DF50の引く12系急行

暑い中、時間帯を見計らってウォーキングを続けているが、感心するのがマスクを着けている人。私にゃとてもできない。

マスクを着けましょうと呼びかけられれば、金科玉条のごとく、どんな時でもしっかりマスクを着用し、お盆の里帰りを控えましょうと言われれば粛々と従い、失政に費やされる税金も意に介さない方々。何とまあ、まじめな国民が多いのだろう。中国共産党の指導部から見たら、こんな人々が香港の市民だったら御しやすくて良いのにと感じるかもしれない。オウム真理教がマインドコントロールするのも容易かっただろうとも考えてしまう。

先日、駅まで歩いて来て汗をかき、一時的にマスクを外していたご婦人にマスクをしろと絡んでいる中学生ぐらいのガキを見てあっけにとられた。女性も最初、何を言っているのか理解できなかったようだが、終いにはあまりにもしつこいので怒っていたが、ケースバイケースも考えずに役人の呼びかけに愚直に応じる人々とも共生しなければならないのはしんどい。

ところでまた中国で妙なものを食べた人たちが亡くなっているとのニュースを小耳にはさんだが、あいつらは懲りずにまだそんな食習慣を続けているのか。

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1977年4月30日に紀勢線・紀伊田辺での撮影したDF5059の引く8106列車「きのくに」。電化工事で架線柱が立ち始めたが、まだ架線は張られてはいなかった頃の写真。

紀勢線の客車、貨物列車はまだ全てがDF50の牽引で臨時の急行列車も同様だった。普通列車には旧型客車が使われ、それが当たり前だったから、東海道線などで見飽きていた12系のブルーが返って新鮮に映ったことを思い出す。自分にしては珍しく2台のカメラをセットし望遠と標準レンズで撮ったものだ(望遠レンズで撮った画像はすでに掲載している)。この、標準レンズで撮った画像は、機関車の窓にビームが映り込んでしまったが悔しい。

59号機はこの少し前、植樹祭で57号機ともどもお召し列車に使われたばかりだから、まだあまり汚れていなかったのがありがたかった。

(写真、文:U)

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2020年8月 7日 (金)

弁天橋電車区での撮影会

1988年9月18日に鶴見線の弁天橋電車区で行われた展示会。
撮影していたことを完全に失念していた画像で先日、ベッドルームの本棚を整理しているときに昔の家族写真のカラーネガの中から出てきた。どういう風の吹き回しか、なんとブローニーフィルムで撮影しており我ながら驚いた。

消えかけている記憶をたどれば、この約2か月半前に父が亡くなり、諸々の手続きなどで慌ただしく、鉄道撮影などしていられなかった時期だ。実家と自宅を行き来する頻度が高く、連日マイカー出勤していたから、車のトランクに入れっぱなしになっていたペンタックス6×7で撮ったはず。首都高速1号線を経由して会社から横浜・白楽の自宅に帰る途中、こんな催しが行われていることを知り、浜川崎ランプを出て現地入りした記憶がかすかに残っている。

すでに鶴見線には旧型国電が走っていなかったはずだが(ひょっとすると大川支線にクモハ12が残っていたのかも)各地から集めて展示したのかもしれない。そういえば、左から2両目のクモハ40はこの頃、あちこちの展示会に引っ張り出されていたようだった。

それ以前にも、この浜川崎界隈にはEF58撮影の合間、時間をつぶすためにしばしば訪れ、EF15などの電気機関車とともに、茶色い旧型電車も記録している。休日は周辺の工場も操業しておらず、無人駅が多かったこともあって非常にのんびりしていたが反面、大都会の一角ながら食事ができる店がほとんどないのが悩みの種で、食事をすませてから向かうか、パンなどを持参して行かないと腹をすかせながら撮影することになる。それを思えば、どこに行ってもコンビニのある現在の状況はとてもありがたい。

