2019年1月18日 (金)

DD51初期形

9日に続いて16日も八高線のDL訓練運転に行ってきた。この日は9日ほどスッキリした晴天にはならなかったが、DD51のボンネットに影が出る程度には晴れたから、高速代をかけて出かけた甲斐はあった。前回とは少し異なるものの今回も思い描いたアングルがあって、立ち位置の確保が心配されたが、早々に現着したおかげで微妙なポイントを探し当てることが叶った。今日、画像管理ソフト「ACDSee Professional 2018」が届いたから明日、明後日は「Photoshop」を併用してRAW現像したい。

今回の画像は同じDD51でも1978年に撮った初期タイプの4号機。岡山機関区にDE50を撮影に行ったときのもので伯備線の貨物列車に活躍していた機関車。形式写真を撮りやすい位置に止まっていたのはありがたい。量産形との最大の差異は左右ヘッドライト付近の白帯が低い位置にあること。詳細に見ればほかにも多々あるが外見上、ここが最も大きな特徴だ。この頃、ヘッドライトや運転室のデザインが異なる1号機は秋田に配置され、ほかの初期形は東新潟や吹田に所属する車両が多かった。最下段の量産機とならぶと違いがよく分かるが異形式のようにも映る。


(写真、文:U)

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2019年1月13日 (日)

久々のDD51

昨日、友人から埼玉・深谷のネギを頂戴した。奥様のご実家で収穫されたもののようで、これが絶品。正月に酒浸りになった体をこの連休で少しばかり癒やそうかと柄にもないことを考えていたが、これを焼いて味噌を付けて食べたら酒が止まるはずもない。たくさんいただいたからほかの食べ方を考えるのも楽しく、至福の夕餉が続きそうだ。

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9日、2019年初の鉄道撮影に出かけた。被写体は八高線のDL訓練運転。500ミリレンズ2本などを車に積んで東名、圏央道、関越道経由で撮影地に向かった。
2017年の冬に行われた訓練運転は旧型客車×5だったが今回は12系×5。客車をあまり入れない構図を選んだものの、青い車体とDDのオレンジの対比も好天下ならではで美しかった。
残念ながらパソコンの画像管理ソフトのトラブルで現像が完了していないから、最新版のソフトを入手したらRAW現像する予定。カメラの再生画面で見る限り、ほぼ狙い通りに撮れたのではないかと結果を楽しみにしている。
後から列車を追いかけて来た連中の中には先着者の画面に入ることを注意され、逆ギレし声を荒げるバカもいたが、そんな奴はさておき新年第1回目の撮影行としては上々だった気がしている。

今回は2009年1月、ちょうど10年前にに撮影した同じ高崎のDD51。EF55のお別れ運転の際、上り方に付いた姿。高崎のDD51はお召し機のようにランボードや煙筒などが銀色だが、どうやらこの897号機だけは通常通り白やグレーのままなのが特徴らしい。バックの鉄塔がうるさいが足回りにも光が当たるのはありがたい。最近はご無沙汰しているK氏に案内していただいたポイントで、ニコンD3Xに自分としては短めの300ミリを使用した。

(写真、文:U)

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2019年1月11日 (金)

立川機関区に休むED16群

東京では好天続きの年末年始で、年末に3日間、年明けに2日間ほど成田空港での撮りおさめと撮り初めをしてきた。昨年の撮影日数は78日間、ほぼ平年並みの趣味の活動となったが、鉄道関係の撮影は、ちょっとした小旅行時の駅ホームでの車両撮影を含めても20日を数えるだけとなった。とはいえ、8月のEF5861展示というビッグイベントもあり、久しぶりに年賀状に鉄道の写真を添えることも出来た。

高校生活最後の1978年2月、普通なら同級生は大学受験に臨んでいる時期だが、幸い付属高校ということでそれもなく、放課後や週末には鉄道撮影に費やすことが出来ていた。当時、まだ旧型電機機関車や旧型国電も首都圏では最後の活躍を続けており、EF58やEF57以外では、近場で多くの車両が集結しているED16が好きだった。

