平成最後のお召列車

天皇皇后両陛下が伊勢神宮に退位の報告に行かれ、新幹線・近鉄による移動となった。この旅程以降、4月末まで鉄道による移動の予定はないので、この名古屋ー東京の新幹線が平成最後のお召列車運転ということになる。

お召列車といっても新幹線の場合には外形的には普通の列車と全く同じで面白くないので考えた結果、新幹線を背景にした両陛下のお姿を撮れないか予定を組んでみた。休暇を取り昼過ぎの東京駅新幹線ホームに赴くと、緩やかな警備であった。新幹線車両を背景に出来、また今回の特徴である三種の神器の「剣」「勾玉」の移動も撮影対象とし、場所を定めた。

ホーム上はさほど人も多くなく、予定されていたロープによる規制もなく和やかな雰囲気の中で新幹線お召が到着。程なく両陛下がにこやかに手を振りながら数メートル先を通られ、続いて「剣」と「勾玉」を捧げ持つ係員の姿も撮ることが出来た。

撮影後、平成も終わるのだとの実感が湧いてきた。

(写真・文:K.M)

2019年4月19日 東京駅新幹線ホームにて

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2019年4月19日 (金)

EF5860御召予備機のカラー写真

U氏が紹介されていた1979年5月の浜松機関区でのEF5860、私はカラーでも撮影していたのでご紹介する。また、御召予備機の札も横から撮っていたので記録の意味でご参考まで。このときはED62のお召や61号機と60号機で1号編成をプッシュプルと盛りだくさんの数日間だった。

(写真・文:K.M)

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2019年4月17日 (水)

お召し予備のEF5860

1979年5月、愛知県下で行われた植樹祭に運転されたお召し列車の予備機となった浜松のEF5860号機。一連の運転が終わった後、浜松機関区で撮影した写真だが日の丸は外されてしまった。この直前まで庫の中では日の丸が掲げられていたがパンタは下がっており、屋外に出されたら旗はたたまれてしまうという一長一短の状態だったが、個人的には日の丸がなくともパンタが上がっている方が断然マシだ。

昔はこうしてお召し列車運転後、機関区などの車両基地でファンのために牽引機を披露してくれたものだが、今やそんなことは望むべくもない。そんなJRに寂しさを感じるものの、昨今のファンのマナーを鑑みればそれもやむを得ないとも思う。

このときまで60号機の正面窓がHゴム化されていなかったとしたら、さぞ美しい姿を拝めただろうと思うが、89号機や150号機などのごとく、後からとってつけたように茶色に塗り変えられた機関車と比べると、さすがに風格は一枚も二枚も上手。

ただしこれほど上々の好天だったのにカラーを撮らなかったのは大窓ではなかったからか。当時はつまらないことに意固地だった。

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さて、そんな60号機。当時はしっかり撮影しなかったが上の写真を部分的に拡大すると区名札に「御召予備」という札があることに気づいた。

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さて、前のGTR売却の記事にいただいたコメントへの返信が遅れてしまっている。思いの詰まった車だっただけに、ほかにもいろいろと写真があると同時にGTR同様、まもなく手元を離れるBMW335クーペについても近々触れるつもり。コメントへの返信はその記事の中でしたためたいと思っている。

(写真、文:U)

2019年4月12日 (金)

R32GTRを売却

記事を拝見したところTさんも500ミリ F5・6を購入されたとか。やはり我々の世代にとって機材の軽量化は切実な問題になってきているようだ。もはや撮りたい車両も少なくなって大口径の500ミリを担ぎ出すことが減り、妻との旅行の合間に列車にカメラを向けるのがせいぜい。そんな自分にこのレンズは存在感を発揮してくれることだろう。ひと月に製造できる本数が限られているようで、今注文しても手元に届くのは秋以降になりそうだとも言われている現状、オーダーから3週間ほどで入手できたのは僥倖だった。

鉄道撮影にはまだ持ち出していないが先日、30年ほど所有してきたスカイラインのR32GTRを売却するにあたり、その姿を残そうと家の近所で丸一日、撮影に使用した。

1989年9月に納車されたGTRは大切に使ってきたこともあり、けっきょく43000キロほどしか走行しなかったから、高値で引き取ってもらえたが、状況が許せばまだ手放したくはなかった。
しかし経年劣化して交換しなくてはならない部品の入手がままならず、たった一つの部品を交換するためにひと月半もディーラーに入れておくケースも発生し、今後のことを考えると維持し続けるのは難しい環境となった。日産がR32マニアのために再生産する部品もあるが、全ての部品を生産するわけではなく、特にゴム製のパーツなどを捜すのはネットなどに頼らざるを得ないこともしばしば。加えて免許を取りに行き始めた息子もマニュアルトランスミッションの運転はしないとあれば、所有し続けても出番が減るのは間違いなく、高値で引き取ってもらえるタイミングを逃すべきではないと考えた。平成元年製の車を平成が終わる今月、手放すのも何かの因縁のようにも感じる。