来週はお盆。
この周辺は閑散となるはずで、平日でも道路はすいているから、撮影に出かけるには穴場といえるが、貨物列車の運休は覚悟しておかなくてはならない。

(写真、文:U)

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2020年8月 5日 (水)

野宿の翌朝に撮影したキハ82

鉄道撮影を趣味とする友人から「オンライン飲み会」の提案を受けた。
ものは試し、できるならまずはテストしてみたいと思い、さっそくパソコンの1台を見てみると、すでに10年近く使っているものながらカメラも内蔵されているようだから、何とかなりそうだ。同じ場所で飲むわけではないから、それぞれ別の種類やメーカーの酒を飲むのは当然としても、つまみが異なるとあって違和感は覚えるが、一人で飲むよりも断然うまい酒になりそうではある。

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在宅勤務などでこのところ顔を合わせる機会がなかった鉄道好きの同僚が、テレワークの最中にあれこれネットを見ていたところ、ある鉄道雑誌が休刊になるとの書き込みをいくつか見かけたと教えてくれた。その中のブログの管理人さんはどうやら別の趣味誌に携わる人らしく当然、業界のことには詳しいはずだからきっと事実なのではあろう。

ただし実際には「間引き運転」らしく、同僚が誤解したような「休刊」ではなさそうだが。

もうすぐ趣味誌の業界にも大きな変化が起きそうな気配。

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1977年のゴールデンウイークに撮影したキハ82系の「くろしお」。
紀勢線に行くときは常に和歌山の親戚の家を拠点に行動していたが、そこは鉄道撮影に行くことが億劫になるほどの快適な豪邸。従兄弟達とも気が合って楽しく過ごしてしまい、撮影の予定をキャンセルしてしまうことも多かった。
そこでこのときは和歌山には行かず、名古屋側から入って新宮から夜行列車(この当時は「はやたま」に改称される以前で「南紀」)の乗り継ぎを繰り返し、数日間に渡って撮影を続けた。

この写真はそんな旅のさ中、無謀にも新宮~三輪崎の海辺で野宿(まさに言葉通りの野営)した翌朝、ブルートレイン「紀伊」を撮り終え、新宮の駅に戻る際に踏切で後追いしたもの。若さゆえの暴挙に違いないが、夜間もちょうど良い気温で虫もいない時期だったからこそなせた所業。酒を飲める年齢でもなかったのだから、よく眠れたものだと今となっては驚きさえ感じる。

当時、紀勢線にはボンネットのキハ81が健在で、名古屋と天王寺を結ぶ「くろしお」の1D、2Dの天王寺側の先頭に充当されていたため、ファンの注目は自ずとこの列車に集まっていたが、自分の目にはこのパノラミックウインドウのキハ82の方が優美に映ったものだ。幸い「くろしお」はほかに何本も運転されていて撮影機会も多かったし、キハ81だけに集中せず、そこそこの回数を撮影することができた。

スタイルとしては数年前まで残っていたキハ181系と相似するが、前面の厳つさはキハ82が上。斜光を浴びたキハ82の顔をタテで超望遠レンズを使って撮りたかった。

(写真、文:U)

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2020年8月 3日 (月)

山陽本線の153系

いよいよ暑い夏が到来。暑いのが大の苦手なものだから毎年毎年、同じ愚痴を書いてしまう。早朝からセミの声がうるさく、庭に出ると蚊に刺され、ちょっと歩けば汗だく。鉄道撮影なんてとてもとても。

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山陽本線・瀬野~八本松でEF59を撮影したときに足を伸ばした入野~白市で1978年春に撮った153系。
EF59も来ないような区間にどうして足を伸ばしたのかと言えば、当時の列車撮影のバイブルとも言える「電気機関車快走」に取り上げられていた場所だったから。まだ素直で単純な学生だった頃の写真だ。