自宅から中央線に40分程度乗れば立川に佇むその姿があり、西国立の立川機関区に行けば多くのED16が集結していた。今から思うと、西国立駅のホームから簡単に見られる立川機関区のその風景は圧巻であり、その横を頻繁にEF16の貨物列車や茶色い旧型国電が行き来する状況は贅沢であったと感じるが、それが当時の日常風景でもあった。

先日、西国立駅を通った際に跡地を見たが、マンションが立ち並び、当時の面影は全く残ってはいなかった。40年間の年月を感じた。

(写真・文:K.M)

1978年2月  立川機関区(西国立)、立川駅 にて

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2019年1月 8日 (火)

事業用車両

1978年5月に吹田機関区を訪れたときの本命はDE10の試作機901号。2エンド側(短いボンネット側)が量産形よりも細いタイプで、そちらから撮ればちょっと精悍に見える。いずれまた再掲するとして、 今回の写真はその際の副産物。

すぐそばの車両工場に入出場する電車を牽引するもので、いわば事業用の車両。今で言えばクモヤ143のような存在。普段はあまり見られないが個性的で、この手の〝ゲテモノ〟が好きな自分は比較的まめに撮影するよう心がけていた。

国鉄当時は営業に使って古くなった電車を適当に見繕って改造していたようだから、全国的に統一された規格というものがなかったのかもしれない(筆者の推測)が、ともあれ面白い被写体であったことは確かだ。1形式1両というものもあったように記憶している。
ほかに古い客車を改造した救援車というものもあって、トラブルが起きたときに機材などを載せて現場に駆けつける車両も独特な物が多かった。

ややマニアックなネタだが、あの頃はそういう意味でも車両基地を訪れるのが楽しかった。

(写真、文:U)

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2019年1月 6日 (日)

客車の窓から

今回の写真は1977年のゴールデンウイークに訪れた紀勢本線で撮った高校生時代のもので、DF50の4号機を撮りたくてこの月2度目の訪問となった。DF50のうち正面の窓が大きい初期型は紀勢線を受け持つ亀山区にほかにも在籍していたが、自分としては4号機に最も魅力を感じていた。5号機や7号機も同様のスタイルなのに、とりわけ4号機に入れ込んだのは気まぐれとしか言いようがないのだが、ともあれ新宮と和歌山の間を何度も行ったり来たりして4号機を捜し求めた。

後年、保存された4号機の写真はいずれ掲載するつもりだが、今回はその道中に列車の窓を開けて撮影した2種。当時はエアコンも普及しておらず、車両の窓は乗客が自由に開閉でき、停車する駅や信号所で交換する列車を窓から撮ることが可能だった。ちょうどこの旅行に先立って「鉄道ダイヤ情報」が紀勢線の時刻表やダイヤ、機関車の運用表を載せていたおかげで、自分が乗った列車がどこで対向列車と交換するのか知ることができたのは非常にありがたかった。上の写真は見老津で交換した天王寺発名古屋行き2D「くろしお」。

キハ81はこの当時、1Dと2Dの天王寺側にのみ使用されていて、これはいわゆる「後追い」ということになる。こちらの123列車はホームからはみ出して停車していたため列車の最後部まで行けばこんなに乗り出さずに撮影できたが、客車が写ったおかげで窓を開けて撮影したことが分かる。

下は新宮から名古屋へ向かう各駅停車の窓から。
今、SLが牽引する列車などで乗り出してこんな写真を狙ったら、有名撮影地でカメラを向けている方々に叱られそうだし、何より車掌が飛んで来るのだろう。
それでも、架線柱のない磐越西線などでモノクロでトライしてみたい気はする。

(写真、文:U)

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2019年1月 4日 (金)

C623

今回の年末年始は12月28日から1月6日まで10連休。こんな豪勢な休みは病気を除いてサラリーマン生活で初めてのこと。定年も近づいていることもあって「後は野となれ山となれ」の心境で厚かましく有給休暇を組み入れた。
ただし家にいてもやることはなかった。年末は自宅の掃除やら買い物などを手伝ったものの、年が明けてからは義母と義理の妹夫婦が来宅した元旦を除きゴロゴロ。朝昼晩と3回の食事の度に酒を飲んで過ごしている。昨年は健康が不安になった時期もあったが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」の例え通りになりそうだ。