もう1台のBMW335も下取りに出し、平成が終わる前に新たな車がガレージに納まる。

(写真、文:U)

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2019年4月 6日 (土)

常磐線・成田線・武蔵野線で活躍する185系

新しい元号である令和が発表され、GW10連休となるなど、世の中何かとワサワサしているようだ。そういった中、鉄道関係のSNSを拝見していると、EF8180EF65PF牽引のカシオペアの黒磯訓練も多数投稿されており非常に魅力的なのだが、この時期平日だと出撃は難しいので、撮り溜めた何の変哲もない地元の185系ネタでお茶を濁してしまって心苦しい限り。

 

さて、何も東海道本線にまで朝練に出掛けないでも、185系は我が地元でも時々目にすることができるし、線路端にある我がマンションの横も、MT54サウンドを響かせて爆走する185系を見かけることが時々ある。(というか、独特のモーター音を聞いて「あれ、185系だ」と気付かされることの方が多い)

 

鉄道の場合、どうしても有名撮影地が集中してしまって無礼な輩に不快な思いをする場合も多々あるので、最近は航空機を被写体とする機会が増えてしまっている。しかし、185系も淘汰の足音は確実に近づいてきており、イベント列車のように人が集まって混雑する場所や被写体は避けて、国鉄や昭和といった時代の愛着のある遺産を再認識しつつ、誰にも邪魔されずに「日常」として着実に記録に収める撮影スタンスも、これまた「あり」なのではないかと最近思い始めている。

 

どれも目新しいネタではないが、地元で活躍する185系の姿をご披露する。

まずは、馬橋~北松戸を爆走する我孫子発の185系特急「踊り子131号」。多客期の10連はなかなか見ごたえがある。

 

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武蔵野線吉川美南で113日に撮影した185系成田臨。

 

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今年の成田臨は、E257500番台の台頭によって、1月のダイヤ情報を見た段階で、185系の登場回数の激減ぶりに驚いた。成田臨も、ゴハチが牽引していた時代からすると見る影もないが、単線区間なので185系もまた違った表情を見せてくれる。沿線でも、熱心なマニアのお姿を多数拝見した。

 

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(写真・文:T

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年4月 3日 (水)

東海道本線朝練(その2)

お彼岸に親父の墓参りで早起きしたついでに、晴れていたのでまたまた東海道本線で朝練。

ありきたりの鎌倉踏切だが、天気が良いと早起きをした甲斐があるというもの。花粉症との闘いの季節ではあるが、暖かくなってしまうと長玉は陽炎でメラメラになってしまうので、寒さと花粉を我慢しながら線路端に立った。はたして、来年のこの季節まで185系は生き残っているのだろうか。

トップバッターは、「寝台特急 サンライズ瀬戸・出雲」。我々の世代には、「寝台特急」という響きが何とも言えないし、自分でも乗ってみたいのだが、なかなかチャンスがない。ブルトレではないし、583系には遠く及ばないが、寝台特急であることには違いないし、夜行列車に揺られるあの何とも言えない風情はまた味わってみたいものだ。

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「おはようライナー新宿22号」。朝陽を浴びて順光で、しかも、寒さでキリっと引き締まった空気感が185系の表情を引き立たせている。

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首都圏に生活していても、最近では殆どお目にかかれない215系も3本登場する。面白い顔立ちだが、なかなかの存在感だ。

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「おはようライナー新宿26号」で、251系も負けずに登場。

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「湘南ライナー12号」

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締めは、15連で堂々と旅客線経由で走破の「湘南ライナー14号」。

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撮影後は、圏央道・中央道経由で多磨霊園へ。距離の割に、意外に短時間で移動できたのは幸いだった。

(写真・文:T)

2019年3月31日 (日)

夕張線の廃止

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今日、2019年3月31日を以て、北海道の夕張線が廃止になる。

思えば1975年12月に、国鉄最後の本線蒸気機関車撮影で行ったのが最初。その後も何度か夕張線には乗り、最後は昨年の8月に訪問した。ただし、以前は室蘭本線の追分から紅葉山を経由して夕張炭山からの石炭積み出しのための広い構内の夕張駅であったが、今は紅葉山駅は新夕張という味気ない名前に変わって石勝線の一駅になり、夕張駅も以前の位置よりかなり手前が終点になってしまって蒸気機関車が活躍していた当時の面影は全くない。路線名も夕張支線と呼ばれての最期となった。

