2018年10月20日 (土)

今日、羽田で

昨日のUさんの記事を拝見し、例によってふらっと羽田空港に行ってみた。昨夜V1スポットに入ったと思われた次期政府専用機のB777はV2スポットに居て、まずはこの機体の初撮影となった。

そして安倍首相の乗ったJAF001がV1スポットに入ってきて新旧引き継ぎのような2機並びの光景が展開された。到着後安倍首相はB777の視察に20分程度費やした模様。

新千歳ではジャンボ2機とB777の並びなどもあったようだし、今後はもしかしたらB777もう1機を加えた4機並びも夢ではないかもしれないが、羽田空港で、しかも日章旗を掲げたB747とのコラボは今回限りかもしれない。

B777のパーキング位置から、いわゆる「串刺し」しか撮れないので、せめてジャンボは奇麗にと、あえて中望遠レンズで2機が被らないような構図を選択してみた。

Uさん、ありがとうございました。

(写真・文:K.M)

2018.10.20 羽田空港にて JAF001 20-1101 、80-1111

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2018年10月19日 (金)

明日、羽田で

個人的にはさほど関心がないが明日、羽田で新旧政府専用機が並ぶもよう。
ヨーロッパ訪問から帰国する首相は羽田で政府専用機を降り、すぐ近くに駐機中の新政府専用機を視察するらしい。14時半ごろとの噂。

(門外漢のU)

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2018年10月17日 (水)

ED75重連の「あけぼの」

1987年7月に妻と出かけた福島旅行の合間に撮影した「あけぼの」。今さら記す必要もない有名撮影地だが、大雨で下の道路に車を止めてここまで上がるのも、道がひどくぬかるんで苦労したことを思い出す。当時、乗っていた買ったばかりのソアラの車内が泥だらけになり、帰宅して洗車に3時間近く費やしたことも憶えている。もちろんリバーサルなどで撮れるような明るさではなく、トライXを1600まで増感したもののシャッター速度は125分の1ほどで、一脚に300ミリ F2・8装着。前の機関車の動きに合わせてカメラを少しだけ振った。

この頃の撮影地ガイドに載っていた機関車運用によれば、この「あけぼの」は福島~黒磯はED75の単機けん引と記されていたのに、この後いつ訪れても常に重連だった。10両ほどの客車を重連でなければ引けないほどED75が非力だったとは思えないが、撮る側にとってはラッキーだった。

(写真、文:U)

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2018年10月14日 (日)

京浜急行230型

涼しくなって過ごしやすくなったのはありがたいが、スカッとした秋晴れに恵まれず撮影に行く気分になれない。あれこれ情報は頂戴しているものの、天気とのかねあいを考えるとやる気が出ず、家でボーッと過ごす休日が増えている。

今、ちょっとだけ力を傾けているのが東急の7700系。以前の記事にも書いたが、昔から好きな貫通扉付きのステンレス車輌だからここ3回ほど撮りに出かけた。現地で会った方の話によると、今月中に2編成が営業を終え、残る1編成も11月半ばで見納めらしく、いよいよ東急から姿を消す日が迫っているようだ。今のところ「お別れ運転」などが行われるという正式な発表は聞こえてこないが、11月24日には「池上線全線祭り」なるものが開催され、雪が谷検車区で引退セレモニーが行われるとか。人でごった返す中、どんな状況で撮影できるか想像もできないが、気が向いたら軽装備で見に行きたいと考えている。
大手私鉄の車輌にあまり関心のない自分としては珍しいことだ。

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前述のように大手私鉄に関心のない自分が、1978年にわざわざ撮りに行った京浜急行大師線の230型。大きな運転室の窓が印象的で名車と言われたらしい。今となってはもっと真面目に撮っておけば良かったと後悔するのは毎度のこと。
一部が高松の琴平電鉄に移ってしばらく活躍したが塗装は変更されてしまった。やはり京浜急行の赤がふさわしいのは言うまでもないが、東急の7700系は養老鉄道に移っても、今の塗装が継承される編成が残るというからありがたい。

(写真、文:U)

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2018年10月10日 (水)

大森で「はやぶさ」

通勤経路を大井町経由に変えて会社帰りに一杯やるときは、大井町か大森に行くことが多くなった。以前は酒を飲みに行くことなど思いもよらなかった街だったが、人に誘われていったん足を踏み入れたら楽しそうな店が林立している。かつて転勤で暮らした大阪でよく行った十三や扇町などに通じる雰囲気が懐かしい。