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今回は1989年8月に撮影したC623。出張に行ったついでに写したもので復活したC623号機を撮ったのはこのときだけ。現役時代からC62には関心がなく模型では一応、2号機を2両保有しているが、3号機を入手して「ゴールデンコンビ」を組ませようとまで考えたことはない。ただしヘッドマークも付けず旧型客車を従える編成は保存蒸機とはいえ現役時代をじゅうぶん彷彿させるもので、この点は素晴らしいと感激した記憶はある。
倶知安行きを撮った後、札幌に戻る道すがら蘭島と塩谷の間の有名なオーバークロスで500ミリを構え復路の列車を待ち構えた。

このブログを開設した頃に一度使った写真だが、今回は1972年2月に北海道に行った際、小樽築港機関区で休車になっていた3号機の写真もアップする。ナンバープレートが外されているのは休車ということもあるが盗まれることを考慮した措置。当時は蒸気機関車のナンバープレートが盗まれる事件が頻発し、静態保存機まで被害に遭うことも珍しくはなかった。
3号機はしばらくして小樽と長万部の間の各駅停車牽引で復活し、ナンバープレートが付いた姿は翌1973年8月に撮影するチャンスに恵まれた。
そろそろ現役時代のSLのネガもスキャンを始めたい。

(写真、文:U)

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2019年1月 2日 (水)

61号機のお座敷列車

4カ月だけの、夏と秋が訪れない平成31年が明けた。
このブログも前の「ロクイチ(EF5861)に集った仲間たち」から数えると5月に10年目を迎える。ずいぶん多くの方々に見ていただいているようで、ことしも精一杯、継続しなくてはいけないのだが最近は撮りたい車両が減り、昔のモノクロ写真が増えていくことだろう。

今回も大晦日の記事に続いてEF5861号機の写真。1981年3月10日の9840列車。牽引する車両は沼津のお座敷客車。ここまで出向いたのは富士山が見えるかもしれないという淡い期待があったから。しかし、晴れていても午後に向かうと雲が多くなって富士山が隠れてしまうことは日常茶飯で、この日も現地に行ってみて期待を裏切られたため、何の変哲もないアングルで涙をのんだ。もっともこの立ち位置では富士山が見えても真後ろにはならず左側を大きく入れる必要があり、そうすると横に長い構図になってしまう。つまり富士山が出ていなかったおかげで、こんなお決まりのアングルで捉えざるを得なかったわけだ。ワイパーの位置も揃っているし木製の架線柱だから良しとしたが、実際は学生の分際で高速料金やガソリン代をかけてこんなありきたりの写真を撮りに行ったのだから無駄遣いもいいところ。今となってはこんな平凡なカットも撮っておいて良かったと考えているが、当時は61号機も当たり前に走っていた状況だっただけに、もったいなかったと感じたものだ。ペンタックス6×7で200ミリ(35ミリ換算でほぼ100ミリ)


(写真、文:U)

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2018年12月31日 (月)

今年の収穫は61号機の展示

2018年大晦日。
健康面での不安など今年もいろいろあったが鉄道撮影は約30回ほど。前年よりも回数はわずかに上回ったが、地元東急の撮影が多く、撮影のための遠出は一度もしていない。地方での写真は家族旅行のついでに撮ったものだけというていたらく。ただ、これまで撮ったことのない富山地方鉄道や福井鉄道、津軽鉄道も見ることができたから、手応えを感じる写真こそ皆無にしても、これからもますます旅先での気楽な撮影を中心に展開していきたい。

今年一番の収穫は予想していたとおりEF5861。久々のお披露目で、しかもパンタグラフを上げての展示で、このことを抜きに2018年は語れない。公開に際しては混乱が生じ、消化不良を感じた人も多く、この経験を踏まえて博物館に収蔵するなど今後の方針を固めるきっかけになれば良いと思う。とうに昭和は終わり、平成もあと数ヶ月だけになった今、何の展望もなくただただ大井の庫に眠らせておくのではなく、もっと有意義な扱いを検討すべきタイミングを迎えているはずだ。