当然、だんだんひねくれて好き嫌いが激しくなり、こういったアウトカーブからの写真は撮影ポイントが見つからなかったり、列車の通過が迫っているときにしかチョイスしなくなったから今となっては比較的珍しいカット。なにしろ機関車以外の車両をこうして記録していることさえ、よほど気が向かなければやらなかった。
しばらく前の記事で、訳あってなるべく電気機関車の写真を掲載しないようにしたいと書いたものの、ではそのほかの車両の写真が豊富かと言えばまったくもってそんなことはなく、特に人様にお見せできるようなものはほとんどないから、さっそく前言を撤回しなければならないかも。

で、この写真の立ち位置は当時、比較的よく知られたところ。「電気機関車快走」に取り上げられながらも実は開けた撮影ポイントがほとんど見当たらないこの区間では、自ずとここで撮るしかなかった。
ほかのコマを見ると153系の後ろにはかやぶき屋根の民家が写っているから、いずれそんな画像も掲載してみようと思う。

(写真、文:U)

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2020年8月 1日 (土)

183系の「あまぎ」

昨日の東京都のコロナ感染者数は463と過去最高を記録したが、先週23日からの4連休には多くの人が外出したのだから、こんな数になっても当然のような気がする。たしか3月の春分の日のころの連休後も同様だったはずで、それを踏まえれば驚くほどのこともないだろう。
ただ、若い人の感染が増えているようで、この先、大学や高校などでもクラスターが発生するとしたら厄介なことになりそうだ。

夏になったらウイルスの活動も弱まって、いったんは落ち着くなどとテレビでほぼ断言していたH大の公衆衛生学者のおばさんも、最近はとんと姿が見られなくなり、科学的根拠のない予想で世間をお騒がせして逼塞しているのかもしれない。ウイルスよりもご自身の方が静かになってしまったのが皮肉と言えば皮肉だが、そろそろ我が身も感染するのかもしれないと腹をくくるようになりつつあり、せめて今の内に体力をつけて、感染しても重篤化しないよう準備しておくしかなさそうな気もしてきた。

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さて8月。
今日の段階でまだ梅雨明けには至らないようだが、週間天気予報を見るとお日様のマークも増え、遠からず梅雨明けとなり、行楽地は人も増えそうだ。
会社へ向かう途中にすれ違う、伊豆方面行きの特急「踊り子」も乗客が増えていて、臨時列車も増発されているためか、沿線には鉄道ファンの姿も多くなった。以前から言われている185系の置き換えは、この夏が終わったら本格化するのだろうか。だとしたら、今が密度高く185系を捉えられる最後のチャンスとなるのかもしれない。

写真は「踊り子」の前身「あまぎ」。1981年5月14日の撮影。
列車名が「踊り子」に変わると知ったときは、もちろん川端康成の「伊豆の踊子」にちなんだ名前だと分かっていながらも、何となく温泉地のストリップショーを思い描いたものだった(何しろ下品なもので…)。
たしかに、社会人になって社員旅行などに行った先は、そういうショーのある温泉地が多かったことも事実で、突拍子もない連想ではないと思うが、臨時の「踊り子」をEF58が引くようになって「ロクイチの『踊り子』」よりも「ロクイチの『あまぎ』」の方が響きが良いと思ったことを思い出す。

(写真、文:U)

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2020年7月30日 (木)

新宿の高層ビル群と山手線

社会人になって新宿に寄りつくことはほとんどなくなったが、昔は「ヨドバシカメラ」「カメラのサクラヤ」「新宿堂」など、安くて豊富な品揃えのカメラ屋(今となっては家電量販店という方がふさわしいのかもしれない)が多かったから、しばしば訪れたものだ。

とりわけフィルムを買いに行く頻度は高く、長尺フィルムから36枚撮りとしてパトローネに詰め替えたトライXは安価で大変ありがたく、おぼろげな記憶に頼ればたしか1本¥290だったから、正規品と比較すると半額程度。使える金が少ない学生カメラマンの多くも利用していて、店でパッタリ知り合いに会うことも珍しくなかった。