京急の青物横丁や大森海岸、雑色などの界隈まで足を運べばまだまだ面白そうな店が見つかるだろうが、さすがに昔ほどの体力はなく、JR駅周辺でそれなりに楽しんでいる昨今だ。今宵も社内の某女性を案内する予定。

その大森では大井町ほど鉄道写真を撮る機会はなかったが、大井町寄りの海側にある公園と線路の西側、大田区山王を結ぶ、車の通行ができない小さな踏切には何度か出かけた。今となってはこんな場所に踏切などが残っていたら、公園で遊ぶ子供が電車にひかれることを不安視する人が多いに違いないが、当時は都内各所にまだまだそんな踏切は存在していた。

高校を卒業したばかりの頃、オリンパスOM1に135ミリを付けて撮った1枚。低い位置から狙えるこのポイントは列車を少し見上げるレベルで撮れたのが嬉しかった。酒におぼれる以前のまだ初々しかった頃の記録だ。

(写真、文:U)

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ところで、そろそろEF58の写真もアップしようと準備中だ。

2018年10月 8日 (月)

あと5機で1400機 B747ジャンボジェット

連休最終日の10月8日朝、このところ週末もほぼテレワーク的な生活をしていたが、何とかこの連休は少しゆっくりでき三度寝をむさぼっていた。8時過ぎにベッドの中でスマホでの情報を確認すると、モスクワを昨夜飛び立った未撮影のエアブリッジカーゴ(ABC)のB747がアジア方面へ向かい、それも成田あたりを目指すルートを飛んでいるのが判明した。このところABCカーゴは中部空港などにも臨時便を飛ばしているので必ずしも成田とは限らないがとりあえず起床から10分で準備して空いていた首都高速経由で9時40分に成田空港の撮影ポイントに到着することが出来た。

目的のRU9159便 B747-8FのVP-BBYは着々と成田へ向けて降下してきており、10時半過ぎにRW34Lに着陸した。

これが1395機目のB747ジャンボジェット撮影機体で、あと5機で大台の1400機に乗る。このところ年間10機程度しかつぶせていなかったが、今年は大韓航空のB748が成田に不定期ながら就航したり、ゴールデンウィークに香港に行ったなどで22機がつぶせている。

とはいえ、あと5機のハードルは高く、おそらく年内は難しいのかなと思っている。

(写真・文:K.M)

2018.10.8  VP-BBY  成田空港にて

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2018年10月 7日 (日)

DF200の貨物列車

この夏、久しぶりに北海道を訪れたものの鉄道撮影は行きがけに北吉原で貨物列車を2本撮ったのみ。宿泊したのが洞爺湖に近い北湯沢温泉だったこともあって、いったん宿に入ってしまうと室蘭線まで往復するには撮影時間までふくめると3時間はかかってしまう。以前のように夜行寝台列車でも走っているならともかく、今や北海道で関心の高い車輌はないから家族旅行の合間に出かけるほどの意味はないと判断した。なにしろ宿泊した「北湯沢温泉 緑の風リゾート」というホテルが素晴らしく、そこから外出する気も起きないほど快適だったことが大きい。
それでも周辺を少しばかり観光し、合間に懐かしい豊浦や伊達を回ったが、2014~16年はしばしば訪れた場所だけに懐かしさはひとしお。「ホームグラウンド」に帰ってきた気分を味わうことができた。

帰京してそんな余韻に浸りながら当時の画像を見返すと、あらためてDF200の貨物を撮りに行きたくなった。特に冬、線路に積もった雪を舞い上げて快走してくる姿は北海道ならではの迫力に満ちて、使う機会が激減した長いレンズを持ち出すにはふさわしい被写体。幹線を高速で飛ばす長い貨物列車を狙いに渡道したいものだ。

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(写真、文:U)

2018年10月 3日 (水)

ミステリー列車牽引のEF65PF

1979年7月に上野~烏山を走った「ミステリー列車 999号」牽引のEF651007号機。
「ミステリー列車」とは乗客に行き先を明かさないで運行されるもので、蒸気機関車が現役だった頃から運転された例はあったが、このころはまだ比較的珍しい企画だった。
当時、流行っていたアニメ「銀河鉄道999」の影響もあり、マスコミにも大きく取り上げられ、沿線には取材のヘリコプターが飛び、翌日の朝刊にも報道されたものだ(マスコミには行く先は知らされていたはず)。
当然ヘッドマークは付くであろうからEF58の牽引が期待されたが、結果は上野~宇都宮がEF65、宇都宮~烏山がDE10で少々ガッカリした記憶がある。