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もうすぐ除夜の鐘の音とともに平成30年が暮れ、短い平成31年が訪れる。日常的に西暦を常用する身としては元号に対する執着はないが、鉄道各社も平成の終わりを記念してさまざまなイベントを企画しているようで、元号の移り変わる4~5月の10連休は何かと賑やかになるかも。

(写真、文:U)


2018年12月29日 (土)

五能線晩秋

10月の東北旅行から。
好きな車両の記録を残すために写真を手段として使っている自分は、こういうロングの、風景写真に近い絵はこれまで滅多に撮ることはなかったし、これからも頻繁に撮ることはあるまい。大阪のHa氏やA氏らに冷やかされそうだ。

五能線。
深浦で「ヒラメの漬け丼」を味わった後、秋田犬の「わさお」がいる鰺ヶ沢へ向かう途中に撮影した。五能線は風光明媚な場所を走るから、ロングの写真を狙うなら労せずして良いポイントが見つかりそうだが、海に沿った手近な場所は意外と「帯に短し、たすきに長し」で、能代から深浦までの国道沿いに納得いくポイントは見つけられなかった。時間をかければ無尽蔵に見つかるのだろうが草むらに分け入るのも嫌だし、キハ47に長い時間を割いてカメラを向けるほどの情熱もない。

そんな中、海を望め、道端に車を止めて気楽に撮れそうな場所に気がついた。時刻表を調べるとちょうど上り下りの2本が来ると分かり、30分ほど妻に付き合ってもらったのがここ。平成最後の晩秋、天気は良くはないが風もあって海には白波が立ち、もうすぐ冬を迎える北東北の雰囲気は悪くない。遠くの岩場も霞んではおらずズームレンズ1本でじゅうぶんというのも、ものぐさな自分には嬉しい。

ありきたりの写真だが、状況によってはこういう写真も撮るのだとアリバイ的にアップした。
こうしてみるとキハ47も悪くない。かつてキハ10系やキハ58などの気動車が日本の風景にとけ込んでいた時代を思えば、もうすぐ淘汰が始まるこのキハ47系にも同様な味わいが出てきたように感じる。春や夏の穏やかな時期よりも荒波が押し寄せる季節に寒さに耐えながら再訪し、夜はうまい日本酒で体を温めている自分を想像してしまう。

(写真、文:U)


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2018年12月27日 (木)

583系使用の記念列車

10年ほどの空白期間を終え、2008年の3月に鉄道撮影に復帰したのは良いタイミングだった。東海道線の急行「銀河」が廃止される時期で、この後続々と夜行列車が消えていったものの、このタイミングを逃せば後悔していたに違いない。すでになくなってしまっていた列車はあったにしても、「富士、はやぶさ」「北陸」「日本海」「あけぼの」「北斗星」などのブルートレインや、夜行急行の「能登」「はまなす」、それに「トワイライトエクスプレス」を撮ることができたのだから最後のチャンスにギリギリ間に合ったわけだ。

ほかにも消滅前に間に合って良かったと思うのが583系。すでに6両単位の運用で長大編成時を少しでも知っている身には物足りなさもあったが、性能の上がったデジタルカメラでそれなに記録できたのだし愚痴を言っては罰が当たる。ブルートレインなどに比較すると撮りに行った回数は多くなかったにせよ、好みの場所で撮影できたことは、10年間もブランクを空けた者にしては上々だ。

今回の画像は2009年7月5日に撮影した「東海道線全通120周年」の記念列車。記憶に疎い自分は、運転されたのがどの区間だったか定かではないし、なぜわざわざ583系が使用されたかなど尋ねられてもお答えできないのは心苦しいが、とにかく長いレンズを携え早朝からノコノコ出かけていった。結果、「早起きは三文の得」。特急車両が使用された2列車も確保できた。
もやがかかったような天気も、このポイントは晴れると編成側面に日が当たらないから、これはこれで結果オーライ。先日、電車で通ったら架線柱が増設されていたように見受けたが、まだ撮影は可能なのだろうか?

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(写真、文:U)

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