恐らく春休みに入ってからは相当な混雑になるであろうし、今日の最終日は「葬式鉄」とかいう、普段はほとんど愛着も無い輩たちが、最後のお祭り気分で大騒ぎをしたいだけで集まって、変なプラカードを掲げて「アリガトー」とか叫んでいるのかと思うと、静かな昨年のうちに最後の乗車をしておいて正解だった。

次は札沼線の新十津川までの廃止の時にも同じ光景が繰り返されるのであろうか。この最後の1駅の区間は通常だと一日1往復だからどうなることやら。

今から44年前の「国鉄 夕張線」での懐かしい写真を載せてみた。明日は新元号の発表、私個人も新しい職務でしばらくは忙しくなりそうな大きな転機の期間になりそうだ。

(写真・文:K.M)

1975年12月23~24日 夕張線 紅葉山・夕張駅

 

2019年3月29日 (金)

羽田空港朝練

さて、最近の土日の未明の行動というと、まずはフライトレーダー24でTG682便とLH716便の到着時刻とレジを確認するところから始まる。TG682便は定刻6時55分着であり、あまり早着してしまうと第1ターミナルの展望デッキが6時30分オープンなのでよろしくないが、日の出時刻も遅くなってきたので、撮影は随分しやすくなってきた。一方、北風運用でないとRW34Lにランディングしないし、せっかくならハミングバードディパーチャーも絡めたいので、3月一杯が必然的に狙い目となる。同じことを考えている同業者の方々はたくさんおられるようで、6時30分の第1ターミナルの展望デッキオープン時には自動ドアの前に長い列ができていたし、ドアが開くとともに、皆さんダッシュ! 女性の方もカメラ片手にたくさん来られているのには驚かされた。最近は、航空マニア人口もかなり増えているような気がするし、鉄道関係のブログで超望遠レンズを愛用されている方々も最近はかなり飛行機ネタが増えてきているような気がする。

Uさんも記されているが、ココログのリニューアルは本当に困ったものだ。リニューアルどころか、色々な面でユーザー無視が目立つし、事前に十分な移行テストがなされたのか、また移行がうまくいかなかった場合のコンチプランがきちんと策定されていたのか甚だ疑問だ。無料でブログを開放しているんだから、文句を言うなという姿勢であるなら言語道断、手痛いシッペ返しをくらうであろう。

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さて、Uさんも予約を入れられたようだが、AF-S NIKKOR 500mm f/5.6E PF ED VRが手元に届いた。昨年末に銀座のニコンのショールームで実際に手にとって操作をしてみたところ、本当に500ミリというのが信じられないくらいの軽さと操作性の良さで、まあ俗に言う言葉で「一発でやられて」しまった。とは言え、安い買い物ではないので、かなり迷ったが、たまたま満期返戻になる保険があったので、カミさんには呆れられつつ、年が明けてから予約を入れた。その段階では納期は「いつになることやら」という状態であったし、気長に待っていたが、いつも親切にご対応いただける販売店さんから連絡が急に入って意外に早く手にすることができた。200-400mmズーム、80-400mmズーム、70-200mmズームと並べてみても、やはり信じられないくらい小さいし軽量だが、パフォーマンスの面でもUさんの知床のワシの作品を拝見して、「これは使える」と思った次第。最近、手持ちの航空機撮影の機会が増えているので、老体には本当にありがたいレンズだ。試しに、開封したのが夜間だったので無謀にも我が家の廊下で500ミリを振り回し、ISO6400、1/30、f5.6開放で、ウチのワンコを手持ち撮影してみたが、4段分のVRもさすがで、ワンコの顔の毛1本1本まで鮮明に写っていて、びっくりした。これからの季節は、あいにく陽炎が天敵なので、当面の登板回数は限られるかもしれないが、期待できる1本だ。

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晴天で空気が澄んで、富士山も望めて、北風運用で、TG682が6時40分以降の到着、という条件が整った日には迷わず出撃。

まずは通常塗装のTGのアプローチ。 ジェットエンジンの後方の噴流が何とも美しい。

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ランディング、そしてもの凄いタイヤスモーク!