宇都宮の手前で1回目の走行シーンを撮り、鬼怒川鉄橋付近で2回目を撮り終えてから宇都宮運転所に寄ったときのもの。ヘッドマークに鏡のような部分があって「999」の数字が周囲の風景を映してしまうため撮る角度に苦慮したことを思い出す。
カラーも撮ったが、そちらはまだスキャンしておらず、いずれデジタル化したらアップするつもりだが取りあえずモノクロから。いずれもブロニカEC-TLの6×6使用。この後、東大宮~蓮田で上り列車を撮っている。

(写真、文:U)


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2018年10月 1日 (月)

台風一過10月1日の思い出(EF5861)

自然災害が多い日本であるが、ここ近年の地震・台風・水災の頻度は尋常ではない。毎年「異常気象」といわれるが、これが今後の「普通」、いわゆるニューノーマルとなるのかもしれない。自分の仕事柄、大規模の自然災害が発生すると超多忙になるのは宿命ではあるが、今年度は大阪地震・中国地方水害・複数の大型台風、北海道地震とひきも切らずの発生で、このところ週末・昼夜問わずの対応に追われている状態になっている。

この週末もカシオペア信州でも撮りに行こうかとは考えたが、天候急変や緊急業務なども想定されたので自宅でおとなしくしていた。

「台風一過」で思い出に残っているのは1979年10月1日の出来事。

前日の9月30日は当時では珍しい9月下旬の台風襲来で大荒れの天気。とても鉄道写真に出るなど出来ないような状況であった。この年、首都圏の鉄道輸送容量を増やすため、東海道本線(旅客線)と並行して、汐留から横浜羽沢を経由して大船、小田原へ抜ける、新貨物線が10月1日に開業し、主に貨物や荷物列車はこの新線を使って運転されることになった。そしてその初日、横浜羽沢駅でのテープカットのために荷31列車が選ばれ、そして普段は浜松機関区のEF58の運用であるがこの日だけは変運用が組まれ、東京機関区のEF5861が指定された。

しかも事前情報では特製のヘッドマークが付けられるとのことで、仮に荒天でも撮影に出動すべく準備を整えた9月30日の夜だった。

そして明けて10月1日は、まさに台風一過の快晴になり、カメラバッグと三脚を担いで、まずヘッドマークが本当に付いているかの確認に浜松町の駅へ向かった。そして汐留から出てきた荷31はEF5861にしっかりヘッドマークが付いていることを確認できたのでその足で根府川に向かった。根府川ではUさんと他数名だけが待ち受け、荷31の登場を待っていた。

ところが現れたEF5861の前面にヘッドマークは無く、一同呆然としながらシャッターを押して鉄橋通過を見送った。あとから聞いた話だと、どうやらマークは小田原で外されたとのこと。それなら平塚や大磯で撮っておけばよかったと、その後はかなり長く後悔した。

しかし今となっては、滅多にない順光での根府川でのロクイチの荷物列車が奇麗に撮れたことは素晴らしい記録になったと思っている。

(写真・文:K.M)

1979年10月1日 荷31列車 EF5861 浜松町・根府川

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2018年9月29日 (土)

デジタル一眼カメラでの初写真

今はデジタルカメラが当たりまえ、、、というより、むしろ写真はカメラで撮るものではなくスマホで撮るほうが普通になってきている。動画も含め、この半世紀の記録方法の進化は著しい。鉄道写真を撮り始めてから概ね45年、デジタル一眼カメラを導入したのが14年前の2004年だったので、すでに三分の一はデジタル化、前半三分の二がネガ・ポジフィルムという割合。

鉄道写真はあまりフィルム消費量は多くないが、航空機の時はかなりの枚数を撮ることになる。フィルム時代でも晴天の空港で一日過ごすと国内でも5本、海外では10本(360枚)を超えることもあった。一度、マイアミ・ソルトレイクシティー・ロスアンジェルスにを1週間強で回ったときはコダクロームを120箱持っていって使い切ったこともあった。フィルムの購入と現像だけでもその時1本あたり2000円程度はかかっていたので、それだけで25万円は使ったことになる。それがデジタルの現在、ほとんどコスト無しで済むのは本当に在り難い。

初めてデジタル一眼を使ったときの1コマ目は成田空港でのUPSのB747フレイター。曇り空の中での撮影であった。このB747、4年後の2008年には引退し、既にスクラップにされている。

(写真・文:K.M)

2004年6月27日  成田空港にて UPS B747 N672UP

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«この秋、初めての鉄道撮影

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