後年、「ヨドバシカメラ」や「カメラのサクラヤ」は新宿以外に支店を出したから、徐々に便利な場所にある店に行くようになるが、この写真を撮った1979年ごろはまだ山手線や中央線にも貨物列車が多かったため、それらを撮るついでに立ち寄ることもあった。

代々木と原宿の間にあった(今も残っているのかもしれない)、新宿の高層ビル群を望めるこの「原宿宮廷マンション」の屋上からは何度か撮影させていただいたが、すぐぞばの宮廷ホームをお召し列車が発着する際には警察官が警備にあたるため、普段でも徐々に立ち入りを断られるようになっていった。

そして数年がたち、父の古い知り合いがこのマンションに住んでいることが分かった時には貨物列車のほとんどが消え、せっかく胸を張って屋上に入ることができる「恩恵」も生かす機会はなくなってしまった。

(写真、文:U)

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2020年7月28日 (火)

多度津のDF5047

翌月から社会人になる1982年3月、中学の同級生と倉敷~高松~松山~広島へ旅行した際、多度津で撮影したDF5047号機。

当時、DF50は山陰線や日豊線、紀勢線から引退し、最後の砦となった四国でも貨物列車に使用されるのみとなっていた。すでに500番台のMAN型も消滅し、紀勢線(亀山機関区)からの転属車も多く見かけたが、この47号機は4年前にも高知機関区で撮ったことがあり、スノープローを装備し、踏切事故対策のために前面が強化され、引き締まった面構えのDF50として好感をもっていた。

友人たちと仁尾で開催されていた「太陽博覧会」を見学した後、松山に向かう急行列車を待つ間、構内で止まっている姿を見かけ、急いで撮ったもの。
多度津は蒸気機関車が活躍していた頃までは機関区があって、無煙化された後も機関庫やターンテーブルが残り、高松や高知のDF50が常に何両か駐泊する姿を見ることができた。
この写真は蒸気機関車が石炭の燃えがらを落とす「アッシュピット」という、レールの間に掘られた用水路のような窪みから見上げるようにペンタックス6×7で撮影した。スノープローのおかげで重心が低く見え、ローアングルから撮るとほかのDF50よりも迫力があるように感じ、列車が到着するまでの寸暇だったが、記録しておいて良かったと思っている。

DF50という機関車は非力で加速性能も低い機関車とされているが、うなるようなエンジン音を響かせながらゆっくりと発車していく姿は迫力があり、今も脳裏から離れることはない。

(写真、文:U)

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訳あって、今後はなるべく電気機関車以外の写真を中心にアップしていきたい。
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北海道で「THE ROYAL EXPRESS」の試運転が開始された。本番は当初の予定よりも減便されたと聞くが、それでも3回程度は運行されるらしい。

たまたま(北海道に)遊びに行くときに試運転があるかもしれず、時間的に余裕があればそれはそれとして撮るつもりだが、黄色く塗られたDE15はとりわけむごい姿で、豪華列車の先頭に立つイメージからはかけ離れた塗色。まるで北海道の荒れたレールを保守するための工事用車両にしか映らず、これもあの水戸岡の仕業か。

「撮り鉄」にとっては、けっきょく行き帰りの甲種回送が「メインディッシュ」になりそう。

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2020年7月26日 (日)

田町で撮った185系の臨時「踊り子」

昨日は人間ドッグのため渋谷の病院に行った。久しぶりの渋谷はゴミゴミして、センター街周辺は腐臭が漂い、うるさい音楽も流れて非常に不快なのは相変わらず。どこが良くてこの街に若者が集まるのか不思議でたまらない。

終了後、初めて渋谷の「モデルス イモン」に寄ったら陳列ケースに所狭しと様々な模型が並び、ちょっとした博物館のよう。自分が若いころに「模型屋」に抱いた、ちょっと陰気で敷居が高いイメージとは全く違うことに驚かされた。

