさんの機関車が撮れることが大きな魅力だった。機関区に入る階段もあって、橋の上から写真を撮っていると職員の方が下から声をかけてくれて中に入れてくれる幸運にもかなりの頻度で恵まれたものだ。首都圏の貨物列車からデッキが付いたEF13や15を淘汰するために製造されたEF65PFがメーカーから届いたときなどは、運転席や機械室にまで入れていただいて丁寧に説明してくださり恐縮したことをはっきりと覚えている。集まる機関車も首都圏の各機関区からだけではなく下関や吹田、岡山、稲沢、浜松など遠来のものや転属途次の車両もあって、撮影後に機関区の片隅で持参した機関車配置表の番号にチェックを入れるのは楽しい作業だった。

今や職員のそんな行為はともすればご自身にとって仇となって、コンプライアンス違反だとか言われ社内で処分されるような実に嫌な時代だが、当時の方々の中には自らの判断で鉄道ファンに対して優しい声をかけてくれる大人が多かったことを感謝の意を込めて書き残しておきたい。鉄道会社に限らず硬直化してしまった世の中、いったいどうなってしまったのだろうと思うことしばしば。

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ターンテーブル周辺にはパンタグラフを降ろした機関車が集められていた。向こう側に見えるのは新製配置されたばかりで、まだ稼働前のEF65PF。先日通ったところターンテーブルは見えなかったが撤去されたのだろうか。
右下は鶴見駅から職員を輸送するためのクモハ12。新川崎という駅が建設される以前のこと。このような、時刻表には掲載されない職員輸送用の車両は筆者の知りうる限りでも幕張電車区や宮原機関区などでも見られ、時に乗せていただいたこともある。

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2024年3月 9日 (土)

正面向きのシマエナガ

今、ブームのシマエナガってどれほど可愛らしいのかと、先日の旅ではターゲットの一つにしていた。一昨年4月に帯広で撮るには撮ったが後ろ向きで正面から撮影できず、いつかは真ん前から撮りたいと思っていた小鳥。冬の寒い季節にしかフワッと丸っこい姿にならないから、ほかの季節では撮る意味がなく冬ならではの被写体だ。だからモモンガに当てる撮影時間をやりくりして狙わないとまた一年先送りになってしまう。撮れそうな場所をいろいろと調べて、やっと巡り合うことができたのは今回の旅の収穫の一つとなった。

しかし、世間で言われるほど自分の目にはピンと来なかった。たしかにチビの雪だるまのようで愛らしいことに異論はないが、被写体としてはモモンガのように何度も何度も撮りたいと感じるものではない。個体差によるものかもしれないが…。一度撮れればそれで十分に思ったのだ。

感じ方は人それぞれだが、数年前から撮りたいと思っていた割には「まあ、こんなものか」といった程度。やはりワシやモモンガ、フクロウなどと比べるほどの「役者」ではなかったように思う。期待外れとまでは言わないものの、この先撮るとしたら何かほかの生き物を狙っていてやって来ない限り、この鳥に時間を費やすことはなさそうだ。もちろん狙った生き物が撮れなかったりして時間を持て余すような時には「暇つぶし」のネタにはなるかもしれないが、シマエナガのために精力を傾けるのは最初で最後となるだろう。
撮りたいと思ってきたのになかなか出会えなかったが、撮れるときは撮れるものだ。

ずいぶん撮ったから少し画像をアップする。

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2024年3月 6日 (水)

竹倉のEF5861

週末から再び北海道。今回は2年ぶりに帯広に入り後半は別の場所へ移動する予定。また8日間の日程だ。前回の旅行から帰った途端、今年も強烈な花粉症に見舞われて苦しんでいるから、それだけでも早く地元を脱出したいが、今度の旅から帰ってもまだヒノキ花粉の猛威は収まってはいないだろう。

前日の北海道では400mm F2・8の素晴らしさに改めて驚いた。ある場所でワシを撮った際のAFの早さ、レンズの解像力は目を見張るもので、おまけに天気が良く高速シャッターを切れるようなケースでは、三脚や一脚も不要で手持ちでも充分扱える重量バランスの良さ。100~400mmズームやPFレンズの600mmも極めて高性能で重宝するが、それらを凌駕する切れの良さには舌を巻いた。もともとニコンの関係者から、このレンズは解像力やAF速度について絶対的な自信を持ってお勧めできると言われていたが、ここまで凄いとは思っていなかった。そのため今回の旅ではこのレンズをメインにモモンガを撮影するつもりでいるが、下手に一脚などを使うよりも(場が明るければ)手持ちで勝負したいと思う。
現時点でこのレンズに使われているAFのモーターはほかに600mm F4だけだが600mmの方は昨年、北海道で使った限りでは重すぎて飛行機での移動では荷物が嵩むし現場では取り扱いにも苦慮したから、そちらに色気は出ないが、このレンズに限っては太鼓判を押したい。