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お次は、スターアライアンス塗装のHS-TGW。 遠目にも、まさに威風堂々という言葉がぴったりくる存在感。

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これまた凄いタイヤスモーク! このタイヤにどれだけの力がかかっているのやら。よくパンクしないものだ。

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後方にはカンタスの744も休憩中。

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今月で見納めのハミングバードディパーチャー。私はTG682のおまけの撮影だったが、むしろこちらがお目当ての人の方が多かったようだ。

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ANA787のハミングバードディパーチャー後のおひねり。

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(写真・文:T)

2019年3月27日 (水)

デッキ付き旧型電機の撮影に際して

 それまで蒸気機関車一辺倒だった自分が電気機関車やディーゼル機関車を撮るようになったのは高校の同級生K君の影響に他ならない。彼は主にEF57をはじめとする当時で言うところの旧型電機を撮っていたが、ある時、蒸気機関車を撮っていた(この頃SLはもう全廃となっていたが)自分を157系「あまぎ」の撮影に誘ってくれ、それ以来、行動をともにするようになった。そんな縁もあってELやDLを撮るようになったのだが、2人でよく出かけたのは山手貨物などEF13、15が頻繁に行き交う路線がもっぱらだった。場所をあげると東十条、新宿、田端、大宮など。少し足を伸ばせばED16、EF10、12も撮れたが、とにかく彼に引っ張られ貨物用の旧型電機をずいぶん見ることができた。EF13などはパンタグラフが上がっていないものも含めて全機、EF15も140両ほどに及ぶ。
 
 そんなK君が撮影時に気を遣っていたのがデッキ付き電機のナンバーの位置。運転台の下に付くプレートや文字は助手席側から撮るとデッキの手すりに隠れて番号が読めないこともある。だからなるべく機関士側から撮影できるような場所に拘っていた。特に個性の希薄なデッキ付き貨物機は後でネガを見ても何号機か分からないケースもあって、実はEF15を140両ほど撮った自分も、それはナンバーがしっかり見えるか、あるいは当時の記録に頼ったもので、実際は何号機だか分からない写真も多い。1977年に信越線の押切付近で撮ったEF15の1号機などはデッキの手すりにナンバーが隠れてしまった例で、ほかにも痛恨の失敗も数多だ。
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1977年5月31日に五反田で撮影のEF159。これなんぞはナンバーが読めない最たる例。ネガをスキャンしたときには4号機かと思いこんでいたが、デッキのはしごの下が白に塗られており、これは東京機関区所属機の特徴。4号機は当時八王子の所属だったから間違いであることに気づいた。昨年、東急の7700系を撮ろうと五反田から池上線に乗ったが、この界隈の景色もずいぶん変わった。

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1977年8月4日、宮内駅で撮影したEF1585。これくらいの高さだとなんとかナンバーが分かるが、これが切り抜き文字の数字だと識別しにくい。
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1977年8月、押切付近で撮影した1号機。ロングでしかも助手席側だからナンバーが見えない痛恨の1枚。以前に大宮で機関士側からはっきりと番号が読めるカットがあったから助かったが、そうでなければ後々まで悔いの残る結果となっていただろう。
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1号機の時のような失敗を経験してデッキ付き旧型電機を撮るときは機関士側からの撮影を意識し始めた。この1978年2月に水上駅で撮影した2号機は当初、助手席側ホームにいたが、2号機と知って慌てて線路を横断して機関士側に移動した。補機のEF16を連結する作業で時間があったはずなのに、連結されてしまうと2号機と分からなくなることもあって慌てた。今ならとてもできることではないが、このころはホームを下りての夜間撮影も大目に見てくれていたものだ。
 (写真、文:U)

 

 

2019年3月25日 (月)

「銀河」の絵入りテールマーク

 東京と大阪を結ぶ夜行寝台急行「銀河」が20系客車を使用していた頃の晩年、客車の最後尾に絵入りマークが掲げられた。それまでは「急行」という文字だけだったように記憶しているが、この絵入りマークは星が描かれてなかなか気の利いたデザインだった。願わくば機関車にもヘッドマークが入ればさらに良かったが、20系客車のテールマークが入る面積は14系や24系などよりもはるかに大きく目立つものだったから、沿線で撮っているファンも「銀河」を撮る際は振り向いて列車の後部も押さえたものだ。後に「銀河」は東京駅着が9時台から早朝6時台へと変更になり、怠惰な自分が撮影する機会が激減したが、今にして思えば前(機関車側)からよりも後ろから撮ることをメインに、もっと撮っておくべきだった。この手の悔恨はたくさんあれども、姿形の良い20系客車だからこそ、その思いはひときわ強い。
 下の写真は絵入りマーク以前の姿。

(写真、文:U)

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