渋谷という場所柄、今後もあまり訪れることはなさそうだが、年に1度の人間ドッグ帰りの、ちょっとした「楽しみ」にはなるだろう。

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久々のカラーは24日に初めてフルサイズのミラーレスカメラで撮った185系の臨時「踊り子55号」。撮影場所も田町と、ありきたりの場所でありきたりの写真ゆえ、わざわざアップするのも気が引けるが、前述のようにミラーレス機での初撮影ということもあり、ここに残しておこうと思う。
連休とあって5、6名がカメラを構えていたから、今も変わらず人気のポイントなのだろう。

前回の記事でピントの件を書いたものの、説明として分かりづらい文章だったはず。
要はミラーレスの電子ビューファインダーはまだしっかりと「ピントの山」を鮮明にとらえにくいということ。性能が向上しているのは間違いないにせよ、個人的にはファインダーの見やすさがカメラを選ぶ時の決め手の一つになるわけで、その点についてはまだまだ一眼レフに追い付いていない。

(写真、文:U)

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2020年7月24日 (金)

「あかつき」のマークを付けたEF5869

雨とコロナのおかげで撮影に行く機会が減っている中、使うチャンスもないので2週間以上持たされていたミラーレス機を本日返却した。けっきょく一度も使わなかったわけだが、さすがに感想を聞かれると申し訳ないので返しに行く途中、田町で臨時の「踊り子」を撮影してみたところ、これはとてもなじめないと思った点に気づいた。

ファインダー。
当初から最も不安を感じていたところだが、ファインダー全体の「見え方」はともかく、オートフォーカスで列車を連写していてわずかにピントが外れたときにそれがよく分からないのだ。
一眼レフなら連写の途中で一瞬、ピントが微妙にずれただけでもはっきりと視認できたのに、ミラーレスの電子ビューファインダーだとそれがよく分からない(見えづらい)。子どもがまだ小さい頃、運動会などで動画を撮っていたときと同じような感覚で、撮っているときはしっかりピントが合っているように見えても、後でテレビなどの大型モニターで再生して初めてずれていたことに気づくといった感じ。ピントがはずれるのは仕方がない事ながらも、撮り終えてカメラのモニターを見るまで気づかないとしたら撮影中に対処することもできない。もっとも、その次のコマはしっかり合焦しているのだが、とにかくファインダーをのぞいている時点で自分が気づかないことが起きるのが気にくわない。

目が悪い人特有の問題かもしれないにせよ、ファインダー像の見やすい一眼レフなら気づくのだから、当面ミラーレス機の導入は難しいと感想を伝えて帰宅した。

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1978年3月17日、広島機関区派出所での撮影。翌月に大学の入学式を控えたころで、当時はまだ律義に機関区へ往復はがきを出して事前に見学の許可を取り付けていた。

このときは広島機関区には本区と派出所があって、それぞれ別の場所にあるとは知らず、先に本区を訪れたらEF58は派出所の受け持ちだと聞き慌てたことが忘れられない。それでも本区の担当の方は構内に止まっていたEF611のパンタグラフを上げてくださり、さらに派出所の見学許可も取り付けてくださるなど、非常にありがたい対応にはとても感激した。

この写真は派出所の児玉助役が倉庫の片隅からほこりをかぶっていたヘッドマークを出してくださって撮れたもの。傷みが激しく、その前年に黒磯で借りた「あけぼの」のマークと同様の状態だったが、たまたま在区していた大窓の69号機に取り付け、少しだけ移動していただいて撮影することができた。児玉助役はそのとき、ほかにもっと撮りやすい場所にEF58が止まっているのに、なぜ69号機に執着するのか不思議そうにしていたが、後からその理由を伝えたらEF58の窓に大小があることを初めて知ったと言う。以後、毎年2度ほど訪れるたび、あれこれとリクエストに応えていただき大変感謝している。同じ年の9月に訪れた時には早くも東海道本線のブルートレイン牽引機がやがてEF66になる計画があることまで教えてくださった。