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フィルムの時代、この写真はプリントするのに非常に苦労したことを思い出す。1980年1月6日の三島~函南。有名な富士山バックの竹倉でのショットだ。実はこの時は初めての訪問。EF5861はそれまでにずいぶんと撮ることができたから、撮影名所で記録することに熱を上げ始めたころで、富士山をバックに撮れるこの地も視野に入った。
ところがこの列車「銀河52号」は早朝の通過で富士山にはうっすら日が当たり始めたものの線路はまだ日陰。しばらく前から天気予報を調べて快晴になることは分かっていたが大きな誤算を前に愕然としたものだった。

そんな状況で撮影したこの写真、富士山と列車の露出差でカラーは玉砕、この白黒でさえプリントする気にもなれず以後、何度もこの地へ足を運び61号機と富士山の組み合わせに挑んだものだった。

ところが時代は変わってデジタル処理ができるようになると、いとも簡単にこれくらいの現像ができてしまう。露出差で言えば影の部分と富士山では軽く3段以上の違いはあるだろう。ありがたい世の中になったもので、いずれピントの悪い画像も修正できる時代になるのではないかと密かに期待している次第。

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2024年3月 3日 (日)

冬のキツネ

旅行先でブログの更新がままならなかったため、とりあえずRAW現像したキタキツネをアップすることにした。

現地ではあまりにもポピュラーな動物ながら、やはり北海道を代表する動物には違いなく、特に夏のやせ細った姿よりは冬の方がはるかに毛並みも良く、見かける機会があれば撮影したくなるのは旅行者として当然のこと。それでも人慣れしていない個体は車を運転中に見かけても、ドアを開けるとすぐに逃げてしまうから慎重に近寄らなければならないし、暖かい時期よりも見つけるチャンスは低くカメラに収めた回数は少ない気もする。寒さのせいもあって車から出てキツネ如きにカメラを構えることが億劫であることも否めないが、ともあれ自分自身、雪が積もる中で撮ったキツネの画像は数えられるくらいだ。

毎度のことながら生き物を見かけるとアップばかり狙ってしまう身としては、今回の旅では少しロングの絵を撮ろうと心掛けたが、絵心がないものだからなかなかうまい構図がつくれない。

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2024年3月 2日 (土)

品川駅に入線するEF5861の12系×12両

今年2度目の北海道旅行は肝心のモモンガについてはやや不作だったが、ほかの生き物については上々の首尾。旅行の前半は好天に恵まれワシやシマエナガなど、これまでよりも良い絵が撮れた反面、後半は天気が悪くモモンガのお出ましが限られたせいだ。

帰って来たばかりで撮影枚数もかなりの数に上るため、すぐに画像処理には手を付けられないものの、また来週末から繁殖期のピークを迎えるモモンガを撮りに行くことになっているから、めぼしいものだけでもやっておきたい。本来は鉄道のネタを扱うブログだったのに動物の画像が増え、ここへきて内容が大きく変化してしまいそうだ。

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1978年11月3日撮影のEF5861による団体列車。12系を使用した編成はありきたりの被写体だったが、この日は12両と編成も長く、しかも上野から東北線に入ることもあり近場で何度も撮れることや、祝日とあって良いネタだった。

当時の品川は1日いれば、実にいろいろな列車が撮れた、鉄道ファンにはちょっとした「聖地」とも言えたが、入線してくる列車を撮るにはあまり適した場所ではなく、もっぱらホームに停車するシーンがメインだった。だから本来は大井町や大森などで走行シーンを撮ってから品川で停車シーンを撮り東北線などに先回りするべきだったが見ればお分かりのように、この季節は午後の上り列車は太陽が回り込み過ぎて、ほぼ逆光に近くなってしまうため品川の入線シーンでお茶を濁したようだ。ただしEF58のについてはカーブに入ると、車体上部と下部がずれてしまうのは欠点だった。

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