「あかつき」のマークはその次に訪れたときにも取り付けてくださると言ってくださったが、大窓のEF58に取り付けるとどうも魅力が半減するような気がして丁重に辞退した覚えがある。

(写真、文:U)

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2020年7月22日 (水)

失政の度に税金が浪費される

20日、翌早朝の伊豆急ロイヤルエクスプレスの北海道への送り込み列車をまずは真鶴で迎え撃とうと、会社から早めに帰宅し、車の後部座席を倒して大脚立を積み込み、カメラのバッテリーを充電し就寝。酒も控えめにしたため寝つきはいつもより悪かったが21日午前1時には目覚めた。

しかしパソコンを立ち上げて送り込み列車の牽引機を調べると、それまでの意気込みは一瞬にして雲散。牽引するのは現存するEF65PFの中でも(個人的に)最低最悪塗装の2127号機とのこと。国鉄色のPFに青い電車が引かれる姿はパッと見、ブルートレインもどきになると勝手に期待していた身としては大いに幻滅し当然のごとく出撃をキャンセルした。
真鶴付近にはSaさんやOさんも展開するようで、特にSaさんからは早々と現着して駅前でうまい魚をつまみながら一杯やっているとの連絡をもらい、(撮影を)ご一緒するのが楽しみだったが、主役がピエロのごとき機関車ではどうしようもない。夏の夜の高速道路を飛ばし、群がる虫の死骸を車に付着させて帰宅しても洗車を楽しむほどの満足感を味わえそうもなく、撮影を取りやめる旨、お二方と別の場所に行かれるSeさんにメールでお伝えし再びベッドに潜った。

独りよがりに国鉄色のPFが充当されると思い込んでいたことが、情報を教えてくださった方々を欺くような形になって申し訳なかった。この場を使ってお詫びする次第。

それにしても今年は予定されていたお召し列車が2度もキャンセルされるなど、コロナの影響等で趣味の鉄道撮影も成果が上がらず、せいぜいこの回送列車が今年の目玉かと思っていたのに大変残念だ。JRとJR貨物、伊豆急がチームを組んで「プロジェクト」などと高らかにぶち上げた割には、機関車にヘッドマークも用意されなかったことにガッカリしたファンも多かったと聞く。

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「Go To トラベル」から東京都在住者を除外することになった結果、発生するキャンセル料を政府が面倒をみるというが、情勢を見誤ったことの尻ぬぐいをまたもや税金で帳消しにするつもりか?「Go To トラベル」実施に際して消毒など受け容れ準備をした旅館などの出費を補填するならともかく、キャンセル料を税金から捻出するには、まず失政を反省してから行うのが公僕として在るべき姿勢ではないのか。

これが民間企業なら計画した責任者は更迭されてしかるべきだし、これほどの大ごととなれば役員報酬をカットするなど自ら血を流したうえで株主をはじめユーザーに見通しの甘さを謝罪する。
しかるに我が国の無責任な為政者たちは謝罪どころか言を労して非を繕い、すぐに税金を投入して事をうやむやにしようと目論むのだから恥知らずも極まれり。それほど税金は有り余っているのか???

不良品が混じったマスクの配布などに続く度重なる失政に、血税を注いで国民の目をくらまそうと図る政府の厚顔もさることながら、それに憤らない茫洋たる有権者。目くそ鼻くそ。この国民にしてこの政治家ありってところか。

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閑話休題。

見目麗しき時代、ブルートレイン「なは」を引くEF651127(現2127)。1987年3月28日、塩屋~須磨で。

今や「カラシ」などと称されている悲惨な本機。ムサシノモデルの模型を見ると見事に表現されていて、商品としての価値は高いと感じるが、疲弊した体にむち打って未明に眠い目をこすりつつ真鶴まで愛車を駆るほど実物には惹かれない。

「遺影」として佳き時代の姿を再度アップする。

(写真、文:U)

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